ドルイデスは忌み子将軍に溺愛される

毒島醜女

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いつものように母を見送って、コンビニ弁当を食べて眠る。
それで目が覚めたら、横に母が布団にくるまって眠っている。
それが羽村愛里はむら あいりの当たり前の生活だった。
だけどその日、彼女の母は帰ってこなかった。
交通事故だと言われた。詳しい話は周りの大人は教えてくれなかった。
母の親戚という人たちはあれよあれよという間に、彼女の亡骸を棺に入れて、葬式を済ませた。
それから値踏みするような目で愛里を見て、その目の前で誰が彼女を引き取るのかという話を決めた。
まるでクラスメイトたちが嫌な当番を押し付け合っているかのようだと、幼い愛里は思った。
そして愛里を引き取ることが決まった叔父と名乗る中年は、ムスッとした顔で彼女の小さな手を引いて家に案内した。埃の舞う暗く寒い部屋に放り込んで、彼はこう言った。

「18になるまでは家に置いてやるから、その代わり仕事をしろ」

その日から、叔父の家の雑用を愛里がすることとなった。
学校を終えたらすぐに家に帰り、家主たちの言いつけ通りに動かなくてはならない。
買い物。掃除。炊事。
失敗しても暴力を振るわれることはなかった。代わりに水商売をしていた母親の悪口や、如何に愛里の要領が悪いかを言ってきた。

「そんな暗い顔しないでくれる? 悪いのはアンタなのに、こっちがいじめてるみたいじゃない。女の子なんだからもっと愛想よくしたらどうなの?」

叔母にそう責められてから、愛里は震える頬に無理矢理力を入れて、口角を上げた。
彼女に割り当てられたその家の中で、愛里はずっと固い笑みを浮かべて、黙々と仕事をこなしていった。
いつかは18歳になればこの家を出られる。そうしたら自分の望むことをしよう。
幼いながらにそう思った愛里は家事の合間に勉強をして、自身の選択肢を増やしていった。
そして愛里が中学に上がってしばらく経った夜。
ベッドで眠る彼女の上に、叔父が覆いかぶさって来た。
急に覚醒した愛里は彼が自分に何をしようとしているのか、理解してしまった。
瞬間、愛里は必死に抵抗した。
煙草の臭いが染みついた手に口を封じられ、解放された片手を目覚まし時計に伸ばして、それを叔父の頭に叩きつけた。
何をしようと大人しく搾取されるべき家畜である愛里が自分に害を為すなど思いもしてなかった叔父は、痛みと困惑に蹲った。
愛里は本能のまま、その場を逃げ出した。
玄関の鍵を開けて飛び出したところで背後から叔父の怒鳴り声がした。
それから彼女は無我夢中で走った。
寝静まった夜道をただひたすらに。
肺が呼吸をするたびに痛み、足を前に出す度に足が悲鳴を上げる。
それでも走り続けた。
そうしないと、あの節くれだった臭気を放つ手に髪を掴まれる気がした。
無我夢中で走って逃げて、体力の限界が来て足が震える。
愛里がたどり着いたのは、神社の脇の林だった。
目の前にはご神木であろう太い幹の木が聳え立っていた。
遠くから叔父の声がした。
最早言葉の意味すら分からないが声を張り上げ、威圧している。
彼に見つかったら、という最悪な想像をするだけで体が震える。
愛里は身を縮こませて、ご神木の根元に縋った。

「おねがい、です。わたし、を、たすけて、ください」

息を吸うたびに痛む喉から、絞り出すようにそう懇願した。
なにも起きるわけがない。そんなおとぎ話に縋るほど愛里は子供ではない。
それでもそうせざるを得なかった。それ以外方法がなかった。
この恐怖から、誰かに救ってほしかった。
冷たい土の上で祈り続けたその時、ふと温もりを感じて目を開ける。
愛里自身に信じられないことが起きていた。
彼女の体に淡い光の粒が近づいていた。
いつかテレビで見たホタルのようだった。
一つだけではない。見ただけでも十個、いいやどんどん数を増やし続け、愛里の傷ついた腕に触れていた。
長いこと味わうことが無かった柔らかな温もりに、愛里の体から緊張が抜けていき、光の粒に身を任せていった。
光はすぐさま愛里の体を包み込んでいき、光が消えた頃にはご神木の前には誰もいなかった。
愛里が目を開けると、そこは夜の神社ではなかった。
温かな陽光に包まれた、ふかふかの芝生の生えた丘だった。
近くには絵本に出てきたような可愛らしいデザインのログハウスがあり、その横には整理された畑が広がっていた。

「あなたが、神樹様が導いて下さった子ね」

穏やかな声にハッと顔を上げる。
純白のローブを纏った、木製の杖を持った老婆が、眉尻を下げて愛里に微笑んでいる。
老婆はゆっくりと膝を曲げて愛里に視線を合わせ、まだ微かに震えるその手を取った。
その乾いていても、目の前に広がるひだまりのように温かい手の平に、愛里は自分を包んでくれた光の粒のことを思い出した。

「神樹様が教えて下さったわ。新たなドルイデスとなるあなたのことを。その苦悩も……本当につらかったわね、アイリ。これからは、ここがあなたの居場所よ」

老婆は話してくれた。
この世界には魔法があり、その宗派の一種に樹木信仰からの自然由来の魔法を得意としたものがあり、それを操る女性をドルイデスと呼ぶ。
彼女らは神樹という、ありとあらゆるものに繋がる木を敬い、祈りを捧げている。
愛里はその神樹に次期ドルイデスとして選ばれた存在であり、彼女が命の危機に瀕したと感じた神樹が時期を早めてこの世界に連れて来たという。
そして愛里の教育者として選ばれた老婆に、彼女のことを伝えて託したのだった。
突然のことにただ唖然とした。
ただ、今の愛里にはこれだけは理解できた。
自分は解放された。
そして自分を必要としてくれる場所に来ることができた。
そう理解した瞬間、愛里の瞳からはポロポロと涙が粒となって溢れた。
母を亡くしてから奪われていた時間が、抑圧されていた感情がやっと動き出したのだ。
その時から羽村愛里は消え、ドルイデスのアイリとしての人生が始まった。
アイリは老婆を「先生」と慕い、彼女から魔法を学んだ。
魔法のない世界にいて不安だったアイリであったが、先代の言う通りにしたら使う事が出来た。
ドルイデスの力を頼る近隣の村人も、健気に働き勉強しているアイリを快く思い、温かく応援してくれていた。
人として扱われることなく、前の世界で傷ついたアイリの心は次第に癒えていき、少しずつだが実力を身に着けていく自分に誇りを持つことが出来た。
そして月日は流れ、アイリは女性としても、ドルイデスとしても成長し、一人前に仕事をこなせるようになった。
そんな彼女に満足するかのように、先代のドルイデスは静かに、そして穏やかに息を引き取った。
彼女が埋葬された裏庭の小高い丘には、墓石の代わりに紫陽花が芽吹いた。亡くなる前に言っていたが、ドルイデスは死後埋葬されるとその地上に、彼女の人物を現す木が生えるそうだ。
咲き誇る色とりどりの花に微笑んで、アイリは先代の墓前で手を合わせた。

「先生。今日も見守っていてください」

そして今日もアイリはドルイデスとして励んでいく。
客からの依頼を受け、彼らにあった薬草を処方したり、問題を解決したりする。その度に皆笑顔でアイリに感謝をする。
前の世界では決して与えられなかった賛辞と敬意に、心は満たされていった。
そのはずだった。
だが、時折、まるで気が緩んだ時を狙ったかのように、アイリは夢を見る。
あの時の、叔父が自分にのしかかって来た時の夢だ。
自分の口を覆う、煙草の饐えた臭いが染み付いた手。
頬に食い込む指。
ギラついて血走った目。
汗に塗れながら、自分の悲鳴で起きる。
バクバクと心音が体の中から聞こえて、呼吸が苦しい。
それがあの夜の逃走を思い出させ、更なる苦しみに襲われる。
先代が淹れてくれた、精神を落ち着ける作用のある茶を飲んで、何度も言い聞かせる。

「大丈夫……大丈夫……もう、終わった事なんだから」

何度も何度も、そう言い聞かせた。
そして瞼を閉じてベッドに蹲り、穏やかな眠りを待った。
あくる朝。
馴染みの村人に薬草を届け、明日の仕事に使う道具を用意しようとしていたその時、ドアをノックする。
と、同時に若い男の声がした。

「失礼する、ここにドルイデスはおられるか?」

ハキハキとした威厳のある声に、アイリは聞き覚えはなかった。
「はい、ただいま」と言ってドアを開ける。
そこには白銀の鎧をまとった兵士がいた。
胸にはこの国の国旗の紋章が刻まれていることから、正規の軍の人間だとわかる。

「あなたがドルイデスですね? 突然の訪問、失礼する。至急診てもらいたい人間がいるのですが」

眉間を寄せて、彼は背後に立っていた人物を支えながら、アイリの前に出す。
若者と同じ鎧をまとった、彼よりも更に大柄な男が現れる。
艶やかな黒い前髪が目元に掛かっており、ただでさえ青い顔が更に血色が悪く見える。影からは深紅の凛々しい眼差しが、こちらを見ていた。
彼の様子を見たアイリはその様子から、どのような症状なのかを探る。

「何が起こったのですか?」
「この近辺で魔獣討伐に来ていたのですが、猪型の魔獣から負った怪我がどうやっても治らないのです。魔法医も手を尽くしてくれたがウルリク将軍はずっと不調で……なので、ドルイデスである貴女に頼ろうと」

若者の説明を聞きながら、ウルリクと呼ばれた青年を病室に連れていく。
肌は冷たく、汗ばんでいる。
本当は立っているだけでも精いっぱいだったのだろう。
ベッドに仰向けになった途端に脱力し、息を吐いた。
アイリは彼の汗を拭いながら、魔獣がつけた傷を見る。
傷自体は浅いものの、傷口からは瘴気を感じられ、これが彼の命を蝕んでいるのだと分かった。
手を翳して瘴気を調べてみると、近辺にのみ生息する毒草の成分を検出した。

「……恐らく彼を傷つけた獣は、この地方にのみ生える毒草を好んで食べていたのでしょう。すぐに解毒します。ですが、その魔物自身の瘴気も混ざっている為、完治には時間がかかるかと」
「いいや。治して頂けるなら、それでいいのです。恥ずかしながら、将軍は私を庇ってこの怪我を負ったのです……だから、どうしても助けたくて」

若者は心配そうにウルリクを見つめる。
アイリは薬草を煎じて彼に飲ませ、患部にはドルイデス特有の魔力を込めた布を巻いた。
若者は「私は軍部に報告します。後のことは任せます」といって前金を渡して去っていった。
アイリはウルリクが、先程より穏やかな顔で眠りについたのを確認して、その身体にシーツを掛けて仕事に戻った。
ベッドに横たわった男、ウルリクが目を覚ましたのは店仕舞いをしている夜のことだった。
彼が起きたことに気づいたアイリは、静かに近づいて声をかけた。

「気が付きましたかウルリクさん? ご気分はどうですか?」
「……楽になった。まだだるさはあるが」

傷跡に触れながらポツリとそう言う。

「食欲はありますか? 芋のポタージュならありますが」
「押しかけた身でそこまで世話になるわけにはいかない。白湯を貰えればそれでいい」
「部下の方からその分のお金は頂いていますから。それにきちんと栄養をつけないと健康になりませんよ」
「わかった。いただこう」

能面のような顔で自分を見上げる赤目の男に、アイリはキッチンに向かって深めの皿にポタージュを注いだ。
トレーの上に匙と共に置いて、ブイヨンの香りが漂うそれをウルリクに運ぶ。
彼は匙を持って白く温かいスープを掬う。そして口に運ぶ。
無理をしている様子もないし、苦にはなってないようだ。
皿はすぐに空になり、水も飲み干した彼に、アイリは安心する。

「しばらくしたら横になって下さいね。何か困ったことがあれば、すぐにこれで呼んでください」

枕元に呼び鈴を置く。ウルリクはこくりと首を縦に振った。

「それでは、おやすみなさい。ウルリクさん」

そして自分の分の夕食を済ませ、片付けをして、眠るウルリクを見守ってからアイリは眠りについた。
目を開けると、何かを擦るような音がした。
音のする方に向かった時、アイリは目を見開いた。
上半身に包帯を巻いた男が、床に這いながら雑巾がけをしているのだ。

「何をしているんですか……?」
「せめて役に立てるように掃除をしていた。この布は手前のものなので安心して欲しい」
「そうじゃなくて! どうして安静にしていないんですか? あなたは怪我人なのですよ?」
「傷が開かない程度にはしている。問題はない。それよりドルイデス殿、外仕事で俺に出来ることはあるか? 薪割りでもしたかったが樹木信仰があるだろうし、勝手には動けなかった」

ウルリクは無表情のまま当たり前だとばかりに言う。
だったら最初から大人しく動かないでほしい。ここまで強情な患者は、アイリは見たことが無かった。
色々と考えて、妥協案をひり出すしかなかった。

「えっと……私の健診が始まる前は絶対に、安静にしてくれます? 怪我の様子を見てから、ウルリクさんが出来る仕事を考えますので」

無理に彼から仕事を奪う事は出来なかった。
ウルリクは将軍である。それなりの身分も、矜持もあるだろう。
部下たちが戦っている中、自分一人だけ片田舎で何もせずにいることは、彼の精神には苦痛になってしまうだろう。
なので傷を診て、彼が出来る範囲の仕事を与えてその負担を減らそうとしたのだ。
彼もその気持ちを汲み取ってくれたのか、無言で頷いた。
一先ず掃除は中断させて、傷を確認してから、朝食とした。
自分の敷地内での枝拾いという軽い仕事をウルリクに任せ、アイリは通常の仕事に戻った。
そんな日々を過ごして、七日程が経った。
その朝も、アイリはウルリクの怪我の様子を診ていた。
傷は塞がり瘴気は完全に消えていたが、未だ体内には毒が残っている。
これからは傷口は清潔に保ち、激しい運動をせずに、煎じた薬を処方して解毒を待つしかないだろう。

「……」

患部に新しい布を処置してから、ウルリクの体を見る。
その体の至る所には様々な傷跡が刻まれ、重なり、縞模様のようになっていた。
ウルリクはアイリの視線に気づいたのか、脇に置いたシャツに手を伸ばす。

「醜い体だろう。すぐに服を着る」
「いいえ。この傷は国の為に身を砕いて下さった証です。立派な事ですよ」
「……そうか」

口調は普段と変わらないが、前髪越しの深紅の眼差しが穏やかになったように感じる。
そんな彼の些細な変化を見て、アイリは安堵した。
最初は無骨で何を考えているのかわからぬ彼に苦手意識を持っていた。だが自分の困っている事に気づいて、汚れた窓の掃除や緩くなった棚を直してくれたりした。そんなウルリクの不器用な優しさを嬉しく思った。

「今日は村の方に行く日だったな。俺も行こう。荷物持ちくらいはしてもいいだろ?」
「はい。助かります」

シャツを着終わったウルリクは早速立ち上がる。
いつも通り、やる気は十分あるようだ。
アイリも必要な物も詰め込んだトランクを持とう、としたがウルリクが率先してそれを手にした。

「安心してくれ。割れものの扱いには慣れている。起爆剤入りの瓶を扱う時に習ったからな」
「はは……助かります」

苦笑しながら、アイリはウルリクを連れて麓の村へと向かった。
村人たちは皆、馴染みのドルイデスの隣に立つ大男に警戒していた。だがアイリが「療養に来た軍のかた」だと説明すれば、納得して彼を受け入れてくれた。
こっそりアイリに「よく見たらあの軍人さん色男じゃないか。アイリさん、この際アプローチしたらどうだい?」などと冷やかす女性もいた。アイリはそれを愛想笑いを浮かべてやんわりと受け流した。
村での用事を全て済ませ、二人は家に帰っていった。

「先程ウィックさんから牛乳と、分厚い干し肉を頂いたんですよ。今日はこれを使ったシチューにしましょう」
「もう大丈夫なのか?」
「瘴気は去ったので、後は毒を排出するだけ。その為にはまず栄養をつけないと」

ウルリクを心配してか、今回はいつもより多くの食品を村人から受け取った。
るんるんと軽い足取りで家路に向かうアイリを、ウルリクは目を細めて見つめていた。
こうして二人は、久しぶりに食べ応えのある食事にありついた。
満腹になり、体に温もりを感じて、アイリは目を閉じ眠りについた。
何もかもが順調で、幸福な日だった。
そのはずだった。
それなのに彼女は見てしまった。
過去の、迫りくる叔父の夢を。
獣のように吠えたててアイリに迫る叔父。
アイリは無我夢中で足を動かす。
肺が、足が、頭が太い針を何本も刺されたかのように痛む。
それでも走らなくては。
もうすぐ側まで叔父は迫っていた。
悪臭と悪意に満ちた男の手。
その指先が、アイリの髪を掴んだ。

「――ドルイデス殿」

悲鳴を上げようとした彼女を現実に引き戻したのは、別棟で寝ているはずの患者の声だった。
瞼を開くと、自室のドアが開いており扉の前にウルリクが立っていた。腰に携えた剣の柄に手を掛け、臨戦態勢を取りながら。

「ウルリク、さん……どうして……?」
「呻き声が聞こえて、野党に襲われてはいないかと思ったのだが……」

心配させてしまった申し訳なさと恥で、彼の顔が見れない。
まだバクバクと痛みを伴って鳴る胸を抑えて、ゆっくりと起き上がる。
だが、そんな彼女をウルリクは制した。

「動かない方がいい。深く息を吸って、吐いて」
「っ……すう……はあ……」

ベッドに腰かけた状態のまま、目の前で跪くウルリクの言う通りにした。
夜の澄んだ空気が肺に満ちていき、全身に行き渡る。そうすると鼓動が収まっていき、胸の痛みも無くなる。
呼吸が楽になったところでアイリは目の前の男に口を開いた。

「ごめんなさい。恥ずかしい所をお見せして……」
「何故謝る? 苦しんだのは貴女じゃないか。もしかして、俺が負担をかけたせいか?」
「! それは違います、ウルリクさん! 私がいつまでも昔のことを忘れられないせいですから!」

そこまで言うつもりはなかったと、アイリは後悔して口を閉じる。
ウルリクはそれ以上何も言わずに、ただじっとアイリを見つめていた。
暗い部屋に沈黙が流れ、空気が重くなりかけた時だ。

「頭を撫でて、いいか」

そう切り出したのだ。
あの真面目で堅物な、ウルリクがだ。

「え?」
「昔、転んで怪我をした子供に母親がそうやっていた。そうすると子供は泣き止んだ。だから他人に頭を撫でられることは癒しの効果がある。そう思ったのだが」

影のある深紅の目が、微かに視線を泳がせる。
まるでアイリに伺っているかのように。
そこには下心は見えず、本当にアイリを慮って聞いたのだとわかる。
自分に不器用な優しさを向けてくれたウルリクの想いが嬉しく、思わず笑みを浮かべた。

「ありがとうございます……流石に頭はちょっと、なので……手を繋ぎましょうか」
「手を……どうぞ」

剣だこのある無骨な大きな手をウルリクはアイリへと差し出す。
アイリは両手でその手を包む。
冷えていた肌から、少しずつ、本当に少しずつ温もりが伝わっていく。
次第にアイリの中から恐怖の名残りが薄れていく。
そして安堵を感じて手を離そうとした、その時だ。

「名前を」
「はい?」
「俺も、貴女の名前を呼んでいいだろうか?」

真剣な顔をして聞いてきたので何なのかと思ったが、そんなことを気にしていたのか。
アイリの答えは、勿論決まっていた。

「はい。好きに呼んでください」
「……おやすみ。アイリ殿」

そして静かに頭を下げて、ウルリクは去っていった。
アイリはその背を見送って、ベッドに沈んだ。
それからは余計な事を考えることも無く、深い眠りについた。
翌朝。
悪夢を見た後はどんなに寝てもスッキリしない目覚めであったが、今朝は頭と心に掛かった靄が晴れたような心地だった。

「おはようございます。ウルリクさん」
「ああ、おはよう」

そういって、二人でテーブルを挟んで朝餉を食べた。
二人の空気は以前よりも穏やかになっていた。
ウルリクは順調に回復していった。
薪割りや井戸からの水汲みなど軽い肉体労働もこなすようになり、アイリだけでなく村の仕事も手伝うようになった。無論、アイリの監視下での無理のない範囲で行った。
軍人を見たことがなく、強面で大柄なウルリクに気圧されていた村人も、黙々かつ率先して手伝ってくれる彼に次第に心を開いていった。
そうして少しずつ変わりゆく日々の中で、アイリの心にも変化が訪れた。
ウルリクに対して男性として惹かれ始めていたのだ。
自身の想いに気づき始めた時、彼女は戸惑った。
前の世界ですら、恋愛というものはアイリにとっては絵物語の中だけのものだった。
叔父の監視下ではそのような交流をする暇もなかったし、それ以前に、同級生は彼女を腫れ物のように扱っていたので、そんな関係になれる人間がいなかった。
この世界に来てからも、誰かとそんな関係になるだなんて考えてもいなかった。
それだけ彼女はこの世界に来たことで満ち足りていたのだ。
それ以上のことを望むなど、考えられないほどに。
ウルリクの背中を見る度にチクリと痛む胸を、アイリは抑える。
ウルリクは将軍と言われていた。ということは、身分は高いだろう。片田舎で暮らすドルイデスよりもずっと。
もし結婚するとしたら貴族や、それなりに身分のある女性と結ばれるだろう。
そんなことを考える度に、アイリの胸は更に痛んだ。

「ダメだな。私って」

きっとこんな気持ちを知られたら、彼はどう思うだろうか。
愚直で優しいウルリクのことだ。
恩人であるアイリの頼みを断る事が出来ず、ただただ受け入れてくれるだろう。
だが、それは普通の恋愛ではない。
打算塗れの束縛だ。
自分の卑しい感情一つでウルリクを縛りたくない。
胸の激しい痛みを押し殺す中、アイリは想う人の背から目を逸らした。
そしてウルリクが訪ねて来てひと月ほど経った頃。
ウルリクの体内から毒が完全に抜けていった。
診察のために翳していた手を下ろし、膝の上に乗せる。

「おめでとうございますウルリクさん。毒素が完全に消えました。これでもう完治ですよ」

アイリはいつもより固い頬に無理矢理力を入れて、笑顔を作る。
大丈夫、上手く笑えている。
そうアイリは自分に言い聞かせた。

「……アイリ殿」

ウルリクはそんなアイリを真っすぐに見つめて、アイリの小さな手を取った。
突然のことに戸惑う彼女の目を真っすぐに見つめて、彼はこう言う。

「全て貴女のおかげだ。感謝する」

短いが、彼の心が言葉そのままに伝わって来た。
手と共に、心も温かくなる。
今度は自然と笑う事が出来たアイリは、コクリと頷いた。

「私はただ使命を全うしただけです。でも、ありがとうございます」

身支度を整えたウルリクは魔法陣を展開し、伝書用の鳥形召喚獣を呼び出す。
そこに手紙を足に括りつけられた筒の中に入れ、召喚獣を飛ばした。

「これで明日には都の部隊に着く。それまでは、また世話になる」
「……はい。それまで、ゆっくりしていってくださいね」

そうしてアイリは病室を出ていった。
それから村に向かい、住民にウルリクの全快と彼が都に帰ることを伝えた。
村長を含めた皆が喜びながらも、寂しくなるといってウルリクに別れを告げた。
彼らから温かな言葉で送られていくウルリクは、いつも以上にその目の色が優しそうだった。
そんな温かい紅を見つめると、アイリの胸は更に締め付けられていった。
村人から贈られた食料で、普段より豪華な夕餉を終えて、夜が更けた頃。
鏡台の前で寝支度をしていたアイリは、髪を櫛でとかしながら考える。

(本当に、このままでいいの?)

数歩歩けば、恋い慕う人がいる。
もう二度と会えなくなるであろう、ウルリクが。
ドルイデスの仕事は薬を作ったり、樹木で出来たものを直すだけではない。
近隣に生えている木に魔力を注ぎ魔獣を退ける役目も担っている。
だから、アイリは村人たちを守るためにもこの場所を離れることが出来ない。
王に仕え、国を守るために各地を巡る軍人であるウルリクとは、本来出会うことが無かったはずだった。

(明日になれば、都に連絡がいって、迎えが来る。そうしたら、もう二度とウルリクさんには会えない)

胸が苦しくて、思わず唇を噛み締める。
鏡の中で、自分が今にも泣きそうな顔をしている。
なんて惨めな顔だ。
「愛想よくしてなさい」と言ってきた叔母の言葉を思い出す。
あの時はずっと我慢していた。笑いたくない時だって、ニコニコと笑って。平気な振りをして。
だがもう、そんなことは出来ない。

「出来ないよ……」

そう呟けば、もう止められなかった。
この世界に来たことが最高の救いだと思っていた。
これ以上望むことなんてないと思っていた。
でも、出会ってしまった。
絶対に離したくない人に。
本来なら出会う事も出来なかった人に、恋をしてしまったのだ。
本能の命じるがままに、アイリは立ち上がる。
キイ、と椅子が鳴る。
そして寝室を出て、暗い廊下を歩いた。
一歩足を踏み出すほどに心音が早くなる。
今にも口から心臓が飛び出しそうだ。
病室の扉の前に着くと、祈りながらドアをノックした。

「……どうした?」

ウルリクはまだ起きていた。
彼の声を聴いただけで、アイリは涙が出てきてしまいそうだった。

「お話、出来ますか?」

必死に絞り出した声は、蚊が鳴くようなものだった。
それでもウルリクは聞こえたようで、ドアを開けた。
紺色の闇の中で、彼の姿が浮かぶ。
艶のある黒髪。傷だらけの豊かな肉体。翳りのある深紅の目。前髪に隠された凛々しい形の眉。
彼の全てが、アイリの全てだった。

「好きです」

もう、そう伝えるのを止めることが出来なかった。

「ずっと、あなたが好きでした……ウルリクさん……本当はいけないのは、わかってます。患者にこんな事言うなんて。本当だったら、もっと身分があって綺麗な人があなたに相応しいって。でも、それでも、あなたのこと好きって想うの、止められないんです」

いつの間にか、熱い雫が目から溢れていた。
他人に涙を見せたのは、彼女が先生と慕う先代の前以来初めてだ。
女としての本能が求めるがまま、ウルリクの手に縋った。
シャツ越しに、彼の固く逞しい体を感じた。

「私のこと、忘れてもいいです。助けた恩につけ込んだって軽蔑してもいいです。でも、それでも、一度だけでいいです。私の事……抱いて下さい」
「……アイリ、どの」
「ウルリクさんとの、思い出が欲しいんです」

いつの間にか彼の胸元に縋り、その顔を見つめて懇願していた。
もう、なりふりなんて構ってられなかった。
それほどにまで、アイリはウルリクを求めていた。
ただアイリのすすり泣く声だけが響く家の中、
ウルリクの右手が、彼女の腰を抱いた。

「……思い出、なんか」
「え……?」
「思い出なんかに、してやるものか」

絞り出すかのような声が聞こえたと思ったら、アイリの世界が変わっていた。
いつの間にか天井が視界の前にあり、少し間をおいてからウルリクに部屋に押し込まれてからベッドに押し倒されたのだと気づく。
ギシ、とベッドを軋ませてウルリクが乗ってくる。
前髪が重力で垂れて、そこに隠されている顔がアイリの前に晒される。
静かで穏やかな深紅の目が、怪しい光を帯びて自分を見ている。
あの夜と同じ状況なのに、アイリは不快感を抱かなかった。
寧ろ彼女は昂っていた。
愛する人が自分を見つめていることに。
その目に、自分を”女”として求めているという、煮えたぎった欲があることに。

「ぁ……ウルリク、さ」
「後悔するなよ、アイリ。貴女に求められたら、俺はもう決して離せない」

分厚い皮膚をした手のひらが、アイリの濡れた頬を包む。
彼の鼻先と自分の鼻先が触れ合ったかと思うと、視界が黒くなった。
その次の瞬間、口が塞がる。顔にウルリクの毛先が当たる。
キスをしているのだ。
生まれて初めての口付けは。よく言葉に表せない。
甘酸っぱい味もしないし、柔らかさもない。
それでも、荒ぶる心を包み込まれるような、そんな温もりがあった。
長い時を経て、顔を離す。
ウルリクは微かに視線を逸らして、気まずそうにしていた。

「苦しくはなかったか? ……すまない。初めて、なんだ……」

彼の言葉を聞いて、歓喜が湧き上がる。
自分はウルリクが触れる初めての女になれるんだ、と。

「私も、初めてです……嬉しい」
「アイリ……」
「私の全部、ウルリクさんにあげます」

彼の首に腕を回して、顔を近づける。
恥ずかしいという気持ち以上に、ウルリクが欲しい。
そして彼の想いに応えたかった。
ウルリクもアイリと同じ気持ちだったようで、そっと彼女の方に触れ、その指先を少しずつ下に這わせていく。
突き出してなだらかな円を描く胸を手の中に包むと、恐る恐る、探る様に撫でていく。
その手付きがくすぐったくて、触れられることが嬉しくて、アイリの喉から声が鳴る。

「ん……くっ、う」
「痛いか?」
「ち、違うの。その、くすぐ、ったくて」
「本当か?」

彼の言葉にコクリと頷くと、ウルリクは少しだけ固まって、そこから撫でるように触れていった。

「柔らかい……どこもかしこも……力を入れたら、折ってしまいそうだ」
「っ、大丈夫、だから……もっと触って?」

熱がこもり出したアイリの声に、ウルリクの男としての本能が煽られていく。
それからもう一度キスをしてから薄手の白いナイトドレスを剥いでいく。
初めて見る愛する人の裸体に、紅玉の目が見開かれていく。
月光に映える白い肌、重力に従って体から垂れる乳房、くびれた腰、丸い尻とそこから伸びた華奢な脚。
目に焼き付けるように、ウルリクはアイリの体を見つめる。

「綺麗だ」

ぽつりと、そう呟いた。
彼の言葉が、アイリを喜びで震わせた。
それから彼は自分の服を脱ぎ出した。
何度か見た、傷だらけの体。
ゴツゴツと隆起した、逞しい筋肉。
まるで西洋の彫刻のような、そんな芸術性を感じてしまう肉体美だった。
そんなウルリクの体と、なにも隔てるものがないまま、抱き合う。
汗で湿った肌と肌が張り付く感触が、このまま一つに溶け合ってしまいそうでとても心地いい。

「下に、触れていいか?」
「うん……」

彼の言う「下」がどこなのか、アイリにはわかっていた。
おずおずと脚を開く。
膝に触れて支えながら、ウルリクは更にアイリに近づく。

「触れるぞ」
「うん……くっ」

彼の指が自分の奥に触れようとした瞬間、アイリは眉を顰めた。
繊細な秘部がミチ、と無理矢理こじ開けられる痛みに耐えられなかった。
奥へ上手く入らなかったことと、アイリの小さな悲鳴に気づいたウルリクはすぐに指を外した。

「……すまない。俺の、指が太いせいだ」

至極申し訳なさそうにうつ向くウルリクに、アイリは必死に首を横に振る。

「大丈夫です。最初はこうだから……それに、赤ちゃんが出てくる場所だし。慣らせばちゃんと受け入れられるように出来てるから」

子供に言い聞かせるように、そう言った。
この事は性事情に悩む客に出す薬を処方する際に知った知識だ。
ここで初めてアイリは、自分が性交に使う潤滑剤を忘れたことに気づいた。
あまりに本能に任せてそれどころではなかったのだ。
自身の失敗に顔を赤らめながら、アイリは起き上がり、おずおずとウルリクに近づき、その濡れた前髪に触れる。

「指……貸してくれます?」
「ああ……いいが、どうするんだ?」

そう言ってウルリクは右手を差し出す。
指先がぬらぬらと濡れて怪しく光る、逞しい手だ。
そんな彼の手を両手で包んで自分の元に運び、その人差し指をアイリはパクリと咥えた。

「!? アイリ……ッ?」

ウルリクは慌てたものの、目の前で起こる光景に心奪われ、手を退かす事はしなかった。

「ん……んく……む……ン」

潤滑剤の代わりにアイリはウルリクの指を唾液で濡らす。
指の節やタコになって固くなった部分に舌を絡め、じゅぽ、じゅぽと音を立てる。
目を伏せたその頬は赤く、それでもその小さな唇を窄めては舌を出して、男の指を愛撫する。
清廉な普段の彼女とは違う、背徳的な色香を放つ姿にウルリクは生唾を飲み込む。
唾液を出し終え、ようやくアイリは口を離す。

「これで、大丈夫だと思います」
「……」
「いれて、くれますか」
「……わかった」

一瞬固まっていたものの、彼はアイリを寝かせると、再び彼女の中に指を忍ばせた。
ぬち、ぬちち。
水音を立てて、指はゆっくりとアイリの中に入って来た。
自慰すら碌にしたことのない彼女にとっては未知の感触であったが、荒く息を漏らしながらも懸命に受け入れた。

「痛かったら、すぐに言え」
「っ、へいき、だから」
「アイリが痛がっていたら意味がない。貴女の初めてを、そんなもので刻みたくない」

自分だって早く欲を放ちたいのに、それでも気遣ってくれるウルリクに胸が切なくなる。
本当に彼と想いが交わっている。
そしてこれから、体を交えるのだ。
身に余る幸福に、また涙が溢れそうになる。
指が慣れる度に一本、また一本と増やしていき、長い時を経てアイリの膣内はウルリク自身を受け入れる準備が出来ていた。
ウルリクは、男であることの象徴を取り出す。
血管が蔦のように幹に浮かび、赤く色づいていた。
彼が、愛した人が自分を求めている。
それを視覚で確認した途端、アイリはもう待つことが出来なくなっていた。

「ウルリクさん……早く、きて……一つになりたいの」

手を伸ばして縋る愛する人の言葉に、ウルリクは無言で頷いた。
もうそこにいるのは、一匹の雄であった。
彼が近づき、自分を抱きしめたと想った瞬間、アイリの体に衝撃が走った。

「――ぁっ」

まるで稲妻に打たれたかのようで、体が弓なりに仰け反る。
痛みには慣れているので想像したよりもひどくなくて、平気だった。
ただ、今のアイリを襲ったのは凄まじい快楽だった。
体から幸福がどんどん溢れ出し、熱を帯び、自分の胎内に現れたウルリクを求めていく。

「あ、う、ぁ」

最早意味のある言葉を紡げず、ただウルリクの背に爪を立てる事しか出来なかった。
ウルリクは熱い吐息を漏らしながら、アイリを掻き抱いた。

「すまない……優しく、できそうに、ない」

湿った息が首に掛かったと思った次の瞬間、ガクンとアイリは強く揺さぶられる。
内臓が上下に揺れ、視界が歪む。
そうやってウルリクが動くたびに、頭が爆ぜてしまいそうになる。
もう、自分と重なっている男のことしか考えられない。

(ああ……好きな人と繋がるって、こんなに幸せなことだったんだ)

言葉を交わすこともなく、口を重ね、ただひたすらに互いを求めあった。
彼が欲を吐いた瞬間、アイリも達した。
ウルリクと溶けあい、体の境も曖昧になる感覚。
初めてであってもそれが絶頂というものなのだとわかった。
気づけば窓の外が白んでいた。
互いの体液で濡れて乱れたベッドで身を寄せ合い、凹凸の激しいウルリクの体の上でアイリは目を瞑っていた。
ウルリクは彼女の髪を撫で、その頭に口付けをした。

「都に帰ったら、王に報告をする」
「ほうこく?」
「軍を辞め、残りの一生をここで暮らす」

彼の言葉に、ぱっと顔を上げる。
ウルリクは幸せそうに目を細めて、微かに口角を上げていた。

「いいか?」
「ううん……嬉しい、とっても、嬉しい。これからも、よろしくね」

それからまた二人は唇を重ねた。
朝日が昇って、昼に近づいた頃。
ウルリクの部下である兵士が数名訪れた。その中には、最初の日に彼をここに運んだ若者もいた。

「必ず戻る」
「はい。待ってます」

さよならは言わなかった。
寂しさはあるが、それでもウルリクのことを信じていた。
彼は必ず、誓ったことを守ってくれると。
ただ待って耐えるだけではない。
そこには確かな絆があった。
そして一週間ほど経った時、再び彼は現れた。
二人はしばらく抱き合ってから、屋内に入った。

「……私が、お城に?」
「正式に言うなら離宮と呼ばれる、城の敷地内にある離れだ。そこで国王陛下と司令官、俺の直属の上司に当たる人に会って欲しい。結婚に際しての挨拶と、今後の為に聞きたいことがあるそうだ」
「そこまで話が進んでるってことは、反対されなかったんだ……よかった」

一抹の不安を抱いていたアイリが、ほうと溜息を吐くと、その手をウルリクは握った。

「当たり前だ。絶対に認めさせるつもりでいったんだからな。それに、多少の我儘は許してもらえるくらいには働いたつもりだ」

そういって微かに口角を上げる。
繋がってからの彼は、表情が豊かになった。
アイリも敬語を話さなくなったという変化があるが、彼女自身まだその変化に自覚はないようだ。
心から喜ばしい事ではあったが、アイリは問題に気づく。

「でも、私そんなにここから離れられない……一、二日くらいなら結界に魔力を注げば魔獣除けになるけれど……」
「それは心配するな。その離宮直通の転移魔法陣を賜った。時間が来れば転移元、ここに帰ってこれるようにしてある」

そうして彼が見せたのは、中に文様が刻まれている水晶だ。
それがどれほど高度な魔法道具なのか、門外漢のアイリでもわかる。
さすがは国の中心である都の技術である。

「そうなんだ。色々してもらって申し訳なくなっちゃうなぁ」

その後の彼女は、結婚の挨拶の準備に勤しんだ。
ドルイデスの正装である白衣の衣装に焼き鏝をして皺を伸ばした。
村を囲む結界や、村長への挨拶も欠かさず、アイリはその日を胸を躍らせて待っていた。
そしてついに、その日が訪れた。
ウルリクは軍服を身に纏い、普段は無造作に垂らしていた前髪をセットしていた。
普段は隠している目元がはっきりと見え、いつも以上に色気を感じてしまう。
裏庭の空き地に陣を敷き、先にそこに入っていたウルリクがアイリに尋ねる。

「怖いか?」
「うん……少し」

まだ落ち付かない胸に手を当てて、深呼吸をする。
そんなアイリの手を、ウルリクは優しく取る。

「大丈夫だ。俺がいる」
「ありがとう……」

その一言だけで、アイリには十分だった。
一歩足を進め、アイリは陣の中に入った。
すると、陣から光が溢れて光の柱となり二人を包んでいく。
ドルイデスのものとは違う魔力を感じ、思わずアイリは目を閉じる。
そして光が消えたのを感じ、目を開けた。
自分の視界に広がった光景に、思わず息を吐いた。
前の世界ではテレビの中でしか見たことがない、広大な薔薇園がそこにあった。
近くには豪奢な佇まいの建造物がある。あれが離宮なのだろう。

「わぁ……」

アイリが驚きの声をあげると、クラシカルなメイド服を纏った女性がペコリと頭を下げる。

「ようこそいらっしゃいました。将軍、並びに夫人。国王陛下がお待ちです。こちらに」

そして二人は侍女に従って建物の中に入った。
艶やかなビロードの絨毯を踏み、応接間に通された。
中には高貴な印象の金髪の青年と、冷たい眼差しをこちらに向ける女性、そして威厳溢れる白髪に髭を生やし軍服を纏った壮年がいた。
一番奥の席に座る青年が、この国の王なのだろう。
ウルリクに倣い頭を下げると、彼は立ち上がった。

「よく来たね、ウルリク。その人が君の伴侶だね」
「はい。アイリというドルイデスです」
「ドルイデスか。私も見るのは初めてだ。よろしくね」

気さくに微笑んではいるが、近寄りがたい威厳がある。
これが王としての力なのだろう。
席に座った二人は王からいくつか質問をされた。
村のこと。軍の引き継ぎ、等々これからどうするかという事について。
話はスムーズに纏まり、すぐに終わった。

「アイリ夫人。私は少しウルリクと会話をする。中庭で待っていてくれるかい?」
「は、はい」

国王の言葉に従い、アイリは応接間を抜けて中庭に向かった。
自分たちが降り立った庭園ほどではないが、東屋のある広々とした花園に目を奪われた。

「外におりますので、御用があればお申し付け下さい」
「はい、ありがとうございます」

そういって、侍女はアイリを残して去っていった。
東屋に設置された椅子に腰掛け、アイリは心地よい木漏れ日を感じていた。
自然と共存するという教義のあるドルイデス故に、豪華な屋内よりもこういった草木のある場所のほうが落ち着く。
そんな彼女の耳に甲高い女性の声が入った。

「全く……陛下ったら何を考えているのかしら。あんな男の為にわざわざ時間を裂くだなんて」
「お察しします……王妃殿下」

高飛車な声と、彼女の側にいるであろう侍女の言葉で、それが誰なのかすぐにわかった。
応接間で国王の傍らにいて、ずっとウルリクを睨みつけていた女性だ。
アイリは王妃と呼ばれた女性に気取られないよう身を潜めていた。

「だいたい先王があの邪教徒と成した忌み子なんて、生まれてすぐに潰せばよかったのよ。それを司令官殿に引き取らせた挙句に国軍の、それも将軍にするだなんて……汚らわしい……まあでも、都から消えてくれたのがせめてもの救いね。あーあ。さっさと片田舎で野垂れ死んでくれないかしら」

王妃はそこまで言うと、カツカツと靴音を鳴らして遠くに去っていった。
アイリは顔を上げる事が出来ず、その場で固まった。
先王のことは昔話でしか聞いたことがない。
なんでも、とてもひどい暴君であり人が出来る悪事は何でも働いたそうだ。今は壊滅したが、怪しいカルト教団とも繋がっていたとも言われている。そんな彼に反旗を翻して打ち取り、民草を救った若き公爵子息が今の国王だとは聞いていた。
まさかウルリクがそんな先王の子供だとは、知らなかった。
口数の少ないウルリクが自分の過去を話したことがない事に、疑問を抱かなかった。
それでも、そんな事情があったとは。
未だに平民でさえ忌み嫌う先王の子供として生きてきたウルリク。
どれほどの重荷を背負い、偏見や好奇の目に晒されてきたことだろうか。

「……アイリ殿」

低く落ち着いているが、空気を張りつめる様な威厳溢れる声に名前を呼ばれ、アイリは咄嗟に顔を上げた。
そこには先程応接間にいた、銀髪の壮年が立っていた。
あの国王と、先程の王妃。そしてウルリクの話を思い出して、彼がウルリクの上司である司令官だと気づいた。

「大丈夫かね?」
「え……あ、はい」

アイリは体勢を整え、ペコリと頭を下げる。

「王妃殿下の言葉を、君も聞いていただろう」
「……はい。ウルリクさんの過去は、初めて知りました」

本能で彼には嘘や誤魔化しは通用しないとわかる。
それ故にアイリは、正直に答えた。
いくら愛する者だとは言え、全てを晒すなど出来ないことだってある。
アイリだって、自分の過去をウルリクに打ち明けたことはない。
それでも、アイリの心には靄がかかって、鉛のように重かった。

「ウルリクはずっと死に場所を探していた」

司令官の言葉に、チクリとアイリの胸が痛む。

「先王の首を斬り、邪教徒を制圧した先で見つけたのが産まれたばかりのウルリクだった。陛下に無理を言って、私が引き取った。家では、実の両親のことをウルリクに教えることは禁止していた。だが、あれは幼いころから聡かった。自分がどういった存在で、他人からどう思われているか肌で感じていたのだろう。だから軍に入った。その命を、価値ある形で消せる場所に」

彼の勘の良さは、生まれつきだった。
それ故に気づいてしまった。
自分が他人から忌み嫌われていることに。

「初めは私も止めたが、あれは辞めなかった。頑固な奴でな……そうして戦いに明け暮れ、傷を負って帰ってくるたびに、ウルリクは虚ろな顔をしていた。死に損なった、とでもいうようにな」

そこで司令官は、アイリの顔を見つめた。

「そんなウルリクを変えたのが、貴女だ」
「私……?」
「貴女の元から帰って来たアイツの目には、光が宿っていた。今まで無かった『これからも生きていく』という希望にあふれた光が。あれに希望を与えたのは、他でもない、アイリ殿なのだ」

司令官はその白く、一直線にセットされた頭を、アイリに向かって下げる。

「アイツはようやく、自分が生きる道を見つけたんだ。どうか側にいて、支えてあげてくれ」
「……っ」
「ウルリクのことを、頼む」

彼の言葉で、アイリの心の靄は晴れ、軽やかだった。
もう何も案ずることはない。
それがはっきりとわかった。

「はい……」

今、アイリを満たしているのは喜びだ。
死ぬことばかりを考えていたウルリクが、自分を見つけ、愛し、共に生きようとしてくれたことが、嬉しくて仕方がなかった。
ちょうどそこで、自分が入って来た扉が開かれた。

「アイリ、待たせたな」
「ウルリクさん、おかえりなさい」

ウルリクの手を取って、アイリは彼を迎えた。
そんな二人を司令官は温かく見守ってくれている。

「ウルリク。陛下はなんと?」
「許しを頂きました。アイリの暮らす地域を、俺に領地として与えると」
「お前の功績を考えれば当然だな。後のことはしっかりやるのだぞ」
「はっ」

二人は短いやり取りをして、別れた。
彼らにはこれで十分伝わるのだろう。
ウルリクと二人だけになったアイリは、そっと彼の胸に手を添える。
微かに鼓動を感じる。
生きている。そして、側にいてくれている。
それがなにより嬉しかった。

「アイリ、都を見に行くか?」
「都?」
「村もいいが、都は何でも揃う。魔法道具も、本も、装飾品やドレスだって……アイリが気に入るものがるかもしれないぞ」

そう言ってウルリクはアイリの髪を撫でる。
微かに微笑み、その表情は柔らかい。
だが、アイリは気づいていた。
自分を慈しむその手の冷たさに。
ここは辺境の村とは違う。
平民でもウルリクの出自を知っている人も多いのだろう。
恐らく、腫物のように扱われてきたのだろう。
それだけでなく、酷く不当な扱いも受けてきたのかもしれない。
それでも彼はそんな人たちの方に行こうとしている。
アイリが望む。それだけの理由で。
ウルリクの想いに感謝しつつ、アイリは首を横に振る。

「いいの。私はなにもいらない。欲しいものは、もう手に入ってるから」

そう言ってウルリクの手を取り、自分の頬に触れさせる。
冷たかった彼の手は、すぐに温もりを取り戻す。

「……だが、指輪はどうする?」
「それなら私が作れる。だから、大丈夫」

そんな彼女の言葉に、ウルリクの不安はようやく取り除かれた。
ウルリクはコクリと頷いて、アイリの手を取った。

「なら、帰ろうか」
「うん。帰ろう。私たちの家に」

歩みを合わせて、二人は家路を急いだ。
二人の家に帰ってしばらくしてから、馴染みの村にも連絡がいった。
ウルリクを知る村人は快く彼を新たなる領主と歓迎した。

「まずは式を上げないとな。うちの集会所を使ってくれ。宴もするから、期待してくれよ」
「花嫁衣装も作らないとね……アイリは私たちに良くしてくれたんだから、とびっきり豪華なドレスにしなくっちゃ」

村長夫婦の言葉に、ウルリクの表情が和らいでいく。
アイリは彼の手を握る。
ここが彼の居場所だ、と言う代わりに。
報告を終え、家に帰るとまずは先代のドルイデスの墓の前で手を合わせた。

「先生、これからはウルリクさんと二人で生きていきます。どうか、見守っていてください」

アイリが青紫色の紫陽花の花に言うと、ウルリクが彼女の腰を抱いた。

「先代よ……あなたの教えのお陰で、アイリと俺は出会う事ができました。あなたの教え子は、このウルリクが生涯添い遂げます」

彼の誓いの言葉に、アイリは頬を赤らめてその顔を見上げる。
そこからまた移動し、アイリがこの世界に初めて来た場所、オークの木へと向かう。
その根元で蹲っていた日のことを、アイリは思い出す。
耐えて耐えて、限界が来て助けを求めて、この世界に救われた。
あの時は、それ以上の幸せを望むことなんてないと思っていた。
だが……アイリは出会ったのだ。
もう決して離れられない、愛する人に。
アイリは両手をオークの木に向けて、詠唱を始める。

「神樹に連理せしオークの木よ。あなたの身をこの私に分け与え給え」

アイリの言葉の後、木が風もないのに揺れ始める。
そしてポキリという音がすると、アイリの前腕ほどの枝がゆっくりと彼女の手の平の上に舞い落ちた。
黒々として逞しい印象のあるその枝は、ウルリクの目から見ても立派なものであった。

「ウルリクさん。左手を出して」
「ああ」

言われた通りにアイリから差し出された手に、自分の左手を乗せる。
アイリは片手にウルリクの手を握りながら、もう片方に持ったオークの枝に魔力を込める。
淡く光を放つ、温かなアイリの魔力を感じながら、ウルリクは彼女に身を任せた。
光は枝を包み、樹皮を削ってその身を露わにする。
そして指先半分ほどの幅で切り取られると、宙に浮いたまま木片の中央に穴が開く。
完成した木片の数は二つ。
枝を傍らに置き、切り終わったものを手の平に乗せた。

「出来たよ。私たちの、誓いの証」
「これは……」

それは、二つの指輪だった。
よく研磨されているのだろう、高品質な金属と遜色がないほどの輝きを見せている。
手に持ってみると、木製とは思えないほど固く、そこに籠った魔力を感じ取る事が出来た。

「オークの木の装飾品は、ドルイデスにとって特別なもの。神樹様の加護が与えられているの」
「そんな特別なものを、俺が貰ってもいいのか?」
「勿論。だって、私とこれからずっと一緒に生きてくれる人だもの」

ウルリクの目が見開かれた。
ウルリクもアイリと同じだった。
物心ついた時から、周囲が自分を疎んじていたことに気づいていた。
後に自分が悪名高い先王と、国を害そうとした邪教の女との間に生まれた子だと知った。
同情で生かされているだけの自分。
自分に出来ることは、肉親が傷つけたこの国を守って死ぬことだけ。
だから守る事もなく前に出て、戦い続けていた。
怪我を負っても、痛みは感じなかった。
ただ死に損なったという後悔しかなかった。
そんな自分を、アイリは愛してくれた。
生きたいという想いを与えてくれた。
忌み子である自分が、そんな彼女と結ばれる。
こんな幸せを手に入れられるだなんて思いもしなかった。
生まれて初めての喜びの中、ウルリクはアイリに頼む。

「指輪を、アイリの指に嵌めさせてくれ」
「はい。交換しましょ」

ウルリクはアイリの手の平から小さいサイズの指輪を取る。
そして彼女の左手を取ると、その薬指に指輪を嵌めた。
指輪はその指の根元にピタリと嵌まり、ウルリクの胸の奥から歓喜が湧き上がった。
自分の左手を差し出し、アイリに指輪を嵌めさせる。
二人の指には、同じ黒褐色の木の輪が飾られており、それは永遠に失せることは無いだろう。

「愛してる、アイリ。何があろうと、貴女と共にある」
「私も……ずっと側にいるね」

二人はまるで引き合うように近づいて、オークの木の下で口付けた。
それから半月ほど経った。
村長の家で、アイリは花嫁衣裳を纏っていた。

「似合ってるわ……素敵よ、アイリ」

村長夫人と、村の女性たちはアイリの姿に満足そうに微笑んでいた。
彼女たちがアイリの為に繕ったドレスは、花や蔦の刺繍が施されており、可憐でありながら品格を感じさせた。
アイリは鏡の前で身を整えながら、彼女たちからの贈り物に心から礼を言う。

「皆さん、本当にありがとうございます。こんなにも素敵なドレスを頂けるなんて」
「何言ってんのよ。私たち、この日をずっと夢見てたのよ?」
「そうよ。いつもみんなの為に頑張ってくれるアイリさんの人生最高の日に、贈り物が出来て嬉しいわ」
「あなたのお陰で何度命を救われたことか……息子が今日も元気でいるのはあなたのお陰よ。前の代のドルイデス様も、きっと誇らしく思っているでしょうね」

笑顔を見せたり、涙を見せたり、表情豊かにアイリを祝福してくれている。
その光景に、心から嬉しくなる。
自分の行動が彼女たちとの絆を結んだことを実感した。

「……嬉しいです。私、幸せになります」
「ええ。応援してるわ」
「愚痴があったら私達に言いなさいね。男の扱いなら自信があるから、いつだって相談に乗っちゃうわ」
「さあ、ヴェールを被って。あなたの愛しの旦那様に会いに行きましょう」

村長夫人にヴェールを被らされ、手を取られながら控室を出た。
集会所の前に長机が設置されていた。
数々の料理で机は埋め尽くされ、この季節に咲いた花も添えられていた。
その上座に、ウルリクはいた。
彼はいち早くアイリに気づき、彼女を見つけた。
遠目からでも、アイリにはわかった。
ウルリクが心の底から喜んでいることが。

「新郎新婦のお揃いだ」
「アイリさん、綺麗……」
「ウルリクさんも男前だし、本当にお似合いの夫婦ね」

村人の声に、少し照れ臭くなる。
村長がウルリクたちに「挨拶をしてくれ」と頼み、二人は皆に見つめられながら立ち上がる。
最初に口を開いたのは、ウルリクだった。

「村の方々。余所者である俺を迎えてくれたこと、このウルリク、心から感謝する。領主となった暁には、アイリと共にこの村を良き場所にしていくと誓う」

短くも意志の籠った真摯な言葉に、村人たちは拍手を贈る。
彼に続いてアイリも声をあげる。

「これからも……いいえ、これからは私の夫と共に、皆さんを支えていきます。よろしくお願いします」

頭を下げるアイリに、再び拍手が贈られる。
顔をあげると、傍らで微笑んでいるウルリクと、温かく見守ってくれている村人たちがいた。

(先生、そして神樹様……私をこの世界に連れてきてくれて、本当にありがとうございます)

天を仰いで、恩師と、この世界に導いた神樹に感謝をした。
ヴェールを取ったウルリクからの口付けを贈られ、祝宴が始まった。
宴は夕方まで続き、晴れ着姿のまま新郎新婦は家に帰った。

「みんな、いい人たちでしょう?」
「ああ」
「ここの人たちは、ウルリクさんを嫌ったりしないよ」

そう言って、また手を握る。
ウルリクは深紅の眼差しをアイリに向けている。
偽る事はせず、アイリは正直に話した。

「あの、離宮に行った時ね、聞いたの。ウルリクさんがどうやって生まれたのか」
「……」
「その後ね、司令官さんが来て教えてくれたの。あなたがどんな風に生きて来たか……私と出会って、どう変わったか」
「アイリは……知っていて、側にいてくれたのか?」
「誰にだって言いたくないことはあるよ。よく頑張ったね、ウルリクさん」

そう言うと、ウルリクの固い頬に触れる。
微かに震えている気がする。

「………私の話も、聞いてくれる?」
「ああ、話してくれ」

食卓を挟んで、椅子に座る。
アイリは一度息を深く吸ってから口を開いた。

「私はね、この世界で産まれた存在じゃないの」

それから全てを話した。
母を亡くしてから叔父の家に引き取られ、そこでどういう風に扱われたか。
叔父から逃げた先で懸命に祈って、神樹によってこの世界の、先代の元に救い出されたこと。
救い出された後も、ウルリクと結ばれるまで叔父に襲われかけた時の悪夢を見続けていたことも。
ウルリクは最後まで、黙って聞いていてくれた。

「……そうやって私は、ドルイデスとして生きてきたの。ウルリクさん」
「ありがとう。話してくれて」
「私を見る目、変わった?」

ウルリクはただ首を横に振った。
そして身を寄せ、アイリに腕を回した。
分厚い胸に抱かれるうちにアイリの緊張はほどけて、ただ彼の体に身を委ねる。

「よく頑張ったな」
「うん……ありがとう」

今、自分を抱きとめてくれている男。
アイリにはそれが全てだった。
それ以上の言葉はいらない。
二人には互いの温もりがあれば、それでよかった。

「ん……あ、ふ」

蔦薔薇の花びらを散らした、初夜のベッド。
ウルリクとアイリは互いに一糸纏わぬまま、絡み合い、繋がっていた。
もう二人とも純潔ではないが、正式に夫婦になった後の初めての情交は特別なものだった。

「はぁ……ぁ」

恍惚とした表情で、アイリは胎内にあるウルリク自身を感じた。
内臓を下から圧迫する程大きく、息が苦しくなる。
それでもアイリは幸福に満たされていた。

「アイリ」
「うる、りくさ」

名前を呼び合い体を寄せ、唇を重ねる。
体の隅から隅までぴったりと一つにくっつけて、腕を互いに絡ませる。
本当に溶け合ってしまうようだった。
名残惜しそうに唇を離すと、額を合わせた。

「……ふふ」
「……」

何を言うわけでもない。
ただただ、一つになっている今この瞬間が幸福だ。

「もう、離さないでね」
「……言っただろ。もう離してやれないと」
「そうだね」

甘い香りが漂うシーツの上で左手を重ね、指を絡めた。
コツン、とオークの木の指輪がぶつかる。
時は穏やかに流れた。
ウルリクは正式な村の領主となり、ドルイデスの庭の近くの土地を拓いて屋敷を建てた。
無口でありながら細かな変化に気づく彼は優秀な長として、村を導いていった。
アイリもドルイデスとして村人の健康と安全を守り、領主の妻としてウルリクを支えた。
二人は村人から温かく見守られる、円満な夫婦であった。
夫婦の間には黒髪に円らな目をした娘、その次に母に似て優しそうな男児が産まれた。
ある晴れた日。
アイリの庭ではしゃぐ姉弟を見守りながら、オークの木の下で夫婦は座っていた。
木漏れ日を浴びたアイリは膨らんだ腹を撫でる。
その彼女の手に、ウルリクの手が重なる。
産まれた時から居場所などなかった男。
地獄の日々から救われた女。
二人の苦しみは全て過去のものとなった。
今、ここにあるものは、視界に広がる世界は幸せだけだ。

「みんな、お昼にしましょう。こっちに集まって」

姉弟は明るい声で返事をして母の元に駆けてくる。
ウルリクは昔よりも柔らかな笑みで我が子を出迎えた。
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