婚約破棄されたので公爵令嬢やめます〜私を見下した殿下と元婚約者が膝をつく頃、愛を囁くのは冷酷公爵でした〜

nacat

文字の大きさ
12 / 15

第12話 「哀れな元婚約者」と呼ばれて

しおりを挟む
王都の冬は、華やかさと残酷さが隣り合わせだ。  
舞踏会の光の下で人々が踊るその裏では、噂という名の刃が静かに人を傷つけてゆく。  
リリアナが王都を去ってからひと月あまり、その名は再び社交界の「話題の中心」だった。  

「王太子殿下のお優しさに気づけなかった高慢な女」  
「愛されることを知らぬまま没落した可哀想な姫」  
「異国の地で、まだ殿下を想い続けているらしい」  

――まるで、彼女が悲劇を楽しむ人形にされているかのようだった。  

噂を流したのは、ほかでもない王太子アルベルトの側近たち。  
王都の民衆に「殿下は被害者だ」と印象づけるための作り話だ。  
ことさらに、フェリシアとの恋を“真実の愛”と美談に仕立て上げ、対照的にリリアナを「愛を知らぬ女」として描き出す。  

その物語は、王都の夜風に乗り、貴族の舞踏会から市井の酒場まで囁かれた。  
そして、いままさにその中心で優雅に微笑む女がいた――フェリシア・ラインベルク。  

「殿下、お加減はいかがですか?」  
問いかけるその瞳は、慈愛をたたえた乙女そのもの。  
だが、その奥には計算された光が宿っている。  

「もう大丈夫だ。君がいてくれるから。」  
アルベルトは優しくフェリシアの手を握る。  
けれどその指先はほんのわずかに冷えていた。  

(もう少し……もう少しで、私は完全に“彼女”の影を消せる。)  
フェリシアは微笑みながら心の中で呟いた。  
彼女を焼くように苦しめていたのは、王太子妃の座などではない。  
王太子が昔愛した女の記憶――リリアナという完璧な存在。  

どれほど自分が笑顔を磨いても、立ち居振る舞いを正しても、アルベルトの口から何度も出た言葉が忘れられない。  

――リリアナは、王族に相応しい。  

そのたった一言が、フェリシアに深い爪痕を残したのだ。  
だからこそ、彼女はリリアナを壊した。  
虚偽の証言で、王都中の悪評を作り上げ、アルベルトの哀れみを手に入れた。  

だが今……王都の民たちは「リリアナは遠い異国で哀れに泣いている」と噂し、フェリシアを「殿下を癒した聖女」と呼んでいる。  
――それでいい。と、彼女は思った。  

けれど同時に、胸の奥で何かがざらりと音を立てた。  

(泣いている?……あの人が? 違う。あの方は……絶対に泣かない。)  
そう理解しているのに、自分の作った虚構の言葉が、どこかで不安を呼び起こす。  

その夜、フェリシアは鏡の前で自分の姿を見つめた。  
豪華なドレス。完璧な化粧。  
だが、鏡に映る自分の瞳の奥だけが空虚だった。  

「……ねえ、アルベルト様。」  
眠る王太子の寝台の上で、囁くように呟く。  
「どうしたら、あなたの中の“彼女”を完全に消せるの……?」  

アルベルトは寝返りを打ち、うなされるように名前を呼んだ。  

「……リリアナ……」  

フェリシアは息をのんだ。  
怒りではなく、恐怖があった。  
「なぜ……まだ、あの女の夢を見るの?」  

震える声が静寂に落ちた。  
薄い夜明けの光が差し込む。  
フェリシアの頬を涙が一筋だけ伝った。  
その涙の意味を、彼女自身もわからなかった。  

***

一方その頃、遠く離れたエルシャルトの領都では、朝霧が薄く広がっていた。  
リリアナは屋敷の回廊を歩きながら、手紙の束を抱えていた。  
王都からの書状――その一部は公的なもの、残りは匿名で寄せられた“噂”の便箋だった。  

「……また、これを。」  
執事ロイが苦々しい顔で言う。  
「無礼にもほどがあります。なぜ彼らは証拠もなく、こんな戯言を……」  

けれどリリアナは静かに首を横に振った。  
「怒らないでください。慣れていますから。」  
そう言ってひとつの手紙を広げる。  
文字は乱れていたが、確かに彼女の名がそこにある。  

『いまも殿下を想い続け、赦しを乞うているそうですね。  
どうか、いつか穏やかな日々を取り戻せますように。――敬愛する者より。』  

(……赦しを乞う?)  
苦笑がこぼれた。  
自分はもう「許される」立場を望んでなどいない。  
ただ静かに生きたかっただけなのに。  

窓の外を見つめると、淡い光が雪原に滲んでいた。  
そこに、かつての王都の華やかさはない。  
けれど、その静寂が心を救ってくれた。  

“王太子殿下に許しを請う可哀想な元婚約者”  
そう呼ばれていると知っても、怒りは湧かなかった。  
むしろ、遠い世界の出来事のように感じた。  
——しかし、ただ一つだけ引っかかる。  

「フェリシア様は、今も幸せでいらっしゃるかしら。」  
ぽつりと漏れたその言葉に、ロイが目を瞬かせた。  
「リリアナ様?」  
「いえ……気にしないで。ただ、昔の知人を思い出しただけです。」  

けれど、その声には静かな寂しさが滲んでいた。  

***

しばらくして、セドリックが執務室から姿を現した。  
「リリアナ。」  
呼ばれて顔を上げると、その瞳にいつもの鋭さはなかった。  
「王都の連中がまた“君の虚像”を作り上げている。無視して構わないが……耐えられぬのなら止めに入る。」  
「いいえ。放っておいてください。」  
「しかし――」  
「彼らの言葉に反応すれば、私は再び“彼らの物語の登場人物”になってしまいます。」  

静かな声だった。  
しかし、その響きは強かった。  

しばしの沈黙ののち、セドリックは小さく笑った。  
「……君のほうが、俺などよりよほど強いな。」  
「公爵様が守ってくださるからです。  
一人だったら、とうに心が折れていました。」  

彼女の笑顔は、雪の光の中で柔らかく輝いた。  
セドリックの胸に、知らぬ熱が広がる。  
守りたいだけだったはずの存在が、いつしか自分の心に根を下ろしている。  

「リリアナ、覚えておけ。」  
「はい?」  
「“哀れな元婚約者”なんて言葉は、ものを知らぬ愚か者の戯言だ。  
お前は今、誰よりも誇り高く、美しい。」  

その言葉に、リリアナの胸が震えた。  
瞼の裏に、わずかに涙が滲む。  
だがその涙は、もう悲しみのものではなかった。  

「ありがとうございます、公爵様。  
……そう言っていただけるだけで、この世界にいてもいい気がしました。」  

「いいか。」  
セドリックは穏やかに続けた。  
「お前の居場所は、ここにある。どんな噂が風に流れようと、俺の声でかき消す。」  

その時、リリアナははっきりと感じた。  
この人は、ただの庇護者ではない。  
彼の存在が、寒冷なこの国のすべての灯りなのだと。  

外では再び雪が降り始めていた。  
だが、彼女の心はもう冷たくなかった。  
沈黙の中、二人はただ互いを見つめていた。  
その距離は、ゆっくりとけしていく雪のように近づいていく。  

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

遊び人の令嬢が目を付けたのは、私の真面目な婚約者でした

おいどん
恋愛
子爵家の令嬢エリーネと伯爵家の次男のノルトが婚約を結んだのは、半年前だった。 真面目で優秀なノルトに相応しい婚約者であろうとするものの、エリーネには自信がなかった。 ある日、遊び人と噂の令嬢べルティーナとノルトが共にいるところを見てしまう。 「真面目クンは壁さえ破っちゃえばこっちのもんだからね〜」 「きっと、彼女の美しさに嫉妬しているのだわ…」 「…今度は、ちゃんと言葉にするから」

死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」 公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。 死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」 目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。 「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」 隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。 そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……? 「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」 資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。

妹さんが婚約者の私より大切なのですね

はまみ
恋愛
私の婚約者、オリオン子爵令息様は、 妹のフローラ様をとても大切にされているの。 家族と仲の良いオリオン様は、きっととてもお優しいのだわ。 でも彼は、妹君のことばかり… この頃、ずっとお会いできていないの。

婚約破棄を「奪った側」から見たならば ~王子、あなたの代わりはいくらでもいます~

フーラー
恋愛
王子が「真実の愛」を見つけて婚約破棄をする物語を「奪ったヒロイン側」の視点で『チート相手に勝利する』恋愛譚。 舞台は中世風ファンタジー。 転生者である貴族の娘『アイ』は、前世から持ち込んだ医療や衛生の知識を活かして、世界一の天才研究家として名を馳せていた。 だが、婚約者の王子ソームはそれを快く思っていなかった。 彼女のその活躍こそ目覚ましかったが、彼が求めていたのは『優秀な妻』ではなく、自分と時間を共有してくれる『対等なパートナー』だったからだ。 だが、それを周りに行っても「彼女の才能に嫉妬している」と嘲笑されることがわかっていたため、口に出せなかった。 一方のアイも、もともと前世では『本当の意味でのコミュ障』だった上に、転生して初めてチヤホヤされる喜びを知った状態では、王子にかまける余裕も、彼の内面に目を向ける意識もなかった。 そんなときに王子は、宮廷道化師のハーツに相談する。 「私にアイ様のような才能はないですが、王子と同じ時間は過ごすことは出来ます」 そういった彼女は、その王子をバカにしながらも、彼と一緒に人生を歩く道を模索する。 それによって、王子の心は揺れ動いていくことになる。 小説家になろう・カクヨムでも掲載されています! ※本作を執筆するにあたりAIを補助的に利用しています

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。 いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。 ただし、後のことはどうなっても知りませんよ? * 他サイトでも投稿 * ショートショートです。あっさり終わります

悪役令嬢は断罪の舞台で笑う

由香
恋愛
婚約破棄の夜、「悪女」と断罪された侯爵令嬢セレーナ。 しかし涙を流す代わりに、彼女は微笑んだ――「舞台は整いましたわ」と。 聖女と呼ばれる平民の少女ミリア。 だがその奇跡は偽りに満ち、王国全体が虚構に踊らされていた。 追放されたセレーナは、裏社会を動かす商会と密偵網を解放。 冷徹な頭脳で王国を裏から掌握し、真実の舞台へと誘う。 そして戴冠式の夜、黒衣の令嬢が玉座の前に現れる――。 暴かれる真実。崩壊する虚構。 “悪女”の微笑が、すべての終幕を告げる。

処理中です...