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もう一度だけなら夢を見てもいいのだろうか
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真理にタクシーに乗せられ、引きずられるように沙羅が連れて来られたのは、六本木のBar Somma。
カウンターや棚に漆塗りが施され、光沢のある朱色の店内は和テイストで、洗練された大人だけの空間だ。
流れている曲はボサノヴァの名曲Chega De Saudade。ジョアン・ジルベルトが、離ればなれになった恋人への溢れる想いを甘い声で歌っていた。
「素敵なお店ね」
素直な沙羅の感想に真理は得意気に胸を張る。
「でしょう。ここは日本酒の取り扱いも多くて、雰囲気が落ち着いて居心地が良いの」
「私、本格的なBarって初めてかも」
大学を出てから直ぐに結婚した沙羅は、夜の街で飲み歩く事はなかった。Barなんて、テレビドラマで見るだけの世界だ。
「新しい場所に行けば、新しい出会いもあるのよ。独身に戻ったのだから、娘さんがお泊りに行っている日ぐらい、羽を伸ばしてもバチは当たらないわ」
「うーん。母親なのにいいのかなって考えちゃう」
「”子供のために”って、自分を縛って視野を狭くしたら返って、子供のためにならないと思う。息抜きをすることで、子供にも余裕を持って接する事が出来るはずよ」
真理は、カウンターに座りバーテンダーにカクテルを注文する。
出て来たのは、日本酒をベースにライムの香りも爽やかなサムライというカクテルとイチゴをふんだんに使ったサケリーニャだ。
目の前に置かれたグラスの華やかさに沙羅は、目を輝かせる。
「わあ、イチゴのカクテルなんてあるのね」
「うん、見た目も可愛いでしょう。こんなに素敵なお酒に出会えるなら、たまに息抜きをしてもいいんじゃない? それにこういう場所で意外な人と出会ったりして……」
と、真理は意味深につぶやいて、沙羅の背中越しに視線を向ける。
「久しぶり」
低めの艶のある声が、沙羅の後ろから聞こえた。
まさか、っという思いで振り返る。
そこには、会いたいと願っていても、もう会えないと思っていた慶太の姿があった。
無理をして心に蓋をしていた気持ちが溢れ、言葉が出てこない。
涙で慶太が歪んで見える。
真理は、立ちすくむ沙羅の背中を押した。
「悔いの無いように生きなくちゃダメよ。人生は長いけど、旬の時期は短いんだから」
しかし、沙羅は口を引き結んだまま、動けない。
慶太を目の前にして何をすればいいのだろう。
慶太には、綺麗な婚約者が居るのに……。
「沙羅」
慶太に名前を呼ばれ、顔を上げた。
切れ長の瞳に切なげに見つめられ、心が震える。
「慶太……」
もう一度だけなら夢を見てもいいのだろうか。
慶太に触れてもいいのだろうか。
沙羅は、そっと慶太の袖口を掴み、押さえ込んでいた気持ちを吐露する。
「私、会いたかった……ずっと慶太に会いたかった」
「ん、俺も沙羅に会いたかった。今日、会えて良かった」
見つめ合うふたりの間を割って入るように、真理が声を上げた。
「はいはい、ふたりで積もる話しもあるでしょうから、どっかに行って頂戴。わたしはもう一杯飲んでいくから」
真理は、乾杯でもするようにグラスを掲げ、残っていたカクテルを一気に飲み干し、ニヤリと笑う。
「日下部、悪いな」
「高良のツケだからね。高くつくわよ!」
「恩に着るよ」
「沙羅、また飲もうね」
そう言って、真理は送り出すように、もう一度沙羅の背中を押した。
背中を押された沙羅は慶太とふたり、夜の街へと歩き出した。
カウンターや棚に漆塗りが施され、光沢のある朱色の店内は和テイストで、洗練された大人だけの空間だ。
流れている曲はボサノヴァの名曲Chega De Saudade。ジョアン・ジルベルトが、離ればなれになった恋人への溢れる想いを甘い声で歌っていた。
「素敵なお店ね」
素直な沙羅の感想に真理は得意気に胸を張る。
「でしょう。ここは日本酒の取り扱いも多くて、雰囲気が落ち着いて居心地が良いの」
「私、本格的なBarって初めてかも」
大学を出てから直ぐに結婚した沙羅は、夜の街で飲み歩く事はなかった。Barなんて、テレビドラマで見るだけの世界だ。
「新しい場所に行けば、新しい出会いもあるのよ。独身に戻ったのだから、娘さんがお泊りに行っている日ぐらい、羽を伸ばしてもバチは当たらないわ」
「うーん。母親なのにいいのかなって考えちゃう」
「”子供のために”って、自分を縛って視野を狭くしたら返って、子供のためにならないと思う。息抜きをすることで、子供にも余裕を持って接する事が出来るはずよ」
真理は、カウンターに座りバーテンダーにカクテルを注文する。
出て来たのは、日本酒をベースにライムの香りも爽やかなサムライというカクテルとイチゴをふんだんに使ったサケリーニャだ。
目の前に置かれたグラスの華やかさに沙羅は、目を輝かせる。
「わあ、イチゴのカクテルなんてあるのね」
「うん、見た目も可愛いでしょう。こんなに素敵なお酒に出会えるなら、たまに息抜きをしてもいいんじゃない? それにこういう場所で意外な人と出会ったりして……」
と、真理は意味深につぶやいて、沙羅の背中越しに視線を向ける。
「久しぶり」
低めの艶のある声が、沙羅の後ろから聞こえた。
まさか、っという思いで振り返る。
そこには、会いたいと願っていても、もう会えないと思っていた慶太の姿があった。
無理をして心に蓋をしていた気持ちが溢れ、言葉が出てこない。
涙で慶太が歪んで見える。
真理は、立ちすくむ沙羅の背中を押した。
「悔いの無いように生きなくちゃダメよ。人生は長いけど、旬の時期は短いんだから」
しかし、沙羅は口を引き結んだまま、動けない。
慶太を目の前にして何をすればいいのだろう。
慶太には、綺麗な婚約者が居るのに……。
「沙羅」
慶太に名前を呼ばれ、顔を上げた。
切れ長の瞳に切なげに見つめられ、心が震える。
「慶太……」
もう一度だけなら夢を見てもいいのだろうか。
慶太に触れてもいいのだろうか。
沙羅は、そっと慶太の袖口を掴み、押さえ込んでいた気持ちを吐露する。
「私、会いたかった……ずっと慶太に会いたかった」
「ん、俺も沙羅に会いたかった。今日、会えて良かった」
見つめ合うふたりの間を割って入るように、真理が声を上げた。
「はいはい、ふたりで積もる話しもあるでしょうから、どっかに行って頂戴。わたしはもう一杯飲んでいくから」
真理は、乾杯でもするようにグラスを掲げ、残っていたカクテルを一気に飲み干し、ニヤリと笑う。
「日下部、悪いな」
「高良のツケだからね。高くつくわよ!」
「恩に着るよ」
「沙羅、また飲もうね」
そう言って、真理は送り出すように、もう一度沙羅の背中を押した。
背中を押された沙羅は慶太とふたり、夜の街へと歩き出した。
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