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信じると決めていても、心が揺れる
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「なんだ、TAKARAグループの息子と立華商事の令嬢との結婚の話、本当だったんだ」
横から貴之のつぶやきが聞こえてきた。沙羅は、ハッとして貴之を見上げる。
慶太の事で何かを知っているなら、教えて欲しいと思った。でも、口に出せるはずも無く、聞き耳を立ててしまう。
「あら、TAKARAグループの慶太さんとは知り合いだけど、縁談を持ち込まれてもお受けしないって有名よ。ましてや、結婚の話しなんて初耳だわ」
藤井は不思議そうに首を傾げたが、貴之の意見は違う。
「ウチは立華と付き合いがあるから、そっちサイドから聞いたんだよ。TAKARAで扱う物販を立華商事が引き受けるとかって、話しだよ」
「だとしたら政略結婚なのかしら?」
「そうみたいだ。世襲制の会社だと、未だ政略結婚とかあるんだな」
藤井と貴之の会話を聞いて、沙羅は胸の奥がキュッと痛む。
萌咲に会った時に訊いた「大きな縁談が持ち込まれていて、高良の父がいつになく乗り気になっているの」という話しが、具体的に進んでいるのかもしれない。
沙耶は、人垣の先に居る慶太へ視線を戻した。
慶太は、初老の男性と穏やかな表情で談笑をしている。そして、その横には綺麗なカクテルドレスを着た立華商事の令嬢が慶太に腕を添え、微笑んでいた。
このような公の場所で、慶太のパートナーとして活躍が出来る女性なのだ。
その様子を見て、沙羅の気持ちがみるみる萎んでゆく。
今、慶太に声を掛けられたなら、人目を憚らず泣き出してしまいそうだ。
そんな事になったら、慶太にも藤井にも迷惑をかけてしまうだろう。
「逃げ出したい」と、沙羅は小さなバッグを握りしめた。
「あの……。私、人に酔ってしまったみたい。ちょっと廊下で涼んできます」
メールのやり取りも続いている。明日も、デートの約束をしている。連絡を取り合っているのに、慶太からお見合いの話をされていない。
それは、きっと、TAKARAグループの跡取りである慶太に縁談を持ち込まれるのは、特別な事ではないからだと思う。だから、お見合いの話をしないのは、余計な心配をかけないようにしようと言う慶太なりの気遣いなのだろう。
外野からの雑音に惑わされずに、慶太を信じてついて行くと決めたのだ。
でも、実際に慶太が花嫁候補の女性と一緒に居るのを、目の当たりにしてしまうと、不安が押し寄せどうしようもなく辛い。
化粧室の大きな鏡の前で、気持ちを立て直すように口紅を引いた。
鏡には普段よりも綺麗に着飾った自分が映っている。
でも、見た目がいくら綺麗になっていても、生い立ちは変えようもない。
慶太の結婚相手として相応しくないのは百も承知している。
ただ、慶太を好きなだけだ。
「紀美子さんが、待っているといけないから会場に戻らなきゃ……」
沙羅は細く息を吐き出し、化粧室から出て宴会場まで続く長い廊下を憂鬱な気分で歩いた。
廊下には、休憩用のソファーが置かれている。
その、ソファーにタキシード姿の男性が座っているのが、目隠し代わりに備え付けられた観葉植物の合間から見えた。
沙羅の耳に男性の「ううっ」と言う苦しそうな声が聞こえて、思わず注意深く見てしまう。すると壮年の男性が顔を歪めていた。
「大丈夫ですか? 人を呼びますか?」
「いや、大したことない。低血糖でめまいがするだけだ」
沙羅は駆け寄り、男性を支えた。みれば、男性の額には汗が浮き、肩で息をしている。
バッグからハンカチを取り出した沙羅は、汗が浮いた額をそっと拭い、自分に出来る事を探しながら、懸命に声を掛ける。
「お薬は、お持ちですか?」
低血糖の症状と聞いて、沙羅はふと思いつき、バッグの中から小さな包みを取り出した。
「これ、飴ですが、お口にしても大丈夫ですか?」
男性が小さくうなずき、沙羅は包みを開けて、男性の口に飴を含ませる。それが利いたのか、男性はだんだんと落ち着きを取り戻し、呼吸が一定になってきた。
「はあ、助かった。すまなかったね。やっとめまいが治まった」
「ご回復されたのなら良かったです。お連れ様がいらっしゃるようでしたら、お呼びしましょうか?」
「いや、お手を煩わせずとも電話で迎えに来させるよ。それより、お礼をさせて欲しいのだが、名前を伺っても宜しいかな?」
と、男性が顔を上げた。その男性の顔にどこか見覚えがあるような気がした。
けれど、沙羅には思い出せない。
「お礼をして頂くほどの事はしていませんので、お気になさらずに居てください」
「助けて頂いて、そう言うわけには……」
食い下がられても、飴玉をあげただけで、大したことはしていないのだ。
「それなら、今度、誰か困っている人が居たら手を貸してあげてください。親切は幸福を連れてくるとも言いますから」
人助けをしたことで、沙羅自身も鬱々としていた気持ちが遠退き、落ち着きを取り戻していた。
男性は、沙羅の言葉に驚いたような顔を見せたが、フッと表情が和らぐ。
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
「では、私も連れの者が心配しているといけないので、これで失礼しますね」
沙羅はペコリと頭を下げ、パーティー会場へ足を向けた。
横から貴之のつぶやきが聞こえてきた。沙羅は、ハッとして貴之を見上げる。
慶太の事で何かを知っているなら、教えて欲しいと思った。でも、口に出せるはずも無く、聞き耳を立ててしまう。
「あら、TAKARAグループの慶太さんとは知り合いだけど、縁談を持ち込まれてもお受けしないって有名よ。ましてや、結婚の話しなんて初耳だわ」
藤井は不思議そうに首を傾げたが、貴之の意見は違う。
「ウチは立華と付き合いがあるから、そっちサイドから聞いたんだよ。TAKARAで扱う物販を立華商事が引き受けるとかって、話しだよ」
「だとしたら政略結婚なのかしら?」
「そうみたいだ。世襲制の会社だと、未だ政略結婚とかあるんだな」
藤井と貴之の会話を聞いて、沙羅は胸の奥がキュッと痛む。
萌咲に会った時に訊いた「大きな縁談が持ち込まれていて、高良の父がいつになく乗り気になっているの」という話しが、具体的に進んでいるのかもしれない。
沙耶は、人垣の先に居る慶太へ視線を戻した。
慶太は、初老の男性と穏やかな表情で談笑をしている。そして、その横には綺麗なカクテルドレスを着た立華商事の令嬢が慶太に腕を添え、微笑んでいた。
このような公の場所で、慶太のパートナーとして活躍が出来る女性なのだ。
その様子を見て、沙羅の気持ちがみるみる萎んでゆく。
今、慶太に声を掛けられたなら、人目を憚らず泣き出してしまいそうだ。
そんな事になったら、慶太にも藤井にも迷惑をかけてしまうだろう。
「逃げ出したい」と、沙羅は小さなバッグを握りしめた。
「あの……。私、人に酔ってしまったみたい。ちょっと廊下で涼んできます」
メールのやり取りも続いている。明日も、デートの約束をしている。連絡を取り合っているのに、慶太からお見合いの話をされていない。
それは、きっと、TAKARAグループの跡取りである慶太に縁談を持ち込まれるのは、特別な事ではないからだと思う。だから、お見合いの話をしないのは、余計な心配をかけないようにしようと言う慶太なりの気遣いなのだろう。
外野からの雑音に惑わされずに、慶太を信じてついて行くと決めたのだ。
でも、実際に慶太が花嫁候補の女性と一緒に居るのを、目の当たりにしてしまうと、不安が押し寄せどうしようもなく辛い。
化粧室の大きな鏡の前で、気持ちを立て直すように口紅を引いた。
鏡には普段よりも綺麗に着飾った自分が映っている。
でも、見た目がいくら綺麗になっていても、生い立ちは変えようもない。
慶太の結婚相手として相応しくないのは百も承知している。
ただ、慶太を好きなだけだ。
「紀美子さんが、待っているといけないから会場に戻らなきゃ……」
沙羅は細く息を吐き出し、化粧室から出て宴会場まで続く長い廊下を憂鬱な気分で歩いた。
廊下には、休憩用のソファーが置かれている。
その、ソファーにタキシード姿の男性が座っているのが、目隠し代わりに備え付けられた観葉植物の合間から見えた。
沙羅の耳に男性の「ううっ」と言う苦しそうな声が聞こえて、思わず注意深く見てしまう。すると壮年の男性が顔を歪めていた。
「大丈夫ですか? 人を呼びますか?」
「いや、大したことない。低血糖でめまいがするだけだ」
沙羅は駆け寄り、男性を支えた。みれば、男性の額には汗が浮き、肩で息をしている。
バッグからハンカチを取り出した沙羅は、汗が浮いた額をそっと拭い、自分に出来る事を探しながら、懸命に声を掛ける。
「お薬は、お持ちですか?」
低血糖の症状と聞いて、沙羅はふと思いつき、バッグの中から小さな包みを取り出した。
「これ、飴ですが、お口にしても大丈夫ですか?」
男性が小さくうなずき、沙羅は包みを開けて、男性の口に飴を含ませる。それが利いたのか、男性はだんだんと落ち着きを取り戻し、呼吸が一定になってきた。
「はあ、助かった。すまなかったね。やっとめまいが治まった」
「ご回復されたのなら良かったです。お連れ様がいらっしゃるようでしたら、お呼びしましょうか?」
「いや、お手を煩わせずとも電話で迎えに来させるよ。それより、お礼をさせて欲しいのだが、名前を伺っても宜しいかな?」
と、男性が顔を上げた。その男性の顔にどこか見覚えがあるような気がした。
けれど、沙羅には思い出せない。
「お礼をして頂くほどの事はしていませんので、お気になさらずに居てください」
「助けて頂いて、そう言うわけには……」
食い下がられても、飴玉をあげただけで、大したことはしていないのだ。
「それなら、今度、誰か困っている人が居たら手を貸してあげてください。親切は幸福を連れてくるとも言いますから」
人助けをしたことで、沙羅自身も鬱々としていた気持ちが遠退き、落ち着きを取り戻していた。
男性は、沙羅の言葉に驚いたような顔を見せたが、フッと表情が和らぐ。
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
「では、私も連れの者が心配しているといけないので、これで失礼しますね」
沙羅はペコリと頭を下げ、パーティー会場へ足を向けた。
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