何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について

桜塚あお華

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第42話 前半ノア視点、後半アゼル視点

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 王都の空が、不気味に唸っていた。
 雷でも嵐でもない。
 それは、空気そのものを震わせるほどの巨大な“魔力のうねり”だった。
 まるで世界の根幹が軋んでいるかのように、大地が低く唸り、断続的な地鳴りが足元を揺らす。

 街の地下に張り巡らされた魔力循環網――王都の魔導インフラを支える“血管”のようなもの――が、赤く熱を帯びて光り始める。
 その異常は、王都近郊に設けられた軍の臨時本陣にも、すぐに伝わった。

 指揮台に立つノア・レーヴァテインは、剣のように鋭い眼差しで空を仰ぎ見た。
 そして、眉をひそめながら低く呟く。

「……魔導基幹が破壊されたな」

 魔導基幹――それは、王都全体の魔力を安定して循環させるための中枢。
 都市を守る結界、防衛魔法、生活基盤のすべてが、そのシステムによって維持されていた。

 それが壊されたということは、街そのものが無防備になったということだ。

 案の定、慌ただしく飛び込んできた副官の報告が、彼の予感を裏付けた。

「魔獣の群れが地底層から湧き上がっています! 各区画の封鎖が間に合いません!」

 次々と運ばれてくる通信文が、王都の混乱を物語っていた。
 魔力の異常により、地底に封じられていた魔獣たちが制御を失い街へと溢れ出している。
 結界も、魔導防衛も、今や機能していない。
 暴走する魔力が、市民たちの命を奪うのも時間の問題だった。

 ――しかし、その大混乱の中心で。

 誰もが一度は忘れかけていた【ある名】が、再び口の端にのぼり始めていた。
 それは、昔一度だけ暴走しかけ、周りの人間を殺してしまった人物――ハイデン・ヴァルメルシュタイン。
 アゼルに怪我を負わせた後、行方不明となっていた彼ならば、出来る判断だと貴族たちは考えた。
 そして――王族は誤った判断を下す。全ての混乱は、あの男ハイデンだと。

「……ハイデン・ヴァルメルシュタインの仕業か」
「今のところ、魔力反応が一致しています。ただ……証拠はありません」

 報告を読み上げた近衛の騎士は、どこか歯切れが悪い。
 だが、上層部が求めているのは正確な判断ではなく、責任を負われる存在なのだ。

 その瞬間、幕舎の奥の扉が静かに開いた。
 軍装の上に黒のマントを羽織ったアゼル・ヴァルメルシュタインが、無言で足を踏み入れる。

「命令は下された……王都の平定と、ハイデンの処理だ」

 声音に感情はなかった。だが、ノアにはわかる――アゼルの中で、何かが僅かに揺れている。

「……ハイデン様ではありません、アゼル様」

 ノアは静かに言った。

「この魔力の乱れも、魔獣の氾濫も、彼の力じゃない……ハイデン様は眠っておられました。魔力を纏っていたのを見たので間違いありません」

 その言葉を言ったところで、アゼルは変わらない。そして彼はノアの方を見る事はなかった。
 まるで言葉を聞かなかったかのように、視線を前方の戦地へと向けている。だがその手は――剣の柄を握る手は、ほんのわずかに震えていた。

「それでも、俺は剣を取り、弟を……ハイデンを殺すしかない」

 低く絞り出すように、アゼルが呟いた。

「王国の命だ……弟であろうと、排除する存在だとと認定された以上、俺の手で引き金を引かねばならん」
「……あなたの目には、まだハイデン様が【怪物】に見えるのですか?」

 ノアの問いは、怒気を孕んでいた。
 だが、アゼルは答えなかった。

『僕はただ、生きたかっただけなのに』

 あの時、血に濡れ、魔力に呑まれ、それでも誰かを殺すまいと足掻いていた弟の姿。その中で、幼い声のように吐き出されたその言葉が――アゼルの胸に今も残っていた。
 それでも――【弟】ではなく、【王国の敵】として命を受けた以上、彼は剣を持たねばならなかった。
 ノアは俯き、何も言わなかった。
 その横を、静かに、しかし重々しい足取りでアゼルが通り過ぎていく。

 だが、その背に向かって、ノアは抑えきれない思いを低く吐き出した。

「……これで取り返しがつかなくなっても、あなたは後悔しないんですねアゼル様」

 その声に、アゼルの足が、ほんの僅かに止まる。だが、振り返ることはしなかった。
 代わりに、握られた拳が小さく震えていた。
 傷の癒えきらない腕を庇うようにして、アゼルはただ前を見据える。その表情には、決意と、迷いが同時に刻まれていた。

 ――弟が、涙ながらに言った言葉。

 『僕はただ、生きたかっただけなのに』

 あの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
 まるで刻印のように、胸に残って消えなかった。

(本当に……排除……殺すしかないのか?)

 魔力の暴走と呪詛の件。そして――あの夜の出来事。理屈で言えば、国家の秩序を守るため、ハイデンは【排除】されるべき存在だった。
 だが、アゼルは知っている。
 ハイデンが、生まれつきその力を望んで持ったわけではないことも。あの狂気の中で、必死に人を傷つけまいとした震える手のことも。
 それでも、自分の立場は――王族であり、この国を守る【剣】になってしまった。
 感情では、国は守れない。
 それを知っているからこそ、選び続けてきた。
 だが今、この足が向かおうとしているのは――確かに【家族】と呼べた人物の所だった。
 返事はなかった。
 いや、きっと返せなかった。
 沈黙のまま、アゼルは背を向けたまま歩き出す。だがその足取りは、さっきよりわずかに重く感じる。

 そして、彼らは知らない。
 中心となっているのはハイデンではなく、リリアと言う少女で、この国と世界を滅ぼそうとしているなど、知るよしもなかった。

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