何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について

桜塚あお華

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第50話 クリス視点

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 それは、ハイデンとリリアが全て終えた時。
 
 王都が崩れ落ちたあと、世界は一瞬だけ、音を失った。
 風のない空に、白灰が静かに舞い落ちる。瓦礫の山となった聖域の中央――かつて魔術基盤の中心であった場所に、陽光の欠片が斜めに差し込んでいた。
 その光の中に、クリスは膝をついていた。
 腕の中にあるのは、崩れるように意識を失ったハイデンの身体。彼の肌は冷たく、呼吸は浅い。それでも、確かに命は繋がっている。だが――戻ってこないのでは、という予感が脳裏をかすめる。

「……戻ってこい。お前、まだ何も言ってないだろ……」

 掠れた声が、空に消え、震える手で、その頬に触れる。だが、返事はない。
 笑ってくれ。怒ってくれ。泣いてくれ。そうして、生きてくれ。

「なぁ……笑ってくれ、ハイデン。あの時みたいに俺を鼻で笑ってくれよ……」

 呼びかけは届かない。絶望が滲み始めたその時――背後に、凍るような気配が立ち上った。
 音もなく、一つの【影】が、崩れ落ちたリリアの傍に立っていた。
 少年の姿をしている。年齢は十にも満たぬかのような幼さ。だが、目に宿るのは老いた者のような理解と、決して人には宿りえない悪意。
 存在そのものが異質――魔力の気配は薄いのに、その場の空気を凍らせるような圧力だけがある。
 クリスは、即座に剣を抜いた。言葉よりも先に、身体が動いていた。

「……貴様だったのか」

 呟きと共に、鋭く剣を振るう。
 一閃が空気を裂き、影の少年の肩を浅く斬る。血は流れない。代わりに黒い霧のようなものがふわりと浮いた。

「ちょっとした導きに過ぎないさ。選んだのは、彼女自身だよ」
「黙れ」

 言い訳のような言葉を断ち切るように、再び刃が振るわれる。
 クリスの剣筋に、ためらいはなかった。
 怒りに任せた粗い力ではない。練られた一撃、確実に“敵”を斬り伏せる意志が込められている。

「逃がさない。二度と、誰にも手を伸ばさせない」

 影の少年が、わずかに後退る。
 それは、初めて感じる【恐れ】の仕草だった。

「君の魔力は……枯れ果てているはずだ。なのに、なぜ戦えるの?」
「関係ない。俺は……命を懸けるって決めたからだ」
「……本当、君たち一族の【血】は昔から邪魔をするよね」

 その声に、確かな熱が宿っていた。怒りも、憎しみも、その先にある――守るという決意。
 その目を見た影の少年は、静かに舌打ちをした後、ほんの一瞬、逃げようとした。だが、動けなかった。
 クリスの気配が――人ではなかった。
 否、人間だ――しかし、その瞳からして明らかに殺意がこちらに向けられている。
 逃げられない、こいつは、絶対に逃がしてくれない。

「……なぜそこまでして、彼に執着するの?」
「理由なんていらない。俺がそうしたいからで十分だ」

 影の少年が、何かを呟こうとした瞬間、最後の斬撃が振り下ろされた。
 大地が震え、周囲の残骸が風に舞い、刃は深く、確実に影を裂いた。
 黒い靄が飛び散り、少年の姿は崩れ、地に伏す。

「計画が……狂っただけ……だ。あれほどの魔力を得られれば……この世界さえ……」

 最後の言葉も、苦し紛れに散った。
 クリスは冷たく、それを見下ろした後、剣の切っ先をもう一度突きつける。

「次に、お前がハイデンの前に現れたら――その時は、地の底ごと貫いてやる」

 言葉に、感情はない――それは、冷酷な裁きであり、ひとつの【誓い】だった。
 影の残骸が、風に溶けるように消えていく。
 その場には、もはや影も呪いも残らなかった。
 瓦礫が崩れ落ちる音さえも遠く、クリスは息を吐きながら剣を静かに鞘へ戻した。
 そして再び、ハイデンのもとへと戻り、血と灰に塗れた頬にそっと触れ、その体を抱き寄せる。

「……ハイデン」

 その名を呼ぶ声は、さっきよりずっと優しかった。
 深い夜のように静かで、温かな響き。

「もし……次に、あんな奴が前に現れたら――」

 クリスは、誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。

「――今度こそ、絶望に染めてやる。お前を汚そうとした全てをな」

 その声に、もはや迷いはない。
 守るべきものはひとつ、この手で、それを奪わせはしない。
 崩れた空の下で、夜の気配が少しずつ遠ざかる。
 夜明けはまだ遠い。けれど――ハイデンの鼓動は、クリスの胸元で、確かに続いていた。
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