【改稿版】猫耳王子に「君の呪われた力が必要だ」と求婚されています

こうしき

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2話 ハルヴェルゲン王国の呪い

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 アルリエータ王国からハルヴェルゲン王国までは、馬車でおよそ四日の距離だ。少ない荷物をあっという間にまとめたエステルは、クレマン家の紋章の入った馬車に乗り込む。

「お嬢様、荷物はまとまりましたか?」
「ええ」
「本当に夜の間に出発するので?」──『夜の移動は危ないけど、大丈夫でしょうか?』

 エステルの向かいに座っているベルナールが、下げていた頭を持ち上げる。彼が心配するのも無理はない。夜の移動は明かりも少なく、危険が伴う。

「街道を進めば明るいから大丈夫よ。三十分走れば、隣町までは進めるわ。お父様も早く出て行ってほしいようだし」

 ハルヴェルゲン王国側も、一刻も早いエステルの到着を待っている。それならば、夜の間に走れるだけ馬車を走らせて、隣町に宿泊したほうが良いだろうという計画だった。

「それに、わたくしの剣はこちらに載っているのでしょう?」
「はい」──『え、まさか』
「なら、大丈夫よ。何かあれば自分の身くらい自分で守ります」
「承知しました」

 ベルナールの頭がスッと下がるのと同時に、エステルの視線は彼女の手元に落とされた。

「父に挨拶も済ませて来たのだし……問題はないわ」

 もうこの屋敷に帰ってくることはないだろうから、残していくエステルの荷物はきっと処分されるのだろう。捨てられてしまう可能性のある本達が気の毒でならないが、エステルにはどうしようもなかった。

「……さようなら、我が家……それにお父様」

 父の顔を思い出しながら、エステルは瞼を閉じた。最早父の顔は頭の中で朧げな記憶となっていた。こんな親ではあったが、今まで育ててもらった恩はあるのだ、心の中で感謝を伝えて瞼を持ち上げた。

(……自由のない生活だったけれど、きっとわたくしはまだ恵まれているほうだから)

 ダンスの相手も剣の相手も、ベルナールがしてくれた。食事をして、庭の花を愛でて、本を読んで、温かい布団で眠る。十分与えてもらった。

 馬車がゆっくりと走り出す。エステルは馬車の窓から屋敷の二階の窓を見上げるが、人の姿などあるはずもなかった。

 クレマン辺境伯は、結局のところ最後まで娘の顔を見て会話をしてくれることはなかった。これが今生の別れになるというのに。

 最後だった。もしかしたら最後くらい──と、ほんの少しでも期待した自分の愚かさに、エステルは頭を横に振った。

◇ 

 クレマン家の馬車は順調に走った。しかしハルヴェルゲン王国に近づけば近づくほど、エステルの顔は曇り、ベルナールの顔も同じように曇っていった。

(まさかこの地に再び来ることになるだなんて)

 ハルヴェルゲン王国は、十二年前にエステルが呪いを受けた時に滞在していた国であった。

「やめましょう、お互い暗い顔をするのは」
「しかし、お嬢様……!」──『お嬢様が辛いことを思い出されるのは……悲しい』
「わたくしが魔女の呪いを受けたのは自己責任だもの、仕方がないわ」

 父クレマン辺境伯が外交で訪れていた先での事故であった。まさかこんなにも平和な国で魔女の呪いを受けることになるとは夢にも思わなかったが。

(……あの子、元気にしているかしら)

 エステルが思い出すのは、道に迷っていた彼女を助けてくれた幼い子供。真っ青な瞳に、きらきらと輝く髪の美しい幼子だった。彼の遊び相手をしていた時に、エステルは彼を庇って呪いを受けたのだった。

(一目でも、元気な姿を見られたらいいのだけど)

 ハルヴェルゲン王国に滞在していた一ヶ月の間、外交の任を果たす父は忙しそうで、エステルは退屈していた。父に付き添って出かけることもあったが、それも毎日ではない。

 宿泊先をこっそりと抜け出して迷子になり、出会ったのが彼であった。遊び相手をするうちに仲は深まり、三日に一度は会うようになった。エステルがハルヴェルゲン王国を旅立つ日、別れを告げた路地で魔女に出会ってしまったのだ。

(わたくし一人を呪ったくらいでは、満足できなかったのかしらね。だからって、今更……国民全員を呪うことなんてないじゃない)

 魔女の卑劣な行いに、エステルは奥歯を噛み締めた。

「お嬢様、お顔が怖いです」──『まあ、そんなお顔も美しいけれど。僕のほうが美しいけれど!』
「ごめんなさい、色々と……思い出してしまって」
「いつか呪いが解ければいいですね」──『どうやったら解けるんだろう?』
「……そんなこと、考えたこともなかったわ」

 ──魔女にかけられた呪いを解く。

 自分一人のことならばこのままでも仕方がないと諦めてはいたが、国民全員が呪いを受けたこの国は、一体この先どのような運命を辿るのだろう。

 いつまでも自分が通事を果たせば良いという問題でもない気がする。

「わたくし一人で考えても仕方がないことよね」
「都合よく魔女に呪いを解いてもらうなんて、そう簡単ではないでしょうしね」──『魔女がまだハルヴェルゲンにいれば、チャンスはあるかもしれないけれど』

 ベルナールは大抵発言と心の声が一致しているが、時々一致せず真面目なことを考えていることがある。こんな男だが、エステルは彼を頼りにしていた。

「まあ……その辺りはあちらの国の方と話してみようかしらね」
「いいと思いますよ!」──『僕も力になります!』
「フフッ、わたくしの騎士は本当に心強いわ」

 馬車は順調に走り続けた。

 予定通り四日目の午後になってハルヴェルゲン王国に無事到着し、巨大な城門が見えてきた。門の前で馬車が止まり、御者が通行の許可を求める。

「……変ね」

 正式な通行証を持っての入国だというのに、馬車は一向に前に進まない。それどころか控え目に窓がコツコツとノックされ、剣を手にしたベルナールが腰を浮かせて御者の顔を覗き込む。

「どうしました?」
「それが……」

 扉を少しだけ開けたベルナールは、馬車の外で飛び交う言葉に耳を疑った。扉を更に開くと、エステルの耳にも同じ音が届く。

『にゃ にゃにゃん にゃん にゃーん!』
『にゃおん にゃっにゃー!』
「……え?」

 耳を疑いつつも、エステルはベルナールの陰に隠れながら馬車の扉の隙間からひょっこりと顔を出した。

(人っ……! 二人も……!)

 エステルは声の主の腹のあたりを見つめた瞬間、パッと首を引っ込めた。

 エステルの顔を見て、恐怖で顔を歪める侍女たちのことを思い出すと、ここで二人も同時に視界に入れるなど、難易度が高すぎた。

(わたくしが顔を見ると、皆心を覗かれると思って……怖がるもの)

 胸の前でギュッと手を握る。滴るのは冷たい汗だ。

「お嬢様、大丈夫ですか?」
「大丈夫……大丈夫……」
「顔をお上げ下さい。きっと大丈夫です」
「きっと?」
「ええ。あそこにいるのは、人の言葉を話さず、姿も人ではない方たちです。恐らく、見える心は別の物かと」

 ベルナールが言うように、聞こえてくるのは相変わらず不思議な声だ。エステルは意を決してゆっくりと顔を上げて馬車の外を見た。

 馬車の前に二人の衛兵が立ち塞がっているが、その姿にエステルは目を丸くする。

「これが……魔女の呪い?」

 ぱっと見た立ち姿のは人のようだ。しかし衛兵の頭の上には、動物の耳のような──三角形のふわふわが二つくっついていた。片方の衛兵は、左右の頬にピーンと張りつめたヒゲが十数本横に伸びている。

 驚くべき光景は更に広がる。後ろ腰の部分からは耳と思しき三角形と同じ色の尾が生えているのだ。そんな姿の大人の男が、にゃおにゃおと意味不明な言葉を発している。

『にゃ、にゃにゃん にゃん にゃーん! みゃおん──だから、馬車を乗り換えろと言うのだ! 通じないよなあ』
『にゃおっ! うにゃっ! ……にゃにゃん、にゃ──そうだぞ! 何度言えばわかるのだ! ……わかるわけもないか、困ったな』

 生まれ育ったアルリエータ王国にはいない生き物だが、このような耳と尾を持った動物をエステルは何処かで見たことがあった。恐らくは自室にあった本の中だろうが、思い出すことができない。

「話している時には、心の声は聞こえないのね……?」

 少し様子をみたところ、どうやらこの呪われた姿の者たちの心の声は、発言時には聞こえないようだ。「にゃおにゃお」と話していると、翻訳された人の言葉が心の声になる。

「そして黙ると心の声が聞こえるのね。ベルナール、あなたの言う通り見える心が違うわ。これなら……もしかしたら、大丈夫かもしれない」
「あっ、お嬢様!」

 ベルナールの制止も効かず、エステルは馬車を降りた。衛兵の顔を見みると、精一杯の笑顔を張り付けつつ口を開く。

「アルリエータ王国から参りました、クレマン辺境伯の娘エステルと申します。馬車を乗り換えるのですか?」

 エステルの言葉に、二人の衛兵は目を見開いた。

『みゃあっ! にゃおっにゃーん!?──驚いた! この言葉が通じるので!?』
「少し違いますが……会話は成り立ちます」

 むやみやたらに「心が読めるんです」などと口にするものではない。この国の役に立つための輿入れだというのに、悪用されるわけにはいかない。

 それにしても、ベルナール以外の人の顔を見て会話をするなど何年ぶりだろう。恐怖と緊張がせめぎ合って、心臓が駆け足になる。慣れない感覚だが、ここで引くわけにはいかなかった。

「ところであの、それは何の動物の耳なのでしょうか?」
『にゃにゃ?──これですか?』
「ええ」
『にゃにゃん、にゃおにゃん──これは、猫です』
「……猫?」

 衛兵はふわふわでもふもふな灰の耳を指で撫でると、心地よさそうに目を細めた。

 エステルの故郷アルリエータ王国には、犬はいるが猫という生き物はいない。あまり興味がなかったので、動物の図鑑はさらっとしか手を付けなかった。そのため、猫本来の姿というものがいまいち想像がつかなかった。

『にゃ、にゃんーにゃ──あ、お嬢様、あれが猫です』
「どれかしら?」
『にゃー──あちらです』

 衛兵の指差す方を見ると、人の足元をすり抜ける小さな動物の姿。真っ白な体に青い瞳の美しい体躯であった。

「あれが……猫?」
『にゃ──ええ、そうですよ。とても愛らしいでしょう?』
「か……か……かわいい……!」

 白猫はエステルの方に歩み寄ってくる。触れてみたくなり腰を屈めたが、猫はふい、と方向を変えて他所へと行ってしまった。

『みゃみゃっ──ははっ、猫は気まぐれなのですよ。そう簡単に触らせてはもらえません』
「難しいのね」

 いつかあのふわふわもふもふに触れてみたい、とエステルは名残惜しげにその姿を見送った。よくよく見ると、少し離れた場所にも猫がトコトコと歩いている。

「あの猫たち、自由に歩いているけれど大丈夫なのかしら……」
『にゃお──ええ、猫は自由に歩き回る生き物なのです。飼われている猫はまた別ですが』
「猫にも色々あるのね……」

 ヒゲ猫の衛兵と話し込んでいると、ヒゲなし猫の衛兵が「に゙ゃに゙ゃ」っと喉を鳴らした。

『にゃんにゃ──話は陛下より聞いております。ささ、お嬢様、あちらにお乗り換えください』
「ええ、ありがとう。ごめんなさい、話し込んでしまって」
『にゃお!──いえいえ!』

 あちらといって案内されたのは、ハルヴェルゲン王家の紋章の入った豪奢な馬車だ。一台目にエステルとベルナールが乗り込み、二台目には荷物を押し込む。

 クレマン家の馬車とはここでお別れだ。来る途中で父宛にあらかじめ書いておいた、無事到着したということを知らせる手紙を御者に預けると、エステルは馬車を乗り換えた。

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