【改稿版】猫耳王子に「君の呪われた力が必要だ」と求婚されています

こうしき

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7話 猫化

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 あれほど震えていたにもかかわらず、王の間へと向かうライナスの足取りはしっかりとしたものだった。王太子なりにプライドが働いたのかもしれない。

「何事なの……?」

 久しぶりに駆けたのだという宰相は、過呼吸に陥り話しをすることもままならなかった。そんな宰相を侍女に託し、エステルとライナスは事情もわからぬまま、ベルナールとアルフを伴い王の間へと向かった。

 王の間に近づけば近づくほど、ざわざわと騒がしさが増してゆく。顔を青くして駆けてくる使用人ともすれ違った。

『シャァァァァッ!』

 行く手から聞こえる獣のような鳴き声に、エステルの眉根に皺が寄る。剣を抜いたベルナールとアルフが先行し、主を庇いながらゆっくりと前進した。

『にゃあ!』
『うにぁぁぁっ!』

 ドン、と激しく衝突する音に、使用人が数名腰を抜かした。その光景にエステルの肩がびくりと跳ね上がる。

「……!」
『エステルは僕が守る』
「……僕?」

 そんなエステルの跳ね上がった肩を抱くのは、険しい顔つきのライナスだった。青かった顔は赤く染まり、唇を固く噛み締めていた。

「お嬢様、下がって!」
「な……あれは……国王陛下、なの?」

 王の間で暴れ回るのは、数時間前に謁見したばかりの国王だった。歯を剥き出しにして四つん這いの姿は、先程の穏やかだった姿とはまるで別人だ。

『うみゃん!──母上! 一体何が起きたのです?』
『みゃみゃ──ああライナス……!』

 縋るようにライナスに抱きついた王妃は、はらはらと涙を零しながら国王に起こったことを話し出す。国王は、双子達が置いたままにしていた毬を見た途端興奮し、手がつけられなくなったのだという。

『うにゃ?──毬?』

 涎を垂らしながら国王が追いかけるのは、真っ赤な毬だった。恐らくは幼い双子たちが遊ぶ為のものであろうそれを、必死になって追いかけている。

『シャァァッ! うにゃぁぁっ!?』
『みゃあ!──あなた!』

 王妃の叫びも虚しく、国王は跳ねる毬を追い、壁に飛びかかって柱を登りそのまま落下。ドスン、と大きな音の後、耳を覆いたくなるような叫び声が辺りに響き渡った。

『ぅ゙にゃぁぁっ!』
『にゃおっ!──父上っ!』
『うに! うにっ!』

 床に落下した国王は、脛を抑えてジタバタと転がりまわる。状況から見て、足の骨が折れたのは一目瞭然だった。国王に駆け寄るライナスの姿を、エステルは呆然と見つめることしかできない。

(嘘……国王陛下の……心の声が聞こえなかった……?)

 顔は見ていたはずだ。それなのに心の声はエステルに届いてこなかった。

(どうしてなの……? まさか──!)

 王妃とライナスに付き添われ、国王が担架に載せられ、運ばれてゆく。

 エステルは口元を抑えて屈み込んだ。疲労と相まって、立っていられなくなったのだ。

「お嬢様!?」
「平気……大丈夫」

 ベルナールに肩を抱かれ、アルフもそれに駆け寄った。片手で制し立ち上がろうとするも、無理なようだった。

『……にゃにゃ?』

 背後の様子がおかしいことに気がついたのか、ライナスが振り返る。アルフを呼び寄せ王妃に一声掛けると、エステルに駆け寄った。

『うにゃあ──どうした、エステル!』

 エステルは答えない。よろよろと立ち上がると、ベルナールの肩を掴んで歩き出す。

『にゃにゃ!』
「えっ……殿下!?」

 ふ、と宙に持ち上がる体。エステルの体はライナスに横抱きにされていた。

「で……殿下、降ろしてください!」
『にゃーう──何を言っている。駄目に決まってるだろう』

 横抱きにされ、ライナスの顔がぐっと近づいた。体は密着しているので、エステルはこの心臓の音が聞こえていないか気が気ではない。

(だって! 近すぎるもの!)

 逞しい腕に再び抱かれ、目眩がしてしまう。ライナスの息遣いまで聞こえてきそうなこの距離に、平静を保つことなど出来そうにない。歳上としての余裕を見せたいところではあるが、ライナスの方が幾分か余裕がありそうで。

『みゃうん──やはり軽いな、雲のようだ』
「やめて下さい恥ずかしい!」
『にゃう──おまけに、いい香りだ』
「きゃっ!」

 ライナスが鼻を埋めるのはエステルの首筋だ。耳の下から髪にかけての場所に高い鼻が触れ、肩がびくりと跳ね上がる。

「殿下っ、何故っ……!」
『にゃんにゃ──積極的にならねば、君は私を見てくれないだろう?』
「そんな……」
『……恥ずかしいけれど振り向いてほしいし』
「え?」

 口を開けば建前が、口を閉じれば本音が滲み出て。金の瞳にはそれがひどく魅力的に映ってしまう。

(でも積極的過ぎるわ……心臓が保たないと思うの!)

 いい歳をしてこんなうら若い男に、と恥じる気持ちも大きくて。ライナスの心の内をこれ以上覗かぬようにと、エステルは顔を伏せた。少しずつ彼に惹かれていくのが恐ろしかった。



 ライナスが向かったのは先程まで執務を行っていた一室だった。ベッドに降ろされたエステルは横になるよう何度も言われるが、先程の宣言を聞いてしまってはそれも憚られた。

『にゃうん──流石に君の具合が悪いのに、攻めるようなことはしない』
「それを聞いて安心しました」

 それでも尚、エステルは体を横には倒さなかった。ライナスの前でだらしない姿を晒すわけにはいかない。

「……殿下?」
『みゃん──なんだ?』
「震えて……」
『みゃ……──え……』

 エステルの隣に腰掛けるライナスの手がガタガタと震えていた。反対側の手で押さえつけるが、震えが止まらない。

『うにゃ──気が抜けてしまったのかもしれない……』
「大丈夫ですか?」
『にゃう──父上のあんな姿……! 私はこれからどうすれば……!』
「殿下……」

 目を固く瞑ったライナスは、拳を握りしめ顔を伏せる。大きな体も美しい声も、ガタガタと震えていた。

『みゃう──嘘だ……父上……どうすれば……』
「殿下! お気を確かに、殿下っ!」
『いやだ……怖い……』

 怯えてしまうのも無理はない。ライナス本人も猫化が進み、人の文字も書けなくなった。それだけでも彼は怯えていたというのに。

 おまけに父──国王は獣のような姿になり果てた。国民たちが知れば、混乱は免れない。指導者を失い、ただでさえ半猫化現象で混乱状態な国内がどうなってしまうのかなど、容易に想像がつく。

 こんな状態のライナスに、国王の心の声が聞こえなかったと伝えるのはあまりにも酷だろう。恐らくは猫化の進行によるものなのだろうと思われるが、目の前で震える彼に、これ以上の負担をかけたくはなかった。

 それでも、この国の指導者はライナスしかいないのだ。エステルは心を鬼にして言葉をかける。

「あなた様がこの国を引っ張るしかないのですよ!」
『無理だ、僕には』

 力なく首を横に振る姿に、こちらの胸までぎゅっと詰まってしまう。一番苦しいのはライナス本人なのに。

(それでも、殿下がこれだと……この国はどうなるの!)

 器はあるはずだ。ライナスに足りないのはきっと自信だけ。

 いつまでも震えたまま顔を上げないライナスの顎を掴み、エステルは無理矢理に上を向かせた。

「ライナスッ! しっかりしなさい!」

 ぱんっ──と乾いた音が響く。エステルの手がライナスの頬を打った音だ。

「お……お嬢様!?」

 沈黙を破ったのは状況を全く理解できないままだったベルナールだった。彼の声にエステルはハッと我に返り頭を下げた。

(わたくしったら……! 何ということを!)

 弱気なままの王太子を、いつまでも見ていられなかったのだ。誰かが叱責せねば、この国は滅びの道を辿ってしまうかもしれないと思うと、体が勝手に動いてしまった。

「も……申し訳ありませんっ!」
『うにゃ──いや、ありがとう。目が覚めた』

 エステルの頭にふわりと伸びてきた手は、彼女の頭を撫でつける。心地の良い温かさに、頬までが熱くなってゆく。

「冷やすものを……!」
『にゃう──なに、大して痛くもない。大丈夫だ』
「けれど……」
『にゃーん──ならば君の冷たい手で触れてくれる?』

 大きな手がエステルの手首を持ち上げる。彼女の冷たい手は、ライナスの頬に押し当てられた。

『本当に体温が低いな』
「あの、何故……」
『みゃうん──先程抱えた時に腕が冷たくて驚いたんだ。それで』

 低体温な自覚はあったが、そんなことまで言い当てられてしまうのは何だか恥ずかしかった。



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