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30話 エピローグ2
しおりを挟む僕が領主に戻ったと聞いて、かつて両親に仕えてくれていた使用人たちが、待っていたと言わんばかりに帰って来てくれた。
当時の執事長が『アッシュへ』と書かれた父のレシピノートを差し出した時は、涙が出そうになった。
知らない間にたくさんの人の想いを寄せられていたことに、今更ながら気付く。
オリバー様と結婚して辺境領に住むのだといえば、寂しいと言いながらも屋敷の管理は任せて欲しいと言ってくれた。
本当に頼もしい。
クロイツ領主邸はかつての姿を取り戻しつつあった。
崩れた壁も修復を終え、薬草園には新しく植えた薬草が芽吹き始めた。
屋敷には笑顔が戻り、執事や使用人たちの朗らかな声が響いている。
そんな音を聞きながら仕事をしていると、ノックが響いた。
返事をすると、執事長がお客様を案内してきた。やってきたのはグレイ伯爵だった。
仕事の手を止め、ソファーへ移動してお茶とお菓子を用意する。
向かい合わせに座ると、オリバー様も当然のように僕の隣に腰掛けた。
多くの処理はすでにグレイ伯爵が済ませてくれていたとオリバー様に聞いていたので、深く頭を下げる。
差し出されたのは、クロイツ正式領主としての証書と、共同運営を認可する仮の書状。
正式なものはもう少し後に届くようだ。
たった数枚の紙なのに、手の中でずっしりとした重みを感じた。
新しい責務と、それを支えてくれた人々の想いが、静かに胸に込み上げる。
そんな僕の様子を見て、グレイ伯爵はお茶を一口飲み、優しい眼差しを向けてくれた。
「この薬草茶はうまいな」
「でしょう?」
グラフィカで作った薬草茶は少しずつ広がっていっている。
もう一度味わうようにカップへ口をつけたグレイ伯爵が、僕を確かめるように見つめた。
「アッシュ、体の具合はどうだい?」
「もう問題ありません」
元気に答えた僕をじっと見たあと、本当かと確認するようにオリバー様へ目を向ける。
「昨日、俺の目を盗んで調合実験をしていたくらいには大丈夫ですね」
「!? バレて……!」
「すぐ戻ってきたから見逃しただけだよ」
「……うう。気配を消す薬、作ろうかな」
「やめなさい」
僕らのやり取りを見て、グレイ伯爵は声を殺しながら笑った。
しまった、グレイ伯爵の前だった。
すぐに咳払いをして、表情を引き締める。
「グレイ伯爵、何から何までありがとうございました」
「いや、元気になってくれて本当に良かった。もしも君を失っていたらライルに顔向けできないところだったよ」
ライルは僕の父の名で、爵位を超えて友人関係にあった二人は頻繁に交流していた。
僕も小さい頃はよくついていって遊んでもらったものだ。
「手を尽くしてくださりありがとうございます。ですが、クロイツとの共同運営をお任せしてしまって本当にいいのですか?」
グレイ伯爵領だってかなりの広さがあるのに、狭くて隣だとはいえ、二つの領地を気にするのは大変なはずだ。
「私なら問題はないよ。……それに、アッシュはオリバー卿が好きなのだろう?」
「はい」
「だったら好きな人と一緒にいなさい。ライルならきっとそう言ったよ。君たちには妻を助けてもらった借りがあるんだ」
たち、には両親も含まれているんだ。
「ありがとうございます」
立ち上がったグレイ伯爵は僕の傍まできて、くしゃりと父と同じ仕草で頭を撫でてくれる。
その感触に目を細めてされるがままになっていると、ふいにその温もりが消えた。
不穏な気配に顔を上げると、オリバー様が間に立っていた。
「その辺でアッシュを放してもらえますか?」
「やれやれ、嫉妬深いな」
「あいにく、全部知っていても愛してくれるので」
「……よく言う」
胸を張るオリバー様と、首を傾げるグレイ伯爵。
そのギャップが面白くて笑ってしまう。
「アッシュ」
「はい」
改まってグレイ伯爵に呼ばれ、顔を上げる。
僕を見ると、少し真面目な表情に変わった。
「クロイツに陞爵の話があった。近いうちに王都から知らせが届くよ」
まさかの一言に、思わず瞬きをする。
クロイツ領を乗っ取った伯父の一件は本人の死とともにあっという間に国中へ広まっていたが、それにしても急展開すぎる。
「……そんな、早すぎませんか?」
「君の両親が成した功績と、グラフィカ辺境領での君自身の活躍によるものだ。長年の噂がようやく現実になる。よかったね」
「……」
あまりにいろいろなことが続きすぎて、感情が追いつかない。
嬉しいはずなのに、実感が湧かない。
「アッシュ、よかったな」
呆然としている僕の肩をオリバー様が優しく叩く。
その感触がじわりと胸に喜びを呼び起こす。
オリバー様の顔は、僕よりも誇らしげで、それを見ているだけで笑顔になれた。
「はい!」
父と母が守り続けた名と志が、ようやく正しい形で報われようとしている。
受け継いだ信念。
錬金術は人を助けるためのもの。
それは間違っていなかったのだと信じることができる。
ここはクロイツ男爵領ではなく、クロイツ子爵領となるんだ。
「次に会うのは結婚式かな? 今度はそう長く待たせないでくれよ?」
「帰ったらすぐ挙げる予定なので、あまりお待たせしません」
「そうか」
オリバー様は大人げなく僕を抱き寄せ、グレイ伯爵の手の届かない場所まで下がった。
「はいはい、嫉妬深い旦那様だ。では邪魔者は退散するとしよう」
「色々ありがとうございました!」
「そうだ、泣かされたらうちの領地に来なさい。いつでも歓迎するよ」
「泣かせない!! お帰りはあちらです!!」
僕を抱いたまま、オリバー様が出口の方を指し示す。
グレイ伯爵は苦笑しながら僕の頭をもう一度くしゃりと撫で、満足げに頷いて屋敷を後にした。
夕陽が窓から差し込み、部屋を金色に染めていた。
その中で、オリバー様がため息をつく。
「アッシュ、君は誰も彼も魅了して全く目が離せない」
オリバー様の腕の中で反転し、向かい合わせになって抱き着いた。
「でも、僕が愛しているのはオリバー様。あなたです」
「……! アッシュ!」
強く抱きしめ合う。
僕はこの人と共に生きていく。
そう決めた。
「僕は、あなたの傍をもう離れたりしません」
「アッシュ。俺も君をもう二度と離さない」
オリバー様の言葉に頷きながら、未来が明るく広がるのを感じた。
外では春を告げる風が吹いていた。
それは、新しい日々の始まりを教えてくれるようだった。
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