10 / 28
10
しおりを挟む
「……何ですか、この空間は。知性の墓場(スラム)ですか?」
翌朝、イザベルは公爵邸の最上階にある広大な図書室に足を踏み入れ、絶句した。
そこには数千冊の古文書や地図、領地の記録が保管されていたが、分類法は「なんとなく年代順」という、彼女にとって最も忌むべき非効率の極致だった。
「お言葉ですが公爵様。これでは必要な情報を探すのに、平均して十五分のロスが発生します。これは人生という限られたリソースの浪費以外の何物でもありません」
「……イザベル。ここは歴史ある図書室だ。歴代の公爵たちが、その時の気分で……いや、独自の感性で積み上げてきたものなんだが」
アリストテレス公爵が少し気まずそうに目を逸らす。
図書室の管理を任されている老司書、セバスもまた、震える手で眼鏡を直した。
「そ、そうですぞ! この乱雑さこそが歴史の重み。どこに何があるか分からぬ中から、偶然の一冊に出会う……それこそが読書の醍醐味では……」
「却下します、セバスさん。偶然の出会いなど、単なる『検索システムの不備』に過ぎません。……いいですか、情報は活用されて初めて価値(バリュー)を持ちます。埋もれているのは存在しないのと同じです」
イザベルの瞳に、かつてないほどの鋭い光が宿った。
彼女はドレスの裾をピンで留めると、素早く袖をまくり、傍らにあった脚立を軽々と引き寄せた。
「これより、この図書室を『ノアール公国ナレッジ・データベース』へと再構築(アップデート)します。セバスさんは私の右側に。公爵様は左側に。……私がお出しした本を、指定のカテゴリーに分類して配置しなさい。……始めます!」
そこからのイザベルは、もはや人間ではなかった。
彼女は棚から次々と本を抜き出し、中身を一秒でスキャンし、即座に指示を飛ばしていく。
「これは『領内徴税記録(一四〇〇年代)』、歴史資料カテゴリーへ。これは『薬草の効能図鑑』、実用書カテゴリーの医療棚。……あら、これは公爵様の曾祖父様が書かれた自作のポエム集ですね? ……迷わず『廃棄予定』の箱へ!」
「ま、待て! それは……一応、我が家の家宝というか、黒歴史というか……!」
「黒歴史こそ、物理的なスペースを占有する最たる不経済です。データとして要約だけ残せば十分ですわ」
イザベルの手の動きは残像が見えるほどの速度(ハイスピード)に達していた。
セバスとアリストテレスは、彼女の熱気と論理性、そして圧倒的な「情報処理能力」に圧倒され、黙々と指示に従うしかなかった。
「公爵様、動きが五パーセント遅延しています。糖分が不足していますか? ……あ、セバスさん! その古文書は防虫処理が不十分です。今すぐ乾燥剤を発注しなさい」
「は、ハイッ! ただいま!」
「いいですか、分類の基本は『MECE(漏れなく、ダブりなく)』です。曖昧な感情で本を置かないでください。……ふふ、楽しいですわ。バラバラだったパズルが、あるべき場所へ収まっていく……。これこそが、知性のデフラグメンテーションですわ!」
数時間後。
埃っぽかった図書室は、手術室のような清潔感と、一寸の乱れもない秩序に支配されていた。
全ての背表紙は完璧に揃い、独自の「イザベル式インデックス」によって、目的の本が三秒以内に取り出せるようになっている。
アリストテレスは、肩で息をしながら、新しく生まれ変わった図書室を見渡した。
「……信じられん。三日はかかると言われた整理が、午前中だけで終わったのか。……イザベル。君の瞳、今は本当に宝石のように……いや、検索エンジンのように輝いているな」
「……お褒めに預かり光栄ですわ、公爵様。おかげで、この領地の『致命的な非効率』もいくつか発見できました」
イザベルは一冊の古い地籍図を広げ、アリストテレスに突きつけた。
「この図面、最新の測量結果と照らし合わせると、東部の鉱山跡地の所有権が曖昧になっています。ここを整理して再開発すれば、領地の収益は年間で二割改善しますわ。……プロポーズの際におっしゃいましたわね? 『やりたいプロジェクトの予算はすべて承認する』と」
「……ああ。言ったとも。……早速、その鉱山再開発プロジェクトの立案を任せていいか?」
「承知いたしました。承認ありがとうございます。……公爵様。こうして仕事がスムーズに進むと、アドレナリンが出て、精神的コストが非常に安く済みますわ」
イザベルは満足げに微笑むと、ふらりとよろめいた。
さすがの彼女も、脳のフル回転で疲労が蓄積したらしい。
アリストテレスは反射的に彼女の腰を支え、そのまま腕の中へと抱き寄せた。
「……やりすぎだ、私の事務の女神様。……少し休め。君が過労で倒れるのは、我が公爵家にとって最大の『損失』だ」
「……損失、ですか。……そうですね。私のダウンタイムは、一時間につき金貨十枚分の機会損失に相当します。……ですから、こうして公爵様の体温を利用して、効率的に体力を回復させていただきますわ……」
イザベルはアリストテレスの胸に顔を埋め、小さな寝息を立て始めた。
アリストテレスは、その愛らしい重みを噛み締めながら、彼女を優しく抱きしめた。
一方、その頃。
元の王国では、ウィルフレッド王子が「イザベルが作った暗号化された予算管理簿」が解読できず、叫び声を上げていた。
「この『マクロ』とかいう呪文は何だ! 数字が……数字が勝手に計算されて、エラーを吐き出し続けている! イザベルを呼べ! 今すぐ、拷問してでも解かせろ!」
「殿下、イザベル様を拷問するなど、隣国の公爵が黙っておりません。……それよりも、手計算で一からやり直すのが最も『確実』かと……」
「……一からだと!? これ、何十万件あると思っているんだ!!」
王国の事務処理能力は、ついに石器時代へと退行し始めていた。
翌朝、イザベルは公爵邸の最上階にある広大な図書室に足を踏み入れ、絶句した。
そこには数千冊の古文書や地図、領地の記録が保管されていたが、分類法は「なんとなく年代順」という、彼女にとって最も忌むべき非効率の極致だった。
「お言葉ですが公爵様。これでは必要な情報を探すのに、平均して十五分のロスが発生します。これは人生という限られたリソースの浪費以外の何物でもありません」
「……イザベル。ここは歴史ある図書室だ。歴代の公爵たちが、その時の気分で……いや、独自の感性で積み上げてきたものなんだが」
アリストテレス公爵が少し気まずそうに目を逸らす。
図書室の管理を任されている老司書、セバスもまた、震える手で眼鏡を直した。
「そ、そうですぞ! この乱雑さこそが歴史の重み。どこに何があるか分からぬ中から、偶然の一冊に出会う……それこそが読書の醍醐味では……」
「却下します、セバスさん。偶然の出会いなど、単なる『検索システムの不備』に過ぎません。……いいですか、情報は活用されて初めて価値(バリュー)を持ちます。埋もれているのは存在しないのと同じです」
イザベルの瞳に、かつてないほどの鋭い光が宿った。
彼女はドレスの裾をピンで留めると、素早く袖をまくり、傍らにあった脚立を軽々と引き寄せた。
「これより、この図書室を『ノアール公国ナレッジ・データベース』へと再構築(アップデート)します。セバスさんは私の右側に。公爵様は左側に。……私がお出しした本を、指定のカテゴリーに分類して配置しなさい。……始めます!」
そこからのイザベルは、もはや人間ではなかった。
彼女は棚から次々と本を抜き出し、中身を一秒でスキャンし、即座に指示を飛ばしていく。
「これは『領内徴税記録(一四〇〇年代)』、歴史資料カテゴリーへ。これは『薬草の効能図鑑』、実用書カテゴリーの医療棚。……あら、これは公爵様の曾祖父様が書かれた自作のポエム集ですね? ……迷わず『廃棄予定』の箱へ!」
「ま、待て! それは……一応、我が家の家宝というか、黒歴史というか……!」
「黒歴史こそ、物理的なスペースを占有する最たる不経済です。データとして要約だけ残せば十分ですわ」
イザベルの手の動きは残像が見えるほどの速度(ハイスピード)に達していた。
セバスとアリストテレスは、彼女の熱気と論理性、そして圧倒的な「情報処理能力」に圧倒され、黙々と指示に従うしかなかった。
「公爵様、動きが五パーセント遅延しています。糖分が不足していますか? ……あ、セバスさん! その古文書は防虫処理が不十分です。今すぐ乾燥剤を発注しなさい」
「は、ハイッ! ただいま!」
「いいですか、分類の基本は『MECE(漏れなく、ダブりなく)』です。曖昧な感情で本を置かないでください。……ふふ、楽しいですわ。バラバラだったパズルが、あるべき場所へ収まっていく……。これこそが、知性のデフラグメンテーションですわ!」
数時間後。
埃っぽかった図書室は、手術室のような清潔感と、一寸の乱れもない秩序に支配されていた。
全ての背表紙は完璧に揃い、独自の「イザベル式インデックス」によって、目的の本が三秒以内に取り出せるようになっている。
アリストテレスは、肩で息をしながら、新しく生まれ変わった図書室を見渡した。
「……信じられん。三日はかかると言われた整理が、午前中だけで終わったのか。……イザベル。君の瞳、今は本当に宝石のように……いや、検索エンジンのように輝いているな」
「……お褒めに預かり光栄ですわ、公爵様。おかげで、この領地の『致命的な非効率』もいくつか発見できました」
イザベルは一冊の古い地籍図を広げ、アリストテレスに突きつけた。
「この図面、最新の測量結果と照らし合わせると、東部の鉱山跡地の所有権が曖昧になっています。ここを整理して再開発すれば、領地の収益は年間で二割改善しますわ。……プロポーズの際におっしゃいましたわね? 『やりたいプロジェクトの予算はすべて承認する』と」
「……ああ。言ったとも。……早速、その鉱山再開発プロジェクトの立案を任せていいか?」
「承知いたしました。承認ありがとうございます。……公爵様。こうして仕事がスムーズに進むと、アドレナリンが出て、精神的コストが非常に安く済みますわ」
イザベルは満足げに微笑むと、ふらりとよろめいた。
さすがの彼女も、脳のフル回転で疲労が蓄積したらしい。
アリストテレスは反射的に彼女の腰を支え、そのまま腕の中へと抱き寄せた。
「……やりすぎだ、私の事務の女神様。……少し休め。君が過労で倒れるのは、我が公爵家にとって最大の『損失』だ」
「……損失、ですか。……そうですね。私のダウンタイムは、一時間につき金貨十枚分の機会損失に相当します。……ですから、こうして公爵様の体温を利用して、効率的に体力を回復させていただきますわ……」
イザベルはアリストテレスの胸に顔を埋め、小さな寝息を立て始めた。
アリストテレスは、その愛らしい重みを噛み締めながら、彼女を優しく抱きしめた。
一方、その頃。
元の王国では、ウィルフレッド王子が「イザベルが作った暗号化された予算管理簿」が解読できず、叫び声を上げていた。
「この『マクロ』とかいう呪文は何だ! 数字が……数字が勝手に計算されて、エラーを吐き出し続けている! イザベルを呼べ! 今すぐ、拷問してでも解かせろ!」
「殿下、イザベル様を拷問するなど、隣国の公爵が黙っておりません。……それよりも、手計算で一からやり直すのが最も『確実』かと……」
「……一からだと!? これ、何十万件あると思っているんだ!!」
王国の事務処理能力は、ついに石器時代へと退行し始めていた。
11
あなたにおすすめの小説
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです
古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。
皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。
他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。
救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。
セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。
だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。
「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」
今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる