婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
19 / 28

19

しおりを挟む
地下要塞――もとい、ルシアンの『執筆ルーム』が完成して数日。

彼女の生活は劇的に改善されていた。

朝、目覚めるとそこは完全防音の地下寝室。鳥の声も風の音もしない。

キースが運んでくる朝食を食べ、優雅にコーヒーを飲み、そのまま隣の『執筆室』へ移動してペンを走らせる。

疲れたら天然温泉で汗を流し、サウナで整う。

「……天国ね」

ルシアンは羽ペンを置き、ふぅと息をついた。

地上の『聖女騒動』がどうなっているかは知らない。

たまにキースが「……供物が増えた」「……賽銭箱が設置された」と報告してくるが、地下にいれば対岸の火事だ。

「この静寂さえあれば、私は一生ここで暮らせるわ」

ルシアンが満足げに伸びをした、その時だった。

ビーッ! ビーッ! ビーッ!

突如、部屋の壁にある赤いランプが点滅し、警告音が鳴り響いた。

「な、なに!?」

ルシアンが飛び上がると、壁のスピーカーからキースの緊迫した声が聞こえてきた。

『……ルシアン、緊急事態だ。……第一防衛ラインが突破された』

「敵襲!? お父様の私兵団ですか!?」

『……違う。……もっと厄介な奴だ』

キースの声に、珍しく焦りが混じっている。

『……ピンク色の、音波兵器だ』

「あ」

ルシアンは全てを悟った。

その瞬間、重厚な鉄の扉の向こうから、微かに、しかし確実に、あの声が聞こえてきたのだ。

「おぉぉぉぉねぇぇぇぇさぁぁぁぁまぁぁぁぁ~~~!!!」

「ヒッ!?」

地下深くなのに。

何重もの防音壁があるのに。

ミナの声は、物理法則を無視して鼓膜に届いた。

「開けてくださいましぃぃぃ! アラン様への『愛の賛歌(自作・全18番)』が完成しましたのぉぉぉ! ぜひ一番最初に聴いていただきたくてぇぇぇ!!」

「嫌です! 死んでも嫌です!」

ルシアンは扉に向かって叫んだ。

『……奴め、換気ダクトから声を送り込んでやがる』

キースが舌打ちする。

『……ルシアン、ここも危険だ。……最終シェルターへ退避しろ』

「最終シェルター?」

『……例の、「完全無音室」だ。……あそこなら、換気口も特殊フィルター付きだ。……奴の声も届かない』

「わ、わかりました!」

ルシアンは原稿を抱えて部屋を飛び出した。

廊下に出ると、換気口からミナの歌声(ジャイアン級)が響き渡っている。

『ア~ラ~ン~様~♪ 貴方の瞳は~ ブラックホール~♪(不協和音)』

「ぐっ……! 頭が……!」

ルシアンは耳を塞いで走った。

廊下の向こうからキースも走ってくる。

「……こっちだ!」

彼はルシアンの手を引くと、一番奥にある白い扉を開け、二人で転がり込んだ。

バタンッ!

カチャリ。

重いロックがかかる音がして、密閉される。

その瞬間。

シーン……。

世界から、音が消滅した。

ミナの殺人級の歌声も、警告音も、自分たちの足音さえも。

全てが吸音材に吸い込まれ、完全なる『無』になった。

「…………」

「…………」

ルシアンは肩で息をしていたが、その呼吸音さえ聞こえにくい。

ここは、本来『執筆用』に作られた部屋だが、今は『避難所』として機能している。

広さは四畳半ほど。

その狭い空間に、ルシアンとキース、二人きり。

「……助かった……」

ルシアンは口パクで言ったつもりだったが、この静寂の中では、囁き声でもクリアに聞こえた。

「……ああ。……危ないところだった」

キースが壁に背を預け、額の汗を拭う。

「……奴の『愛の力』は、俺の結界をも凌駕するらしい。……まさか、換気扇の排気口から逆流してくるとは」

「ゴキブリ並みの生命力ですね……」

ルシアンは床に座り込んだ。

まだ心臓がバクバクしている。

だが、不思議と恐怖は去っていた。

この部屋の静けさが、荒ぶる神経を急速に鎮静化させてくれる。

「……静かですね」

「……完全無音室だからな」

キースもルシアンの隣に腰を下ろした。

距離が近い。

肩が触れ合う距離だ。

普段なら「近い」と文句を言うところだが、今はその体温が心地よかった。

「……外では、まだ歌っているのかしら」

「……おそらく。……十八番まで歌うと言っていたから、あと二時間は続くだろう」

「二時間、ここに缶詰めですか……」

ルシアンは苦笑した。

密室。

無音。

そして、頼れる(ストーカー気質の)騎士様。

状況だけ見れば、恋愛小説のワンシーンのようだ。

「……キースさん」

「……ん」

「貴方、心臓の音がうるさいですよ」

ルシアンが指摘すると、キースはビクリとして胸を押さえた。

「……聞こえるか」

「ええ。ここ、静かすぎますから。……ドクンドクンって、早鐘のように」

「……お前もだ」

キースがルシアンを見つめる。

「……お前の心音も、聞こえる」

「ッ……」

ルシアンは顔を赤くした。

自分の緊張が、音として筒抜けになっているなんて。

恥ずかしい。

でも、嫌じゃない。

音のない世界で、お互いの『命の音』だけが響き合う。

それは言葉よりも雄弁で、どんな愛の言葉よりも親密なコミュニケーションのように思えた。

「……不思議ね」

ルシアンは膝を抱えた。

「私は一人が好きなはずなのに。……貴方の音が聞こえると、ホッとするわ」

「…………」

キースは何も言わなかった。

ただ、そっとルシアンの手の上に、自分の手を重ねた。

大きく、温かい手。

「……俺もだ」

彼は静かに言った。

「……戦場は、いつも騒がしかった。……悲鳴、爆発音、命令の声。……静寂なんて、死ぬ時以外にはないと思っていた」

彼の手が、ルシアンの指を優しく絡め取る。

「……だが、お前との静寂は、生きている心地がする」

「…………」

ルシアンの胸が高鳴る。

心拍数が上がり、その音がまた部屋に響く。

「……うるさくなりましたね、私」

「……いい音だ」

キースはルシアンの方へ体を向けた。

その瞳が、熱を帯びて至近距離で見つめてくる。

「……キスしても、いいか」

「!!」

直球すぎる確認。

ルシアンは真っ赤になって俯いた。

「……ここは、神聖な執筆室ですよ?」

「……今は、シェルターだ」

「……ミナの声が聞こえるかもしれない場所ですよ?」

「……聞こえない。……俺たちしかいない」

逃げ場はない。

それに、逃げたくもなかった。

ルシアンはゆっくりと顔を上げ、小さく頷いた。

「……一回だけですよ。……心臓がうるさくて、恥ずかしいから」

キースがふわりと微笑んだ。

そして、ゆっくりと顔を近づけ――。

ドンッ!!

突然、部屋全体が大きく揺れた。

「!?」

二人の唇が触れる寸前で、お互いの額がゴチンとぶつかる。

「いっ……!」

「……なんだ!?」

警報ランプが激しく点滅し、スピーカーからノイズ混じりの音声が流れた。

『……警告! 警告! 地下空調システムに異常発生! 外部からの過剰な音圧エネルギーにより、フィルターが破損! 爆発の恐れあり!』

「音圧でフィルター破壊!?」

ルシアンは絶句した。

ミナの歌声は、物理攻撃力を持っていたのか。

「……チッ、いいところだったのに」

キースが本気で悔しそうな顔をして立ち上がった。

「……ルシアン、ここにいろ。……俺が止めてくる」

「止めるって、どうやって?」

「……口を塞いでくる。……物理的に」

キースは般若のような形相で、扉のロックを解除した。

プシュウゥゥ……。

扉が開いた瞬間、轟音が流れ込んでくる。

『ア~ラ~ン~さ~まぁぁぁぁぁ!!(クライマックス)』

「うるせぇ!!」

キースが叫びながら飛び出していった。

残されたルシアンは、額をさすりながら、深いため息をついた。

「……本当に、ムードのない人たち」

でも。

ルシアンは自分の唇にそっと触れた。

あと数センチだった。

その距離感が、悔しいような、でも少し安堵したような。

「……次は、もっと静かな時にね」

誰にともなく呟き、彼女は小さく笑った。

この地下室も、どうやら完全な安住の地ではないらしい。

だが、彼となら、どんな騒音の中でも『二人だけの静寂』を作れるかもしれない。

そんな予感を抱きながら、ルシアンは爆音のする廊下へと、彼を追いかけて走り出した。

二人の奇妙な同棲生活――もとい、騒音との戦いの日々は、まだまだ続くようである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄から50年後

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。 そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。

これって私の断罪じゃなくて公開プロポーズですか!?

桃瀬ももな
恋愛
「カタリーナ・フォン・シュバルツ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 卒業パーティーの最中、第一王子アルフォンスから非情な宣告を突きつけられた公爵令嬢カタリーナ。 生まれつきの鋭い目つきと、緊張すると顔が強張る不器用さゆえに「悪役令嬢」として孤立していた彼女は、ついに訪れた「お決まりの断罪劇」に絶望……するかと思いきや。 (……あれ? 殿下、いま小さく「よっしゃあ!」ってガッツポーズしませんでした!?)

『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」 幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された 公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。 その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、 彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。 目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。 だが、中身は何ひとつ変わっていない。 にもかかわらず、 かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、 「やり直したい」とすり寄ってくる。 「見かけが変わっても、中身は同じです。 それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」 静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。 やがて彼女に興味を示したのは、 隣国ノルディアの王太子エドワルド。 彼が見ていたのは、美貌ではなく―― 対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。 これは、 外見で価値を決められた令嬢が、 「選ばれる人生」をやめ、 自分の意思で未来を選び直す物語。 静かなざまぁと、 対等な関係から始まる大人の恋。 そして―― 自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。 ---

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

10回目の婚約破棄。もう飽きたので、今回は断罪される前に自分で自分を追放します。二度と探さないでください(フリではありません)

放浪人
恋愛
「もう、疲れました。貴方の顔も見たくありません」 公爵令嬢リーゼロッテは、婚約者である王太子アレクセイに処刑される人生を9回繰り返してきた。 迎えた10回目の人生。もう努力も愛想笑いも無駄だと悟った彼女は、断罪イベントの一ヶ月前に自ら姿を消すことを決意する。 王城の宝物庫から慰謝料(国宝)を頂き、書き置きを残して国外逃亡! 目指せ、安眠と自由のスローライフ! ――のはずだったのだが。 「『顔も見たくない』だと? つまり、直視できないほど私が好きだという照れ隠しか!」 「『探さないで』? 地の果てまで追いかけて抱きしめてほしいというフリだな!」 実は1周目からリーゼロッテを溺愛していた(が、コミュ障すぎて伝わっていなかった)アレクセイ王子は、彼女の拒絶を「愛の試練(かくれんぼ)」と超ポジティブに誤解! 国家権力と軍隊、そしてS級ダンジョンすら踏破するチート能力を総動員して、全力で追いかけてきた!? 物理で逃げる最強令嬢VS愛が重すぎる勘違い王子。 聖女もドラゴンも帝国も巻き込んだ、史上最大規模の「国境なき痴話喧嘩」が今、始まる! ※表紙はNano Bananaで作成しています

君といるのは疲れると言われたので、婚約者を追いかけるのはやめてみました

水谷繭
恋愛
メイベル・ホワイトは目立たない平凡な少女で、美人な姉といつも比べられてきた。 求婚者の殺到する姉とは反対に、全く縁談のなかったメイベル。 そんなある日、ブラッドという美少年が婚約を持ちかけてくる。姉より自分を選んでくれたブラッドに感謝したメイベルは、彼のために何でもしようとひたすら努力する。 しかしそんな態度を重いと告げられ、君といると疲れると言われてしまう。 ショックを受けたメイベルは、ブラッドばかりの生活を改め、好きだった魔法に打ち込むために魔術院に入ることを決意するが…… ◆なろうにも掲載しています

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

処理中です...