孔雀色の空の下

萩尾雅縁

文字の大きさ
20 / 26

屋根裏の友人

しおりを挟む
 僕の家の屋根裏部屋は不思議なガラクタで一杯だ。

 子供の頃遊んだ木馬が、キイキイ揺れる。
 オルゴールが思いだしたように、とつぜん歌いだす。
 床いっぱいに敷かれた木製レールの上を、車輪の壊れた赤い電車がカタカタと走る。

 窓を見下ろす壁の肖像画がウインクして教えてくれる。
 移動する時は気をつけて。積み上げられた本の山が、いきなり崩れて雪崩をおこしてしまうから。




 僕は出窓に腰かけて、モスグリーンの窓枠にめいっぱい顔を寄せ、玄関から続く小さなアプローチの先の黒い鉄製の門を見下ろしていた。

「また、あいつだ!」

 男が門脇に佇んでこの家を見上げている。以前勤めていた会社の同僚だ。
 舌打ちして、シャッとレースのカーテンを引く。

「どうしたの?」
「べつに。どうでもいい奴さ」

 僕の返答に、彼は、「ふーん」と喉を鳴らしニヤリと笑った。




 この屋根裏部屋に籠るようになってから、もうどれほどになるだろう? 

 ここには何でもあるから、外に出る事もとんとなくなってしまった。
 一つだけある小さな出窓から朝日が射し、やがて夕闇に染まり、また暗闇に閉ざされるまで、日がな一日この部屋で過ごすのだ。埃を被った本をひっぱり出して読んだり、彼の教えてくれる図形を床の上にチョークで描いてみたりして――。
 ただ、窓の外の色だけが変わっていく。青から茜色、紺青から闇色へ。そして夜明けの金色。繰り返されるこの静かな日常を、僕は気に入っている。






 この屋根裏部屋の窓からは、広い世界が見渡せる。

 窓枠にもたれて、アプローチから続く門の先、白樺の並木道から十字路を経て、さらに奥にある小高い丘へと目を向ける。

 それが朝夕の僕の日課だ。

 毎朝決まった時間に、一人の少年がこの家の前を通って丘の上の学校へ行く。そして夕方になると、決まった時間に同じ道を逆に通って家へ帰っていく。

 この少年を眺めているのだ。

 彼が時々立ち止まり、この家を見上げて吐息を漏らすのを。

 なぜかって? この家のかつての女主人、僕の妻だった女が自分の本当の母親だって、彼は知っているからさ。
 だからああやって、毎日一目でも逢えないものかと、遠回りしてこの家の前を通って学校へ通う。
 きみの母親は、もうこの世にはいないのにね。

 この憐れな少年を、僕は高みから見守っているんだ。





 あの少年、明日からはもう学校へ行くこともないよ。
 ほら、丘の上の体育館から悲鳴が聞こえただろう? あれが彼の断末魔だ。
 試合に負けたのは彼のせいではないのにね。
 よってったかって殴られて。

 ある日、彼が楽しそうな声でそう告げた。
 白い顔がガラスに映り、僕に囁きくすくすと笑う。首に回された腕が、僕を抱き締めて囁く。

 外の世界は怖いね――、と。


 僕はあの少年の白い顔を思い浮かべた。
 妻に良く似た美しい子だった。

「彼は死んでしまったのかい? それとも、今ならまだ助かるかい?」

 僕の問いに、彼はくっくと喉を鳴らして可笑しそうに笑った。

「助けてあげたいの?」

 彼の笑い声がけたたましく響く。
 狭い部屋にケタケタと木霊こだまする。
 オルゴールも、肖像画も、あの優しい木馬までが笑いだす。


 助けたいの? 助けたいの? 助けたいの? ――と。






「我慢するのは嫌いだよね?」

 少年は大きな衣装箱の上に腰かけて、かび臭い本の頁を紐解いていた。
 とくに返事はしなかった。どれが喋ったのか、判らなかったから。

「我慢しなくていいんだよ」

 ミシミシと響く天井。
 ブラブラと揺らしていた少年の足首を、白い手が掴む。
 少年は鬱陶うっとうしそうに足を跳ねあげて、その白い手を振り払う。

「あと何日?」

 僕は声に問いかけた。
 さざ波のような笑い声が空気を揺らした。


 我慢なんかしていないさ。
 ここは、すごく快適だよ。快適だよ。かいてきだよ――。


 くぐもった声が狭い屋根裏部屋に木霊する。






 きつい百合の芳香が風にのってこの部屋まで入り込んでいた。
 開け放たれた窓から身を乗りだして覗き下ろした。

「きみ、お父さんはご在宅かな?」

 僕に気づいた男が、この窓を仰ぎ見る。
 ああ、あのしつこい元同僚だ。

「お見舞い? 白百合を抱えて?」

 僕は甲高い声で応えた。
 おかしくて堪らなかった。腹から湧きあがる歓喜で踊りだしてしまいそうだ。

 白百合だなんて! 死者に手向ける花だろ? 

 とうとうこいつは勘づいたんだ。だから、あの女に捧げる白百合を抱えてやってきた。

 それなのに――。

「あいつは僕が判らないんだ!」

 窓に背を向け小さく叫んだ。弾けるように笑ったよ。

 その僕の笑い声に、低い声が重なる。
 まるで二重奏だ。






 パトカーのヘッドライトがいくつも夜空に反射していた。

 僕は出窓に腰かけて、慌ただしく動きまわる警官たちを眺めていた。にやにやと緩む口元を両手で覆って、ふせた顔から上目遣いに。

 衣装箱から僕の干からびた体と、あの女の白い骨が運びだされていく。

「見ちゃいけない」

 優しそうな刑事が僕を庇うように抱きしめる。

「邪魔だな、見えないじゃないか」

 窓ガラスに映る僕の顔。僕を裏切った妻にそっくりな顔。
 その顔の横で白い顔が笑いながら囁いた。
 その声は、刑事には聞こえない。その姿も彼には見えない。
 僕は肩を震わせて笑った。まるで泣いているように唇を歪めて。





 僕は惨めな醜い身体を捨て、この屋根裏部屋を捨てた。

 若々しい身体で僕は庭を駆け回る。
 伸び放題の芝生の、何年かぶりで踏みしめた柔らかな大地。
 遠い記憶を揺さぶる不思議な感触がする。
 
「おいおい、」

 地面に伸びる僕の影が声をあげた。

「あんまり浮かれて忘れていないかい? ちゃんと狩りをするんだよ」



 僕はもう歳を取らない。死ぬ事もない。
 その見返りに、彼を影に潜ませて、彼の餌を狩らなきゃならない。

 僕は彼と契約したのだ。
 この身体を活かす見返りに、この素敵な友人と共に生きることを。
 そうして僕は、僕を嫌った妻と同じ顔をした少年として生きていく。
 美しさを鼻にかけ、僕をさげずんでいたあの顔で。
 こんな楽しいことはないじゃないか。

 だから狩りくらい、なんてことはない。平気さ。
 ほら、餌の方からやって来た。
 白百合を抱えて。

 だって、こいつがこの身体の本当のパパだもの。
 親友だった僕を裏切り、妻を寝取った男だ。
 生まれてすぐに養子に出した子どもを、ずっと探していたんだって?


 おめでとう! さぁ、涙のご対面だ!


 僕の背後で開け放たれた屋根裏部屋の窓が、風に揺られてキィキィ音を立てて揺れていた。

 まるで笑い声を立てているように――。






 この身体のパパに連れていかれたのは、白い四角い建物だった。
 あの刑事さんがいた。
 刑事さんは、刑事ではなく医者だと名乗った。
 そして、椅子と椅子を向かい合わせて僕の手を握って言った。

「お父さんや、お母さんのことを覚えているかい?」

 僕はチラリと、医者の背後に立つあの男を見た。

「心配ないよ。彼は民生委員さんなんだよ」

 医者は注意を引き戻すように、僕の手を強く握った。


 僕は記憶もないほど小さな頃、あの家に住んでいた男に誘拐されたのだという。そして何年もの間、監禁されていたのだという。
 あの家に食料品を届けていた雑貨屋が、注文が途絶えたことから不信に思い、警察に連絡したのだそうだ。
 子供のいないはずの家から子供の声がする、と、それまでにも何度も民生委員があの家を訪れていた。だが、中に踏み込むことはできず、きみを保護するのが遅れてしまった、という。

 僕は、あの家の主人の妻の前夫との間の子供なのだそうだ。離婚の際、父親の方が引き取って育てていたのだという。男の妻が死んだ後、母親に生き写しだった僕は、妻を溺愛していた男に拐われあの家に監禁されていた――。



 良くできた話だね。

 この身体は、本当は体育館で殺されたはずの死体だからね、生きていたとなったらまずいんだろ? 

 誰だか知らない、行方不明になった子供の過去を押しつけて、丸く収めるつもりなんだ。

 それとも、この民生委員に化けている男、この少年ぼくのパパだってことがバレると困るのかい?



 まぁ、どっちだっていいよ。
 どうせお前たちは、彼の餌になるだけだから。



 ほら、僕の影が立ち上がる。
 お腹を空かして舌なめずりして待っているんだ。



 

  
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

処理中です...