【完結】怠惰な天才の夜想曲(ノクターン)~伯爵家の次男は英雄になりたくない~

シマセイ

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第四十九話:理を歪める者 vs 理を凍らせる者

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静まり返った地下儀式場。

俺と、大導師の側近『虚(うつろ)』と名乗るべきか、その無感情な暗殺者との、奇妙な戦いが始まった。

「――《風刃(ウィンド・ブレード)》」

俺は、まず、様子見として、得意の風の魔法を放った。

不可視の刃が、虚の首筋を狙って飛翔する。

だが。

虚は、それを避けるでも、防ぐでもなく、ただ、静かにその場に佇んでいるだけ。

そして、風の刃が、彼に届く寸前で、まるで陽炎のように、ふっと掻ききえてしまった。

(……なるほどな)

俺は、即座に、相手の能力の本質を理解した。

こいつは、魔力そのものに直接干渉し、その活動を、強制的に『停止』させているのだ。

術として完成された魔法であればあるほど、その効果は絶大。

まさに、魔術師殺しの、魔術師。

「厄介なこと、この上ないな」

俺の呟きに、虚は、初めて、その口を開いた。

その声は、男とも女とも、老若ともつかない、どこまでも無機質な響きを持っていた。

「……無駄だ。

貴様の『理』は、私の前では、意味を成さない」

虚が、その細い指を俺に向ける。

俺は、即座に、自分の周囲に多重の魔法障壁を展開した。

だが、虚が指を振るった瞬間、俺の魔法障壁は、ガラス細工のように、音もなく砕け散った。

「だから言った。

無駄だ、と」

「……ああ、そうらしいな」

俺は、あっさりとそれを認めた。

そして、戦い方を、根本から切り替える。

魔法が、直接的な攻撃手段として通用しないのであれば。

「――環境そのものを、俺の好きにさせてもらうだけだ」

俺は、魔法の対象を、虚本人から、この儀式場全体へと変更した。

ドゴゴゴゴッ!

虚が立っている足元の地面が、何の前触れもなく、槍のように隆起する。

虚は、それを驚異的な身体能力で回避するが、その着地地点の空気を、俺はあらかじめ圧縮し、不可視の壁を作り出していた。

「なっ……!?」

見えない壁に激突し、初めて、その無表情な顔に、わずかな動揺が浮かぶ。

俺は、その隙を見逃さない。

剣に魔力を纏わせるのではない。

剣を振るう、俺自身の腕の筋肉を、身体強化の魔法で、極限まで高める。

そして、純粋な、物理的な速度だけで、虚の懐へと踏み込んだ。

俺の振るう剣閃を、虚は、かろうじてその腕で受け止める。

だが、その無機質な瞳には、明らかに、困惑の色が浮かんでいた。

彼の『魔力凍結』は、術として完成された、指向性のある魔法には絶大な効果を発揮する。

だが、俺のような、世界の理そのものに大雑把に干渉するような使い方や、魔法によって強化された、純粋な物理攻撃には、その反応が追いつかない。

「貴様……一体、何なのだ……?
なぜ、私の理が、通用しない……?」

初めて、その無機質な声に、感情らしきものが混じった。

俺は、猛攻を続けながら、彼に問いかけた。

「それは、こっちのセリフだ。

あんた、本当に、自分の意思で戦っているのか?」

「……!」

「あんたからは、憎しみも、喜びも、悲しみも、何の感情も感じられない。

ただ、大導師とかいう奴の命令を、忠実に実行しているだけだ。

まるで、空っぽの人形みたいにな」

俺は、一度、大きく距離を取ると、静かに言った。

「……そんな生き方、面倒じゃないのか?」

その一言が、彼の心の奥底に眠っていた、何かを揺さぶったのかもしれない。

虚の動きが、一瞬だけ、確かに、止まった。

だが、彼は、すぐに首を横に振ると、その身から、これまでとは比較にならないほどの、冷気を放出し始めた。

「……雑念だ」

彼は、最後の手段に出るつもりらしかった。

自らの心臓部にある魔力核を暴走させ、この儀式場ごと、空間そのものを、絶対的な静止の世界へと変えようとしている。

自爆に近い、究極の『魔力凍結』。

「やれやれ。

結局、こうなるのか」

俺は、それを見て、ため息をついた。

「お前も、どうやら、俺と同じで、相当な面倒くさがりらしいな。

だが、悪いが、その終わらせ方は、美しくない」

俺は、暴走する虚の凍結空間に対して、炎や光といった、対極の力で対抗することはしなかった。

それでは、この儀式場にいる、セレスティーティーナ様たちが、ただでは済まない。

俺は、自らの『理を書き換える』力を、その一点に集中させる。

そして、虚が放つ、絶対的な『静止の理』そのものを、その内側から、より根源的な、『無』へと還していく。

「お前の理は、ここで終わりだ。

――安らかに、眠れ」

俺の言葉と同時に、虚の体は、自らが暴走させた力の置き場を失い、内側から、ゆっくりと崩壊を始めた。

その体は、砂のように、さらさらと、塵となって消えていく。

そして、その最期に。

彼の、ずっと無表情だった顔に、ほんの一瞬だけ。

長い苦しみから解放されたかのような、安らぎの表情が、浮かんだように見えた。

シーン、と静まり返った儀式場。

俺は、倒れているセレスティーティーナ様たちを一瞥すると、崩れた天井から差し込む、冷たい月明かりを見上げた。

「さて、と。

面倒事の根源は、とりあえず叩いたが……」

俺は、小さく呟いた。

「ここからの、後始末が、一番、面倒なんだよな、いつも」
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