【完結】怠惰な天才の夜想曲(ノクターン)~伯爵家の次男は英雄になりたくない~

シマセイ

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第五十三話(最終話):怠け者の夜明けと世界で一番のソファ

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俺が放った、黄金色の光。

それは、ただひたすらに、俺の個人的で、自分勝手で、そして、何よりも強い願いそのものだった。

『ただ、静かに、誰にも邪魔されず、ソファの上で、昼寝のできる世界』。

その、あまりに馬鹿げた、しかし、純粋な『理』は、大導師が掲げた、数千年の時をかけた壮大な理想、『古き理』の全てを、優しく、そして、完全に飲み込んでいった。

「……そうか」

光の中に消えゆきながら、大導師は、どこか満足したような、あるいは、長年の苦しみから解放されたかのような、安らかな表情を浮かべていた。

「それこそが、この時代の、何よりも強く、そして美しい、人の『理』か……。

見事だ、イレギュラーよ。

いや……アレン・フォン・ヴァインベルク……」

彼の最後の言葉は、誰に聞かせるでもなく、光の中に静かに溶けて、消えた。

禍々しい魔力は完全に浄化され、暴走していた龍脈は、元の穏やかな流れを取り戻す。

全てを支えていた力が消え、地下神殿は、ガラガラと音を立てて崩壊を始めた。

だが、もう、どうでもよかった。

「……終わった」

俺は、その場に、大の字になって倒れ込んだ。

全ての力を使い果たし、指一本、動かすのも、面倒だった。

ただ、心地よい疲労感だけが、全身を優しく包んでいた。

やがて、崩れた天井の隙間から、兄さんや、セレスティーナ様、そして、ソフィアが、必死の形相で駆けつけてくるのが見えた。

「アレン!
無事か、アレン!」

「アレン様……!」

「アレン様!
お怪我は!?」

三人が、俺の体を心配そうに覗き込む。

俺は、そんな三人の顔を、ぼんやりと見上げながら、かろうじて、一言だけ、呟いた。

「……腹、減った。

あと……眠い……」

それが、俺の、長くて、面倒な戦いの、終わりの言葉だった。



それから、数ヶ月後。

世界は、すっかり平穏を取り戻していた。

『古き理の探求者』は、その指導者を失い、完全に瓦解。

俺たちが回収した『封印の欠片』は、王都と学術都市の賢者たちの手によって、二度と悪用されることのないよう、厳重に処理されたという。

そして、俺たちの日常もまた、大きく、しかし、穏やかに変わっていった。

兄のルドルフは、一連の事件における最大の功労者として、王家から正式に称えられ、若くして、王国騎士団の副団長の地位に就いた。

父上も、そんな兄さんの姿を、誇らしげに、そして嬉しそうに見つめている。

近いうちに、家督も、正式に兄さんへと譲られることだろう。

セレスティーナ様もまた、近衛騎士団の若き隊長として、王国の復興に、その辣腕を振るっているらしい。

時折、ヴァインベルク家を訪れては、「あなたの平穏は、私が生涯をかけて守りますわ」などと、実に面倒なことを言って、俺をうんざりさせている。

砂漠の国のジャスミン王女からは、いまだに、最高級のナッツだの、昼寝に最適だという絹のクッションだのが、山のように送りつけられてきていた。

そして、俺は。

ヴァインベルク邸の、俺の部屋。

窓から差し込む、うららかな日差しの中、我が魂の友、愛すべき深紅のソファの上で、これ以上ないというくらい、完璧に、だらけきっていた。

「アレン様、紅茶が入りましたわよ」

ソフィアが、セレスティーナ様から贈られた最高級の茶葉で淹れた、極上の紅茶を、サイドテーブルに置いてくれる。

その隣には、ジャスミン王女から贈られた、最高級のナッツ。

完璧だ。

これこそ、俺が求めていた、完璧な世界。

その時、部屋の扉が、コンコン、と控えめにノックされた。

兄さんが、ひょっこりと顔を出す。

「アレン、父上がお呼びだ。

たまには、顔を出したらどうだ」

俺は、うっすらと片目を開けると、心底、面倒くさそうに、答えた。

「……やだ。

眠い。

兄さんが、適当に、上手いこと言っておいてくれ」

その、あまりにいつも通りの俺の返事に、兄さんは、一瞬、呆れたような顔をしたが、やがて、仕方ないな、というように、優しく笑った。

「……やれやれ。

お前は、本当に、少しも変わらんな」

彼はそう言うと、静かに扉を閉めた。

部屋に、再び、穏やかな静寂が戻ってくる。

遠くで聞こえる、小鳥のさえずり。

部屋に満ちる、紅茶の香り。

そして、俺の体を優しく包み込む、ソファの、温もり。

俺は、ゆっくりと、目を閉じた。

そして、心の底から、満足げに、呟いた。

「……ああ、これだ。

これこそが、俺が守りたかった、俺だけの、世界だ」

怠け者の天才は、ついに、彼が心の底から望んだ、誰にも、何にも、邪魔されることのない、完璧で、究極の平穏を、その手に掴んだのだ。

彼の、長くて、面倒で、そして、どうしようもなかった戦いは、ようやく、本当に、終わりを告げた。

その安らかな寝息だけが、平和になった世界に、静かに、響いていた。

――完――
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