【完結】発明家アレンの異世界工房 ~元・商品開発部員の知識で村おこし始めました~

シマセイ

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第一話:森の目覚めと混濁する記憶

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アスファルトの無機質な匂いが、雨上がりの湿った空気と混じり合い、鼻孔をくすぐる。
田中浩介(たなかこうすけ)、35歳。

工業大学を卒業後、中堅メーカーの商品開発部に所属し、早13年が過ぎようとしていた。
物心ついた頃から物作りが好きだった。

幼い頃は、空き箱や廃材で秘密基地を作り、学生時代はロボコンに情熱を注いだ。
就職してからは、消費者の生活を豊かにする新商品の開発に、それなりにやりがいを感じていた。
いや、感じていたはずだった。
いつからだろうか。
あの頃の純粋な情熱が、日々の業務に忙殺され、擦り切れてしまったのは。

「また終電か……」

駅のホームに滑り込んできた最終電車に、浩介は力なく溜息を吐きながら乗り込んだ。
不景気の煽りを受け、会社は大規模な人員削減を断行した。

浩介の所属する商品開発部も例外ではなく、かつては10名いたチームも、今では浩介を含めてわずか3名。
仕事量は変わらないどころか、むしろ増えている。

慢性的な過労状態が、もう何年も続いていた。
若い頃は体力にも自信があったが、さすがに30代も半ばを過ぎると、無理が利かなくなってくる。
目の下の隈は消えず、肩には常に重い何かがのしかかっているようだった。

「明日の会議の資料、最終チェックしとかないとな……」

揺れる車内で、浩介はぼんやりと窓の外を眺める。
流れていく夜景は、どこか他人事のように感じられた。
自宅の最寄り駅に着き、改札を出る。
雨は上がっていたが、まだ路面は濡れていた。
ふらつく足取りで、自宅への道を歩く。
その時だった。
ぐらり、と視界が大きく揺れた。

「……あれ?」

立っていられない。
膝から力が抜け、そのまま地面に倒れ込んだ。
後頭部を強く打ち付けた衝撃で、一瞬、意識が飛びそうになる。
薄れゆく意識の中で、浩介は走馬灯のようにこれまでの人生を振り返っていた。

楽しかったこと、辛かったこと、様々だ。
けれど、不思議と後悔はなかった。
やりたいことは、それなりにやった。
ただ、もう少し、何かを生み出したかった。
自分の手で、誰かの役に立つものを。
そんな未練にも似た思いを最後に、浩介の意識は完全に途絶えた。

……。

………。

「……う……ん……」

どれくらい時間が経ったのだろうか。
ふと、意識が浮上する。
最初に感じたのは、柔らかな光と、心地よい温もりだった。
まるで、春の陽だまりの中にいるようだ。

「気が付きましたか?」

穏やかで、どこか懐かしい響きのある声が、頭上から降ってきた。
ゆっくりと目を開けると、そこには、言葉を失うほど美しい女性が立っていた。
いや、女性というよりは、女神と呼ぶ方がふさわしいかもしれない。
長く艶やかな銀髪は、まるで月の光を編み込んだかのようだ。
慈愛に満ちた翠色の瞳は、吸い込まれそうなほどに澄んでいる。
身にまとっているのは、純白のシンプルなドレスだが、その高貴さは隠しようもない。

「ここは……?」

浩介は掠れた声で尋ねた。
自分の体が、まるで羽のように軽いことに気づく。

「ここは神界。
あなたの魂が、一時的に留まっている場所です」

女神は優しく微笑みながら答えた。

「神界……? 魂……? ということは、俺は……」

「はい。
残念ながら、あなたは先ほど、地上での生を終えられました。
過労による、心不全でした」

淡々と告げられた事実に、浩介は不思議とショックを受けなかった。
むしろ、どこかで予感していたような気さえする。

「そうですか……」

「田中浩介さん。
あなたに、一つお願いがあるのです」

女神は真剣な表情で浩介を見つめた。

「お願い、ですか?」

「はい。
実は、あなたとは別の世界で、本来ならばまだ死ぬべきではなかった少年が、不慮の事故で命を落としかけています。
彼は、森の奥深くにある崖から足を滑らせて転落し、今はかろうじて息があるものの、魂はすでに輪廻の輪へと向かってしまい、呼び戻すことができません。
今、彼の体は、魂のない抜け殻のような状態なのです」

女神の言葉に、浩介は眉をひそめた。
話が、あまりにも突飛すぎる。

「そこで、浩介さん。
あなたにお願いしたいのです。
その少年の体に入り、彼として、新たな人生を歩んでいただけないでしょうか」

「俺が……その少年の代わりに?」

「はい。
もちろん、これは強制ではありません。
もしあなたが望まないのなら、そのまま輪廻の輪へとお進みいただくことになります」

女神は少し悲しそうな表情を浮かべた。
浩介はしばらく黙考した。
元の世界に、特に未練はない。
家族もいないし、恋人もいない。
仕事も、やりがいはあったが、あのまま続けていれば、いずれ心身ともに限界が来ていただろう。
それならば、新しい世界で、新しい人生を歩むというのも、悪くないかもしれない。
それに、目の前の女神の頼みを、無下に断ることもできなかった。
どこか、放っておけないような、そんな気持ちにさせられる。

(それにしても、随分と都合の良い話だな……。
まるで、誰かのミスを帳消しにするためみたいだ)

ふと、そんな考えが頭をよぎったが、浩介はそれを口には出さなかった。

「わかりました。
その話、お受けします」

浩介がそう告げると、女神はぱあっと顔を輝かせた。

「本当ですか!? ありがとうございます!」

その喜びように、浩介は少しだけ、自分の選択が正しかったのかもしれないと思った。

「では、早速ですが、あなたを彼の体へとお送りします。
彼が生きている世界は、あなたがいた世界とは大きく異なります。
剣と魔法が存在し、魔物と呼ばれる危険な生き物もいます。
ですが、きっとあなたなら、その知識と経験を活かして、強く生きていけるはずです」

女神はそう言うと、浩介の胸にそっと手を当てた。
温かい光が、浩介の体を包み込んでいく。

「最後に、一つだけ。
彼の名前は、アレンと言います。
アレン・ウォーカー。
彼自身の記憶も、しばらくはあなたの意識と共に残っているでしょう。
どうか、彼の人生を、大切に生きてあげてください」

「アレン……。
わかりました」

女神の言葉を胸に刻み、浩介は再び意識を手放した。

次に浩介――いや、アレンとしての意識が覚醒した時、全身を襲う鈍い痛みで思わず呻き声を上げた。

「う……ぐ……っ!」

まるで全身の骨がきしむような、強烈な痛み。
特に頭と背中がひどい。
ゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは、鬱蒼と茂る木々の葉と、その隙間から差し込む木漏れ日だった。
どうやら自分は、森の中で倒れているらしい。
土と草の匂いが鼻をつく。

(そうだ……俺は、崖から落ちて……)

アレンとしての記憶が、断片的に蘇る。
薬草を採りに森の奥へ入り、足を滑らせて崖下に転落したのだ。
そして、田中浩介としての記憶もまた、鮮明に残っている。
過労で倒れ、女神と出会い、このアレンという少年の体に入ったこと。
二つの記憶が頭の中で混じり合い、奇妙な感覚に襲われる。

「これが……俺の、新しい体……アレンの体か」

自分の手を見下ろす。
小さく、細い指。
ところどころに擦り傷ができている。
服も所々破れ、泥に汚れていた。
痛む体に鞭打ち、ゆっくりと起き上がる。
10歳くらいだろうか。
浩介だった頃の記憶からすれば、あまりにも頼りない体つきだ。

(まずは状況確認と……安全な場所の確保だな)

浩介としての冷静な思考が、混乱する頭を整理していく。
アレンの記憶によれば、この森は「迷いの森」と呼ばれ、時折魔物も目撃される危険な場所だ。
そして、自分が住んでいた「ミストラル村」は、この森を抜けた先にあるはず。

「ミストラル村……そうだ、村へ帰らないと」

アレンとしての感情が、強くそう訴えかける。
家族や友人の顔が、ぼんやりとだが思い浮かんだ。
幸い、崖から落ちたとはいえ、打ちどころが良かったのか、あるいは女神の力なのか、動けないほどの重傷ではなさそうだ。
とはいえ、全身打撲であることは間違いない。
早く手当てをしないと、後々響いてくるだろう。

アレンは、記憶を頼りに、森の中を歩き始めた。
太陽の位置から方角を割り出し、村があると思われる方向へ進む。
これは、浩介だった頃のアウトドアの知識が役立った。
アレンの記憶だけでは、森の中で正確な方角を把握するのは難しかっただろう。

道なき道を進むのは骨が折れた。
木の根に足を取られそうになったり、ぬかるみにはまったりしながらも、アレンはひたすら歩き続けた。
時折、遠くで獣の咆哮のようなものが聞こえ、そのたびに緊張が走る。
この世界には魔物がいる。
それを思い出すと、小さな体では太刀打ちできないのではないかと不安がよぎるが、今はただ進むしかない。

(アレンの記憶も、なんだか靄がかかったみたいになってきてるな……。
女神様が言ってた通り、だんだん薄れていくのかもしれない)

歩きながら、アレンは自分の記憶の状態に気づいた。
浩介としての記憶は鮮明なのに、アレンとしての記憶は、重要な事柄は思い出せるものの、細部が曖昧になってきている。
このままでは、いずれ浩介の意識がアレンの意識を完全に上書きしてしまうのだろうか。
それはそれで、少し寂しいような気もした。

しばらく歩き続けると、不意に視界が開けた。
木々が途切れ、その先には緩やかな下り坂が広がっている。
そして、坂の下には、見覚えのある風景が広がっていた。
赤茶色の屋根が並び、畑が広がり、細い煙が立ち上っている。

「あっ……!」

アレンの口から、思わず声が漏れた。

「ミストラル村……!」

間違いない。
あれが、自分の――アレンの故郷、ミストラル村だ。
安堵感と、これから始まる新しい生活への期待と不安が入り混じり、アレンはしばらくその場に立ち尽くしていた。
ひとまず、最初の目標は達成できそうだ。
アレンは、村へと続く坂道を、一歩一歩踏みしめるように下り始めた。
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