【完結】瑠璃色の薬草師

シマセイ

文字の大きさ
13 / 26

第十三話:王都に薫る瑠璃色、最初の波紋

しおりを挟む
数週間の準備期間を経て、ついにアリアドネの「瑠璃色の薬草店」王都店がオープンの日を迎えた。

派手な宣伝は行わなかったが、店の入り口にはアリアドネ自身が生けた季節のハーブが飾られ、瑠璃色の看板が控えめながらも品良く輝いている。

店内は、磨き上げられた木の床と白い壁を基調とし、薬草の優しい香りと清潔感に満ちていた。

棚には、アリアドネが丹精込めて調合したハーブティーや軟膏、ハーブオイルなどが、美しいガラス瓶や瑠璃色の小袋に入れられて整然と並んでいる。

開店初日。

朝一番に訪れたのは、辺境伯アルフレッドから紹介状を託されたという数名の貴族たちだった。

彼らは、バルトフェルド辺境伯夫人を救ったというアリアドネの噂を聞きつけ、半信半疑ながらも興味を抱いて来店したのだ。

アリアドネは、落ち着いた物腰で彼らを迎え、一人ひとりの健康状態や悩みを丁寧に聞き取り、それぞれに適したハーブティーや健康法を提案した。

その的確なアドバイスと、薬草に関する深い知識に、貴族たちは次第に感嘆の表情を浮かべていく。

「素晴らしい……これほど親身に話を聞いてくださる薬師は初めてだ。」
「このハーブティーの香り、心が安らぐようだ。ぜひ試してみよう。」

彼らは満足げに商品を購入し、アリアドネの店を後にした。

その後も、近隣の住民や、噂を聞きつけた人々がぽつぽつと訪れたが、初日は比較的穏やかな客足だった。

しかし、アリアドネは焦ることなく、一人ひとりの客に丁寧に対応し続けた。

開店から数日経ったある日の午後。

店に、やつれた表情をした若い女性が、おずおずと入ってきた。

年の頃は二十歳前後だろうか、上等な生地ではあるが少し着古したドレスを身にまとっている。

「あの……ご相談したいことが……」

聞けば、彼女の母親がここ数ヶ月、原因不明の不眠に悩まされ、日に日に衰弱しているという。

様々な医者に診てもらったが改善せず、藁にもすがる思いで、新しくできたこの薬草店の噂を聞きつけてやって来たのだと。

アリアドネは、その女性――名をクララという――を奥の相談室へ通し、じっくりと話を聞いた。

母親の年齢、生活習慣、食事内容、精神的なストレスの有無……。

そして、クララ自身も心労で顔色が優れないことを見抜き、まずは彼女にリラックス効果のあるハーブティーを勧めた。

「お母様の症状は、おそらく複数の要因が絡み合っているのでしょう。まずは、神経の高ぶりを鎮め、質の良い睡眠を促すための特別なハーブティーと、安眠効果のある香油を試してみましょう。」

アリアドネは、数種類のハーブを丁寧にブレンドし、美しい瑠璃色の小袋に詰めてクララに手渡した。

そして、香油の使い方や、睡眠環境を整えるためのアドバイスも付け加えた。

それから五日後。

クララが、以前とは見違えるほど晴れやかな表情で、再びアリアドネの店を訪れた。

その手には、感謝の印だという小さな花束が握られている。

「アリアドネ様!本当に、本当にありがとうございました!母が……母が、昨夜、本当に久しぶりに朝までぐっすりと眠ることができたのです!あんなに穏やかな母の寝顔を見たのは、何か月ぶりでしょうか……」

クララは涙ぐみながら、アリアドネの手を取って何度も感謝の言葉を繰り返した。

アリアドネが処方したハーブティーと香油が、劇的な効果をもたらしたのだ。

この出来事は、クララの母親の主治医や、彼女の知人たちを通じて、瞬く間に口コミで広がり始めた。

「新しくできた瑠璃色の薬草店の若き女主人は、どんな難病も治す魔法の手を持っているらしい」

そんな噂が、真実味を帯びて王都の人々の間に囁かれ始めたのだ。

「瑠璃色の薬草店」は、開店からわずかな期間で、確かな手応えを感じ始めていた。

そんな中、王都の社交界では、アシュフォード公爵夫人リディアが主催するチャリティー夜会の話題で持ちきりだった。

数週間後に開催されるその夜会は、王都中の主要な貴族たちがこぞって招待され、王宮の夜会にも匹敵するほどの豪華絢爛なものになるという。

表向きは「恵まれない孤児たちのため」と謳っているが、その実態は、リディアが自身の美貌と財力、そしてアシュフォード公爵夫人としての権勢を誇示するための、壮大な見世物であることは誰の目にも明らかだった。

アリアドネは、代理人を通じてその情報を耳にし、冷ややかな笑みを浮かべた。

(相変わらず、見栄と虚飾にまみれているのね、リディア。あなたのその偽善の仮面も、いつか私が剥がして差し上げるわ。)

しかし、今はまだその時ではない。

直接的な行動は避け、まずは情報収集と、自分の足場を固めることに専念するべきだと、アリアドネは冷静に判断した。

一方で、アリアドネの心にはもう一つ、大きな懸念事項があった。

夫であったエリオットが進める鉱山開発による、深刻な健康被害の噂だ。

罪のない人々が、彼らの強欲の犠牲になっている。

それを知ってしまった以上、黙って見過ごすことはできなかった。

アリアドネは、夜、店の仕事が終わると、研究室に篭り、汚染された水質や土壌を浄化する効果のある薬草や、重金属の解毒に役立つとされるハーブの文献を読み漁り始めた。

すぐに解決できる問題ではないことは分かっている。

しかし、薬草師として、自分にできることが何かあるはずだと信じていた。

店の評判が少しずつ広まる中、ある日、一人の男性客がアリアドネの店を訪れた。

年の頃は三十代前半だろうか、知的な雰囲気を漂わせた、鋭い目つきの男だった。

彼は、特にどこか不調があるわけではないと言い、店内を興味深そうに眺め回した後、アリアドネにいくつかの質問を投げかけた。

薬草の効能について、この店が目指すものについて、そして、アリアドネ自身がどのような思いで薬草を扱っているのかについて。

その男――名をルシアンという――は、王都の小さな新聞社で働く記者だと名乗った。

貴族社会の不正や、市井の人々の生活改善といったテーマに関心を持ち、独自の取材を続けているという。

「あなたの店は、ただ薬草を売るだけではない、何か新しい可能性を秘めているように感じます。もしよろしければ、もう少し詳しくお話を伺えませんか?」

ルシアンの真摯な眼差しに、アリアドネは、彼が単なるゴシップ記者ではないこと、そして、もしかしたら今後の自分の活動において、思わぬ協力者となるかもしれないという予感を覚えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

平凡な伯爵令嬢は平凡な結婚がしたいだけ……それすら贅沢なのですか!?

Hibah
恋愛
姉のソフィアは幼い頃から優秀で、両親から溺愛されていた。 一方で私エミリーは健康が取り柄なくらいで、伯爵令嬢なのに贅沢知らず……。 優秀な姉みたいになりたいと思ったこともあったけど、ならなくて正解だった。 姉の本性を知っているのは私だけ……。ある日、姉は王子様に婚約破棄された。 平凡な私は平凡な結婚をしてつつましく暮らしますよ……それすら贅沢なのですか!?

復縁は絶対に受け入れません ~婚約破棄された有能令嬢は、幸せな日々を満喫しています~

水空 葵
恋愛
伯爵令嬢のクラリスは、婚約者のネイサンを支えるため、幼い頃から血の滲むような努力を重ねてきた。社交はもちろん、本来ならしなくても良い執務の補佐まで。 ネイサンは跡継ぎとして期待されているが、そこには必ずと言っていいほどクラリスの尽力があった。 しかし、クラリスはネイサンから婚約破棄を告げられてしまう。 彼の隣には妹エリノアが寄り添っていて、潔く離縁した方が良いと思える状況だった。 「俺は真実の愛を見つけた。だから邪魔しないで欲しい」 「分かりました。二度と貴方には関わりません」 何もかもを諦めて自由になったクラリスは、その時間を満喫することにする。 そんな中、彼女を見つめる者が居て―― ◇5/2 HOTランキング1位になりました。お読みいただきありがとうございます。 ※他サイトでも連載しています

悪役令嬢ベアトリスの仁義なき恩返し~悪女の役目は終えましたのであとは好きにやらせていただきます~

糸烏 四季乃
恋愛
「ベアトリス・ガルブレイス公爵令嬢との婚約を破棄する!」 「殿下、その言葉、七年お待ちしておりました」 第二皇子の婚約者であるベアトリスは、皇子の本気の恋を邪魔する悪女として日々蔑ろにされている。しかし皇子の護衛であるナイジェルだけは、いつもベアトリスの味方をしてくれていた。 皇子との婚約が解消され自由を手に入れたベアトリスは、いつも救いの手を差し伸べてくれたナイジェルに恩返しを始める! ただ、長年悪女を演じてきたベアトリスの物事の判断基準は、一般の令嬢のそれとかなりズレている為になかなかナイジェルに恩返しを受け入れてもらえない。それでもどうしてもナイジェルに恩返しがしたい。このドッキンコドッキンコと高鳴る胸の鼓動を必死に抑え、ベアトリスは今日もナイジェルへの恩返しの為奮闘する! 規格外で少々常識外れの令嬢と、一途な騎士との溺愛ラブコメディ(!?)

出来損ないと言われて、国を追い出されました。魔物避けの効果も失われるので、魔物が押し寄せてきますが、頑張って倒してくださいね

猿喰 森繁
恋愛
「婚約破棄だ!」 広間に高らかに響く声。 私の婚約者であり、この国の王子である。 「そうですか」 「貴様は、魔法の一つもろくに使えないと聞く。そんな出来損ないは、俺にふさわしくない」 「… … …」 「よって、婚約は破棄だ!」 私は、周りを見渡す。 私を見下し、気持ち悪そうに見ているもの、冷ややかな笑いを浮かべているもの、私を守ってくれそうな人は、いないようだ。 「王様も同じ意見ということで、よろしいでしょうか?」 私のその言葉に王は言葉を返すでもなく、ただ一つ頷いた。それを確認して、私はため息をついた。たしかに私は魔法を使えない。魔力というものを持っていないからだ。 なにやら勘違いしているようだが、聖女は魔法なんて使えませんよ。

【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!

雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユ伯爵令嬢は婚約式当日、婚約者の逢引を目撃し、動揺して婚約式の会場である螺旋階段から足を滑らせて後頭部を強打し不慮の死を遂げてしまう。 しかし、目が覚めると確かに死んだはずなのに婚約式の一週間前に時間が戻っている。混乱する中必死で記憶を蘇らせると、自分がこれまでに前回分含めて合計7回も婚約者と不貞相手が原因で死んでは生き返りを繰り返している事実を思い出す。 婚約者との結婚が「死」に直結することを知ったアンテリーゼは、今度は自分から婚約を破棄し自分を裏切った婚約者に社会的制裁を喰らわせ、婚約式というタイムリミットが迫る中、「死」を回避するために奔走する。 ーーーーーーーーー 2024/01/13 ランキング→恋愛95位 ありがとうございました! なろうでも掲載20万PVありがとうございましたっ!

【完結】優雅に踊ってくださいまし

きつね
恋愛
とある国のとある夜会で起きた事件。 この国の王子ジルベルトは、大切な夜会で長年の婚約者クリスティーナに婚約の破棄を叫んだ。傍らに愛らしい少女シエナを置いて…。 完璧令嬢として多くの子息と令嬢に慕われてきたクリスティーナ。周囲はクリスティーナが泣き崩れるのでは無いかと心配した。 が、そんな心配はどこ吹く風。クリスティーナは淑女の仮面を脱ぎ捨て、全力の反撃をする事にした。 -ーさぁ、わたくしを楽しませて下さいな。 #よくある婚約破棄のよくある話。ただし御令嬢はめっちゃ喋ります。言いたい放題です。1話目はほぼ説明回。 #鬱展開が無いため、過激さはありません。 #ひたすら主人公(と周囲)が楽しみながら仕返しするお話です。きっつーいのをお求めの方には合わないかも知れません。

処理中です...