【完結】瑠璃色の薬草師

シマセイ

文字の大きさ
16 / 26

第十六話:深まる影、確信への一手

しおりを挟む
「瑠璃色の薬草店」は、王都アステリアの喧騒の中で、静かな、しかし確かな存在感を放ち始めていた。

アリアドネが調合するオーダーメイドのハーブティーは、その繊細な味わいと飲む者の心身を癒す効果で、健康や美容に敏感な貴婦人たちの間で瞬く間に評判となった。

また、天然素材のみで作られた彼女の化粧品は、肌の悩みを抱える多くの女性たちにとって救世主となり、店には連日、様々な身分の客が訪れるようになった。

その中には、アリアドネの才能を妬む同業者からの刺客めいた客や、彼女の知識を試そうとする学者気取りの者もいたが、アリアドネは常に冷静かつ誠実な態度で対応し、その深い知識と揺るぎない信念で、かえって彼らを感服させることさえあった。

「あの若き薬草師は、ただ者ではない。本物の知識と、人を癒す真心を持っている。」

そんな評価が、王都の隅々にまで広まりつつあった。

アリアドネと新聞記者ルシアンの連携も、より緊密なものとなっていた。

彼らは、エリオット・アシュフォード公爵の鉱山開発によって不当な扱いを受けた元作業員の一人、トーマスという男との接触に、ついに成功した。

トーマスは、王都の裏寂れた酒場で日雇いの仕事をしながら細々と暮らしており、最初はアシュフォード公爵家の報復を恐れてか、頑なに口を閉ざしていた。

彼の顔色は悪く、時折激しく咳き込んでいる。

アリアドネは、トーマスが長年、鉱山での粉塵によって肺を患っていることを見抜き、彼のために特別に調合した、気管支を鎮め、呼吸を楽にする効果のある薬草の煎じ薬を差し出した。

「これは……?」

訝しげな目でアリアドネを見るトーマスに、彼女は穏やかに語りかけた。

「あなたの咳は、お辛そうですね。薬草師として、少しでもお力になれればと。これは、私が調合したものです。安心してお飲みください。」

アリアドネの真摯な眼差しと、薬草の専門家としての確かな知識に触れ、トーマスは少しずつ心を開き始めた。

そして、アリアドネが数日間にわたって彼の元へ通い、薬を届け、親身に話を聞くうちに、ついに重い口を開いたのだ。

「……公爵様は、俺たち作業員の命なんて、虫けらほどにも思っちゃいねぇ。安全対策なんて名ばかりで、いつ落盤事故が起きてもおかしくないような場所で働かされ、多くの仲間が怪我をしたり、病気になったりした……。俺も、抗議しようとしたら、不当に解雇され、わずかな金で口を封じられたんだ。」

トーマスの言葉は、怒りと悔しさに震えていた。

そして彼は、アリアドネとルシアンに、決定的な情報を告げた。

エリオットが、鉱山の利権を得るために、地元の役人や一部の貴族に多額の賄賂を渡し、さらには反対する地主たちを脅迫まがいの手段で追い出し、不当に土地を収奪した証拠となる契約書や金の流れを示す裏帳簿の写しを、彼自身が秘密裏に保管しているというのだ。

「いつか、公爵様の悪事を暴いてくれる人が現れると信じて……ずっと隠し持っていたんだ。だが、俺一人の力じゃどうにもならねぇ……」

「トーマスさん、その書類の隠し場所を、私たちに教えていただけませんか。必ず、あなたの勇気を無駄にはしません。」

アリアドネの力強い言葉に、トーマスは涙を浮かべて頷いた。

一方、公爵夫人リディアは、前回のチャリティー夜会での小さなつまずきなどまるでなかったかのように、あるいはそれを取り繕うかのように、ますます派手な社交活動に明け暮れていた。

毎日のように新しいドレスや宝石を身にまとい、夜会や観劇に顔を出しては、注目を集めようと必死になっている。

その姿は、一部の良識ある貴族たちからは冷笑の的となっていたが、リディア自身はそれに気づく様子もない。

アリアドネは、そんなリディアの動向を冷ややかに見つめながら、次の一手を打った。

リディアが頻繁に利用し、その豪華な衣装代の大部分を支払っているとされる王都随一の高級ドレス店。

その店が、実は高利で貴族たちに金を貸し付け、多くの貴婦人たちが秘密の借金に苦しんでいるという情報を、アリアドネは掴んでいた。

そして、そのドレス店の経営者の裏には、ある悪徳貴族の影がちらついていることも。

アリアドネは、その情報を匿名の手紙という形でルシアンに提供した。

数日後、ルシアンが発行する小さな新聞の片隅に、「王都を蝕む甘い罠?某高級ドレス店と貴婦人たちの秘密の負債」と題された、痛烈な皮肉と疑惑に満ちた記事が掲載された。

記事は、具体的な名前こそ出していなかったものの、事情を知る者が見れば、どの店のことを指しているのかは一目瞭然だった。

この記事は王都の社交界に小さな波紋を広げ、リディアがそのドレス店と深い繋がりがあるのではないかという憶測を呼んだ。

リディアの金遣いの荒さと、その資金源に対する疑念が、じわじわと広がり始めたのだ。

アリアドネは、故郷のゼノやサラとも定期的に手紙のやり取りを続けていた。

ゼノからは、店の経営が順調であること、そしてアリアドネが開発した新しいハーブ製品の評判が良いことが伝えられ、サラからは、薬草の勉強に励んでいること、そしていつかアリアドネ先生の王都の店で働きたいという健気な夢が綴られていた。

アリアドネは、彼女たちの温かい言葉に励まされながら、王都での厳しい戦いを乗り越える力を得ていた。

元王宮薬草管理官のアルバンも、時折「瑠璃色の薬草店」を訪れ、アリアドネに貴重な助言を与えてくれた。

ある時は、宮廷でしか手に入らないような珍しい薬草の種を分けてくれたり、またある時は、王都の権力構造や、貴族たちの間の複雑な人間関係について、アリアドネにそっと耳打ちしたりした。

「アリアドネ殿、君の薬草師としての才能は本物じゃ。じゃが、この王都で生き抜くためには、それだけでは足りぬ。時には、薬草の知識だけでなく、人を見抜く目と、したたかさも必要じゃぞ。」

アルバンの言葉は、アリアドネの心に深く刻まれた。

トーマスから得た情報を元に、アリアドネとルシアンは、エリオット・アシュフォードの不正を決定づける証拠書類を入手するための具体的な計画を練り始めた。

それは、アシュフォード公爵家の管理下にある古い倉庫に忍び込み、そこに隠されているとされる書類を盗み出すという、極めて危険な任務だった。

失敗すれば、アシュフォード公爵家からの報復は免れないだろう。

しかし、アリアドネの決意は揺るがなかった。

彼女の瑠璃色の瞳は、復讐の炎を静かに燃やしながらも、その奥には薬草師として多くの人々を救いたいという、消えることのない使命感を宿していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

平凡な伯爵令嬢は平凡な結婚がしたいだけ……それすら贅沢なのですか!?

Hibah
恋愛
姉のソフィアは幼い頃から優秀で、両親から溺愛されていた。 一方で私エミリーは健康が取り柄なくらいで、伯爵令嬢なのに贅沢知らず……。 優秀な姉みたいになりたいと思ったこともあったけど、ならなくて正解だった。 姉の本性を知っているのは私だけ……。ある日、姉は王子様に婚約破棄された。 平凡な私は平凡な結婚をしてつつましく暮らしますよ……それすら贅沢なのですか!?

復縁は絶対に受け入れません ~婚約破棄された有能令嬢は、幸せな日々を満喫しています~

水空 葵
恋愛
伯爵令嬢のクラリスは、婚約者のネイサンを支えるため、幼い頃から血の滲むような努力を重ねてきた。社交はもちろん、本来ならしなくても良い執務の補佐まで。 ネイサンは跡継ぎとして期待されているが、そこには必ずと言っていいほどクラリスの尽力があった。 しかし、クラリスはネイサンから婚約破棄を告げられてしまう。 彼の隣には妹エリノアが寄り添っていて、潔く離縁した方が良いと思える状況だった。 「俺は真実の愛を見つけた。だから邪魔しないで欲しい」 「分かりました。二度と貴方には関わりません」 何もかもを諦めて自由になったクラリスは、その時間を満喫することにする。 そんな中、彼女を見つめる者が居て―― ◇5/2 HOTランキング1位になりました。お読みいただきありがとうございます。 ※他サイトでも連載しています

出来損ないと言われて、国を追い出されました。魔物避けの効果も失われるので、魔物が押し寄せてきますが、頑張って倒してくださいね

猿喰 森繁
恋愛
「婚約破棄だ!」 広間に高らかに響く声。 私の婚約者であり、この国の王子である。 「そうですか」 「貴様は、魔法の一つもろくに使えないと聞く。そんな出来損ないは、俺にふさわしくない」 「… … …」 「よって、婚約は破棄だ!」 私は、周りを見渡す。 私を見下し、気持ち悪そうに見ているもの、冷ややかな笑いを浮かべているもの、私を守ってくれそうな人は、いないようだ。 「王様も同じ意見ということで、よろしいでしょうか?」 私のその言葉に王は言葉を返すでもなく、ただ一つ頷いた。それを確認して、私はため息をついた。たしかに私は魔法を使えない。魔力というものを持っていないからだ。 なにやら勘違いしているようだが、聖女は魔法なんて使えませんよ。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい

花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。 ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。 あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…? ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの?? そして婚約破棄はどうなるの??? ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。

【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!

雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユ伯爵令嬢は婚約式当日、婚約者の逢引を目撃し、動揺して婚約式の会場である螺旋階段から足を滑らせて後頭部を強打し不慮の死を遂げてしまう。 しかし、目が覚めると確かに死んだはずなのに婚約式の一週間前に時間が戻っている。混乱する中必死で記憶を蘇らせると、自分がこれまでに前回分含めて合計7回も婚約者と不貞相手が原因で死んでは生き返りを繰り返している事実を思い出す。 婚約者との結婚が「死」に直結することを知ったアンテリーゼは、今度は自分から婚約を破棄し自分を裏切った婚約者に社会的制裁を喰らわせ、婚約式というタイムリミットが迫る中、「死」を回避するために奔走する。 ーーーーーーーーー 2024/01/13 ランキング→恋愛95位 ありがとうございました! なろうでも掲載20万PVありがとうございましたっ!

処理中です...