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第一章 忌まわしき生贄
本を愛する令嬢
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春の陽光が、書斎の窓から柔らかく差し込んでいた。塵の粒子が光の筋の中で舞い、まるで小さな妖精たちが踊っているようだった。アリアーナ・フォン・エルヴィシアは、古びた革張りの椅子に身を沈め、膝の上に開いた本に視線を落としていた。
これは古代の竜について記された書物だった。学者が編纂したものらしく、文章は堅苦しいが内容は興味深い。
竜は知性を持ち、魔法を操り、千年の時を生きる――。
そんな伝説上の生き物が、本当にこの世界に存在するのだろうか。アリアーナは細い指で、丁寧にページをめくった。
「お姉様!」
扉が勢いよく開かれ、アリアーナは反射的に本を胸に抱きしめた。金色の巻き毛を揺らして入ってきたのは、義妹のセリーナだった。バラ色のドレスに身を包み、宝石を散りばめた首飾りを誇示するように触っている。
十六歳のセリーナは、確かに美しかった。継母譲りの整った顔立ち、愛嬌のある笑顔、社交界で人気を集めるのも当然だった。
「また本ですの? まったく、お姉様は本当に変わっていらっしゃるわ」
セリーナの声には、笑いが含まれていた。アリアーナは、それを悪意ととらえることはなかった。彼女にとって、セリーナの言葉はいつも事実の指摘に過ぎない。
確かに自分は変わっているのだろう。社交よりも読書を好み、舞踏会よりも静かな書斎を愛する。
「何かご用?」
「あら、冷たいこと。姉妹なのに、もっと親しくお話しできないかしら?」
セリーナは部屋の中を歩き回り、アリアーナの私物を興味深げに眺めた。
書架に並ぶ本、机の上の羽根ペン、窓辺に置かれた小さな花瓶。
その視線は値踏みするようで、アリアーナは言いようのない居心地の悪さを感じた。けれど、それを言葉にすることはできなかった。
セリーナは自分の妹なのだから。家族なのだから。
「お母様がお呼びですわ。すぐに居間へいらっしゃいって」
「わかったわ。ありがとう」
アリアーナが立ち上がると、セリーナの目が一瞬、鋭く光った。それは獲物を狙う猛禽類の目に似ていた。だが次の瞬間には、いつもの愛らしい笑顔に戻っている。アリアーナは、その一瞬の変化に気づくことはなかった。
廊下を歩きながら、アリアーナは胸に抱いた本を見つめていた。
表紙には竜の姿が金箔で描かれている。美しく、恐ろしく、そして何処か孤独に見える竜の姿。
なぜだろう、この竜の目に、自分と同じものを感じてしまう。
居間の扉の前で、アリアーナは深く息を吸った。
継母――父の後妻であるイヴェットは、いつも彼女に冷たかった。それは理解できる。自分は前妻の娘なのだから。継母にとって、自分の存在は夫の過去の名残りに過ぎない。
アリアーナは、できるだけ目立たないように、できるだけ問題を起こさないように生きてきた。それが、この家で生き延びる術だと、幼い頃から理解していた。
扉をノックすると、中から「お入り」という声が聞こえた。
居間は豪華な装飾に満ちていた。深紅のカーテン、金糸で刺繍されたクッション、壁には名画が飾られている。部屋の中央のソファに、継母イヴェットが座っていた。四十代半ばの彼女は、年齢を感じさせない美貌を保っていた。厳格な美しさ、と表現するのがふさわしい。彼女の隣には、セリーナがすでに座っている。いつの間に先回りしたのだろう。
そして、暖炉の前に立っていたのは、父――エドワード・フォン・エルヴィシア伯爵だった。
「アリアーナ」
父の声は重く、疲れていた。五十を過ぎた父は、最近急激に老け込んだように見える。灰色がかった髪、深く刻まれた皺、そして何よりも、その目に宿る諦念のような光。
これは古代の竜について記された書物だった。学者が編纂したものらしく、文章は堅苦しいが内容は興味深い。
竜は知性を持ち、魔法を操り、千年の時を生きる――。
そんな伝説上の生き物が、本当にこの世界に存在するのだろうか。アリアーナは細い指で、丁寧にページをめくった。
「お姉様!」
扉が勢いよく開かれ、アリアーナは反射的に本を胸に抱きしめた。金色の巻き毛を揺らして入ってきたのは、義妹のセリーナだった。バラ色のドレスに身を包み、宝石を散りばめた首飾りを誇示するように触っている。
十六歳のセリーナは、確かに美しかった。継母譲りの整った顔立ち、愛嬌のある笑顔、社交界で人気を集めるのも当然だった。
「また本ですの? まったく、お姉様は本当に変わっていらっしゃるわ」
セリーナの声には、笑いが含まれていた。アリアーナは、それを悪意ととらえることはなかった。彼女にとって、セリーナの言葉はいつも事実の指摘に過ぎない。
確かに自分は変わっているのだろう。社交よりも読書を好み、舞踏会よりも静かな書斎を愛する。
「何かご用?」
「あら、冷たいこと。姉妹なのに、もっと親しくお話しできないかしら?」
セリーナは部屋の中を歩き回り、アリアーナの私物を興味深げに眺めた。
書架に並ぶ本、机の上の羽根ペン、窓辺に置かれた小さな花瓶。
その視線は値踏みするようで、アリアーナは言いようのない居心地の悪さを感じた。けれど、それを言葉にすることはできなかった。
セリーナは自分の妹なのだから。家族なのだから。
「お母様がお呼びですわ。すぐに居間へいらっしゃいって」
「わかったわ。ありがとう」
アリアーナが立ち上がると、セリーナの目が一瞬、鋭く光った。それは獲物を狙う猛禽類の目に似ていた。だが次の瞬間には、いつもの愛らしい笑顔に戻っている。アリアーナは、その一瞬の変化に気づくことはなかった。
廊下を歩きながら、アリアーナは胸に抱いた本を見つめていた。
表紙には竜の姿が金箔で描かれている。美しく、恐ろしく、そして何処か孤独に見える竜の姿。
なぜだろう、この竜の目に、自分と同じものを感じてしまう。
居間の扉の前で、アリアーナは深く息を吸った。
継母――父の後妻であるイヴェットは、いつも彼女に冷たかった。それは理解できる。自分は前妻の娘なのだから。継母にとって、自分の存在は夫の過去の名残りに過ぎない。
アリアーナは、できるだけ目立たないように、できるだけ問題を起こさないように生きてきた。それが、この家で生き延びる術だと、幼い頃から理解していた。
扉をノックすると、中から「お入り」という声が聞こえた。
居間は豪華な装飾に満ちていた。深紅のカーテン、金糸で刺繍されたクッション、壁には名画が飾られている。部屋の中央のソファに、継母イヴェットが座っていた。四十代半ばの彼女は、年齢を感じさせない美貌を保っていた。厳格な美しさ、と表現するのがふさわしい。彼女の隣には、セリーナがすでに座っている。いつの間に先回りしたのだろう。
そして、暖炉の前に立っていたのは、父――エドワード・フォン・エルヴィシア伯爵だった。
「アリアーナ」
父の声は重く、疲れていた。五十を過ぎた父は、最近急激に老け込んだように見える。灰色がかった髪、深く刻まれた皺、そして何よりも、その目に宿る諦念のような光。
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