【完結】婚約破棄された令嬢ですが、冷たい官僚様に溺愛されています

深山きらら

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廃屋の契約-新しい人生の始まり

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 朝の光が、廃屋の割れた窓から差し込む。
 イザベラ・ヘルヴィッツは埃だらけの床を見下ろし、息を吐いた。

「……まずは、掃除からね」

 貴族時代には決して口にしなかった言葉。
 マルグリットが慌ててモップを手にする。

「お嬢様、私がやります!」
「いいえ、一緒にやりましょう」
「で、ですが……!」
「私ももう、“お嬢様”じゃないのよ」

 イザベラの微笑みは柔らかく、しかしどこか凛としていた。
 その姿に、マルグリットは胸を打たれる。

 ――貴族令嬢が、本気で新しい人生を始めようとしている。

   ◇

 昼過ぎ。
 汗と埃にまみれた二人の前に、ひとりの男が現れた。

 茶色の外套に、灰色の瞳。
 手には古びた帳簿を抱えている。
 整った顔立ちだが、目つきには商人らしい鋭さがある。

「ここに新しい商会を作ると聞いたが、どこの誰だ?」

 マルグリットが身構えるが、イザベラは静かに歩み寄る。

「私が代表です。イザベラ・ヘルヴィッツと申します」
「……ヘルヴィッツ? あの没落貴族の?」
「ええ。没落しました。ですから、今はただの“イザベラ”です」

 男は目を細める。
 その堂々とした物言いに、思わず口元が綻ぶ。

「いい度胸だな。俺はカイル・フェルナー。
 この地区の商業組合の監査役だ」

 イザベラは姿勢を正し、言葉を続けた。
「フェルナー様、実はお願いがございます。この建物を正式に借り受けたいのです」
「借りる? ここはもう十年も放置されてる。
 屋根も抜けてるし、税も滞納中だ」
「それでも、ここを拠点にしたいのです」

 カイルは彼女をまじまじと見つめた。
 透き通る金髪、貴族の血を感じさせる立ち居振る舞い。
 だがその瞳には、打算ではなく決意が宿っていた。

「……面白い。理由を聞こうか」
「“自由になるため”です」

 一瞬、空気が止まった。
 イザベラの声は小さいが、まっすぐだった。

「貴族として生きていた頃、私は“誰かのもの”でした。
 けれど今は、自分の力で生きたい。
 だから、この場所を新しい商会に変えたいのです」

 その言葉に、カイルの唇がわずかに動いた。
 笑ったのか、驚いたのか――自分でも分からない。

「……貴族が“商売”を始めるとはな。世の中も変わったもんだ」
「世の中は変わらなくても、私は変わりました」

 カイルは低く笑う。
「いいね。その覚悟、気に入った」

 彼は帳簿を取り出し、ページをめくった。
「いいだろう。条件はひとつ。
 この建物を使うなら、最初の三か月で利益を出せ。
 出せなければ契約は無効、取り上げる」

「……それは、随分と厳しい条件ですね」
「商売は慈善じゃない。貴族のお嬢様、甘く見ない方がいい」

 イザベラは一瞬考え、そして静かに頷いた。
「分かりました。その条件、受けます」

 マルグリットが慌てて振り向く。
「お嬢様! そんな無茶な――!」
「いいの。私が選んだ道だから」

 カイルが笑い、手を差し出す。
「契約成立だ。……お手並み拝見といこう」

 その瞬間、二人の手が触れた。
 熱が、ほんの一瞬だけ交わる。
 イザベラの胸が小さく跳ねた。

(この人……目が怖いのに、どこか優しい)

 一方のカイルも、無意識にその手を離せなくなっていた。
(この女……ただの貴族崩れじゃないな)
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