【完結】婚約破棄された令嬢ですが、冷たい官僚様に溺愛されています

深山きらら

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偽装婚約

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 春の陽光が王都の石畳を照らしていた。
 市場には色とりどりの布と香辛料が並び、人々の笑い声が響く。
 その中を、イザベラは落ち着いた足取りで歩いていた。

 青のドレスに白いレースの襟。
 背筋を伸ばし、堂々とした姿。
 ほんの数ヶ月前――婚約破棄で打ちひしがれていた自分とは、まるで別人のようだった。

(私はもう、泣いているだけの令嬢じゃない)

 手にしているのは、王都商業組合からの正式な許可証。
 これで「ヘルヴィッツ商会」は、晴れて王都公認の香水ブランドとなる。
 すべては努力と、そして――

「おめでとう、イザベラ」

 背後から聞こえた低い声に、イザベラは振り向いた。
 そこにはカイルがいた。
 淡いグレーの上着に黒の手袋。今日も隙のない姿。

「ありがとうございます、フェルナー様」
「フェルナー様はやめろ。今はただの……ビジネスパートナーだろ?」

 イザベラは少し戸惑い、そして微笑んだ。
「では、カイル様と」
「……様はいらない」
「では、カイル」
 その名を呼ぶ声に、彼の表情がわずかに和らいだ。

   ◇

 その日の午後、カイルはイザベラを自宅の書斎に招いた。
 机の上には一枚の契約書が置かれている。

「これは……?」
「“婚約契約書”だ」

 イザベラは目を瞬かせた。
「……婚約? どういうことですか?」

「形式上だ。君を守るための――仮の婚約」
「守る?」

 カイルは深く息を吐いた。
「君の商会が急成長したことで、敵が増えた。
 貴族の間では、“男に取り入って成り上がった令嬢”なんて噂も出ている」

 イザベラの表情が曇る。
「そんな……」

「だから俺と契約する。
 俺の婚約者として振る舞えば、誰も手を出せない。
 俺は王都経済局の官僚だ。誰も逆らえない立場だ」

 イザベラはしばらく黙っていた。
 信頼しているカイルの提案。
 だが、“婚約”という言葉が心を揺らす。

「……仮とはいえ、そんなことをして、あなたに不利益は?」
「問題ない。むしろ都合がいい」
 カイルは淡く笑った。
「上層部に、“身を固めろ”とうるさく言われてるんでな」

 その軽い口調に、イザベラは少しだけ笑みをこぼした。
「……あなたも、苦労なさってるのですね」

「まあな」

 二人の間に、静かな空気が流れた。
 やがてイザベラは契約書を見つめ、
 ペンを取り――サインした。

「これで、あなたの婚約者ですわね。……契約上の」
「ああ。これからは、そういうことになる」

 その瞬間、二人の視線が交わる。
 何かが変わった。
 それは言葉にはできない、微かな熱のようなもの。
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