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第8話
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「あれ? ティト? 私のことを忘れてしまったのかな?」
「殿下が出合い頭に抱きつくから驚いているんでしょう」
ティトがちらりとエラルドに目を移す。エラルドは気付いたが、あえてティトを見なかった。
「ティト?」
「え、あ、すみません。驚いてしまって……ご無沙汰しておりました」
ティトがそっと距離を置き、深く頭を下げた。
ディーノ・ブラックベン・アルファストは、自身の手から抜け出し他人行儀にするティトを残念そうに見下ろして、置き去りにされた腕を仕方がないかとひとまず下ろす。
「気楽にしてよ、昔みたいに」
「……いえ。その、当時は殿下のご身分を知らなかったものですから」
「二人きりのときくらいいいじゃないか。ねえルカ?」
「殿下がそうおっしゃるのなら」
とはいえ、ティトはレンの存在を忘れたい身である。昔のような関係を続けるなどティトが苦しいだけだ。
「……まあいい、それは追々ね。ティト、座って。しばらく会えていなかったから、少し話がしたいんだ」
うつむくティトに何を思ったのか、レンは潔くテーブルへと戻る。よく見ればテーブルにはランチが用意されている。ちょうど次の授業が終われば昼休憩ではあるが、まだ早いのではないだろうか。
「ああ、次の授業は気にしないで。きちんと先生には伝えてあるから」
少し心配になったティトはまたしてもエラルドを見たが、エラルドは同じくあえてティトからは目をそらしていた。
エラルドが何も言わないのであればティトに逆らえるわけもない。ティトはレンに言われるがまま、レンの正面に腰かける。
「七年ぶりだね。聞いたよ、ロタリオ伯爵が私からティトを遠ざけていたって」
「そう、なんですかね……僕にはあまり自覚がありません」
「そりゃそうだよ、だってティトは私の正体を知らなかったんだから」
レンがやけに楽しげに笑う。その笑顔は前世の記憶でも見たことがない、ゲームの画面からは見られなかった随分と砕けたものだった。
(戦争が起きなかったから……)
移民が増えることもなく、国も平和で、当然王族も変わらなかった。だから王太子殿下も孤独を覚えることなく、昔と変わらない。
それに「良かった」と心から思えるのに、どうしてティトの心は陰っているのだろう。
「ティト? 今日は少しおかしいな。私の顔を見て固まってばかりだ」
「そうですかね。すみません」
「謝ってほしいわけじゃないよ。ただ昔みたいな笑顔が見たいから、何を思っているのかは教えてほしいかも」
レンは少し間を置いたが、ティトが何かを言うことはない。仕方がないかと、レンが折れたのは、それから少ししてからだった。
「そっか。じゃあ私から一つ質問と、一つ謝罪がある。どっちから聞きたい?」
「えっと……では、質問から」
「ああ。……ティトが昔、話してくれたこの世界のことについてのことなんだけど、『主人公』は誰なのか分かった?」
「え! 覚えてくださっているんですか!?」
「もちろん。主人公は可愛いくて完璧なオメガ、そして私が一番人気の攻略対象のアルファ、だったっけ」
「すごい! その通りです! 嬉しいです!」
そういえばレンは戦争が起きないようにと尽力してくれていたようだし、ティトの発言を嘘と思っているわけではないのだろう。しかし七年前の、それも少しの間だけ話していたことを事細かに覚えているとは思ってもみなかった。ティトは一気に嬉しくなって、やや前のめりになってしまう。
「ふふ、やっと笑ってくれた」
「え、あ、覚えてくださっていると思っていなくて」
「私がティトとのことで忘れたことなんかひとつもないよ。それで? 主人公は誰だったのかな?」
「あ、それが……」
可愛くて完璧なオメガと攻略対象たちが恋をするための世界、などと言ってしまった手前、まさかその主人公が立派なアルファに育っていましたとは言い出しづらい。こうして聞いてくるということは相手をそれなりに気にしているのだろうし、レンをがっかりさせてしまうだろう。
(レンも恋をしたいよね、やっぱり……)
そのための世界だと言われたなら尚更、ティトの言葉を疑っていないレンならば意識するに決まっている。
そんな現実にちくりと胸を痛ませながら、ティトはおずおずと口を開く。
「実は、主人公の設定がぐしゃぐしゃになっていまして……」
「ぐしゃぐしゃ?」
「僕と同じクラスのニコラ・ユリスが主人公なんです。だけど僕が知っているニコラよりもうんと大きく育ってましたし、バース性もアルファになっていました。戦争が起きなかったからいろいろ変わってしまったようです」
「……なるほど、ニコラ・ユリスか」
何かを考える仕草に「もしかして知っていますか?」と聞いてみたが、レンからは「いいや、ティトと一緒にいるとルカから聞いていただけだよ」とニッコリと笑みを返された。
「ティトの見解だと、戦争が起きなかったから全体の設定が変わったってことかな?」
「ニコラの話を聞く限りそうだと思っています。リオール・イヴァーノとも幼少期より接触があり、僕が知っている世界とは随分違いますので」
「そっか。納得した。……ところで、さっき謝罪と言っていた件なんだけど、実はこの『設定が変わった』ということに通じることなんだよね」
「……どういうことですか?」
「君が教えてくれた『攻略対象』の中に、『公爵子息』が居ただろう」
ティトがまだ会えていない、最後の攻略対象の一人である。しかし彼は学年が違うため、頻繁に会う人物でもない。主人公のそばに居ればそのうち会えるだろうと、ティトは高をくくっていた。
本当によく覚えているなと感心しながら、ティトは「います。彼は一つ年上なので、先輩ですが」と返した。レンも「そうそう」と訳知り顔で言葉を続ける。
「彼、エミディオ・ブラックベンは私のイトコでね、陛下の弟君の息子なんだけど、実は私のせいでこの学園に入学できていないんだよ」
「え! ど、どうしてですか!」
「七年前、ティトの話を受けて、私はすぐに外交の見直しをおこなうべきだと近隣諸国について探り、一年後には怪しい動きをしている国を陛下に直訴した。外交を担っていたのが陛下の弟……つまり公爵だったんだけど、それから私の意見を探ってくるようになってね。結局海路が増えたから忙しくなって、今はエミディオも公爵を手伝っているから、どこの国に居るのかも分からないや」
攻略対象が一人減った。つまり、ニコラの相手にはレンとリオールしか残されていない。
(戦争が起きなかったことで、物語の全部が狂ってる……主人公がアルファになって、当て馬や悪役がオメガになった。それだけじゃない、キャラクターの人生の全部が変わった)
この物語はどこに着地をするのだろうか。
まったく見当もつかないラストに、ティトの不安が大きくなっていく。
「ティトは設定通りに進んでいたほうがよかった?」
物言わず真っ青になってしまったティトを見て、レンは心配そうに声をかける。ティトははたと顔を上げ、すぐに首を大きく横に振った。
「そんなわけありません! 戦争は起きるべきじゃない、誰も悲しまなくて良かったと心から思っています。ただその、物語があまりに変わりすぎていてどうしたら良いのかと……」
「どうって?」
ティトの様子に安堵したのか、レンはようやくサンドイッチを手に取った。
「僕の知らない方向に物語が進んでいるような気がしています。これまでは予想出来ていたことが何も分からなくなると、次はどうすれば良いのかが不安になるんです」
「なるほど」
レンの背後に立っていたエラルドが絶妙なタイミングで紅茶を注ぐ。普段のエラルドからは考えられない献身的な姿に、ティトはつい怪訝な表情を浮かべていた。
「だけど、もしかしたらティトの知っていた物語は、最初から違っていたのかもしれないよ」
「最初からですか……?」
「……ティトの知る物語だったら、私もとても幸せだったと思うな」
エラルドに注いでもらった紅茶を口に含みながら、レンは「やっぱりルカのが一番美味しいや」と、先ほどまでの悲しげな雰囲気を見せずに笑った。
「殿下が出合い頭に抱きつくから驚いているんでしょう」
ティトがちらりとエラルドに目を移す。エラルドは気付いたが、あえてティトを見なかった。
「ティト?」
「え、あ、すみません。驚いてしまって……ご無沙汰しておりました」
ティトがそっと距離を置き、深く頭を下げた。
ディーノ・ブラックベン・アルファストは、自身の手から抜け出し他人行儀にするティトを残念そうに見下ろして、置き去りにされた腕を仕方がないかとひとまず下ろす。
「気楽にしてよ、昔みたいに」
「……いえ。その、当時は殿下のご身分を知らなかったものですから」
「二人きりのときくらいいいじゃないか。ねえルカ?」
「殿下がそうおっしゃるのなら」
とはいえ、ティトはレンの存在を忘れたい身である。昔のような関係を続けるなどティトが苦しいだけだ。
「……まあいい、それは追々ね。ティト、座って。しばらく会えていなかったから、少し話がしたいんだ」
うつむくティトに何を思ったのか、レンは潔くテーブルへと戻る。よく見ればテーブルにはランチが用意されている。ちょうど次の授業が終われば昼休憩ではあるが、まだ早いのではないだろうか。
「ああ、次の授業は気にしないで。きちんと先生には伝えてあるから」
少し心配になったティトはまたしてもエラルドを見たが、エラルドは同じくあえてティトからは目をそらしていた。
エラルドが何も言わないのであればティトに逆らえるわけもない。ティトはレンに言われるがまま、レンの正面に腰かける。
「七年ぶりだね。聞いたよ、ロタリオ伯爵が私からティトを遠ざけていたって」
「そう、なんですかね……僕にはあまり自覚がありません」
「そりゃそうだよ、だってティトは私の正体を知らなかったんだから」
レンがやけに楽しげに笑う。その笑顔は前世の記憶でも見たことがない、ゲームの画面からは見られなかった随分と砕けたものだった。
(戦争が起きなかったから……)
移民が増えることもなく、国も平和で、当然王族も変わらなかった。だから王太子殿下も孤独を覚えることなく、昔と変わらない。
それに「良かった」と心から思えるのに、どうしてティトの心は陰っているのだろう。
「ティト? 今日は少しおかしいな。私の顔を見て固まってばかりだ」
「そうですかね。すみません」
「謝ってほしいわけじゃないよ。ただ昔みたいな笑顔が見たいから、何を思っているのかは教えてほしいかも」
レンは少し間を置いたが、ティトが何かを言うことはない。仕方がないかと、レンが折れたのは、それから少ししてからだった。
「そっか。じゃあ私から一つ質問と、一つ謝罪がある。どっちから聞きたい?」
「えっと……では、質問から」
「ああ。……ティトが昔、話してくれたこの世界のことについてのことなんだけど、『主人公』は誰なのか分かった?」
「え! 覚えてくださっているんですか!?」
「もちろん。主人公は可愛いくて完璧なオメガ、そして私が一番人気の攻略対象のアルファ、だったっけ」
「すごい! その通りです! 嬉しいです!」
そういえばレンは戦争が起きないようにと尽力してくれていたようだし、ティトの発言を嘘と思っているわけではないのだろう。しかし七年前の、それも少しの間だけ話していたことを事細かに覚えているとは思ってもみなかった。ティトは一気に嬉しくなって、やや前のめりになってしまう。
「ふふ、やっと笑ってくれた」
「え、あ、覚えてくださっていると思っていなくて」
「私がティトとのことで忘れたことなんかひとつもないよ。それで? 主人公は誰だったのかな?」
「あ、それが……」
可愛くて完璧なオメガと攻略対象たちが恋をするための世界、などと言ってしまった手前、まさかその主人公が立派なアルファに育っていましたとは言い出しづらい。こうして聞いてくるということは相手をそれなりに気にしているのだろうし、レンをがっかりさせてしまうだろう。
(レンも恋をしたいよね、やっぱり……)
そのための世界だと言われたなら尚更、ティトの言葉を疑っていないレンならば意識するに決まっている。
そんな現実にちくりと胸を痛ませながら、ティトはおずおずと口を開く。
「実は、主人公の設定がぐしゃぐしゃになっていまして……」
「ぐしゃぐしゃ?」
「僕と同じクラスのニコラ・ユリスが主人公なんです。だけど僕が知っているニコラよりもうんと大きく育ってましたし、バース性もアルファになっていました。戦争が起きなかったからいろいろ変わってしまったようです」
「……なるほど、ニコラ・ユリスか」
何かを考える仕草に「もしかして知っていますか?」と聞いてみたが、レンからは「いいや、ティトと一緒にいるとルカから聞いていただけだよ」とニッコリと笑みを返された。
「ティトの見解だと、戦争が起きなかったから全体の設定が変わったってことかな?」
「ニコラの話を聞く限りそうだと思っています。リオール・イヴァーノとも幼少期より接触があり、僕が知っている世界とは随分違いますので」
「そっか。納得した。……ところで、さっき謝罪と言っていた件なんだけど、実はこの『設定が変わった』ということに通じることなんだよね」
「……どういうことですか?」
「君が教えてくれた『攻略対象』の中に、『公爵子息』が居ただろう」
ティトがまだ会えていない、最後の攻略対象の一人である。しかし彼は学年が違うため、頻繁に会う人物でもない。主人公のそばに居ればそのうち会えるだろうと、ティトは高をくくっていた。
本当によく覚えているなと感心しながら、ティトは「います。彼は一つ年上なので、先輩ですが」と返した。レンも「そうそう」と訳知り顔で言葉を続ける。
「彼、エミディオ・ブラックベンは私のイトコでね、陛下の弟君の息子なんだけど、実は私のせいでこの学園に入学できていないんだよ」
「え! ど、どうしてですか!」
「七年前、ティトの話を受けて、私はすぐに外交の見直しをおこなうべきだと近隣諸国について探り、一年後には怪しい動きをしている国を陛下に直訴した。外交を担っていたのが陛下の弟……つまり公爵だったんだけど、それから私の意見を探ってくるようになってね。結局海路が増えたから忙しくなって、今はエミディオも公爵を手伝っているから、どこの国に居るのかも分からないや」
攻略対象が一人減った。つまり、ニコラの相手にはレンとリオールしか残されていない。
(戦争が起きなかったことで、物語の全部が狂ってる……主人公がアルファになって、当て馬や悪役がオメガになった。それだけじゃない、キャラクターの人生の全部が変わった)
この物語はどこに着地をするのだろうか。
まったく見当もつかないラストに、ティトの不安が大きくなっていく。
「ティトは設定通りに進んでいたほうがよかった?」
物言わず真っ青になってしまったティトを見て、レンは心配そうに声をかける。ティトははたと顔を上げ、すぐに首を大きく横に振った。
「そんなわけありません! 戦争は起きるべきじゃない、誰も悲しまなくて良かったと心から思っています。ただその、物語があまりに変わりすぎていてどうしたら良いのかと……」
「どうって?」
ティトの様子に安堵したのか、レンはようやくサンドイッチを手に取った。
「僕の知らない方向に物語が進んでいるような気がしています。これまでは予想出来ていたことが何も分からなくなると、次はどうすれば良いのかが不安になるんです」
「なるほど」
レンの背後に立っていたエラルドが絶妙なタイミングで紅茶を注ぐ。普段のエラルドからは考えられない献身的な姿に、ティトはつい怪訝な表情を浮かべていた。
「だけど、もしかしたらティトの知っていた物語は、最初から違っていたのかもしれないよ」
「最初からですか……?」
「……ティトの知る物語だったら、私もとても幸せだったと思うな」
エラルドに注いでもらった紅茶を口に含みながら、レンは「やっぱりルカのが一番美味しいや」と、先ほどまでの悲しげな雰囲気を見せずに笑った。
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