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第一部:陣中の異才、食への序曲
第六話:奉行の舌を巻く、創意の餅
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先駆け衆の帰還報告は、陣営全体に小さな衝撃を与えた。
特に、彼らが持ち帰った情報そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に、千兵衛が用意した型破りな兵糧が任務遂行に貢献したという事実は、軍の上層部にも静かな波紋を広げた。
偵察部隊の奮闘を支えた戦陣堅パン。
そして、疲弊した兵士たちを一瞬で笑顔にしたささやかな甘味の話は、武功一辺倒ではない視点を持つ一部の武将たちの関心を引いた。
その中の一人が、兵糧奉行・黒田幻斎(くろだ げんさい)だった。
幻斎は、厳格で実務に明るいことで知られている。
戦においては兵站こそが命綱であるという現実を理解しており、無駄や非効率を嫌った。
最初は千兵衛の「美味しい飯」の噂など、戦場には不要な軟弱なものだと聞き流していた。
だが、経験豊富な堀田小隊長が、真顔で「千兵衛殿の兵糧が命を救うた」と報告したこと、そして、大熊武家奉行が、甘味で兵士たちの顔色が一変した様を黙って見ていたという話を聞き、幻斎は千兵衛に会ってみる価値があると考えたのだ。
千兵衛は、兵糧奉行直々の呼び出しに、身が引き締まる思いだった。
これまで、彼の働きを評価してくれたのは、権六のような下級兵士か、せいぜい小隊長クラスの堀田だけだ。
幻斎は、軍の兵站を一手に担う人物。
彼の評価は、千兵衛の今後の働きに大きな影響を与えるだろう。
幻斎の執務所は、他の陣幕とは異なり、簡素ながらも整然としていた。
書類が積み上げられ、地図が広げられている。
幻斎は、鋭い目つきで千兵衛を見据えた。
「伊吹千兵衛と申したか。
お前の作った兵糧が、先の先駆け衆の任務に役立ったと聞いた。
まことか」
「はっ、微力ながら」
千兵衛は緊張しながらも答える。
「兵士の方々の腹と、わずかばかりの心の支えになればと思い、工夫いたしました」
幻斎は千兵衛の言葉にふんと鼻を鳴らす。
心を支える、だと?
戦場で必要なのは、飢えない腹と、敵を斬る刀、そして揺るがぬ規律だけだと思っていた幻斎にとって、それは理解しがたい考え方だった。
「心が支えられるなど、戦場で酔狂な。
腹が満ちれば良い。
それより、お前の作る飯は、通常の兵糧より長く持つという話は真か?
大規模な兵の移動や籠城には、保存性が最も重要だ」
幻斎の問いに、千兵衛の目が輝いた。
彼は、まさにそのことを証明するために、今日、あるものを持参していたのだ。
「はっ、
保存性、栄養、そしていざという時の力となるよう、工夫を重ねたものがございます」
千兵衛は包みを開けた。
中に入っていたのは、見た目は素朴な、だがどこかしっかりとした感触のある餅だった。
これは、千兵衛が兵糧奉行に見せるために、特別な思いを込めて作ったものだ。
材料は、陣営の周囲でも手に入りやすい芋(干し芋にして粉にしたもの)と、備蓄の雑穀。
これらを組み合わせることで、栄養価が高く、通常の餅よりも格段に日持ちがする「滋養強堅餅」を編み出したのだ。
まず、丁寧に裏ごしして乾燥させた干し芋粉と、数種類の雑穀粉を混ぜ合わせる。
そこに熱湯を加え、木べらで混ぜてから手でねりねりとこねていく。
生地は芋の甘みと雑穀の香ばしさが混じり合い、むっちりとした感触だ。
十分にこねたら、平たい板状に成形する。
これを、天日でからからになるまで時間をかけて乾燥させる。
完全に水分を飛ばすことで、保存性が飛躍的に高まる。
乾燥しきった餅は、カチカチというほどではないが、非常に硬くぎゅっと詰まった感触だ。
そのままでは歯が立たないほどではないが、噛むには力がいる。
千兵衛は、その硬い餅を、水で戻して柔らかくした状態と、軽く炙って香ばしさを出した状態にして、幻斎の前に差し出した。
幻斎は厳しい目つきで餅を見た。
まずは水で戻したものを一口。
もぐもぐと噛みしめる。
幻斎の顔に、微かな変化が現れた。
険しかった目つきが、少し緩んだように見える。
次に炙ったものを手に取り、カリッとした表面を噛み破る。
中のふっくらとした、しかししっかりとした餅の食感。
そして、噛むほどにじんわりと広がる、芋と雑穀の優しい甘みと香ばしさ。
干飯のように砂を噛むような感触は一切なく、滋味深い味わいだ。
幻斎は無言で二つ目を口に運んだ。
そして、全て食べ終えると、じっと千兵衛を見据えた。
千兵衛は、緊張しながらも、この餅に込めた思いと、その持つ可能性を幻斎に訴えた。
遠征に持たせれば、通常の兵糧より軽くて場所を取らない。
籠城戦になっても、長く備蓄しておける。
そして、水で戻すだけでなく、焼いたり、汁に入れたりと、様々な食べ方ができる。
そして、目の前の料理を指し示し、千兵衛は確かな声で、自身の信念を語った。
「乏しき中にこそ、美味は宿る。
これぞ、いくさ飯。」
幻斎は、千兵衛の言葉を聞き、そして餅の味を思い返すように一つ頷いた。
彼の口から出たのは、意外な言葉だった。
「……
美味い」
幻斎が、美味いと言った。
あの厳格な幻斎が。
千兵衛は思わず息を呑んだ。
「ただ美味いだけでなく、確かに腹持ちが良い。
そして、これほど硬く、水分が飛んでおるならば、保存も利こう」
幻斎は餅の残りを手に取り、その感触を確かめるようにぎゅっと握った。
「武勇に優れずとも、兵糧に才を持つか。
お前のような兵も、必要か……」
幻斎は千兵衛をじっと見つめた後、重々しく口を開いた。
「伊吹千兵衛。
お前の才、見込んだ。
これより、兵糧奉行預かりとして、より大規模な兵糧の工夫を任せる。
資材や人手が必要ならば申せ。
ただし、無駄は許さぬぞ」
千兵衛は、幻斎の言葉にはっと息を呑んだ。
兵糧奉行預かり。
それは、名ばかりの補佐ではない。
正式に、彼の才を認め、軍の兵糧を担う一員として扱われるということだ。
「は、ははあ!」
千兵衛は深々と頭を下げた。
喜びと、そして、今までにない重い責任感が、同時に彼の肩にのしかかる。
幻斎はもう千兵衛を見ていない。
再び目の前の書類に目を落とし、ぱらぱらと捲っている。
「下がって良い。
今後の働きに期待する」
千兵衛は一礼し、幻斎の執務所を後にした。
外に出ると、太陽の光がきらきらと眩しかった。
兵糧奉行という強力な後ろ盾を得た。
これは大きな一歩だ。
飢餓という見えざる敵は、日増しにその影を濃くしている。
だが、千兵衛はもう一人ではない。
兵糧奉行の命を受け、より多くの兵士を飢えから救い、来るべき大戦に備えることができる。
手に残った、さっきの餅の感触を確かめる。
硬く、素朴だが、確かに滋養と美味が詰まっている。
この小さな餅が、彼の道を切り開いたのだ。
これから、本格的な「いくさ飯」の戦いが始まる。
兵糧の危機は、まだ序章に過ぎないのだから。
【今回のいくさ飯】
『幻斎唸る! 芋と雑穀の滋養強堅餅(じようごうけんもち)』
干し芋粉や裏ごし芋と数種類の雑穀粉を混ぜ、湯で練り、成形して長時間乾燥させた餅。
通常の餅より保存性が格段に高く、滋養豊富。
そのまま、水で戻して柔らかく、炙って香ばしく、汁に入れてと多様な食べ方ができる。
(現代の芋餅や滋養系保存食に類似。
男飯:腹持ち)
特に、彼らが持ち帰った情報そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に、千兵衛が用意した型破りな兵糧が任務遂行に貢献したという事実は、軍の上層部にも静かな波紋を広げた。
偵察部隊の奮闘を支えた戦陣堅パン。
そして、疲弊した兵士たちを一瞬で笑顔にしたささやかな甘味の話は、武功一辺倒ではない視点を持つ一部の武将たちの関心を引いた。
その中の一人が、兵糧奉行・黒田幻斎(くろだ げんさい)だった。
幻斎は、厳格で実務に明るいことで知られている。
戦においては兵站こそが命綱であるという現実を理解しており、無駄や非効率を嫌った。
最初は千兵衛の「美味しい飯」の噂など、戦場には不要な軟弱なものだと聞き流していた。
だが、経験豊富な堀田小隊長が、真顔で「千兵衛殿の兵糧が命を救うた」と報告したこと、そして、大熊武家奉行が、甘味で兵士たちの顔色が一変した様を黙って見ていたという話を聞き、幻斎は千兵衛に会ってみる価値があると考えたのだ。
千兵衛は、兵糧奉行直々の呼び出しに、身が引き締まる思いだった。
これまで、彼の働きを評価してくれたのは、権六のような下級兵士か、せいぜい小隊長クラスの堀田だけだ。
幻斎は、軍の兵站を一手に担う人物。
彼の評価は、千兵衛の今後の働きに大きな影響を与えるだろう。
幻斎の執務所は、他の陣幕とは異なり、簡素ながらも整然としていた。
書類が積み上げられ、地図が広げられている。
幻斎は、鋭い目つきで千兵衛を見据えた。
「伊吹千兵衛と申したか。
お前の作った兵糧が、先の先駆け衆の任務に役立ったと聞いた。
まことか」
「はっ、微力ながら」
千兵衛は緊張しながらも答える。
「兵士の方々の腹と、わずかばかりの心の支えになればと思い、工夫いたしました」
幻斎は千兵衛の言葉にふんと鼻を鳴らす。
心を支える、だと?
戦場で必要なのは、飢えない腹と、敵を斬る刀、そして揺るがぬ規律だけだと思っていた幻斎にとって、それは理解しがたい考え方だった。
「心が支えられるなど、戦場で酔狂な。
腹が満ちれば良い。
それより、お前の作る飯は、通常の兵糧より長く持つという話は真か?
大規模な兵の移動や籠城には、保存性が最も重要だ」
幻斎の問いに、千兵衛の目が輝いた。
彼は、まさにそのことを証明するために、今日、あるものを持参していたのだ。
「はっ、
保存性、栄養、そしていざという時の力となるよう、工夫を重ねたものがございます」
千兵衛は包みを開けた。
中に入っていたのは、見た目は素朴な、だがどこかしっかりとした感触のある餅だった。
これは、千兵衛が兵糧奉行に見せるために、特別な思いを込めて作ったものだ。
材料は、陣営の周囲でも手に入りやすい芋(干し芋にして粉にしたもの)と、備蓄の雑穀。
これらを組み合わせることで、栄養価が高く、通常の餅よりも格段に日持ちがする「滋養強堅餅」を編み出したのだ。
まず、丁寧に裏ごしして乾燥させた干し芋粉と、数種類の雑穀粉を混ぜ合わせる。
そこに熱湯を加え、木べらで混ぜてから手でねりねりとこねていく。
生地は芋の甘みと雑穀の香ばしさが混じり合い、むっちりとした感触だ。
十分にこねたら、平たい板状に成形する。
これを、天日でからからになるまで時間をかけて乾燥させる。
完全に水分を飛ばすことで、保存性が飛躍的に高まる。
乾燥しきった餅は、カチカチというほどではないが、非常に硬くぎゅっと詰まった感触だ。
そのままでは歯が立たないほどではないが、噛むには力がいる。
千兵衛は、その硬い餅を、水で戻して柔らかくした状態と、軽く炙って香ばしさを出した状態にして、幻斎の前に差し出した。
幻斎は厳しい目つきで餅を見た。
まずは水で戻したものを一口。
もぐもぐと噛みしめる。
幻斎の顔に、微かな変化が現れた。
険しかった目つきが、少し緩んだように見える。
次に炙ったものを手に取り、カリッとした表面を噛み破る。
中のふっくらとした、しかししっかりとした餅の食感。
そして、噛むほどにじんわりと広がる、芋と雑穀の優しい甘みと香ばしさ。
干飯のように砂を噛むような感触は一切なく、滋味深い味わいだ。
幻斎は無言で二つ目を口に運んだ。
そして、全て食べ終えると、じっと千兵衛を見据えた。
千兵衛は、緊張しながらも、この餅に込めた思いと、その持つ可能性を幻斎に訴えた。
遠征に持たせれば、通常の兵糧より軽くて場所を取らない。
籠城戦になっても、長く備蓄しておける。
そして、水で戻すだけでなく、焼いたり、汁に入れたりと、様々な食べ方ができる。
そして、目の前の料理を指し示し、千兵衛は確かな声で、自身の信念を語った。
「乏しき中にこそ、美味は宿る。
これぞ、いくさ飯。」
幻斎は、千兵衛の言葉を聞き、そして餅の味を思い返すように一つ頷いた。
彼の口から出たのは、意外な言葉だった。
「……
美味い」
幻斎が、美味いと言った。
あの厳格な幻斎が。
千兵衛は思わず息を呑んだ。
「ただ美味いだけでなく、確かに腹持ちが良い。
そして、これほど硬く、水分が飛んでおるならば、保存も利こう」
幻斎は餅の残りを手に取り、その感触を確かめるようにぎゅっと握った。
「武勇に優れずとも、兵糧に才を持つか。
お前のような兵も、必要か……」
幻斎は千兵衛をじっと見つめた後、重々しく口を開いた。
「伊吹千兵衛。
お前の才、見込んだ。
これより、兵糧奉行預かりとして、より大規模な兵糧の工夫を任せる。
資材や人手が必要ならば申せ。
ただし、無駄は許さぬぞ」
千兵衛は、幻斎の言葉にはっと息を呑んだ。
兵糧奉行預かり。
それは、名ばかりの補佐ではない。
正式に、彼の才を認め、軍の兵糧を担う一員として扱われるということだ。
「は、ははあ!」
千兵衛は深々と頭を下げた。
喜びと、そして、今までにない重い責任感が、同時に彼の肩にのしかかる。
幻斎はもう千兵衛を見ていない。
再び目の前の書類に目を落とし、ぱらぱらと捲っている。
「下がって良い。
今後の働きに期待する」
千兵衛は一礼し、幻斎の執務所を後にした。
外に出ると、太陽の光がきらきらと眩しかった。
兵糧奉行という強力な後ろ盾を得た。
これは大きな一歩だ。
飢餓という見えざる敵は、日増しにその影を濃くしている。
だが、千兵衛はもう一人ではない。
兵糧奉行の命を受け、より多くの兵士を飢えから救い、来るべき大戦に備えることができる。
手に残った、さっきの餅の感触を確かめる。
硬く、素朴だが、確かに滋養と美味が詰まっている。
この小さな餅が、彼の道を切り開いたのだ。
これから、本格的な「いくさ飯」の戦いが始まる。
兵糧の危機は、まだ序章に過ぎないのだから。
【今回のいくさ飯】
『幻斎唸る! 芋と雑穀の滋養強堅餅(じようごうけんもち)』
干し芋粉や裏ごし芋と数種類の雑穀粉を混ぜ、湯で練り、成形して長時間乾燥させた餅。
通常の餅より保存性が格段に高く、滋養豊富。
そのまま、水で戻して柔らかく、炙って香ばしく、汁に入れてと多様な食べ方ができる。
(現代の芋餅や滋養系保存食に類似。
男飯:腹持ち)
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