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第一部:陣中の異才、食への序曲
第七話:忍び寄る危機、干物の知恵
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兵糧奉行・黒田幻斎に認められ、千兵衛の立場は大きく変わった。
名ばかりの補佐ではなく、幻斎の差配のもと、軍全体の兵糧に関わる一員として働くことになったのだ。
彼の仕事場は、陣営の片隅にあった小さな作業場から、兵糧奉行の執務所が置かれた大きな陣幕の脇へと移った。
そこは、軍の兵站が文字通り集約される場所だった。
各地から集められた米、麦、豆、干し肉、干し魚、塩、味噌といった大量の食料が運び込まれ、管理されている。
そして同時に、兵站が抱える問題点も、隠すことなく千兵衛の目に飛び込んできた。
中でも深刻だったのは、先日の長雨がもたらした被害だった。
管理体制が十分でない場所では、備蓄していた穀物や干し物にカビが生えたり、腐敗が進んだりしていたのだ。
兵糧奉行の役人たちが、溜息混じりに傷んだ食料を運び出し、廃棄を指示している。
その量は、目にするだけで胃が締め付けられるほどだった。
「これでは……」
千兵衛は、山積みになった、まだ部分的には食べられそうなのに廃棄される食料を見て、言葉を失った。
飢えに苦しむ兵士たちがいるというのに、貴重な食料が大量に無駄になっている。
輸送の途絶により、新たな補給もままならない状況下では、これは看過できない問題だった。
幻斎の役人たちも、この状況に頭を悩ませていた。
しかし、一度カビが生えたり、湿気てしまった食料は、腹を壊す元になる。
安全を考えれば、捨てるしかないというのが、これまでの常識だった。
千兵衛は考えた。何とかして、この無駄を減らせないか。
完全に腐敗したものは仕方ないとしても、少し湿気たもの、割れてしまった干物など、まだ使える部分は必ずあるはずだ。
そして、たとえ傷んでいなくとも、大量にあるのに活用しきれていないものはないか。
そこで千兵衛が目を付けたのは、陣営の周囲に豊富に自生している野草、そして備蓄の干し魚の中でも、小さすぎたり、形が崩れてしまったりして、そのままでは調理に使われず、持て余されているものだった。
これらは、主力の穀物や肉に比べれば軽んじられているが、量はある。
これらの「乏しい」材料を、長期保存が可能で、かつ味気ない干飯や粥に混ぜるだけで、劇的に風味と栄養を加えられるものに変えられないか。
千兵衛の頭の中で、あるアイデアが形になり始めた。
「ふりかけ」のようなものだ。
まず、陣営の周囲で手に入る、香り高く滋養のある野草を摘んでくる。
これを丁寧に洗い、塩漬けにする。
ただの塩漬けではなく、少し工夫を凝らす。
塩分濃度を調整し、数日置いて乳酸発酵させるのだ(現代の塩麹漬けや、野草の漬物のようなイメージ)。
これにより、保存性が高まるだけでなく、独特の旨味と酸味が生まれる。
野草の葉がじっとりと塩と馴染み、色が変化していく。
次に、発酵させた野草を細かく刻み、天日でからからになるまで徹底的に乾燥させる。
水分を飛ばすことで、長期保存を可能にする。
同時に、備蓄の干し魚の中から、割れてしまったり、形の悪いものを選り分け、これを軽く炙ってから石臼で丹念にすり潰す。
ゴリゴリと石臼を回すたびに、香ばしい魚粉がサラサラと生まれる。
乾燥させた野草、香ばしい魚粉、そして炒った胡麻や煎り糠(ぬか)などを混ぜ合わせる。
全体が均一になるように、何度も混ぜ合わせる。
塩で味を調えれば、完成だ。
出来上がったのは、見た目は地味だが、様々な色が混じり合った、顆粒状の保存食だった。
手に取るとさらさらとしている。
鼻を近づけると、塩気と魚の香ばしさ、そして発酵野草のつんとした香りが混じり合った、複雑な香りが漂う。
千兵衛は、この万能ふりかけを小さな袋に詰め、兵糧奉行の執務所に持っていった。
幻斎は不在だったため、彼の腹心である数名の役人たちに説明する。
「これは?」
役人たちは不審げな顔をする。
「これは、いったい何に使うのだ?」
「これは、干飯や粥に一振りするだけで、味と栄養を加えられる万能の保存食でございます」
千兵衛は説明する。
「先の長雨で傷んだ食料を無駄にせず、また、手に入りやすい野草や規格外の干物などを活用して作れます。
塩気と旨味が強いため、少量で済み、大変日持ちもいたします」
役人たちは、千兵衛の話を半信半疑で聞いていた。
彼らは日頃から大量の兵糧を扱っているが、こういった「細かな工夫」には慣れていない。
「ふりかけなど、戦場で何の役に立つ?」
一人の役人がふんと鼻を鳴らす。
「腹を満たすことこそが第一であろう」
千兵衛は黙って、脇に置いてあった干飯の湯漬けと、完成した万能ふりかけを取り出した。
湯漬けはいつもの通り、硬く、味気ない。
千兵衛は、その湯漬けに、万能ふりかけをぱらぱらと一振りした。
湯漬けの色が変わり、ぷんぷんと食欲をそそる香りが立ち上る。
役人たちは思わず身を乗り出した。
千兵衛は、その湯漬けを役人たちに勧めた。
彼らは戸惑いながらも、一口食べてみる。
もぐもぐ…と噛みしめる。
役人たちの顔色が変わる。
塩気、魚の旨味、野草のほのかな酸味と香り。
それは、いつもの味気ない湯漬けが、まるで別の料理になったかのようだった。
彼らは無言で湯漬けを食べ進め、うんうんと頷いた。
千兵衛は、役人たちの反応を見て、確かな手応えを感じながら、静かに、しかし力強く言った。
「乏しき中にこそ、美味は宿る。
これぞ、いくさ飯。」
役人たちは顔を見合わせた。
確かに美味い。
そして、傷んだ食料の一部や、普段は持て余すような材料で作れるという話も聞き捨てならない。
何より、この香ばしい香りと塩気、旨味があれば、あの味気ない干飯や粥も、文句を言わずに食べられるかもしれない。
それは、兵士の不満を減らし、兵站の負担を軽減することに繋がる。
「……うむ」
筆頭の役人が口を開いた。
「確かに、これは……
使えるかもしれぬ。
無駄を減らし、兵士たちの食を進める。
幻斎様にご報告しよう」
こうして、千兵衛の「万能ふりかけ」は、兵糧奉行の正式な試作品として認められることになった。
千兵衛は、このふりかけの大量生産と、各部隊への配布方法について検討するように命じられる。
飢餓という危機は、兵糧の腐敗という形で、確実に軍の内部にまで忍び寄っていた。
廃棄される膨大な食料は、その深刻さを物語っている。
だが、千兵衛は、そんな絶望的な状況の中でも、捨てられるはずだったものから、兵士たちを支える新たな糧を生み出した。
この小さな、さらさらとした万能ふりかけが、来るべき大戦の中で、どれほど多くの兵士たちの飢えと不満を救うことができるのか。
千兵衛の、兵糧奉行預かりとしての、本格的な戦いが始まった。
【今回のいくさ飯】
『一振りで蘇る! 塩麹野草と燻し魚粉の万能ふりかけ』
塩漬けにして軽く発酵させた野草と、燻製にした干し魚(規格外品など)をそれぞれ乾燥させ、粉末にして混ぜ合わせたもの。
炒り胡麻や煎り糠、塩などを加える。
干飯や粥に一振りするだけで、風味と栄養を加え、食欲を増進させる。
保存性が高い。
(現代の万能調味料、手作りふりかけ、栄養パウダーに類似)
名ばかりの補佐ではなく、幻斎の差配のもと、軍全体の兵糧に関わる一員として働くことになったのだ。
彼の仕事場は、陣営の片隅にあった小さな作業場から、兵糧奉行の執務所が置かれた大きな陣幕の脇へと移った。
そこは、軍の兵站が文字通り集約される場所だった。
各地から集められた米、麦、豆、干し肉、干し魚、塩、味噌といった大量の食料が運び込まれ、管理されている。
そして同時に、兵站が抱える問題点も、隠すことなく千兵衛の目に飛び込んできた。
中でも深刻だったのは、先日の長雨がもたらした被害だった。
管理体制が十分でない場所では、備蓄していた穀物や干し物にカビが生えたり、腐敗が進んだりしていたのだ。
兵糧奉行の役人たちが、溜息混じりに傷んだ食料を運び出し、廃棄を指示している。
その量は、目にするだけで胃が締め付けられるほどだった。
「これでは……」
千兵衛は、山積みになった、まだ部分的には食べられそうなのに廃棄される食料を見て、言葉を失った。
飢えに苦しむ兵士たちがいるというのに、貴重な食料が大量に無駄になっている。
輸送の途絶により、新たな補給もままならない状況下では、これは看過できない問題だった。
幻斎の役人たちも、この状況に頭を悩ませていた。
しかし、一度カビが生えたり、湿気てしまった食料は、腹を壊す元になる。
安全を考えれば、捨てるしかないというのが、これまでの常識だった。
千兵衛は考えた。何とかして、この無駄を減らせないか。
完全に腐敗したものは仕方ないとしても、少し湿気たもの、割れてしまった干物など、まだ使える部分は必ずあるはずだ。
そして、たとえ傷んでいなくとも、大量にあるのに活用しきれていないものはないか。
そこで千兵衛が目を付けたのは、陣営の周囲に豊富に自生している野草、そして備蓄の干し魚の中でも、小さすぎたり、形が崩れてしまったりして、そのままでは調理に使われず、持て余されているものだった。
これらは、主力の穀物や肉に比べれば軽んじられているが、量はある。
これらの「乏しい」材料を、長期保存が可能で、かつ味気ない干飯や粥に混ぜるだけで、劇的に風味と栄養を加えられるものに変えられないか。
千兵衛の頭の中で、あるアイデアが形になり始めた。
「ふりかけ」のようなものだ。
まず、陣営の周囲で手に入る、香り高く滋養のある野草を摘んでくる。
これを丁寧に洗い、塩漬けにする。
ただの塩漬けではなく、少し工夫を凝らす。
塩分濃度を調整し、数日置いて乳酸発酵させるのだ(現代の塩麹漬けや、野草の漬物のようなイメージ)。
これにより、保存性が高まるだけでなく、独特の旨味と酸味が生まれる。
野草の葉がじっとりと塩と馴染み、色が変化していく。
次に、発酵させた野草を細かく刻み、天日でからからになるまで徹底的に乾燥させる。
水分を飛ばすことで、長期保存を可能にする。
同時に、備蓄の干し魚の中から、割れてしまったり、形の悪いものを選り分け、これを軽く炙ってから石臼で丹念にすり潰す。
ゴリゴリと石臼を回すたびに、香ばしい魚粉がサラサラと生まれる。
乾燥させた野草、香ばしい魚粉、そして炒った胡麻や煎り糠(ぬか)などを混ぜ合わせる。
全体が均一になるように、何度も混ぜ合わせる。
塩で味を調えれば、完成だ。
出来上がったのは、見た目は地味だが、様々な色が混じり合った、顆粒状の保存食だった。
手に取るとさらさらとしている。
鼻を近づけると、塩気と魚の香ばしさ、そして発酵野草のつんとした香りが混じり合った、複雑な香りが漂う。
千兵衛は、この万能ふりかけを小さな袋に詰め、兵糧奉行の執務所に持っていった。
幻斎は不在だったため、彼の腹心である数名の役人たちに説明する。
「これは?」
役人たちは不審げな顔をする。
「これは、いったい何に使うのだ?」
「これは、干飯や粥に一振りするだけで、味と栄養を加えられる万能の保存食でございます」
千兵衛は説明する。
「先の長雨で傷んだ食料を無駄にせず、また、手に入りやすい野草や規格外の干物などを活用して作れます。
塩気と旨味が強いため、少量で済み、大変日持ちもいたします」
役人たちは、千兵衛の話を半信半疑で聞いていた。
彼らは日頃から大量の兵糧を扱っているが、こういった「細かな工夫」には慣れていない。
「ふりかけなど、戦場で何の役に立つ?」
一人の役人がふんと鼻を鳴らす。
「腹を満たすことこそが第一であろう」
千兵衛は黙って、脇に置いてあった干飯の湯漬けと、完成した万能ふりかけを取り出した。
湯漬けはいつもの通り、硬く、味気ない。
千兵衛は、その湯漬けに、万能ふりかけをぱらぱらと一振りした。
湯漬けの色が変わり、ぷんぷんと食欲をそそる香りが立ち上る。
役人たちは思わず身を乗り出した。
千兵衛は、その湯漬けを役人たちに勧めた。
彼らは戸惑いながらも、一口食べてみる。
もぐもぐ…と噛みしめる。
役人たちの顔色が変わる。
塩気、魚の旨味、野草のほのかな酸味と香り。
それは、いつもの味気ない湯漬けが、まるで別の料理になったかのようだった。
彼らは無言で湯漬けを食べ進め、うんうんと頷いた。
千兵衛は、役人たちの反応を見て、確かな手応えを感じながら、静かに、しかし力強く言った。
「乏しき中にこそ、美味は宿る。
これぞ、いくさ飯。」
役人たちは顔を見合わせた。
確かに美味い。
そして、傷んだ食料の一部や、普段は持て余すような材料で作れるという話も聞き捨てならない。
何より、この香ばしい香りと塩気、旨味があれば、あの味気ない干飯や粥も、文句を言わずに食べられるかもしれない。
それは、兵士の不満を減らし、兵站の負担を軽減することに繋がる。
「……うむ」
筆頭の役人が口を開いた。
「確かに、これは……
使えるかもしれぬ。
無駄を減らし、兵士たちの食を進める。
幻斎様にご報告しよう」
こうして、千兵衛の「万能ふりかけ」は、兵糧奉行の正式な試作品として認められることになった。
千兵衛は、このふりかけの大量生産と、各部隊への配布方法について検討するように命じられる。
飢餓という危機は、兵糧の腐敗という形で、確実に軍の内部にまで忍び寄っていた。
廃棄される膨大な食料は、その深刻さを物語っている。
だが、千兵衛は、そんな絶望的な状況の中でも、捨てられるはずだったものから、兵士たちを支える新たな糧を生み出した。
この小さな、さらさらとした万能ふりかけが、来るべき大戦の中で、どれほど多くの兵士たちの飢えと不満を救うことができるのか。
千兵衛の、兵糧奉行預かりとしての、本格的な戦いが始まった。
【今回のいくさ飯】
『一振りで蘇る! 塩麹野草と燻し魚粉の万能ふりかけ』
塩漬けにして軽く発酵させた野草と、燻製にした干し魚(規格外品など)をそれぞれ乾燥させ、粉末にして混ぜ合わせたもの。
炒り胡麻や煎り糠、塩などを加える。
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