【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔

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第三部:兵糧戦線、前進!

第三十三話:治部少輔の疑念、工夫を凝らした握り飯

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 武藤家の大軍は、戦場への長く厳しい行軍を続けていた。

 兵士たちの疲労は極限に達し、飢えや寒さ、病への不安が常に付き纏う。
日々の食事は、腹を満たすのが精一杯で、味や彩りに乏しい。

 単調な干飯や雑穀飯、そして携帯食(第26話)といった同じような食事が続くと、兵士たちは食欲そのものを失いかけ、顔から活力が失われていく。

 千兵衛は、第二師団の兵糧責任者として、兵士たちの様子を見て、この状況を憂慮していた。

 飢餓に打ち勝つためには、腹を満たすだけでなく、彼らの食欲をかき立て、心を支える「美味さ」も不可欠だ。

 しかし、軍目付代の井上治部少輔(第31話)は、千兵衛のこうした考え方を「無駄」「非効率」だと厳しく批判していた。

 井上にとって、兵糧とは「量」であり「カロリー」だ。

 いかに多くの兵士に、いかに多くの糧を、いかに早く配給するか。
それこそが兵糧担当の役割であり、それ以外の工夫は全て「無駄」なのだ。

 美味しい食事を作ること、見た目を良くすること、兵士の嗜好に合わせること。

 これらは全て、戦場の厳しさには不要な、感傷であり、貴重な資材と時間の浪費だと考えている。

 「決められた資材で、決められた量の飯を炊けばそれで良い。
余計なことに時間や燃料を使うな」

 井上は、機会あるごとに千兵衛にそう釘を刺した。

 特に、千兵衛が以前作った甘辛い焼き団子(第18話)や、珍しい食材を使った料理(第27話)などは、彼の「無駄」のリストに挙げられているだろう。

 千兵衛は、井上の視線を感じながらも、自身の信念を曲げなかった。

 彼は、兵士たちの食欲と士気を回復させるためには、「美味しい」という力が不可欠だと知っている。

 そして、それを証明するために、あえて最も基本的で、井上が「工夫の余地なし」と思っているであろう「握り飯」に、全力を注ぐことにした。

 彼は、配給用の雑穀飯をいつも通り炊く。
しかし、今回はそこに、兵糧奉行の備蓄の中から選りすぐりの雑穀と、味と香りの決め手となる「炒り豆」と「炒り胡麻」を加える。

 炒り豆と炒り胡麻は、香りが立つまで丁寧に火にかけ、こうばしい香りを引き出す。それを石臼でゴリゴリと、食感が残る程度に粗く挽く。

 炊きあがったばかりの、まだ湯気が立つ雑穀飯に、挽いた炒り豆と炒り胡麻、そして適量の塩を加えて、素早く、そして全体が均一になるように混ぜ合わせる。

 飯の熱で、炒り豆と胡麻のこうばしい香りがさらに強まり、湯気と共にふわりと広がる。

 炊事場全体が、食欲をそそる豊かな香りに満たされる。
単なる雑穀飯からは想像もできない香りだ。

 混ぜ合わせた飯を、手に塩水をつけながら、ぎゅっと力を込めて握る。

 握り飯の形は、皆に公平に行き渡るよう、いつも通り均一に(第23話)。
握るたびに、飯の中から、炒り豆と胡麻の香りがぷんぷんと漂う。

 手に持っているだけで、腹の虫が鳴きそうだ。

 出来上がった「炒り豆と胡麻香る五穀飯握り」は、見た目は地味な雑穀飯握りだが、表面に炒り豆と胡麻のつぶつぶが見え、彩りがある。

 そして何よりも、そのこうばしい香りは、他のどんな兵糧とも違う。

 千兵衛は、出来上がった握り飯を、配給所の前に並べさせた。

 兵士たちは、いつものように疲れた顔で列を作っている。

 その時、井上治部少輔が配給所の様子を見回りにやってきた。

 彼は、兵士たちの列を見ながら、千兵衛の炊事場から漂うこうばしい香りに気づき、眉をひそめる。

 「なんだ、この匂いは?」
井上は訝しげに千兵衛に問いかけた。

 「また何か、余計な細工をしておるのか、伊吹殿?
 香料か?
 無駄な資材を使うなと言ったはずだが!」

 井上は、千兵衛が貴重な資材を「美味しくするため」という無駄な理由で浪費していると決めつけた。

 彼にとって、飯は飯であり、匂いや味付けにこだわることは非効率の極みだ。

 千兵衛は、井上の厳しい視線を受け止めながら、出来上がった握り飯を手に取った。

 「井上様。香料ではございませぬ。
これは炒り豆と胡麻を混ぜ込んだ飯団子にございます」

 千兵衛は、落ち着いた声で答えた。

「乏しい資材でも、炒る工夫、混ぜる工夫で、これほど豊かな香りと味が出せるのです。
これは、単に腹を満たすだけでなく、兵士たちの食欲をかき立て、心を奮い立たせる力を持っています。
疲弊した兵士には、美味い食事が何よりの薬となるのです」

 千兵衛は、美味さが持つ士気向上、食欲増進といった「実利」を訴えた。

 これは無駄ではなく、兵士の戦闘力を維持・向上させるための、効率的な資材活用なのだと。

 井上は、千兵衛の説明に鼻であしらうように答えた。

「馬鹿なことを! 
飯は飯だ。
腹に詰め込めば良い。
味など不要! 
そのような姑息な手段で兵士を釣ろうなどと、兵糧担当の分際で!」

 井上は、千兵衛の考え方を全く理解しようとしない。

 彼にとって、美味さは単なる感傷であり、兵糧の役割はただ量を提供することにある。

 彼は、千兵衛を「本質を見誤った、余計なことをする役人」と断罪した。

「いいか、伊吹殿」
井上は冷たく言い放った。

「貴様は兵糧の本分を忘れておる。
今必要なのは量だ。
次からは、このような無駄な労力と資材は一切許さぬ。
覚悟しておけ!」

 井上はそう言い残し、ぷいと背を向けた。

 千兵衛は、井上の冷たい言葉を背中に受けながら、握り飯を握りしめた。

 井上との対立は、もはや理念の衝突だけでなく、彼の仕事そのものに対する直接的な妨害へと発展している。

 しかし、千兵衛は諦めない。
彼は、出来上がった炒り豆と胡麻香る五穀飯握りを、兵士たちに配り始めた。

 兵士たちは、そのこうばしい香りに気づき、疲れていた顔に光が宿る。

 握り飯を受け取り、一口食べる。

 もぐもぐと噛みしめる。
口の中に広がる、炒り豆と胡麻の豊かな風味。
つぶつぶとした食感と、飯のもっちりとした歯ごたえ。

 それは、いつもの単調な飯とは全く違う、驚きの美味さだった。
兵士たちの顔ににこりと笑みが浮かび、はぁ~、と安堵のため息が漏れる。

「美味い!」

「なんだ、この握り飯は!」

「腹が減ってきた!」

 兵士たちの食欲がかき立てられ、皆、夢中で握り飯をかき込んだ。

 美味い食事は、物理的な疲労だけでなく、心のだるさをも吹き飛ばす力があることを、彼らは改めて実感した。

 この炒り豆と胡麻香る五穀飯握りは、井上治部少輔による「美味さは無駄」という批判に対する、千兵衛の明確な答えだった。

 彼は、乏しい資材でも、工夫次第で、兵士たちの食欲と士気を最大限に引き出す「美味さ」を生み出せることを証明したのだ。

 井上治部少輔は、この美味さが兵士に与える真の力を理解できないだろう。
そして、千兵衛への風当たりはさらに強まるだろう。

 しかし、千兵衛は知っている。
この握り飯が、戦場への長い道のりを、兵士たちが前を向いて歩き続けるための、確かな力となることを。

 飢餓との戦いは、権力者の無理解と妨害という、新たな局面を迎える。

【今回のいくさ飯】
『美味さが兵士を支える。炒り豆と胡麻香る五穀飯握り』

 配給用の雑穀飯に、香ばしく炒って粗く挽いた大豆と胡麻、そして塩を混ぜ込み、握った飯団子。
炒る、挽く、混ぜ込むといった工夫により、限られた資材でも豊かな香りと味を生み出す。
単調な兵糧の中で際立つ「美味さ」が、兵士の食欲を増進させ、疲労と戦う士気を高める。
井上治部少輔が批判する「無駄」な工夫が、千兵衛にとっては兵士の命を支える本質となる一品。
(現代の混ぜご飯おにぎり、香ばしい風味。士気向上、食欲増進、井上治部少輔との対立の象徴)
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