【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔

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第三部:兵糧戦線、前進!

第三十八話:補給途絶、過去の影

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 武藤家の大軍は、戦場への行軍を続けていた。

 道は険しく、特に山間いの道では、荷車の往来もままならない。
兵士たちは疲弊し、物資の輸送も滞りがちだ。

そんな中、最悪の知らせが届いた。

「急報!
 前方を進む山岳部隊より報告! 
予定されていた補給隊との合流地点に兵糧が到着せず! 
部隊の携帯食も底をつきかけているとのこと!」

 陣営全体に緊迫した空気が走る。

 前方部隊は、敵の斥候線を突破し、重要な偵察任務についている。
彼らが兵糧なく孤立すれば、任務の失敗、そして部隊の壊滅は避けられない。

 飢えと疲労は、彼らを無力化し、敵の餌食とするだろう。

 この知らせは、兵糧奉行の黒田幻斎、そして軍目付代の井上治部少輔のもとにもすぐに届けられた。

 千兵衛も、第二師団の兵糧責任者としてその場に控えていた。

 幻斎はすぐに他の部隊への連絡や、救援隊の手配を指示しようとする。
しかし、井上の様子が、あまりにも異常だった。

 井上は、伝令の報告を聞いた瞬間、顔から血の気が引き、青ざめた。

 その体の震えは、寒さからくるものではない。
 目に宿るのは、明らかな恐怖の色。

 普段の鋭く冷静な目つきではなく、まるで何かに怯えているような、凍り付いた目だ。

「……まただ……」

井上から、うわごとのような、震える声が漏れた。

「補給が、途絶える……
兵士が、餓える……
あの時と、同じだ……」

 彼は、かつて経験した凄惨な兵站の失敗……多くの兵士が孤立し、飢えと絶望の中で命を落とした出来事によって、深い心の傷を抱えていたのだ。

 その拭い去れない記憶が、彼の異常なまでの「規律」と「効率」への執着、そして千兵衛のような型破りなやり方への強い拒絶反応に繋がっていた。

 今回の補給途絶の報告は、彼の過去の傷を強烈に抉り出したのだ。

 他の役人たちは、井上のただならぬ様子に、息を呑んで戸惑っている。

 井上治部少輔が、これほどまでに動揺する姿を見たのは初めてだった。

 千兵衛は、井上の言葉の端々から、彼の抱える「過去」の重さと、飢餓が人に与える深い傷を感じ取った。

 井上が過去の恐怖に囚われている間にも、前方部隊の窮状は深まっていく。
彼らには、今すぐに、そして一刻も早く、何らかの糧が必要だ。

 千兵衛は、井上の痛ましい様子に心を痛めつつも、すぐに現状で自分にできることに意識を集中させた。

「井上様、幻斎様!
 先遣隊は一刻を争います! 
今、手元にある、最も携帯性に優れた非常用資材で、すぐに届けられるものを準備します!」

 千兵衛は、他の役人たちが状況の分析や手順の確認に追われる中で、一人、素早く動き始めた。

 彼自身が非常用に常に携帯している僅かな糧、例えば、特殊部隊用携帯食(第二十二話)の予備や、即席浅漬け(第二十五話)の材料として加工しておいた乾燥食材、そして甘みのある乾燥芋(第三十四話)の切れ端といったものだ。

 これらは、量は非常に少ないが、非常時には貴重なエネルギー源となる。

 彼は、集めた甘みのある乾燥芋の切れ端や、もしあれば甘みのある乾燥果実を水にさっと戻し、すり鉢でつぶす。そこに、消化の良い穀物粉や豆の粉末を少量加え、ねりねりと、柔らかく、すぐに口にできるような、ねばねばとしたペースト状にする。

 わずかな塩気と、甘みを調える。
火は使わない。
時間はかけない。

 ただ、飢えと渇きに苦しむ兵士たちのために、目の前にあるもので最善を尽くす。

 出来上がったのは、見た目は地味だが、つやつやとして、すぐにエネルギーになりそうな、即席水菓子のようなものだ。

 指先に乗るほどの、僅かな量だ。
しかし、これならば、前方部隊の兵士たちの渇きを癒やし、一時的な活力を与えることができる。

 千兵衛は、この小さな非常食を手に、困難な状況下で知恵を絞って生み出した糧の意義を確かな声で言った。

「乏しき中にこそ、美味は宿る。
これぞ、いくさ飯。」

「これを、足の速い伝令兵に!
 一刻も早く、先遣隊へ届けてくれ!」

 千兵衛は、出来上がった緊急用の糧を、包装できるものに素早く包み、待機していた伝令兵に手渡した。

 伝令兵は、千兵衛の迅速な対応と、その手に持つ非常食のただならぬ気配に驚きつつ、一言礼を言い、駆け足で出発していった。

 危機は、とりあえずの急場を凌いだ。
先遣隊は、この緊急の糧で、次の補給地点まで何とか持ちこたえられるかもしれない。

 しかし、井上治部少輔は、依然として顔色が悪く、一点を見つめたまま、過去のトラウマに囚われている様子だった。

 彼の心は、兵站の失敗がもたらす破滅的な光景から解放されていない。

 千兵衛は、井上の様子を見て、胸が締め付けられる思いだった。

 井上治部少輔は、単に厳格で意地の悪い役人なのではない。
彼は、兵站の失敗がもたらす恐ろしい結果を、誰よりも深く知っているのだ。
 
 彼の厳しさ、効率への執着、そして千兵衛への反発は、兵士たちの命を二度と失わせたくない、という強い願いの裏返しなのかもしれない。

 彼の厳しい態度に隠された「弱さ」と「恐れ」を、千兵衛は初めて垣間見た。

 この補給途絶の危機は、兵站の脆弱性を改めて浮き彫りにすると同時に、井上治部少輔の過去の影を明らかにした。

 千兵衛は、井上というライバルが抱える深い傷を知った今、彼への見方を変えざるを得なかった。
 
 飢餓との戦いは、兵士たちの腹だけでなく、兵站を司る者たちの心、そして過去のトラウマとも向き合わなければならない。

【今回のいくさ飯】
『非常時の渇きを癒やす、即席水菓子(仮称)』

 前方部隊への補給が途絶えた緊急事態で、千兵衛が迅速に用意した携帯用糧。
甘みのある乾燥芋や乾燥果実(もしあれば)を水で戻し、穀物粉や豆粉末と共にペースト状にしたもの。
火を使わず、短時間で大量に作れるわけではないが、少量でもエネルギー補給と水分補給になり、兵士の渇きを癒やし、一時的な活力を与える。
補給途絶という危機への、千兵衛の即応性と、非常用資材の活用を示す。
井上治部少輔のトラウマが垣間見えるきっかけとなった。
(現代のエネルギーゼリー、非常用栄養バーアレンジ。即応性、水分補給、非常食、井上治部少輔の過去)
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