【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔

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第四部:決戦、飢餓の戦場

第四十八話:飢餓の果て、紡がれる命の力

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 「行くぞ!」

 井上治部少輔の叫びと共に、集まったわずかな兵士と千兵衛は、敵の波の中へと飛び込んだ。

 迫りくる敵の影。

 しかし、彼らが敵の列に分け入ると、その様相は一変した。

 そこにいたのは、戦う兵士ではなかった。

 ふらつき、倒れ伏し、うめき声を上げる者たち。
剣を構える力もなく、ただ地面に座り込んでいる者たち。

 敵の「波」は、飢餓によって生み出された、苦悶する人間の淀みだった。
彼らもまた、我々と同じ、いや、それ以上の飢餓に苦しんでいたのだ。

 井上治部少輔たちは、倒れた敵兵たちの間を縫うように進んだ。

 敵からの組織的な抵抗はほとんどない。
時折、飢えと混乱から襲いかかってくる兵士もいたが、その力はあまりにも弱く、すぐに退けられた。

 彼らの顔には、味方の兵士たちと同じ、飢餓の苦痛と絶望が深く刻まれている。

 もはや、敵意はない。
ただ、同じ地獄に取り残された、哀れな人間たちがそこにいた。

 千兵衛は、この光景に言葉を失った。
味方だけでなく、敵もまた、飢餓という見えざる敵によって、これほどまでに打ちのめされていたのか。

 自分が作った「命の澱」は、味方の命をわずかに繋いだが、敵はそれすらも得られなかったのかもしれない。

 戦場の「食」が、命を繋ぐ希望であると同時に、得られなかった者にとって、これほどの悲劇を生むのだという現実が、彼の胸に重くのしかかった。

 井上治部少輔の足取りもまた、重かった。敵を打ち破るという高揚感はない。

 あるのは、同じ苦しみを味わう人間たちの間を進む、底知れぬ疲労と、そしてこの無益な状況を終わらせたいという強い意志だけだ。

 彼の視線は、敵陣の奥、かろうじて維持されている敵将の陣地に向けられていた。

 そして、彼らは敵将の前に辿り着いた。

 敵将もまた、例外ではなかった。
その顔は痩せこけ、目は落ち窪み、かつての威厳は飢餓によって削ぎ取られている。

 数名の護衛兵がいたが、彼らもまた立つのがやっとという状態だった。

「なぜ、貴様らが……
ここまで……」

 敵将が、掠れた声で問いかけた。
驚きと、そして諦めが入り混じった声だった。

 井上治部少輔は、得物を構えた。

 その手は、飢餓でわずかに震えている。
彼自身の体力も、もはや限界に近い。「命の澱」で繋いだわずかな力が、いつ尽きてもおかしくない。

「この戦を、終わらせに来た」

 井上治部少輔が、静かに答えた。

 敵将も、かろうじて得物を構えた。

 両者の間に、武将としての最後の意地がぶつかり合う、張り詰めた空気が流れる。

 勝負を決めなければならない。
しかし、井上治部少輔の体は、既に限界を超えていた。

 飢餓が、彼の剣に宿る力を奪っていく。

 このままでは……。

 その時、井上治部少輔は、すぐ近くに千兵衛がいるのを感じた。

 武器も持たず、ただ必死に自分についてきている千兵衛。
彼の顔。

 飢餓に苦しみながらも、兵糧隊として、生きるための「いくさ飯」を最期まで探し、作り出そうとした千兵衛。

 あの凄惨な「命の澱」を生み出し、兵士たちの、そして自分自身の命を繋ぎ止めようとした、あの折れない魂。

 千兵衛。
兵糧の男。

 戦う力はないが、誰よりも強く、生きることに執着し、そのための「食」を追求する男。

 千兵衛の存在。

 その、戦場の底辺で命を紡ぎ出すような、泥臭くも力強い生き様が、井上治部少輔の心に流れ込んできた。

 それは、武将としての意地や誇りとは違う、もっと根源的な、人間として生き抜くための力。

 飢餓を乗り越え、「澱」から命を紡ぎ出した千兵衛の「いくさ飯」が、形を変えて、今、井上治部少輔の中に宿ったかのようだった。

 全身に、わずかな、しかし確かな力が漲る。

 それは、物理的な力というより、精神的な、そして本能的な衝動だった。

 生きる。
この戦いを終わらせ、生き抜く。

 井上治部少輔の剣が、再び鋭さを取り戻した。

 その動きは、飢餓を忘れさせたかのように力強く、迷いがなかった。

 敵将は、その変貌に驚き、必死に防御するが、井上治部少輔の剣は、その防御を容易く突破し、敵将の首筋へと吸い込まれた。

「……」

 敵将は、声もなく、その場に崩れ落ちた。

 井上治部少輔は、静かに敵将の首級を挙げた。
それは、歓喜の瞬間ではない。

 ただ、この無益で悲惨な戦いに、ようやく終止符が打たれたという、重い現実だけがそこにあった。

 敵将が討たれたことで、敵陣に残っていたわずかな統制も完全に失われた。

 もはや戦う者はいない。
戦場に響いていたのは、飢餓と苦痛の呻き声、そして、静寂だけだった。

 飢餓の戦場は、その凄惨な終焉を迎えた。
武将である井上治部少輔が、敵将を討ち取るという形で戦いを終わらせたのだ。

 しかし、その背中には、千兵衛という一人の兵糧隊の男の、生き抜く力という名の「いくさ飯」が宿っていたのかもしれない。

 戦いは終わったが、生き残った者たちには、この地獄の記憶と、そして故郷への長い道のりが待っていた。

【今回のいくさ飯】
 戦場の「命の澱」とその象徴する生存への執念が、井上治部少輔の最後の力となる。硬骨髄、皮革片、毒抜き野草の煮込み。

 物理的な食料としての効果は限定的だった「命の澱」が、千兵衛の生き抜くという強い意志の象徴となり、それが井上治部少輔に精神的な力を与えたことで、敵将討ち取りという結果に繋がった。
敵軍も飢餓により壊滅していたことが、井上治部少輔の行動の背景となる。
飢餓が敵味方双方に等しく降りかかる脅威であることが強調される。
(敵の飢餓状態、井上治部少輔と千兵衛の絆、精神的な力としての「いくさ飯」、敵将討ち取り、戦いの終結、悲惨な結末)
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