【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔

文字の大きさ
50 / 59
第五部:帰還、そして束の間の平穏

第五十話:生還の白粥、希望を分かつ

しおりを挟む
 凄惨な決戦が終わった戦場を後にし、武藤家の大軍、その僅かな生き残りは、故郷を目指して重い足取りで歩き始めた。

 血と泥にまみれた大地が、遠ざかっていく。
戦場の喧騒は止み、聞こえるのは、風の音と、兵士たちのかすかな呻き、そして、己の鼓動だけだ。

 多くの仲間が、この地に散った。
生き残った者たちの顔には、勝利の喜びよりも、深い疲労と、失われた命への哀しみが浮かんでいる。

 兵糧方・千兵衛も、憔悴しきった兵糧隊の仲間たちと共に、黙々と歩を進めていた。

 彼らもまた、戦場の極限を兵糧と共に駆け抜けてきたのだ。補給部隊が到着し、物資の心配は一時的になくなった。

 それは、飢餓の地獄から生還した者たちにとって、確かな希望だった。
しかし、兵士たちの体と心に刻まれた傷は、容易には癒えない。

 最初の休息地に着く。
戦場からは十分離れた場所だが、兵士たちは未だ張り詰めた空気を纏っている。

 倒れ込むように休息を取る者、虚ろな目で遠くを見つめる者。
彼らの多くは、飢餓と恐怖、そして激しい戦闘によって、胃腸も弱り切っているだろう。

 千兵衛は、補給部隊からもたらされた、清らかな水と、そして何よりも貴重な「米」、上質の乾燥野菜などを見つめた。米だ。

 飢餓の戦場では、文字通り血と泥にまみれて探し求めた、白く輝く米。

 今、それが目の前にある。
戦場では夢にも見られなかった、豊かな資材だ。

 千兵衛は、これらの資材を使い、兵士たちを人間へと立ち戻らせるための、最初の一歩となる食事を作ることにした。

 それは、飢餓の地獄から生還した彼らにふさわしい、「生還の粥」だ。

 そして、その最も重要な材料は、米だ。

 彼は、大きな釜を据え、清らかな水をたっぷりと注ぐ。
そして、白い輝きを放つ米を、惜しみなく釜に入れる。

 静かに火にかけると、釜の中で米がコトコトと音を立てて煮える。
その音は、戦場の喧騒とも、飢餓の腹の虫の音とも違う、穏やかで、命を感じさせる音だ。

 じっくりと時間をかけ、米が完全にとろとろになるまで煮込む。
戦場で食べた、泥や根の粥とは全く違う。

 乾燥野菜を細かく刻んで加え、滋養と彩りを添える。
味付けは、ほんの少しの塩と、補給部隊が持ってきた上質な味噌。

 米本来の優しい甘みと、素材の味を活かす。

 釜からは、戦場の血と泥、そして死の匂いとは全く違う、清らかで、米のこうばしい、優しい香りがふわりと漂う。

 それは、まるで故郷を思わせるような、温かく、心地よい香りだ。
飢餓で麻痺しかけていた嗅覚が、はっと息を飲むような香りだ。

 出来上がった「生還の白粥、希望を分かつ(せいかんのしろがゆ、きぼうをわかつ)」は、見た目は素朴だが、ほかほかと湯気が立ち上り、白く、つやつやと輝いている。

 飢餓の戦場で、泥や獣の残滓にまみれた食事しか見なかった兵士たちにとって、この白さは、それだけで強烈なインパクトだった。

 粥の配給が始まる。
兵士たちは、目の前に出された、白く輝く温かい粥を見て、一瞬、言葉を失った。

 そして、次の瞬間、その場で泣き崩れる者さえいた。

 飢餓の極限、そして戦場の地獄から生還した彼らにとって、この一杯の白粥は、単なる食事ではなかった。

 それは、生きている証であり、故郷への希望そのものだった。

 兵士たちは、震える手で椀を受け取り、その温かさを噛みしめるように感じた。

 そして、ゆっくりと、しかしまるで宝物を口にするように、おそるおそる口に運ぶ。

 つるりと喉を通る温かい粥。
じんわりと、弱り切った体と、荒れ果てた胃に染み渡っていく感覚。

 飢餓で張り詰めていた体が、ゆっくりと解きほぐされていく。
米本来の優しい甘みと、滋養が全身を巡る。

 それは、体力の回復だけでなく、戦場で凍り付いていた心がほっと安らぐ瞬間だった。

 まるで、心が洗われるような、清らかな感覚だ。

「……うまい……」

「……米だ……
米だぁ……!」

 兵士たちの口から漏れる、嗚咽混じりの声。

 彼らは、皆、この白粥によって、自分が人間であることを改めて実感していた。

 飢餓の戦場で失いかけた人間性を、この温かい、清らかな食事によって取り戻していくのだ。

 涙を流しながら、粥をむさぼるように食べる者。
ただ無言で、感謝を込めて一口ずつ噛みしめる者。

 千兵衛は、兵士たちが白粥を食べる様子を静かに見守っていた。
彼らの顔に浮かぶ、感動と安堵、そして希望の表情。

 そして、流す涙。

 自分が、この瞬間のために兵糧方として戦ってきたのだと、千兵衛は胸が熱くなるのを感じていた。

 飢餓を乗り越えた兵士たちに、美味しく、優しく、そして希望となる食事を提供すること。
それが、今の彼の全てだった。

 千兵衛は、白く輝く温かい粥を見ながら、戦場の極限を越え、新たな希望となる糧の意義を確かな声で言った。

「乏しき中にこそ、美味は宿る。
これぞ、いくさ飯。」

 軍目付代の井上治部少輔は、この休息地の様子を、厳格さは失われた、しかし温かい眼差しで見守っていた。

 兵士たちが白粥によって生気を取り戻していく様子を見て、彼の顔にも深い感動と安堵の色が浮かぶ。

 彼は、千兵衛の傍らに歩み寄り、何も言わず、ただ静かに頷いた。
その頷きには、これまでの全ての苦難と、千兵衛への深い信頼が込められていた。

 二人の間に、新たな戦友としての絆が確かに結ばれた瞬間だ。

 帰還の旅は始まったばかりだ。

 兵士たちの体と心には、まだ深い傷が残っている。
飢餓の戦場で失われたものは、あまりにも大きい。

 しかし、この「生還の白粥」は、彼らにとって、故郷への道のりを歩み始めるための、最も力強い、最初の一歩となった。

 それは、戦いの終わりを告げ、回復と、そして未来への希望を象徴する、温かく、清らかな、いくさ飯だった。

【今回のいくさ飯】
『生還の白粥、希望を分かつ』
 戦場から生還した兵士へ贈る「希望と回復の糧」。

 第五部、戦場からの帰還の途についた兵士たちのために、補給部隊からの貴重な米と清らかな水を使って作られた最初の食事。
上質の白米をじっくり煮込み、とろとろとした、消化の良い粥。
戦場の飢餓と疲労で弱り切った兵士の体と胃に優しく染み渡り、物理的な回復だけでなく、飢餓によって失いかけた人間性を取り戻し、心理的な安らぎと、故郷への希望を与える強烈な象徴となる。
井上治部少輔との新たな協力関係のもと、準備された。
(現代の回復食、心のケアとしての食事、米の重要性。帰還、回復、希望、井上治部少輔との絆)
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜
歴史・時代
​その男、失敗すればするほど天下が近づく天才軍師? 否、只のうっかり者 ​天運は、緻密な計算に勝るのか? 織田信長の天下布武を支えたのは、二人の軍師だった。 一人は、“今孔明”と謳われる天才・竹中半兵衛。 そしてもう一人は、致命的なうっかり者なのに、なぜかその失敗が奇跡的な勝利を呼ぶ男、“誤先生”こと呉学人。 これは、信長も、秀吉も、家康も、そして半兵衛さえもが盛大に勘違いした男が、歴史を「良い方向」にねじ曲げてしまう、もう一つの戦国史である。 ※ 表紙絵はGeminiさんに描いてもらいました。 https://g.co/gemini/share/fc9cfdc1d751

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

処理中です...