【完結】『月の影、刃の舞 ~女武芸者の隠された使命~』

月影 朔

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第二章:諸国遍歴、陰謀の足跡

第二十一話:湖底の秘密

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 湖上の攻防を切り抜け、さつきたちは琵琶湖のより深部へと進んでいた。

 夜闇に溶け込むように、彼らの小舟は静かに波間を滑る。湖賊の追撃の気配はなく、しかし、その静寂が、かえって不気味さを増していた。

「しかし、湖底に『古の力』があるとは…。一体どんな代物なんだろうな」

 藤次郎が、疲れた声で呟いた。彼の肩はまだ痛み、小夜が用意した薬草を塗っていた。

「玄心殿の言葉だ。きっと、想像を絶するものだろう」

 さつきの目は、地図に示された琵琶湖の中央付近、最も深いと思われる地点に向けられていた。あの場所で、黒曜会は何を企んでいるのか。

「ねぇ、さつき姉ちゃん。私が潜ってみようか?」

 小夜が、唐突に言った。さつきと藤次郎は、驚いて小夜を見た。

「何を言う。無茶だ。湖底まで潜れるわけがないだろう」

 さつきは、すぐに小夜の提案を却下した。琵琶湖の深さは尋常ではない。並の人間が潜れるような場所ではないことは、さつきも知っていた。

「でも、私、ちょっと変わった育ち方をしてるから、普通の人間よりは息が長く続くの。それに、体が小さいから、狭い場所にも潜れるかもしれない」

 小夜は、真剣な顔でさつきを見つめた。彼女は、かつて孤児として山中で育ち、薬草を探すために危険な場所にも入り込むことが多かった。その中で、人知れず身につけた能力があったのだ。

 さつきは、小夜の言葉に迷いを見せた。危険なのは承知の上だが、このままでは黒曜会の目的の核心に迫ることができない。

「確かに、小夜の身軽さと息の長さは、潜入には有利かもしれない。しかし、万が一のことがあれば…」

 藤次郎が、心配そうに小夜を見た。彼にとって、小夜は妹のような存在だ。危険に晒すことには抵抗があった。

「私が必ず守る。もし、何かあれば、すぐに引き戻す」

 さつきは、小夜の覚悟を感じ取り、決意した。小夜の持つ特殊な能力が、この局面を打開する唯一の手段かもしれない。

「よし、だが、無理はするな。少しでも危険を感じたら、すぐに戻ってこい」
 藤次郎が、心配そうな顔で小夜に言った。小夜は、力強く頷いた。

 彼らは、地図に示された琵琶湖の深部へと向かった。夜が明け始め、湖面には朝靄が立ち込めていた。その靄の中から、彼らは巨大な建造物の影を見た。それは、湖底へと続く、巨大な構造物であった。

「あれが…黒曜会の施設か…!」

 藤次郎が、息を呑んだ。それは、湖底へと続く、巨大な筒状の構造物で、その周囲には、いくつもの作業用の足場が組まれていた。そして、構造物の周囲には、黒曜会の兵士たちが巡回していた。

「ここから潜るしかない。小夜、準備はいいか?」

 さつきは、小夜に確認した。小夜は、不安と期待が入り混じった顔で、大きく息を吸い込んだ。

「うん! 任せて!」

 小夜は、そう言うと、静かに湖へと飛び込んだ。水面に波紋が広がり、すぐに消えた。

 さつきと藤次郎は、小舟を隠し、小夜が潜入した場所から少し離れた場所で、彼女の無事を祈りながら待機した。湖底へと続く構造物からは、微かに金属を叩くような音が聞こえてくる。

 湖底深くへと潜った小夜の視界は、次第に闇に包まれていった。しかし、彼女の瞳は、暗闇の中でも微かな光を捉えることができた。彼女は、構造物の隙間を探し、侵入経路を見つけようと試みた。

 やがて、小夜は、構造物の側面に、小さな水門のようなものがあるのを見つけた。そこからは、微かな光が漏れており、どうやら内部へと繋がっているようだった。

 小夜は、細い体を活かし、その水門をこじ開け、内部へと侵入した。中には、薄暗い通路が続いており、空気は重く淀んでいた。

 通路の奥からは、金属を打ち付ける音と、人々の話し声が聞こえてくる。小夜は、音を立てぬよう慎重に進んだ。

 彼女がたどり着いたのは、巨大な地下空間であった。そこには、先日砦で見た「鉄の船」の、さらに巨大な部分が建造されていた。その大きさは、想像を遥かに超えるもので、まるで巨大な魚の骨格のようにも見えた。

「これは…本当に船なのか…?」

 小夜は、息を呑んだ。それは、船というよりも、巨大な潜水艇、あるいは何らかの兵器のようにも見えた。

 空間の中央では、黒曜会の幹部らしき者たちが、作業員たちに指示を出していた。彼らの手には、奇妙な紋様が描かれた設計図が握られている。

 小夜は、物陰に身を隠し、彼らの会話に耳を傾けた。

「…あと数日で、船は完成する。あとは、『龍脈』の力を取り込むのみだ」
 幹部の一人が、興奮した声で言った。

「龍脈…?」
 小夜は、その言葉に疑問を抱いた。

「この琵琶湖の湖底には、『龍脈』と呼ばれる古の力が眠っている。それをこの『鉄の船』に宿らせることで、我々は天下を掌握する力を手に入れるのだ!」
 別の幹部が、高笑いを上げた。

 小夜は、その言葉に、背筋が凍るような悪寒を感じた。「龍脈」とは、この国に古くから伝わる、大地の気の流れを指す言葉だ。それを兵器に利用するなど、想像を絶する邪悪な発想だった。

 彼らは、さらに奥へと進み、小夜は、その光景に言葉を失った。そこには、湖底に突き刺さるように、巨大な岩がそびえ立っており、その岩からは、禍々しい気が放たれていた。その岩の周囲には、無数の鎖が巻きつけられ、まるでその力を封じ込めようとしているかのようであった。

「あれが…『古の力』…龍脈の源…」
 小夜は、その場で立ち尽くした。

 幹部たちは、その岩の周囲で、何やら呪文のようなものを唱え始めていた。彼らの手には、奇妙な形の道具が握られている。

「儀式が、始まろうとしている…!」

 小夜は、直感的にそう悟った。彼女は、これ以上ここにいては危険だと判断し、引き返すことを決意した。

 しかし、その時、小夜が隠れていた物陰から、微かな物音がした。黒曜会の兵士が、小夜の存在に気づいたのだ。

「誰だ!」

 兵士が叫び、小夜に迫る。小夜は、瞬時に身を翻し、来た道を戻ろうとした。しかし、兵士は、素早い動きで小夜の退路を塞いだ。

 小夜は、必死に逃げようとするが、兵士はしつこく追いかけてくる。狭い通路の中、小夜は、薬草の知識を活かし、足元に薬草を撒き散らした。薬草から煙が立ち上り、兵士の目を眩ませる。

 その隙に、小夜は、水門へと急いだ。なんとか水門を潜り抜け、琵琶湖の水中へと逃げ出した。兵士たちの追跡は、水の中までは及ばなかった。

 小夜は、必死に湖面へと向かって泳いだ。息が苦しく、肺が破裂しそうになる。しかし、さつきと藤次郎の顔が脳裏に浮かび、彼女を突き動かした。

 ようやく湖面へと顔を出した小夜は、大きく息を吸い込んだ。さつきと藤次郎が、心配そうな顔で小夜を見つめていた。

「小夜! 無事か!」
 さつきが、小夜を船へと引き上げた。

「うん…無事…でも…」
 小夜は、震える声で、湖底で見た光景と、黒曜会の計画の全てを語った。

「『鉄の船』…そして、『龍脈』の力を利用した禁断の儀式…」

 さつきの顔が、怒りに歪んだ。黒曜会の野望は、彼女が想像していた以上に、邪悪で恐ろしいものであった。

「このままでは、この国が、奴らの手によって闇に包まれる…」
 藤次郎も、小夜の言葉に衝撃を受けていた。

 琵琶湖の湖底に隠された、黒曜会の恐ろしい計画。彼らは、龍脈の力を利用し、何を得ようとしているのか。そして、その巨大な「鉄の船」は、一体何のために造られているのか。

 さつきたちは、琵琶湖の湖底に眠る、この国の命運を握る秘密を知ってしまった。彼らは、この情報を京へ持ち帰り、黒曜会の野望を阻止せねばならない。

 琵琶湖は、彼らにとって、単なる通過点ではなく、この戦いの転換点となる場所となった。
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