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第三章:京への帰還、迫る刺客の刃
第十九話:失われた手がかり
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黒曜会の寺院からの辛くも脱出は果たしたが、さつきたちの心には、安堵よりも深い焦りが募っていた。
得られた情報は断片的で、黒幕の正体にはまだ辿り着けていない。
しかも、彼らが「来月の朔日」に「朝廷を巻き込む大いなる祭事」を企てているという事実は、残された時間の少なさを突きつけていた。
奉行所の一室では、橘右京、さつき、藤次郎、小夜が、京の地図を広げ、重苦しい空気に包まれていた。夜通しの捜査と分析にもかかわらず、新たな手がかりは見つからない。
「あの会議で得られた情報は、あまりにも少ない。祭事…そして、国を意のままに、か。漠然としすぎている」
右京は、眉間に深い皺を刻んで呟いた。彼の顔には、疲労の色が濃く浮かんでいる。
「幹部どもの会話から、何か決定的なヒントはなかったのか?」
藤次郎が、苛立ちを隠せない様子で言った。彼の肩に負った傷はまだ完全に癒えておらず、もどかしさが募る。
「彼らは、常に符丁めいた言葉を使っていた。特定の固有名詞や、具体的な計画内容に触れることはなかった。用心深い…としか言いようがない」
さつきは、記憶を辿るように目を閉じ、答えた。会議の最中、彼女は寸分も聞き漏らすまいと、五感を研ぎ澄ましていた。しかし、決定的な証拠には至らなかったのだ。
小夜は、地図上の京の町に、いくつもの印をつけていた。これまで黒曜会が関わってきた事件の発生場所や、不審な動きが見られた商家の位置だ。しかし、それらの点と点を繋ぎ合わせても、一本の線にはならない。
「私も、最近の京の町の異変について、色々と調べてみました。幻術の影響を受けた人々は、皆、共通してある特定の『夢』を見るというんです」
小夜が、小さな声で報告した。彼女は、幻術師・紫苑の件以来、人々の心の状態にも注意を払っていた。
「夢、だと? どのような夢だ?」
右京が、顔を上げた。
「それが…皆、口々に『古びた社で、奇怪な儀式が行われている夢』だと言うんです。そして、その儀式の中心には、常に『月明かり』がある、と…」
小夜の言葉に、さつきの心臓が、ドクンと音を立てた。月明かり。そして、儀式。それは、幻の花を摘んだあの山中で、玄心から聞いた言葉と重なる。古くから邪悪な気が満ちている山。黒曜会も、あの山に何らかの目的を持っているやもしれぬ…と。
「月明かり…儀式…。やはり、あの山が関わっているのか…」
さつきは、ひとりごとのように呟いた。
「あの山とは?」
右京が尋ねた。さつきは、玄心から聞いた、毒草が多く自生する山と、そこに伝わる邪悪な気の噂、そして、自身が幻の花を摘んだ時のことを説明した。
「なるほど…その山が、黒曜会の拠点の一つ、あるいは、重要な場所となっている可能性が高い。しかし、あの山は、一般の者が安易に立ち入れる場所ではない。警備も厳重だろう」
右京は、顎に手を当てて考え込んだ。手当たり次第に捜査を広げるには、時間がない。
焦りが、再びさつきの心を支配しようとした。あの幻術師・紫苑を退けた時、自らの心の闇を乗り越えたはずだった。しかし、失われた手がかり、迫りくる時間、そして、人々の命がかかっているという重圧が、さつきの心を再び苛み始める。
自分が無力だったあの日のように、また何もできずに、大切なものを失ってしまうのではないか。そんな恐ろしい想像が、さつきの頭の中を駆け巡る。
「このままでは…何もできない…」
さつきは、思わず拳を握りしめた。
その時、藤次郎が、さつきの肩にそっと手を置いた。
「さつき。焦るな。俺たちは、これまでも、どうしようもねぇ状況を乗り越えてきたじゃねぇか。まだ、道は閉ざされてねぇ」
藤次郎の言葉に、さつきは顔を上げた。彼の瞳には、疲労の色はあるものの、諦めの色は微塵もない。
「藤次郎殿の言う通りだ、さつき殿。情報が断片的であるならば、それを繋ぎ合わせる新たな『糸』を見つけるしかない。京には、表には出ない、様々な情報が錯綜している。あるいは、黒曜会とは別の、彼らと敵対する勢力から、思わぬ手がかりが得られるやもしれぬ」
右京もまた、さつきを励ました。彼の言葉は、失われた手がかりが、まだどこかに眠っているという希望を、さつきに与えた。
「しかし、その『糸』は、どこに…」
さつきは、右京に尋ねた。
「この京には、様々な顔を持つ者がいる。表の顔とは裏腹に、市井の裏情報に通じている者たちもな。中でも、公家の中には、かつて綾小路家と親交のあった者がいたはずだ。もしかしたら、彼らならば、何らかの手がかりを知っているやもしれぬ」
右京の言葉に、さつきの脳裏に、一つの顔が浮かんだ。父の旧友。もし、彼が何かを知っているとすれば…。
「来月の朔日」まで、残された時間は少ない。焦りは消えないが、新たな希望の光が、さつきの心に灯った。
失われた手がかりを求め、さつきたちの新たな模索が始まる。
得られた情報は断片的で、黒幕の正体にはまだ辿り着けていない。
しかも、彼らが「来月の朔日」に「朝廷を巻き込む大いなる祭事」を企てているという事実は、残された時間の少なさを突きつけていた。
奉行所の一室では、橘右京、さつき、藤次郎、小夜が、京の地図を広げ、重苦しい空気に包まれていた。夜通しの捜査と分析にもかかわらず、新たな手がかりは見つからない。
「あの会議で得られた情報は、あまりにも少ない。祭事…そして、国を意のままに、か。漠然としすぎている」
右京は、眉間に深い皺を刻んで呟いた。彼の顔には、疲労の色が濃く浮かんでいる。
「幹部どもの会話から、何か決定的なヒントはなかったのか?」
藤次郎が、苛立ちを隠せない様子で言った。彼の肩に負った傷はまだ完全に癒えておらず、もどかしさが募る。
「彼らは、常に符丁めいた言葉を使っていた。特定の固有名詞や、具体的な計画内容に触れることはなかった。用心深い…としか言いようがない」
さつきは、記憶を辿るように目を閉じ、答えた。会議の最中、彼女は寸分も聞き漏らすまいと、五感を研ぎ澄ましていた。しかし、決定的な証拠には至らなかったのだ。
小夜は、地図上の京の町に、いくつもの印をつけていた。これまで黒曜会が関わってきた事件の発生場所や、不審な動きが見られた商家の位置だ。しかし、それらの点と点を繋ぎ合わせても、一本の線にはならない。
「私も、最近の京の町の異変について、色々と調べてみました。幻術の影響を受けた人々は、皆、共通してある特定の『夢』を見るというんです」
小夜が、小さな声で報告した。彼女は、幻術師・紫苑の件以来、人々の心の状態にも注意を払っていた。
「夢、だと? どのような夢だ?」
右京が、顔を上げた。
「それが…皆、口々に『古びた社で、奇怪な儀式が行われている夢』だと言うんです。そして、その儀式の中心には、常に『月明かり』がある、と…」
小夜の言葉に、さつきの心臓が、ドクンと音を立てた。月明かり。そして、儀式。それは、幻の花を摘んだあの山中で、玄心から聞いた言葉と重なる。古くから邪悪な気が満ちている山。黒曜会も、あの山に何らかの目的を持っているやもしれぬ…と。
「月明かり…儀式…。やはり、あの山が関わっているのか…」
さつきは、ひとりごとのように呟いた。
「あの山とは?」
右京が尋ねた。さつきは、玄心から聞いた、毒草が多く自生する山と、そこに伝わる邪悪な気の噂、そして、自身が幻の花を摘んだ時のことを説明した。
「なるほど…その山が、黒曜会の拠点の一つ、あるいは、重要な場所となっている可能性が高い。しかし、あの山は、一般の者が安易に立ち入れる場所ではない。警備も厳重だろう」
右京は、顎に手を当てて考え込んだ。手当たり次第に捜査を広げるには、時間がない。
焦りが、再びさつきの心を支配しようとした。あの幻術師・紫苑を退けた時、自らの心の闇を乗り越えたはずだった。しかし、失われた手がかり、迫りくる時間、そして、人々の命がかかっているという重圧が、さつきの心を再び苛み始める。
自分が無力だったあの日のように、また何もできずに、大切なものを失ってしまうのではないか。そんな恐ろしい想像が、さつきの頭の中を駆け巡る。
「このままでは…何もできない…」
さつきは、思わず拳を握りしめた。
その時、藤次郎が、さつきの肩にそっと手を置いた。
「さつき。焦るな。俺たちは、これまでも、どうしようもねぇ状況を乗り越えてきたじゃねぇか。まだ、道は閉ざされてねぇ」
藤次郎の言葉に、さつきは顔を上げた。彼の瞳には、疲労の色はあるものの、諦めの色は微塵もない。
「藤次郎殿の言う通りだ、さつき殿。情報が断片的であるならば、それを繋ぎ合わせる新たな『糸』を見つけるしかない。京には、表には出ない、様々な情報が錯綜している。あるいは、黒曜会とは別の、彼らと敵対する勢力から、思わぬ手がかりが得られるやもしれぬ」
右京もまた、さつきを励ました。彼の言葉は、失われた手がかりが、まだどこかに眠っているという希望を、さつきに与えた。
「しかし、その『糸』は、どこに…」
さつきは、右京に尋ねた。
「この京には、様々な顔を持つ者がいる。表の顔とは裏腹に、市井の裏情報に通じている者たちもな。中でも、公家の中には、かつて綾小路家と親交のあった者がいたはずだ。もしかしたら、彼らならば、何らかの手がかりを知っているやもしれぬ」
右京の言葉に、さつきの脳裏に、一つの顔が浮かんだ。父の旧友。もし、彼が何かを知っているとすれば…。
「来月の朔日」まで、残された時間は少ない。焦りは消えないが、新たな希望の光が、さつきの心に灯った。
失われた手がかりを求め、さつきたちの新たな模索が始まる。
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