【完結】『月の影、刃の舞 ~女武芸者の隠された使命~』

月影 朔

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第五章:終焉の舞、未来への黎明

第七話:歪んだ理想

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 月詠山の山頂に満ちる禍々しい気配の中、さつきと九条兼定は対峙していた。

 兼定の言葉は、さつきの心を激しく揺さぶる。
父の死の真相、綾小路家に伝わる秘儀の重要性、そして兼定がこの国にもたらそうとする狂気の理想。

「古の力を呼び覚まし、神となって新たな秩序を創る…
貴様は、正気か!」

 さつきの問いに、兼定は薄笑いを浮かべた。
その表情には、自らの行動が何らおかしいことではないという、歪んだ確信が見て取れた。

「正気?
この腐りきった世において、正気とは何か。
貴様のような世間知らずの娘には、わかるまい。
この国は、すでに膿んでいるのだ。
貴族たちは私利私欲に走り、民は飢え、疫病に苦しむ。
帝はただの飾り、権力は闇に蠢く者たちの手に落ちている。
これが、貴様が守ろうとする『秩序』とやらなのか?」

 兼定の言葉は、確かにこの世の現状を言い当てていた。

 彼の言葉に、さつきの心がわずかに揺らぐ。
しかし、それは決して兼定の歪んだ思想に共感するものではなかった。

「だが、だからといって…
全てを破壊し、人々を犠牲にするなど、許されることではない!」

 さつきの剣を握る手に、さらに力がこもる。

「犠牲?愚かな。
新たな秩序を築くには、必ず血が流れるものだ。それは歴史が証明している。
私は、この国の、そして人々の苦しみを終わらせるために、新たな世を創り出すのだ。痛みなくして、真の変革などありはしない」

 兼定は、扇を広げ、ゆっくりと祭壇に視線を向けた。
祭壇からは、以前にも増して強い黒い靄が立ち上り、周囲の石柱は、鼓動するかのように鈍い光を放ち続けている。

「綾小路家は、その野望に気づいたため滅ぼされたのだ。
貴様の父は、この『大業』を理解できず、私を妨害しようとした。愚かなことだ。
あの者は、私の壮大な理想を、つまらぬ世の慣習に囚われていたにすぎない」

 兼定の声は、冷たく響いた。
彼の口から語られる綾小路家の滅亡の真相は、さつきの胸に深く突き刺さる。

 父は、ただ権力闘争に敗れたのではない。
この男の恐るべき野望に気づき、それを阻止しようとしたが故に、命を落としたのだ。
その事実が、さつきの心に、新たな怒りの炎を灯した。

「父は…貴様のような狂った思想に、この国を明け渡すことなど、決して許さなかったでしょう!」

 さつきの言葉に、兼定は初めて明確な感情を顔に浮かべた。
それは、侮蔑と、微かな怒りだった。

「口うるさい小娘め。貴様にはわからぬ。
私がどれほどの苦痛と腐敗を見てきたか。
この国は、もはや自浄作用を失っている。外科手術が必要なのだ。
私は、その外科医となる」

 兼定の指が、ゆっくりと祭壇の黒い靄に触れた。

 靄は、その指に吸い込まれるかのように、彼の体内に流れ込んでいく。
兼定の周囲の空気が、さらに重く、不穏なものに変わっていく。

「古の力を手に入れ、私はこの地の全てを支配する。
人の心、土地の豊かさ、季節の移ろい…
全てが私の意のままだ。もはや、飢えも病もない、争いのない世界を、私が創り出してみせよう!」

 その言葉は、まるで神が天地を創造するとでも言うかのような、傲慢で歪んだ理想を語っていた。

 兼定の瞳は、狂信的な輝きを増し、その体からは、黒いオーラが立ち上り始める。

「そんなものが…
真の平和であるはずがない!
力で全てを支配するなど、ただの暴君に過ぎぬ!」

 さつきは、兼定の言葉を真っ向から否定した。
兼定の理想は、自由と尊厳を奪い、全てを己の管理下に置く、抑圧された世界でしかない。

「口答えか。だが、もう手遅れだ。儀式は始まった。
もはや、誰にも止めることはできぬ」

 兼定の口から、低く響く呪文のような言葉が紡がれる。
祭壇から立ち上る靄は、空へと伸び上がり、月詠山の上空に、黒い渦を巻き始めた。

 大地が微かに震え、不気味な轟音が響き渡る。

「さつき!急ぐのだ!」

 背後から、橘右京の声が響いた。 彼らもまた、兼定の目的と、儀式の進行に気づき、焦りを感じているようだった。

 さつきは、兼定の前に立ち塞がった。

 彼女の剣は、もはや復讐の道具ではない。
全てを破壊しようとする狂気から、この国と、人々が生きる未来を守るための、最後の希望の剣だった。

(父上…私は、あなたの守ろうとしたものを、必ず守り抜いてみせます!)

 さつきの心の中で、決意が固まる。

 彼女の瞳には、強大な敵を前にしても揺るがぬ、強い光が宿っていた。
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