【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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30 信じられないほど幸せな日々の始まり

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 翌朝には、すっかり平熱になった一太のもとに晃がやってきたのは、午前十時過ぎだった。

「いっちゃん、遅くなってごめん。洗濯乾燥ってあんなに時間がかかるって知らなくてさ。もう、苛々して待ってたよ」

 昨日、持ち帰ってくれた汗だくの病院着とタオルと下着が、ガサガサとスーパーの袋から出てくる。まだほわりと温かい。よほど急いで来てくれたらしく、晃の額からは汗が落ちた。

「ありがとう。そんなに急がなくても構わないのに」

 洗濯乾燥?
 一太は内心、首を傾げながら答える。
 コインランドリーでも使ったのだろうか。こんなに良い天気なのだから、少し干していれば乾くと思うのだが。

「だってさ、病院に一人だと寂しいでしょ。それに、着替えとタオルが無かったらシャワーに入れないし。シャンプーとリンスとボディーソープの小さいのも持ってきたからね」
「え? あ、ええっと?」
「シャワーの順番聞いた? あ、でも点滴まだ付いてるのか。朝の診察の時間に一回くればよかった。先生、何て言ってた?」

 ぺらぺらと話されて、一太は目を白黒させる。
 シャンプーとリンス? ボディーソープ? いや、それを聞くのは後にしよう。コインランドリーの件も聞かないと。
 ええと、先生は何て言ってたかな。

「ああ。あの、良くなってきてるって。ご飯は、昼から、もう少し歯応えのあるものをくれるみたい。点滴は、朝採った血液の検査の結果が出てから考えるって」
「そうかあ、良かった。何か暇つぶしの道具ある? 本を持ってこようか? どんな本が好き? 漫画? 小説? テレビのカード、一枚買っておく?」

 う。情報が多すぎて処理できない。テレビのカードって何?

「いっちゃん?」
「あの、一つずつ聞いていい?」
「あ、うん」
「晃くん、まずは座って」
「うん」

 ようやく腰を落ち着けてくれた晃に、一太はほっと息を吐く。

「あのさ。洗濯乾燥って何? コインランドリーとかで乾かしてくれたの?」
「ううん。家の洗濯機。洗濯の後、乾燥までしてくれるドラム式なんだ。いつも、出かける前に放り込んで、帰ったら終わってたから、三時間以上かかるなんて知らなかった」
「へ、へえ。そうなんだ……」

 とりあえず、コインランドリーでは無いらしいので安心する。

「じゃあ、シャンプーとかって?」
「あ、シャワーに入れるようになったら必要だから、旅行用のセットを持ってきた。買ってない。買ってないよ。家にあった」

 必死に買ってないと言うのが逆に怪しいな、と少し思ったけれど、一太は笑って、ありがとうと言った。晃くんとは、これからもずっと一緒にいられるのだから、いつでもお返しできるだろう。そう思えることが、嬉しかった。
 その後、テレビカードの説明を受ける。テレビに差し込めば、一時間五十円とかでテレビが観られるカード? 一枚千円から売っている? いらない、いらないと必死に断り、本は、晃の家にあるものならと、喜んで貸してもらうことにした。

「本は、借りて読めるからいいよね。図書室があるだけで、学校って最高だと思う」
「そうかあ、そうだね。後期も一緒に通おうね」
「ありがとう、本当に」

 昨日、目覚めたときは、どうしようもなく落ち込んでいたのに、たった一日で、こんなに落ち着いた気持ちで過ごせるようになるなんて、一太はまだ信じられない気分だった。

 翌日の金曜日。朝の八時過ぎには、一太が昨日着替えた服を持って、晃は病院にやって来た。昨日のうちに洗濯機を回したらしい。大荷物をぶら下げているところを見ると、昨日置いていってくれた漫画本の続きもありそうだ。
 昨日、そう午前中の話だ。大して汗をかいてもいないし、シャワーもまだ入れなかったから着替えなくていいと言った一太に、さっぱりしよう、体を拭くだけでも気分が良くなるよ、僕は経験者だから分かる、と笑顔で迫る晃に気圧されて服を脱いだ。丁寧に体を拭いてくれた晃は、しっかり洗い立ての服を一太に着せた。そのまま下着も変えられそうになり、大慌てで晃をカーテンの外へ追い出す、という一幕もあった。思い出すと笑ってしまう。
 晃は、一太が昼食を食べるのを見守った後に、洗濯物を持って一度帰って行って、漫画本をどっさり持ってまたやって来た。

「これで半分なんだけど、面白いから読んでみて。完結してるから、続きはまた明日持ってくるね」

 一太は見る暇など無かったが、家のテレビで弟が夢中になって見ていたアニメの題名がこれだったような気がする。

「ありがとう。有名なやつ?」
「そうそう。漫画はちょっと古いけど、人気だから、まだアニメはテレビでやっているくらいだよ。僕は、アニメの方は見ていないんだけど。最近は読みたい本は電子書籍で買ってるから、紙の本は古いのばっかりでさ。新しいのは家に帰った後、タブレットで見てみて。面白いのあるから。紙の本は実家にほとんど置いてきてるから、あんまり無くて残念。また取りに帰ろうかなあ」

 紙の本? 紙以外の本があるのか?
 タブレットで本を読む?
 また、すんなりと分からないことがいくつか出てきたが、とりあえず持ってきてくれた本があるからそれでいいや、と一太は晃の楽しそうな顔を見る。
 晃くんの家に行けば分かるんだし、そのうち聞こう。
 一太は、本当に穏やかな気持ちで話を聞いていた。午前中は、色々と迷惑をかけて申し訳ないなと思っていたが、晃が楽しそうに一太の世話を焼いている様子を見て、落ち着いたのだ。自分も、色々、本当に色々あったけれど、弟の世話をするのは嫌ではなかった。楽しかった。資格を取るなら子どもの世話をしたい、と思ったくらいには好きだった。同じ職業に就こうと思っているのだから、根本の所が晃とは似ているのかもしれない。
 そして一太は、こうして世話を焼かれることが嫌ではなかった。ただただ、幸せな気分だ。

「何でもいいよ」
「え?」
「俺、文字が書いてあれば何でもいい。新聞でも」
「そうなの? 何でも……え、何でも?」
「うん。教科書でも」
「へええ。あれ? じゃあ漫画じゃなく小説の方がいい?」
「ううん。漫画、読んでみたかった。図書室にはあんまり無いし、割と皆が知ってる、昔話の絵本とか的な漫画がたくさんあるみたいだし」
「そっかあ。じゃあ、携帯電話の無料アプリで小説や漫画読むのも楽しいかもしれないな。もう読んだことある?」
「ん? アプリ?」

 一太の携帯電話は、格安の会社の一番安いプランを契約している。夜間高校の先生に教えてもらって契約したので、どんな仕組みかは理解しているつもりだ。Wi-Fiが繋がっていれば、毎月の料金の範囲内で色々とできることも聞いた。大学内はWi-Fiが使えるので、とても助かっている。
 無料で通話ができるアプリと大学の授業の登録や連絡、仕事先との連絡に使用しているだけなので、遊びのためのアプリは見たことがない。
 よく買い物をするスーパーで、アプリを入れている方限定割り引きと書かれていたのを見たときは心引かれたが、その品を買う訳じゃなかったのでやめた。一太の携帯電話は容量が少ないので、アプリをあまり入れられないということも、譲ってくれた社長に教えてもらっている。

「あ、そっか。病院はWi-Fi無かった。家でまた教えるね。色々と無料で読めるアプリがあるから。ああ、早く家に帰ろ、いっちゃん」
「あ、うん……」

 家に帰ろ。
 何て嬉しい言葉だろう。
 そうして、ほっこりと嬉しい気分で、貸してもらった漫画本を夢中で読んで、木曜の午後は過ぎた。
 今日もこうして、朝から晃の顔を見て、嬉しくて堪らない。
 機嫌良く過ごして、午後の診察の時には、月曜の診察までは安静にして、ちゃんとした食事をすると約束するなら明日、帰ってもいいよ、と言ってもらえた。こんなに早く元気になったのは、晃が居てくれたお陰に違いないと、一太は確信している。
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