【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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41 ぎゅって抱っこして

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 今週も、土曜日の昼前にやって来た晃の母は、部屋を見渡し、冷蔵庫を開け、ゴミ箱を確認して、やることがないわ、と呟いた。
 晃は、ベッドの上で小さくなって座っている。
 一太は時間的に、昼ごはんを何にしようか、晃くんのお母さんの分もいるかな、と考えて、冷蔵庫を確かめる晃の母の近くに立っていた。

「いっちゃん」
「ひゃい」

 話しかけられて、びくりとする。こんなに優しい声でも、ある年齢層の女性の声への反応が良くないのは、一太を罵るあの人のことを思い出すからだろうか。

「家事を、一人で全部やってしまっていない?」
「ええ?」

 とんでもない。晃くんはいつも手伝ってくれて、本当に楽をさせてもらっている。
 一太は慌てて、首を横に振った。

「お風呂掃除は、いつも晃くんがしてくれます。洗濯物を取り込んだり、畳んだりするのも。掃除機も、交代でかけてくれるし、本当に色々してくれて、申し訳ないです」

 本当に!
 一太は心の底から言った。手伝ってもらったり、役割りを分担したり、そんなことは今までしてもらったことがない。家事は全て一太の仕事で、それをすることで家に置いてもらっていた。体調がどうだろうがやらなければいけないことで、時間が無ければ、家事以外の自分の時間を削ってでもしなくてはいけないこと。
 勉強も睡眠も後回し。とりあえず仕事と家事をして、それから余った時間が一太のものだが、余った時間なんて眠るのには足りないほどのものだ。けれど、勉強の時間、本を読む時間を削ることもしたくないと、ほんの少しの時間に本を読みながら、気を失うように眠りについていた。
 家事が嫌いだった。
 一人になってから、食事を作ることもしなくなったのは、調理道具を買うのももったいないからだと思っていた。けれど本当は、一つでも家事から逃げたかったのかもしれない。
 仕事なら、対価がもらえる。勉強は、したくてしていた。でも、家事は? あの家に、屋根のある所に寝られていたのが、対価だったのだろうか。作っている途中での味見や、弟とその母親が残したご飯を食べられることが、対価だったのだろうか。
 
「いっちゃん、申し訳ないっておかしいわ。二人で住んでいるのだから、二人で家事をして当たり前でしょ? ちゃんと分担しているのね? いっちゃんが、しんどくなったりしていないわね?」

 何となく実家を思い出していると、晃の母の声がする。

「毎日、三食におやつまで食べて、毎晩寝て、本を読んでテレビを見て、好きな人と一緒に過ごせて、具合が悪くなる訳がありません。こんなに贅沢をして、バチが当たったらどうしようかと思っています」

 本当に……。
 こんなに幸せでいいのかと、怖いくらい。

「いっちゃん……」

 晃の母は、ぎゅう、と一太を抱きしめた。一太は、驚いて固まる。少し下にある艶やかな髪から、自分の髪と同じ匂いがした。ここに住みはじめてから、毎晩使わせてもらっているシャンプーの匂い。
 まるで、仲間に入れてもらったようで、嬉しい。

「そんなの、当たり前の生活だから。当たり前なんだから、バチなんて当たるわけない。これでいいのよ。このまんまでいいの」

 いいのか。この贅沢な生活を、俺なんかがしていて、いいのか……。

「よし。お昼ごはんは、おばさんに任せなさい。いっちゃんは、たまにはお休みして」

 ぽんぽんと背中を叩いて、晃の母が離れた。固まっていた一太は、ほーっと息を吐く。緊張して、動くこともできなかった。温もりを、ずっと、ずっと求めていたはずなのに。
 知らない人の家に、歓迎もされず引き取られ、放置された。意味も分からず混乱して、どうしたらいいかも分からなくて。誰かと触れあうことを、求めて、求めて、こっそりと小さかった弟を抱きしめていた。お世話をするときだけは堂々と触れあえると知って、お世話をし始めた。一太が抱きしめると、弟も喜んで抱きついてきてくれた時期があった。可愛いかった。そんな時期はすぐに過ぎ、一太はまた、一人ぼっちになったけれど。
 その後は、放置の方がマシだったと思うような構われ方をされたけれど。
 どれだけ傷付いても諦めきれず、人と触れあいたくて、自然に抱きつける相手を求めて、保育士という職業を選んだのかもしれない。色んな理由があった気がするけれど、本当はただ、誰かと抱き合いたかったのかも。
 なのに何故、この優しい人の抱擁を受け入れられなかったのか。嬉しいはずなのに。良い匂いがしていたのに。
 調理は全くの独学の一太は、晃の母の調理の様子を見て習いたい気持ちもあったけれど、どうにも落ち着かずに、ベッドに座る晃の元へ向かった。
 晃は、少し赤い顔で一太を見上げてくる。

「いっちゃん。僕のこと好きなの?」
「え? うん」

 当たり前だ。好きに決まっている。
 一太は大きく頷いた。
 だって、晃は命の恩人で。それに、一太の色んな願いを叶えてくれた人だ。
 ピアノの弾き方を教えてくれた。お陰で、保育士になる夢へ一歩近付けた。食堂で、一緒に食事をとってくれた。毎日、同じ安いメニューを注文する一太をおかしいとも言わず、おかずを分けてくれた。お金も払わず申し訳ないと思いながら、差し出されるおかずが美味しくて嬉しくて、つい口を開けた。何を対価に差し出せと言われるのだろうと考えもしなかったのは、晃がいつも、にこにこと笑っていてくれたから。
 口を開ける一太に、喜んでくれたから。
 晃は、こうして一緒に暮らしてさえ、存在が気になりすぎることがない。一緒にいて、とても心地好い。誰とも、血の繋がった家族とも、共にいて心安らぐことなんて無かったのに。 
 晃は、側に居てくれる。一太のやりたいことをやらせてくれる。勉強の話や、読んだ本の話を共にできる相手がいるのは、楽しくて仕方ない。ボランティアに一緒に行って、二人で反省会をしたのも、楽しい思い出だ。
 間違いなく今のところ、一太の人生で一番、好きな人だ。

「僕も。いっちゃんのこと好きだよ」

 晃は、ぐいっと一太の手を引いた。ベッドに腰を下ろす一太をぎゅう、と抱き締めてくる。
 ああ。いい匂いだ。
 洗濯したシャツも、髪を洗うシャンプーも、一太と同じ匂いなのに、ちゃんと晃の匂いになっていて、それがとても良い匂いだった。
 すっぽり包まれる感覚に、ふっと力が抜ける。一太はおずおずと、晃の背中に手を回した。
 誰か……。
 誰か俺のことを、ぎゅって抱っこして。
 小さな頃の一太が泣いている。声を殺して、膝を抱えて。
 泣かないで。泣かないで、一太。ほら、今、夢が叶ったよ。
 一太は、浮かんでくる涙を止めようと、必死で目をぱちぱちさせた。
 幸せだなあ、と思った。
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