【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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92 やきもち

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「わ。岸田さん、その手どうしたの?」
「痛そう。ピアノ、弾ける?」

 講義室では、人集りができていた。一太は、慌ててそちらに寄る。

「岸田さん」
「あ。村瀬くん、おはよう。昨日は色々、ありがとう」
「おはよう。どう? 痛む? 休まなくて平気?」
「うん。痛み止めもらってるから大丈夫だよ。ただ、毎日、消毒に来なさいって言われちゃって。ピアノが弾けないから、ピアノの講義の時間に病院に行くつもり」
「そっか。ピアノ……」
「うん……」

 岸田も、ピアノを今まで習ったことがない、ピアノ苦手仲間だ。一太と同じように、カタカナで音階を記入した楽譜を持っている。家に小さなキーボードは持っているらしいのだが、ピアノとはタッチが全く違うのであまり練習にならないと、放課後にはいつも、一太と同じくピアノ練習室を借りていた。

「抜糸まで一週間、右手の練習頑張るね」

 少し落ちた気分を上げるように、岸田は明るい声を出した。

「うん。手伝えることあったら言ってね」
「治ったら、僕が教えてあげるから。安心して」

 当然のように一太の隣に立っていた晃が、口を出す。周りで、わあ、いいなあ、松島くん、上手だもんねえ、と幾つか声が上がった。確かに、ピアノに関しては晃が、学年一と言っても過言ではないくらいに上手い。

「俺が教えるから、お前はいらん」

 こちらも当然、岸田の隣にいた安倍が、ぼそりと言った。

「安倍くん、ピアノはかなり自己流だから、教えるの苦手でしょ」

 安倍のピアノは独特で、合格できるようには弾けているのだが、明らかに基本に忠実ではないと分かるものだった。

「ぐ」
「上手だし、自分はそれでいいかもしれないけど、他の人には難しいと思うなあ」
「くそ。二人きりにはなるなよ」
「あはははは」

 悔しそうな安倍の言葉に、晃が大きな笑い声を上げる。一太はそれを、珍しいなあ、と思いながら見ていた。晃は、いつも穏やかな顔をしていて、感情を大きく表に出すようなことは無かった気がしたから。

「ん? いっちゃん、何?」
「何で二人きりになったら駄目なの?」
「やきもちだよ、やきもち」

 晃は、少し声を潜めて一太に耳打ちした。

「やきもち」
「安倍くんは、岸田さんのことが大好きだから、他の男の人と二人きりになるのは嫌なんだって」
「そういうこと詳しく説明すんの、どうかと思うぞ」

 潜めた声を聞き取った安倍が、晃の頭をペンと叩く。岸田は真っ赤になっている。
 一太は、ふーんと返事をしながら、そうか、と思った。男女で二人きりというのは、そういう仲だと誤解されるのか。好きな人に誤解されたら、大変だ。安倍くんと岸田さんはこんなに仲良しなんだから、おかしな波風を立ててはいけない。

「うん。二人きりは駄目だ」

 急に頷いた一太に、晃がまた、満面の笑みを見せた。

「あ。いっちゃんもやきもち?」
「え?」
「僕が、岸田さんと二人でピアノ練習することに、やきもち焼いてくれたかなあって」
「何言ってんの、お前」

 安倍が呆れた声を出す。

「うーん……」

 一太は少し考えてみた。晃が一太にピアノを教える時のように、岸田にピアノを教える? それは、どんなことだろう。
 手を持って、手の形を整えたり、隣に座って伴奏を弾いたりするということ?
 それを、二人だけで。
 あ。

「うん。嫌かな」

 想像だけで、 嫌だった。
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