【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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139 家族みたいなものでもなくて

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「晃。どういうことよ? 待ちなさい!」

 食卓を拭いて箸を並べていた一太は、光里の大きな声にびくりと身を震わせた。不意打ちの大声。しかも女の人のもの。一太が最も苦手とするものだ。
 体が固まってしまって動けない。
 おかしな姿勢で食卓に手を付いて深呼吸していると、ふわと暖かい感触が背中に触れた。自分の背中と相手のお腹がくっつく感触。一太がずっと焦がれてやまなかったもの。何度してもらっても嬉しくて、もっともっとと心の声がする。足りない。もっとくっついていたい。もっと、ぎゅって抱っこして。

「いっちゃん、どうかした?」

 耳元で優しい声が聞こえて、はっと我に返った。

「あ。晃くん……。ううん、なんでもない」

 咄嗟に答えるのはいつも通りの返事。反射的に、大丈夫とかなんでもないとか答えるくせは、そう簡単に抜けるものではない。というか、一太はそれ以外の返事を知らなかった。
 一太がそう答えることは晃は折り込み済みだ。だから、その返事はなかった事として、もう一度尋ねてくる。

「目眩? 耳鳴り? 頭痛?」

 とても具体的であるのは、そう聞いていけば時々不調の正解を引けるから。二人で暮らして徐々に一太の扱いを分かってきている晃に、先ほどの状態をなんでもないと言うのは無理だった。一太は抱きしめられたまま、ふるふると首を横に振る。

「それよ、晃! それがおかしいんだってば!」

 洗面所から追いかけてきた光里が、間近で大声を出した。途端に一太の体が強ばる。自分に向けられた言葉では無いと分かっていても、条件反射で、次に飛んでくるだろう暴力に体が備えて怯えて強ばってしまうのだ。そう。叱責、暴言の後には暴力と相場は決まっている。
 頭を抱えて蹲ったら相手が余計に激高するから、体を固くして耐えるしかない。

「うるさい、光里」

 晃が、聞いたこともないような低い低い声を出した。更にびくりとした一太の体を優しくぽん、ぽん、と叩きながら、姉を睨みつけている。

「いっちゃんが怯えてる。声を落とせ」
「な、なによ!」
「光里」

 昨日の残りのおせちを運んできた陽子も、光里をたしなめる。

「お母さん。晃のこれはおかしいでしょう?」

 光里は、一太を背中から抱きしめる晃を指差しながら言った。

「これ?」
「これよ。この距離感」
「仲が良くていいじゃない」
「小さな子どもじゃないんだよ。この歳の友達同士でこんなことしないでしょ」

 一太は、またか、と思った。また自分は、のか。

「おかしくないってさっき言っただろ」

 けれど晃が、声を抑えつつ答える。
 おかしくない?
 晃くんがおかしくないって言ってる?
 一太は、ほっとして少し力が抜けて抱きしめてくれている晃の腕に体を預けた。

「僕たちは、友達よりもっと近い距離感の関係なんだから」

 光里はむっと口を閉じた。眉間に皺も寄っている。
 何だろう。晃くんは何をして光里さんの不興を買ったのだろう。一太にも関係ありそうだが、分からない。
 友達よりもっと近い関係、と晃は言った。そうだな、と一太は思う。俺たちは好き同士で付き合っているんだから、友達より近いんだろう、きっと。安倍くんと岸田さんのような関係。他の誰よりもその人のことが大事って思う関係だ。晃がそのことを告げたのが光里の不興の原因だろうか。一太たちが付き合っていることが気に入らない? 一太では、晃に釣り合わない? そういえば、学校の同級生に、二人が付き合っているのはおかしい、と言われたのはついこの間だった。気持ち悪いとも言われたな。でも、晃くんはおかしくない、このまま付き合いたいと言ってくれた。一太もそう思ったから、二人は付き合っているままだ。
 もしかして光里も、気持ち悪いとかおかしいと思っているのだろうか。そうなら、かなり申し訳ない。同級生と違って、晃くんが近寄らない訳にいかない相手だ。一太は、気持ち悪いから近寄りたくないと言われたら、この家に来なければ済む話なのだが。
 ぐるぐる考えてみても一太に分かることは少ない。
 晃もむっと口を噤むものだから、一太はおろおろと二人を見ることしかできなかった。

「家族みたいなものって事なんじゃない?」

 陽子が明るく笑って言った。

「一緒に暮らしているんだし、いっちゃんとは、お兄ちゃんみたいな弟みたいな関係ってことなんでしょ?」

 ね? と二人をなだめるように見ながら陽子が言う。家族かあ。一太には縁のない言葉だ。弟はいたし、お兄ちゃんであろうと頑張っていたこともあったけれど、相手がそう見てはくれなかった。母は一太のことを、いらなかった、いなければよかったのに、といつも言っていた。一太も、母のことを母と思ったことはなかった。どんなものが母という生き物なのかも知らないが、子どもたちが皆こぞって求めるすがりたい存在を母というのなら、あれは母では無い。相手も、一太のことを自分の子どもじゃないと言っていたからお互い様だ。
 二人の顔かたちは、笑ってしまうくらいよく似ていたらしいけれども。
 一太には、どの行為が家族のようなのか、どの行為が友達のようなのか分からないから、何の反応もすることができない。うんと言って間違えたくもないし、違うよ、と言いたくもない。

「付き合ってる」

 晃は、一太を後ろから抱きしめたまま、ぼそっと言った。

「僕たち、付き合ってる。恋人同士だよ。何かおかしい?」
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