【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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219 ◇◇甘いものを買って帰ろう

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「体に気を付けるのよ。ご飯は三食きちんと食べてね。寒いから、暖房はケチらずに付けること。お仕事はほどほどに。勉強と実習頑張ってね。ええっと、それから」
「あー、はいはい」

 息子の適当な返事は想定内だ。適当でも何でも、こちらを向いてきちんと返事をするようになったんだな、成長したなあと陽子は嬉しく思う。

「ご飯はちゃんと作ります。晃くんが風邪を引かないように気を付けます」

 もう一人の息子の返事は、きちんとしているけれどズレている。

「いっちゃん、違う違う。ちゃんと食べてねって言ってるの。ちゃんと作ってね、じゃないよ。忙しい時や体がしんどい時は、すぐに食べられるものを買ってきたらいいから食べなさいね。食事を抜くのは絶対に駄目よ!」
「あ、ええっと、はい……」

 陽子が強い口調で言えば、一太は、困ったように視線をさ迷わせてから頷いた。この子にとって、大半の人が当たり前だと思っている「一日三食食べること」が当たり前で無かったことは知っている。もちろん、世の中には色んな人がいるから、皆がみんな一日三食食べている訳ではないし、一日三食におやつも付けるのが当たり前の人もいるだろう。夜食まで食べてしまう剛毅な人もいるだろう。でも、とりあえず、基本として一日三食食べるのは当たり前なんだと覚えてほしい。一太にも、やっとここまで、細身だねで済むくらいまで体にお肉が付いたのだから、もう一息頑張ってほしい。何なら、一度にたくさんの量を食べることができない一太には、おやつの時間も毎日キープしてほしい。
 あちらでの暮らしも、晃と二人なのだから大丈夫、と思うのだが心配の種は尽きない。一太にだけ大変な世話焼き気質を発揮する晃が、一太が食事を抜くことを許すとはこれっぽっちも思ってはいないのだが。

「晃もいっちゃんも風邪を引かないように!」

 陽子は、最後にもう一度念を押す。、風邪を引かないように気を付けるのではないのだ。陽子はいつだって、二人共に向けて言っている。一太も、風邪を引かないように気を付けてほしい。いや、一太こそ風邪を引いてはいけない。熱を出しても仕事をしようとする一太に危険を感じたのは、ついこの間の事だ。

「ああ、はいはい。もう電車出るから行くね。じゃね」
「あの。気を付けます。この度は大変お世話になり、ありがとうございました」
「ああ。気を付けてな。何かあったらすぐ言いなさい。駆け付けるから」

 誠も、晃だけを相手にする時と違って、心の内をしっかりと言葉に乗せている。新しい家族である一太には、今まで身内と呼べる人がなく、分かっているだろう、察しろよ、が通じないのだから。
 陽子は、一太と向き合うようになって初めて、思い当たった事がある。もしかしたら今まで、家族だから分かってくれている、と考えていた口に出していない事は、お互いに通じていなかったのかもしれない。一太の存在は陽子に、気持ちをきちんと口に出すことの大切さを教えてくれた。 

「ありがとうございます。さようなら」
「またね、晃、いっちゃん」
「うん、また」
「あ。ええっと。また……来ます」
「また帰ってきてね。絶対、帰ってきてね」

 また来ます、と言えた一太に、よく出来ましたと陽子は笑う。駅の中へ入ってしまった背中に叫ぶことではないから、心の中で呟いた。
 そうだよ、またね。またおいで。
 ここは、あなた達の帰る場所。
 二人を見送って、陽子はすっかり気が抜けた。

「すき焼きの残りにうどん入れたらいいかなあ。それともご飯入れる?」
「何でもいいよ」

 昨夜は、一太の大好きなすき焼きにした。晃の誕生日頃に、晃の好きな料理をとにかく片っ端から一太が作っていたから、成人式は一太の好物にしようと決めていたのだ。何が好物だと一太が言った訳ではないけれど、何となく特別に好きなんだろうなという雰囲気は分かる。昨日も、ご馳走だ、ご馳走だとしきりに言っていたから、多分認識は間違っていないだろう。もっとも、一太は陽子が何を作って出してもご馳走だ、美味しい、と大喜びしてくれるのだが。
 今日の昼にもすき焼きの残りを食べさせてやりたかったが、夕方から早速アルバイトを入れている一太と晃は、朝の電車で帰ってしまった。
 こちらでの滞在費を払うと言い出した一太と、要らない、いえ払います、いいや絶対に要らないとやり合ったのは今朝のことだ。体調を崩して仕事ができていないのだから、きっとお金に余裕が無いだろうに、本当に人に頼るということができない子である。結局、陽子が仕事の間は家事のほとんどを一手に引き受けてくれていた一太に、アルバイト代を払うと言ったらやっと引き下がってくれた。友だちの家にお泊まりする時に滞在費はいらない、というのは納得した話だと思っていたのだが、半月もの期間、対価もなしで滞在していることが、一太の常識では納得できなかったらしい。
 もう、一太のことを家族として扱っている松島家からすれば、うちの子が帰省して滞在費を払うなんてそんな馬鹿な、という話なのだが、一太に家族の常識が通用するまでには、まだ時間がかかりそうだ。
 ま、ゆっくりやればいいか。
 また来ます、と一太は言ったのだ。それで今回は充分だ。

「あら、松島さん。こんにちは。あけましておめでとうございます」
「あら、こんにちは。あけましておめでとうございます」

 残ったすき焼きに入れるためのうどんを買い足そうと誠に寄ってもらったスーパーで、知り合いらしき人に声を掛けられた。あちらは、松島さんとこちらを呼んでいるのだが、相手の顔を見ても、陽子の頭に浮かんでくる名前は無かった。

「晃くん、帰省してたわね。昨日、うちの子が成人式の会場で出会ったって言ってたわ」
「ええ。今、大学近くの住まいへ戻った所です」

 ははあ、晃の同級生の親か。晃は、家の行き来をするほど仲の良い友人などもなく、参観日なども来なくていいと言う方だったから、陽子が親しくしている親もほとんどいない。相手は、よくこちらの顔と名前が一致しているなあと、陽子は妙な感心をしてしまった。

「そう。あの、こんなこと聞いていいのか分からないのだけれど、晃くんって、その、男の子と付き合っていたりするのかしら。いえ、うちの子がね。晃くんが、その、成人式の間中ずっと一人の男の子と手を繋いでいて、何だか、その、特別な関係に見えた、なんて言うものだから。それで、私も思い返してみたら、この年末年始に、時々ここに買い物に来ている晃くんを見かけてたのよ。ほら、晃くんってば目立つでしょう? その時も、ずっと手を繋いでいる男の子がいてね。いえ、松島さんはご存知なのかなってとても気になってしまって。その、だからどうと言うのではないのよ? 知らなかったなら、ごめんなさいね、おかしな事聞いちゃって」

 ああ。昨夜、すき焼きを食べながら晃が上機嫌で話していた話だな、と陽子は思い当たる。
 僕が普通じゃない、と同級生に言いふらされてるかもしれない。今までも、普通だったかどうかなんて分からないんだけどね。
 
「あの、何が仰りたいのかよく分からなかったのですが」

 陽子は、名前も知らない晃の同級生の母に、にっこりと笑いかけた。
 
「え? あ。ですから、その、晃くんに何か聞いておられません? 昨日の成人式でのお話ですとか」
「成人式のお話、ですか? そんなに親しくしていなかった同級生に、まるで友人のように何度も声を掛けられたお話のことかしら」
「え?」
「いえね。すごく親しかったように振る舞われるものだから、晃はとても戸惑ったそうなんですけれど、そういった誤解をさせるような行動を取っていた自分も悪かったと思って、最初は当たり障りなくお相手をしていたらしいんですよ。けれど、その子たちがね。恋人がいる事が知られたら別の子を引っかけられないからお揃いの指輪を外しているだの、顔の良い晃が近くにいたら声を掛けてくる人がたくさんいて引っかけやすいだのと、晃の理解できないことばかり言っていたそうなんです。私も聞いて唖然としましてね。だって、全く理解できませんでしょう?」

 ね? と陽子が笑いかけたら、相手は曖昧に笑って頷いた。

「そこで晃は、とてもこのまま誤解させてはいられないと思って、きちんと、君たちとは友人ではないと告げて席を離れたそうなんです。けれど、その後もまた、わざわざ会場の出口で待ち伏せまでして声を掛けられてしまったらしくて。大変に迷惑したと言っておりましたわ。もしかして、晃にお声を掛けていらした同級生の、お母様でいらっしゃるかしら。ごめんなさい。私の記憶力が悪くて思い出せなくて。もし、息子さんが晃のことを友人だとお母様にご紹介されたのでしたら、それは息子さんの勘違いですわ。恋人がいるのに成人式に出会いを求めるような考え方の人たちとは、一途に恋人を大切にするうちの晃はとても仲良くできそうにありませんの」
「あ、いえ。ええっと、その……」
「もし息子さんが晃に声をかけてきた中のお一人でいらっしゃるのなら、一度よく息子さんと話し合ってみられた方がよろしいのではないですか? ご両親も認めていらっしゃる考え方だというのなら私が口を挟むことではありませんけれども、話を聞いただけの私でも不快に思う不誠実さでしたわ」

 ひくり、と相手の口許が引きつった。笑みを作ろうとして失敗したようだ。

「わ、私はただ、晃くんの話を人づてに聞いただけなので……」
「まあ! 人づてに! 昨日の今日で、全くこのお話と関係ない同級生の方の親御さんにまでお話が回った、という事ですか? 驚きますねえ。けれど、晃は同級生たちに誠実に対応をしたと私は思います。実際その場にいた訳ではないので、息子の言葉を信じるしかないのですが」

 陽子はまた、ねえ? と相手に同意を求めた。相手は口許をぴくぴくさせているばかりだ。

「こうした立ち話で、不誠実な方々のお話も同級生の方々に回っていくのかしら。まあでも、そちらのお話は、広がってくれた方が不誠実な方に引っかかって泣く方が減るかもしれませんので良いと思いますわ。そう思いません? 私、知り合いに出会ったら、あなたを見習って積極的に、成人式での不愉快なお話を知っているかしら、と話しかけてみます」
「あ、いえ、そんな。そんなことは、あまり人様に言うべきではないのじゃないかしら……」
「そうかしら? 私は、このお話こそ他の知り合いにもお伝えしたほうがよいように思いますわ。事実かどうか分からないことを、ぺらぺらと話している訳ではありませんもの。あなたと違って、当事者から直接聞いた話なんですから」
「あ、あの、私、そろそろ時間が」
「まあ、そうですか」

 陽子は、にっこりと笑みを深める。

「さようなら」

 挨拶をすると、相手も、さようならと言ってそそくさと立ち去って行った。
 
「全く出番が無かったよ」

 いつの間にか側にいた誠が笑っている。

「あんなのに、あなたの出番なんて無いわよ」

 陽子は、ちょっと甘いものを買って帰ろうと決めて肩を竦めた。
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