【完結】余四郎さまの言うことにゃ

かずえ

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三十四

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「元服……」

 伊之助は、小太郎に言われて初めて気が付いた。なるほど、確かに自分はもう十二になっている。十二を迎えた武家の男児が皆、元服の儀をするのであれば、自分もしなくてはならないのかもしれない。
 けれど。

「私は、伊之助というこの名が気に入ってるんで、このままでいいです」

 伊之助は元より、ある程度の読み書きそろばんが出来るようになったら、寺子屋の師範に頼んで口入れ屋を紹介してもらい、仕事を斡旋してもらうつもりだった。寺子屋の皆がそうであったように。
 そうして、家から出て、市井しせいで一人生きていくつもりだったのだ。その時に使う名は、伊之助というこの名しかなかっただろう。市井では、十二になる頃には皆、仕事に就いている。元服のような儀式をしているのは見たことがないし、子どもの頃からの呼び名をそのままを使っている人が多いから、何も問題はなかったはずだ。善吉ぜんきちの父ちゃんは確か留吉とめきちだった。
 つまり、伊之助の人生の予定の中に元服は無かったのだ。伊之助が十二になって思ったことは、十二にもなって、まだ稼ぎもせずに勉強させてもらっていていいのかな、だった。しかしまあ、余四郎の許婚いいなずけという仕事をしていると思えば、勉強や剣の稽古も仕事の一部か、と納得はできる。対価に衣食住を提供してもらって、ありがたいことだった。
 男が男の許婚であることはかなりおかしなことだ、ということは、この四年間、藩校での陰口などを散々に聞かされて身に染みていた。だから伊之助は、この先このまま余四郎と共にいられるとは限らない、とはずっとどこかで考えている。皆、余四郎や時行、小太郎がそばにいない時を見計らって伊之助に言うので、そりゃあもう言葉は悪かった。とはいえ、兄が伊之助に向ける言葉に比べれば全然なんてことないので、伊之助が深く気にすることはなかったが。

「そういうことじゃない、伊之助。元服ってのは……」

 名を変えるだけじゃない何かがあったとして、伊之助の実家が伊之助のためにその何かをするだろうか。 
 寺子屋の師範は、梅軒ばいけんなんていう、なんだか立派な名を持っていたが、あれは勝手に名乗ったのだったっけ? 師範は元々武家の出だから、元服はしたのだったか。いや、なんだ、梅軒って、と師範の昔馴染みが寺子屋に顔を出した時に言って、笑っていた。いいだろう? 学者っぽくて、と師範が答えていたから、適当に名乗っても大丈夫なのかもしれない。
 それなら。

「ああ、じゃあおいら、何か、立派な名前を自分で……」
「いの……」 
「なんでえ、伊之助。こりゃなんの騒ぎ……。あ、こりゃあ若様方。えらいお早いお越しで……」

 寝間着で、寝起きの顔で玄関に来た草庵が、ぼりぼりと頭をかいていた手を慌てて下ろした。
 そういえばこの草庵という人も、勝手に草庵って名乗っているって言っていたよなあ、と伊之助は思い出していた。
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