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七十五
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「恐れながら、時行さまに申し上げたき儀がございます」
のんびりと食事を楽しんでいると、親族席のほど近くにいた者が一人、時行の前に進み出て深く頭を下げてきた。亡くなった時実の許婚、寿々の親、太田義孝である。寿々が時実の許婚であったため、この度の葬儀では、常に親族の次に控えていた。
「申せ」
しんと静まった室内。衆目を集めて動じず、時行は言った。
「は。我が娘、寿々は、齢十の頃より、時実さまの許婚として過ごして参りました。いつか若様に嫁ぐ日のため、己を磨き、勉学に励んでおりました。しかし、此度、大変に残念な仕儀と相成りました」
「ああ、うん。寿々殿には、その……心労をかけたな」
時実は、体調を崩して臥せっている時間が多かった。男女では、許婚同士でも、さして交流する時間はないのだと聞く。藩校で、よく耳にしたことだ。見合いで一度会っただけだから、偶然その辺りですれ違っても、自分の許婚がどの娘か分からない、と。市井の寺子屋とは異なり、武家は学び舎も男女で別であった。この度の葬儀でも、こうした会食の席を共にしていない。ここにいるのは、男ばかりであった。きっと、許婚が臥せっている、と聞いては心配していたに違いないその人は、お別れの時間も、ほんの少ししかなかったのだ。
自分は、男同士で良かった、と伊良は思ってしまう。同じ学び舎に通い、共に遊び、臥せったと聞けば、見舞いに行くこともできた。伊良が臥せった時には、移るような病でなければ、余四郎は文字通り飛んできた。伊良は医者の家に住んでいるから大丈夫だというのに、自分の目で無事を確かめねば安心できぬ、と駆けつけてくれた。
「は。もったいなきお言葉にございます」
太田は、深々と頭を下げ、それから勢いよく上げた。
「娘は、寿々は、若様に嫁ぐために日々励んで参りました。親の欲目ではありますが、どこへ出しても恥ずかしくない、立派な娘に育っております。……そこで、如何でしょうか。時実さまとの縁はなりませんでしたが、是非、時行さまにもらっていただきたく」
「………………は?」
もう一度深く頭を下げた太田の頭上に時行の一言が返るまで、たっぷりと時間がかかった。
今、なんと?
伊良も、驚いて太田の下げた頭を見下ろしていた。
初耳の話ではない。時実が亡くなった、と聞いたその日の夕刻にはもう、太田家から直井家へこのような打診があったとの話を、伊良は行成宛の文で聞いていた。だが、行成の意見を尊重すると言った直井家当主は、返事を保留にしていたはずである。喪主となって、大忙しであった時行にはまだ、そのような打診があることを伝えてもいなかった。太田の家にも、大事が終わるまではお待ちください、と伝えていたはず。
それを。
このような席で?
皆、驚いた顔をしているのが見える。余四郎は、すっと目を細めて、何か思案し始めていた。行成は、その大きな目を更に大きく見開いてから、それでも、ぐ、と口をつぐんで背筋を伸ばしていた。一度、父である直井家当主の方を向いたが、父が軽く頭を横に振るのを見て、正面へ向き直った。
のんびりと食事を楽しんでいると、親族席のほど近くにいた者が一人、時行の前に進み出て深く頭を下げてきた。亡くなった時実の許婚、寿々の親、太田義孝である。寿々が時実の許婚であったため、この度の葬儀では、常に親族の次に控えていた。
「申せ」
しんと静まった室内。衆目を集めて動じず、時行は言った。
「は。我が娘、寿々は、齢十の頃より、時実さまの許婚として過ごして参りました。いつか若様に嫁ぐ日のため、己を磨き、勉学に励んでおりました。しかし、此度、大変に残念な仕儀と相成りました」
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時実は、体調を崩して臥せっている時間が多かった。男女では、許婚同士でも、さして交流する時間はないのだと聞く。藩校で、よく耳にしたことだ。見合いで一度会っただけだから、偶然その辺りですれ違っても、自分の許婚がどの娘か分からない、と。市井の寺子屋とは異なり、武家は学び舎も男女で別であった。この度の葬儀でも、こうした会食の席を共にしていない。ここにいるのは、男ばかりであった。きっと、許婚が臥せっている、と聞いては心配していたに違いないその人は、お別れの時間も、ほんの少ししかなかったのだ。
自分は、男同士で良かった、と伊良は思ってしまう。同じ学び舎に通い、共に遊び、臥せったと聞けば、見舞いに行くこともできた。伊良が臥せった時には、移るような病でなければ、余四郎は文字通り飛んできた。伊良は医者の家に住んでいるから大丈夫だというのに、自分の目で無事を確かめねば安心できぬ、と駆けつけてくれた。
「は。もったいなきお言葉にございます」
太田は、深々と頭を下げ、それから勢いよく上げた。
「娘は、寿々は、若様に嫁ぐために日々励んで参りました。親の欲目ではありますが、どこへ出しても恥ずかしくない、立派な娘に育っております。……そこで、如何でしょうか。時実さまとの縁はなりませんでしたが、是非、時行さまにもらっていただきたく」
「………………は?」
もう一度深く頭を下げた太田の頭上に時行の一言が返るまで、たっぷりと時間がかかった。
今、なんと?
伊良も、驚いて太田の下げた頭を見下ろしていた。
初耳の話ではない。時実が亡くなった、と聞いたその日の夕刻にはもう、太田家から直井家へこのような打診があったとの話を、伊良は行成宛の文で聞いていた。だが、行成の意見を尊重すると言った直井家当主は、返事を保留にしていたはずである。喪主となって、大忙しであった時行にはまだ、そのような打診があることを伝えてもいなかった。太田の家にも、大事が終わるまではお待ちください、と伝えていたはず。
それを。
このような席で?
皆、驚いた顔をしているのが見える。余四郎は、すっと目を細めて、何か思案し始めていた。行成は、その大きな目を更に大きく見開いてから、それでも、ぐ、と口をつぐんで背筋を伸ばしていた。一度、父である直井家当主の方を向いたが、父が軽く頭を横に振るのを見て、正面へ向き直った。
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