76 / 188
七十六
しおりを挟む
しばし、沈黙が流れる。時行が、言葉を返せずにいるからだ。皆、時行の返事を待っていた。
「は、はは」
不機嫌に酒をあおっていた正時が楽しそうな笑い声を上げる。
「良かったじゃないか、時行。棚から牡丹餅か」
「叔父上は、何を言っていらっしゃる?」
時行の機嫌が、みるみる悪くなっていく。行成が、慌てて時行の腕に手を置くのが見えた。時行がその手に目を向けたのを見て、伊良はほっと息を吐く。
時行は、少々性急な質である。滅多なことは言わないでもらいたい。……誰も彼も。
「太田殿におかれましては」
きり、とその美しい顔を引き締めた行成が声を上げた。余四郎と軽く視線を交わしたようだった。
こうなったからには、しっかりとこの場を収めねばならない、と伊良も背筋を伸ばす。伊良にできるのは、背筋を伸ばして前を向くことだけである。せめて、余四郎や行成、時行の邪魔をせぬように、周囲に気を配っていよう。
飯原の父が、何とも言えない顔で、伊良たちと正時、太田義孝を睨んでいるのが見えた。主に伊良を睨んでくるのだが、何が言いたいのかは、伊良にはさっぱり分からない。行成と直井家の当主、行成と余四郎、行成と時行は、先の一瞬で視線や仕草で会話を交わしたようだが、伊良には、父の考えは何も伝わってこなかった。まあ、当然だ。ろくろく言葉を交わしたこともない、信頼関係もない人間と、視線だけで分かり合えるはずもない。
この葬儀の間中、飯原の父が伊良に何も言わずにいたことも不気味だった。もちろん、喪主手伝いをしていた伊良は忙しく、挨拶以外に話す時間などなかったのではあるのだが。時実が亡くなってすぐに届いた、良庵の家を出ろ、との文に伊良が従わなかったにもかかわらず、その後、更に文が届くこともなく、葬儀の場で出会って何か言われることもないというのは、これまでの飯原家の伊良への扱いを考えればおかしなことだった。
「先ほどの、余四郎さまのお言葉を聞いていらっしゃらなかったのであろうか? 殿のお決めになった婚約を我らに覆せと言われても困る、と余四郎さまは仰られていたのだが」
「これは、行成殿。もちろん、しかと聞いておりましたとも」
太田は、意気揚々と話し始めた。
「あのお話を聞いたからこそ、わしは、この提案は受け入れられると確信したのだ。余四郎さまは仰ったであろう。このおかしな婚約を正す方法があるならば言ってほしい、と。そう。わしのこの提案はまさに、おかしな婚約を正す方法であろう。まあ、その、余四郎さまの婚約までは正せぬのだが、寿々を娶る時行さまには、まっとうな婚姻を結んでいただける」
鼻息も荒く述べる太田は、本当に本心から、これ以上良い提案はないと考えているようだった。
「は、はは」
不機嫌に酒をあおっていた正時が楽しそうな笑い声を上げる。
「良かったじゃないか、時行。棚から牡丹餅か」
「叔父上は、何を言っていらっしゃる?」
時行の機嫌が、みるみる悪くなっていく。行成が、慌てて時行の腕に手を置くのが見えた。時行がその手に目を向けたのを見て、伊良はほっと息を吐く。
時行は、少々性急な質である。滅多なことは言わないでもらいたい。……誰も彼も。
「太田殿におかれましては」
きり、とその美しい顔を引き締めた行成が声を上げた。余四郎と軽く視線を交わしたようだった。
こうなったからには、しっかりとこの場を収めねばならない、と伊良も背筋を伸ばす。伊良にできるのは、背筋を伸ばして前を向くことだけである。せめて、余四郎や行成、時行の邪魔をせぬように、周囲に気を配っていよう。
飯原の父が、何とも言えない顔で、伊良たちと正時、太田義孝を睨んでいるのが見えた。主に伊良を睨んでくるのだが、何が言いたいのかは、伊良にはさっぱり分からない。行成と直井家の当主、行成と余四郎、行成と時行は、先の一瞬で視線や仕草で会話を交わしたようだが、伊良には、父の考えは何も伝わってこなかった。まあ、当然だ。ろくろく言葉を交わしたこともない、信頼関係もない人間と、視線だけで分かり合えるはずもない。
この葬儀の間中、飯原の父が伊良に何も言わずにいたことも不気味だった。もちろん、喪主手伝いをしていた伊良は忙しく、挨拶以外に話す時間などなかったのではあるのだが。時実が亡くなってすぐに届いた、良庵の家を出ろ、との文に伊良が従わなかったにもかかわらず、その後、更に文が届くこともなく、葬儀の場で出会って何か言われることもないというのは、これまでの飯原家の伊良への扱いを考えればおかしなことだった。
「先ほどの、余四郎さまのお言葉を聞いていらっしゃらなかったのであろうか? 殿のお決めになった婚約を我らに覆せと言われても困る、と余四郎さまは仰られていたのだが」
「これは、行成殿。もちろん、しかと聞いておりましたとも」
太田は、意気揚々と話し始めた。
「あのお話を聞いたからこそ、わしは、この提案は受け入れられると確信したのだ。余四郎さまは仰ったであろう。このおかしな婚約を正す方法があるならば言ってほしい、と。そう。わしのこの提案はまさに、おかしな婚約を正す方法であろう。まあ、その、余四郎さまの婚約までは正せぬのだが、寿々を娶る時行さまには、まっとうな婚姻を結んでいただける」
鼻息も荒く述べる太田は、本当に本心から、これ以上良い提案はないと考えているようだった。
724
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
a life of mine ~この道を歩む~
野々乃ぞみ
BL
≪腹黒い他国の第二王子×負けず嫌いの転生者≫
第二王子:ブライトル・モルダー・ヴァルマ
主人公の転生者:エドマンド・フィッツパトリック
【第一部】この道を歩む~転生先で真剣に生きていたら、第二王子に真剣に愛された~
エドマンドは13歳の誕生日に日本人だったことを静かに思い出した。
転生先は【エドマンド・フィッツパトリック】で、二年後に死亡フラグが立っていた。
エドマンドに不満を持った隣国の第二王子である【ブライトル・ モルダー・ヴァルマ】と険悪な関係になるものの、いつの間にか友人や悪友のような関係に落ち着く二人。
死亡フラグを折ることで国が負けるのが怖いエドマンドと、必死に生かそうとするブライトル。
「僕は、生きなきゃ、いけないのか……?」
「当たり前だ。俺を残して逝く気だったのか? 恨むぞ」
【第二部】この道を歩む~異文化と感情と、逃げられない運命のようなものと~
必死に手繰り寄せた運命の糸によって、愛や友愛を知り、友人たちなどとの共闘により、見事死亡フラグを折ったエドマンドは、原作とは違いブライトルの母国であるトーカシア国へ行く。
異文化に触れ、余り歓迎されない中、ブライトルの婚約者として過ごす毎日。そして、また新たな敵の陰が現れる。
二部は戦争描写なし。戦闘描写少な目(当社比)です。
全体的にかなりシリアスです。二部以降は、死亡表現やキャラの退場が予想されます。グロではないですが、お気を付け下さい。
闘ったり、負傷したり、国同士の戦争描写があったりします。
本編ド健全です。すみません。
※ 恋愛までが長いです。バトル小説にBLを添えて。
※ 閑話休題以外は主人公視点です。
※ ムーンライトノベルズにも投稿しております。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
推しにプロポーズしていたなんて、何かの間違いです
一ノ瀬麻紀
BL
引きこもりの僕、麻倉 渚(あさくら なぎさ)と、人気アイドルの弟、麻倉 潮(あさくら うしお)
同じ双子だというのに、なぜこんなにも違ってしまったのだろう。
時々ふとそんな事を考えてしまうけど、それでも僕は、理解のある家族に恵まれ充実した引きこもり生活をエンジョイしていた。
僕は極度の人見知りであがり症だ。いつからこんなふうになってしまったのか、よく覚えていない。
本音を言うなら、弟のように表舞台に立ってみたいと思うこともある。けれどそんなのは無理に決まっている。
だから、安全な自宅という城の中で、僕は今の生活をエンジョイするんだ。高望みは一切しない。
なのに、弟がある日突然変なことを言い出した。
「今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれないか?」
ありえない頼み事だから断ろうとしたのに、弟は僕の弱みに付け込んできた。
僕の推しは俳優の、葛城 結斗(かつらぎ ゆうと)くんだ。
その結斗くんのスペシャルグッズとサイン、というエサを目の前にちらつかせたんだ。
悔しいけど、僕は推しのサインにつられて首を縦に振ってしまった。
え?葛城くんが目の前に!?
どうしよう、人生最大のピンチだ!!
✤✤
「推し」「高校生BL」をテーマに書いたお話です。
全年齢向けの作品となっています。
一度短編として完結した作品ですが、既存部分の改稿と、新規エピソードを追加しました。
✤✤
【完結】我が兄は生徒会長である!
tomoe97
BL
冷徹•無表情•無愛想だけど眉目秀麗、成績優秀、運動神経まで抜群(噂)の学園一の美男子こと生徒会長・葉山凌。
名門私立、全寮制男子校の生徒会長というだけあって色んな意味で生徒から一目も二目も置かれる存在。
そんな彼には「推し」がいる。
それは風紀委員長の神城修哉。彼は誰にでも人当たりがよく、仕事も早い。喧嘩の現場を抑えることもあるので腕っぷしもつよい。
実は生徒会長・葉山凌はコミュ症でビジュアルと家柄、風格だけでここまで上り詰めた、エセカリスマ。実際はメソメソ泣いてばかりなので、本物のカリスマに憧れている。
終始彼の弟である生徒会補佐の観察記録調で語る、推し活と片思いの間で揺れる青春恋模様。
本編完結。番外編(after story)でその後の話や過去話などを描いてます。
(番外編、after storyで生徒会補佐✖️転校生有。可愛い美少年✖️高身長爽やか男子の話です)
僕を惑わせるのは素直な君
秋元智也
BL
父と妹、そして兄の家族3人で暮らして来た。
なんの不自由もない。
5年前に病気で母親を亡くしてから家事一切は兄の歩夢が
全てやって居た。
そこへいきなり父親からも唐突なカミングアウト。
「俺、再婚しようと思うんだけど……」
この言葉に驚きと迷い、そして一縷の不安が過ぎる。
だが、好きになってしまったになら仕方がない。
反対する事なく母親になる人と会う事に……。
そこには兄になる青年がついていて…。
いきなりの兄の存在に戸惑いながらも興味もあった。
だが、兄の心の声がどうにもおかしくて。
自然と聞こえて来てしまう本音に戸惑うながら惹かれて
いってしまうが……。
それは兄弟で、そして家族で……同性な訳で……。
何もかも不幸にする恋愛などお互い苦しみしかなく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる