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百二十六
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「はははっ」
答えたのは口だけの嘲笑。相馬は、伊良の許しも得ずに顔を上げて話し始める。
「よいわけがない。やはり其の方、形ばかりの嫁であるな。事の重大さが分かっておらぬ」
藤兵衛が鯉口を切る音がした。気付いた者が幾人かびくりと肩を揺らしたが、顔を上げている相馬が気付いた様子はない。相馬は意気揚々と話し続けた。
「よいか。恐れ多くも将軍家に連なる由緒正しいこのお家の正当な血筋が、もはやお二人になられたのだぞ。これは由々しき事態じゃ。若君はまだ元服前であられる以上、お血筋を増やすは良時さまの勤め。子もなせぬお主がその座にいて良いことなど何もない。自らその身を引くが正道であろう。そのことにも気付かずのうのうとこうして我らに物申すとは、まこと、毛ほどの役にも立たぬどころか害にしか……」
ざっと、藤兵衛が刀に手を掛けたまま前に出た。はっと顔を上げて、その動きをしかと見ることができた者が幾人いたか。体格に恵まれぬ藤兵衛は、人より秀でるために速さを磨いたのだという。速さにおいて、家中に藤兵衛の右に出る者はおらぬ。
かちん、と藤兵衛が刀を鞘におさめる音が聞こえた時には、相馬の髷が飛んでいた。
「あ」
すぐに声を漏らしたのは直井俊行だ。
見えたのか、すごいな。
伊良は、いつも藤兵衛の一番近くにいてその剣筋や動きを見ていることになるわけだが、未だはっきりと何が起きたのか見えたことはなかった。
ただ、髷が飛んでゆくのは見えた。過たず髷だけを飛ばすその技量の、なんとすさまじいことか。
「え? は?」
しばし室内がしんとした後、ざわりと揺れたのは、相馬の残った髪がぱさりと落ちたからだ。もちろん、切られた相馬も、落ちてきた髪で自らの異変に気付く。
相馬は、顔に落ちてきた髪に触れ、目の前でまだ中腰で構える藤兵衛に目をやった。一度鞘走った刀はまた鞘におさめられて、静かに出番を待っている。藤兵衛に、特に荒ぶった様子もない姿が、また恐ろしかった。
「な、な、な……」
「藤兵衛、見事」
伊良は、感嘆の声を上げる。
実に見事な解決策を、藤兵衛は示してくれた。
「で、出会え! 出会え! 狼藉じゃ!」
咄嗟に叫んだは、相馬と共に良時に叱責を受けていたうちの一人か。その声に、刀に手を掛けた者が二人、部屋の戸を開け入ってきた。が、構える藤兵衛を見て動きを止める。藤兵衛は、城を守り領地を安堵する城代である玉乃川良時の伴侶、玉乃川伊良の護衛である。その藤兵衛が動いたなら、それは狼藉ではない。どちらかといえば、藤兵衛に睨まれている者をこそ、排除せねばならぬ。
伊良は、二人へ向けて軽く手を挙げた。二人が、すかさず刀から手を離し膝をつくのを黙って見守る。
「な、何をしておる、早う……」
まだ声を上げようとする者の元へ、藤兵衛がすすっと歩を進めた。ぐっと目の前まで踏み込むと、脇差を一閃。またしても見事に髷を飛ばしてみせた。
室内に走る緊張に気付かぬように、伊良はにこりと笑ってみせる。
「跡取りの若君は立派に健やかにお育ちであると、寿々殿からのまめな便りで知れている。良時さまがお子を作って、わざわざ家内にいらぬ争いの種をまくことはあるまい。私や行成さまを嫁としたのは先代のご意思でもある。そのご意思を守ることこそ、玉乃川の意を汲んだ行動であると考えるが如何?」
「きれいごとを! お主がその地位におりたいがためにそのような……ひぃ」
藤兵衛の刀の切っ先が喉元に当てられて、声を上げた男が引きつった悲鳴を漏らした。
「私が?」
伊良は苦い笑いをこぼす。
「私が、この地位に、ね……」
望んだことなど、一度もなかったのに。良時さまも私も。……時行さまや行成さまも。
まあ、でも。うん。大切なものを守るためなら、そのそしりもすべて受け入れよう。家中を乱した者らに罰を。
伊良は背筋を伸ばして重々しく告げた。
「先ほどの私への無礼は、髷一つで手打ちとする。其の方ら、しばらく屋敷で謹慎しておるがよい」
「ぐっ、くっ」
「ぐぐぅ」
髷を結えぬ者は登城できぬ決まり。つけ毛やかつらでごまかす者もいるが、そうすぐに準備できるものではない。
そうだ。たみさんに頼んで、この二人のつけ毛やかつらを準備しないように、と領内の髪結い達に話してもらえば、このままこの者達は隠居を余儀なくされるのではないか。そうなれば、焦って何か行動を起こすやもしれぬ。その時にはその尻尾、しかと捕まえてくれる。
此度は、首が無事で良かったな?
答えたのは口だけの嘲笑。相馬は、伊良の許しも得ずに顔を上げて話し始める。
「よいわけがない。やはり其の方、形ばかりの嫁であるな。事の重大さが分かっておらぬ」
藤兵衛が鯉口を切る音がした。気付いた者が幾人かびくりと肩を揺らしたが、顔を上げている相馬が気付いた様子はない。相馬は意気揚々と話し続けた。
「よいか。恐れ多くも将軍家に連なる由緒正しいこのお家の正当な血筋が、もはやお二人になられたのだぞ。これは由々しき事態じゃ。若君はまだ元服前であられる以上、お血筋を増やすは良時さまの勤め。子もなせぬお主がその座にいて良いことなど何もない。自らその身を引くが正道であろう。そのことにも気付かずのうのうとこうして我らに物申すとは、まこと、毛ほどの役にも立たぬどころか害にしか……」
ざっと、藤兵衛が刀に手を掛けたまま前に出た。はっと顔を上げて、その動きをしかと見ることができた者が幾人いたか。体格に恵まれぬ藤兵衛は、人より秀でるために速さを磨いたのだという。速さにおいて、家中に藤兵衛の右に出る者はおらぬ。
かちん、と藤兵衛が刀を鞘におさめる音が聞こえた時には、相馬の髷が飛んでいた。
「あ」
すぐに声を漏らしたのは直井俊行だ。
見えたのか、すごいな。
伊良は、いつも藤兵衛の一番近くにいてその剣筋や動きを見ていることになるわけだが、未だはっきりと何が起きたのか見えたことはなかった。
ただ、髷が飛んでゆくのは見えた。過たず髷だけを飛ばすその技量の、なんとすさまじいことか。
「え? は?」
しばし室内がしんとした後、ざわりと揺れたのは、相馬の残った髪がぱさりと落ちたからだ。もちろん、切られた相馬も、落ちてきた髪で自らの異変に気付く。
相馬は、顔に落ちてきた髪に触れ、目の前でまだ中腰で構える藤兵衛に目をやった。一度鞘走った刀はまた鞘におさめられて、静かに出番を待っている。藤兵衛に、特に荒ぶった様子もない姿が、また恐ろしかった。
「な、な、な……」
「藤兵衛、見事」
伊良は、感嘆の声を上げる。
実に見事な解決策を、藤兵衛は示してくれた。
「で、出会え! 出会え! 狼藉じゃ!」
咄嗟に叫んだは、相馬と共に良時に叱責を受けていたうちの一人か。その声に、刀に手を掛けた者が二人、部屋の戸を開け入ってきた。が、構える藤兵衛を見て動きを止める。藤兵衛は、城を守り領地を安堵する城代である玉乃川良時の伴侶、玉乃川伊良の護衛である。その藤兵衛が動いたなら、それは狼藉ではない。どちらかといえば、藤兵衛に睨まれている者をこそ、排除せねばならぬ。
伊良は、二人へ向けて軽く手を挙げた。二人が、すかさず刀から手を離し膝をつくのを黙って見守る。
「な、何をしておる、早う……」
まだ声を上げようとする者の元へ、藤兵衛がすすっと歩を進めた。ぐっと目の前まで踏み込むと、脇差を一閃。またしても見事に髷を飛ばしてみせた。
室内に走る緊張に気付かぬように、伊良はにこりと笑ってみせる。
「跡取りの若君は立派に健やかにお育ちであると、寿々殿からのまめな便りで知れている。良時さまがお子を作って、わざわざ家内にいらぬ争いの種をまくことはあるまい。私や行成さまを嫁としたのは先代のご意思でもある。そのご意思を守ることこそ、玉乃川の意を汲んだ行動であると考えるが如何?」
「きれいごとを! お主がその地位におりたいがためにそのような……ひぃ」
藤兵衛の刀の切っ先が喉元に当てられて、声を上げた男が引きつった悲鳴を漏らした。
「私が?」
伊良は苦い笑いをこぼす。
「私が、この地位に、ね……」
望んだことなど、一度もなかったのに。良時さまも私も。……時行さまや行成さまも。
まあ、でも。うん。大切なものを守るためなら、そのそしりもすべて受け入れよう。家中を乱した者らに罰を。
伊良は背筋を伸ばして重々しく告げた。
「先ほどの私への無礼は、髷一つで手打ちとする。其の方ら、しばらく屋敷で謹慎しておるがよい」
「ぐっ、くっ」
「ぐぐぅ」
髷を結えぬ者は登城できぬ決まり。つけ毛やかつらでごまかす者もいるが、そうすぐに準備できるものではない。
そうだ。たみさんに頼んで、この二人のつけ毛やかつらを準備しないように、と領内の髪結い達に話してもらえば、このままこの者達は隠居を余儀なくされるのではないか。そうなれば、焦って何か行動を起こすやもしれぬ。その時にはその尻尾、しかと捕まえてくれる。
此度は、首が無事で良かったな?
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