163 / 188
百六十二
しおりを挟む
小さな騒ぎはいくつもあった。一番大きな騒ぎが、先々代の弟である正時とその子たちが登城しようとしたことである。正時は登城の禁止を先々代の頃に言い渡されているというのに、ある日突然、何食わぬ顔でやってきたのだ。当然、門番が止めたが、
「私を誰と心得る。前の藩主、時成の……」
と、一説がなりはじめた。
そこへ、所用で町へ出かけようとしていた伊良が行きあった形である。
すぐに面倒に気付いた藤兵衛が、伊良と徳丸を少々強めに押してかばいながら通り過ぎようとした。しかし。
「伊良さま」
正時たちへ碌々頭も下げなかった門番が丁寧に頭を下げた姿を見逃さなかった正時が、待て、と声を上げる。
足を止めかける伊良の背を藤兵衛が押したが、正時の連れの者たちが目の前に立ちふさがった。
「父上が待てと言うておるのが聞こえぬか、無礼者」
伊良より年が上かと見える一人が胸を反らして言った。
良時が藩主となり、伊良も藩主の伴侶として人前に立つことが増えてからはこのような扱いをされることが格段に減っていたので、なんだか懐かしいような気さえした。確か、伊良が生まれた家を継いだらしい兄が、書庫でおい、と声を掛けてきたのが最後だ。兄だった人は、伊良が調べ物をしに、まだ整理途中の古い書庫へ足を運んだ際、書庫の整理をしていた。……いや、あまりしていなかったか。そこにいた、というのが正しいかもしれない。以前は、御前会議にも出席するような家柄だったと思うのだが、いつの間にやら古い書庫の整理要員となっていたのか。興味がなかったので知らなかった。
おい、と呼ばれて反射的に振り向いた時にはもう、兄だった人は藤兵衛に押さえられて膝をつかされていたので、今回ほどの事もなかった。埃が舞って、くしょんとくしゃみをしたら、すみませんと藤兵衛に謝られた。いや、藤兵衛は何も悪くない。埃すら払えていない元兄が良くないのだ、と手を横に振れば、頭を上げた元兄が恨みのこもった声を上げた。
「お前。お前だろう。幼い頃のことを根に持って私をこんな……痛っ」
藤兵衛が、押さえていた腕を捻り上げて、背中に乗せた膝にも力を入れたようだ。
「貴様、どなたに向かってそのような無礼な口をきいている」
「は。どなたって、これは父上が下賤な女に産ませた家の恥……うわああぁ」
「と、藤兵衛」
みしみしと腕から音がしそうになって、慌てて止めた。力の入れどころさえ分かっていれば、人の腕なんて簡単に折れるらしいから。昔の兄が、力の入れどころを知らなくて良かったとしみじみ思う。折れてしまえば動かせないので、仕事ができなくなるところだった。
「伊良さまは甘すぎます」
「いや。折れたら仕事ができぬ。仕事ができねば、食っていかれないだろう?」
今ここでの傷が原因で元兄やその親族が食いつめることになるのは、少々寝覚めが悪い。まあ、忙しくてすぐに忘れてしまうかもしれないが。
「きれいごとを! すでに食い詰めておるわ!」
元兄の言葉に、まじまじとその姿を見る。
なるほど。上等な生地の着物は端々が擦り切れ、繕った後もあちらこちらに見て取れた。全体にどこかくたびれた様子は否めない。先ほど言いかけた言葉から推測するに、この男は、伊良が自分を閑職に追いやったと思っているらしい。
いや、そんなこと、するはずがない。たった一人を気にするほど伊良は暇ではなかった。
「身の丈にあった生活をして職務に励め。働かぬ者食うべからずじゃ」
伊良に言えることは他になく、書庫から引きずり出される元兄を見送った。
「私を誰と心得る。前の藩主、時成の……」
と、一説がなりはじめた。
そこへ、所用で町へ出かけようとしていた伊良が行きあった形である。
すぐに面倒に気付いた藤兵衛が、伊良と徳丸を少々強めに押してかばいながら通り過ぎようとした。しかし。
「伊良さま」
正時たちへ碌々頭も下げなかった門番が丁寧に頭を下げた姿を見逃さなかった正時が、待て、と声を上げる。
足を止めかける伊良の背を藤兵衛が押したが、正時の連れの者たちが目の前に立ちふさがった。
「父上が待てと言うておるのが聞こえぬか、無礼者」
伊良より年が上かと見える一人が胸を反らして言った。
良時が藩主となり、伊良も藩主の伴侶として人前に立つことが増えてからはこのような扱いをされることが格段に減っていたので、なんだか懐かしいような気さえした。確か、伊良が生まれた家を継いだらしい兄が、書庫でおい、と声を掛けてきたのが最後だ。兄だった人は、伊良が調べ物をしに、まだ整理途中の古い書庫へ足を運んだ際、書庫の整理をしていた。……いや、あまりしていなかったか。そこにいた、というのが正しいかもしれない。以前は、御前会議にも出席するような家柄だったと思うのだが、いつの間にやら古い書庫の整理要員となっていたのか。興味がなかったので知らなかった。
おい、と呼ばれて反射的に振り向いた時にはもう、兄だった人は藤兵衛に押さえられて膝をつかされていたので、今回ほどの事もなかった。埃が舞って、くしょんとくしゃみをしたら、すみませんと藤兵衛に謝られた。いや、藤兵衛は何も悪くない。埃すら払えていない元兄が良くないのだ、と手を横に振れば、頭を上げた元兄が恨みのこもった声を上げた。
「お前。お前だろう。幼い頃のことを根に持って私をこんな……痛っ」
藤兵衛が、押さえていた腕を捻り上げて、背中に乗せた膝にも力を入れたようだ。
「貴様、どなたに向かってそのような無礼な口をきいている」
「は。どなたって、これは父上が下賤な女に産ませた家の恥……うわああぁ」
「と、藤兵衛」
みしみしと腕から音がしそうになって、慌てて止めた。力の入れどころさえ分かっていれば、人の腕なんて簡単に折れるらしいから。昔の兄が、力の入れどころを知らなくて良かったとしみじみ思う。折れてしまえば動かせないので、仕事ができなくなるところだった。
「伊良さまは甘すぎます」
「いや。折れたら仕事ができぬ。仕事ができねば、食っていかれないだろう?」
今ここでの傷が原因で元兄やその親族が食いつめることになるのは、少々寝覚めが悪い。まあ、忙しくてすぐに忘れてしまうかもしれないが。
「きれいごとを! すでに食い詰めておるわ!」
元兄の言葉に、まじまじとその姿を見る。
なるほど。上等な生地の着物は端々が擦り切れ、繕った後もあちらこちらに見て取れた。全体にどこかくたびれた様子は否めない。先ほど言いかけた言葉から推測するに、この男は、伊良が自分を閑職に追いやったと思っているらしい。
いや、そんなこと、するはずがない。たった一人を気にするほど伊良は暇ではなかった。
「身の丈にあった生活をして職務に励め。働かぬ者食うべからずじゃ」
伊良に言えることは他になく、書庫から引きずり出される元兄を見送った。
577
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
a life of mine ~この道を歩む~
野々乃ぞみ
BL
≪腹黒い他国の第二王子×負けず嫌いの転生者≫
第二王子:ブライトル・モルダー・ヴァルマ
主人公の転生者:エドマンド・フィッツパトリック
【第一部】この道を歩む~転生先で真剣に生きていたら、第二王子に真剣に愛された~
エドマンドは13歳の誕生日に日本人だったことを静かに思い出した。
転生先は【エドマンド・フィッツパトリック】で、二年後に死亡フラグが立っていた。
エドマンドに不満を持った隣国の第二王子である【ブライトル・ モルダー・ヴァルマ】と険悪な関係になるものの、いつの間にか友人や悪友のような関係に落ち着く二人。
死亡フラグを折ることで国が負けるのが怖いエドマンドと、必死に生かそうとするブライトル。
「僕は、生きなきゃ、いけないのか……?」
「当たり前だ。俺を残して逝く気だったのか? 恨むぞ」
【第二部】この道を歩む~異文化と感情と、逃げられない運命のようなものと~
必死に手繰り寄せた運命の糸によって、愛や友愛を知り、友人たちなどとの共闘により、見事死亡フラグを折ったエドマンドは、原作とは違いブライトルの母国であるトーカシア国へ行く。
異文化に触れ、余り歓迎されない中、ブライトルの婚約者として過ごす毎日。そして、また新たな敵の陰が現れる。
二部は戦争描写なし。戦闘描写少な目(当社比)です。
全体的にかなりシリアスです。二部以降は、死亡表現やキャラの退場が予想されます。グロではないですが、お気を付け下さい。
闘ったり、負傷したり、国同士の戦争描写があったりします。
本編ド健全です。すみません。
※ 恋愛までが長いです。バトル小説にBLを添えて。
※ 閑話休題以外は主人公視点です。
※ ムーンライトノベルズにも投稿しております。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
推しにプロポーズしていたなんて、何かの間違いです
一ノ瀬麻紀
BL
引きこもりの僕、麻倉 渚(あさくら なぎさ)と、人気アイドルの弟、麻倉 潮(あさくら うしお)
同じ双子だというのに、なぜこんなにも違ってしまったのだろう。
時々ふとそんな事を考えてしまうけど、それでも僕は、理解のある家族に恵まれ充実した引きこもり生活をエンジョイしていた。
僕は極度の人見知りであがり症だ。いつからこんなふうになってしまったのか、よく覚えていない。
本音を言うなら、弟のように表舞台に立ってみたいと思うこともある。けれどそんなのは無理に決まっている。
だから、安全な自宅という城の中で、僕は今の生活をエンジョイするんだ。高望みは一切しない。
なのに、弟がある日突然変なことを言い出した。
「今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれないか?」
ありえない頼み事だから断ろうとしたのに、弟は僕の弱みに付け込んできた。
僕の推しは俳優の、葛城 結斗(かつらぎ ゆうと)くんだ。
その結斗くんのスペシャルグッズとサイン、というエサを目の前にちらつかせたんだ。
悔しいけど、僕は推しのサインにつられて首を縦に振ってしまった。
え?葛城くんが目の前に!?
どうしよう、人生最大のピンチだ!!
✤✤
「推し」「高校生BL」をテーマに書いたお話です。
全年齢向けの作品となっています。
一度短編として完結した作品ですが、既存部分の改稿と、新規エピソードを追加しました。
✤✤
【完結】我が兄は生徒会長である!
tomoe97
BL
冷徹•無表情•無愛想だけど眉目秀麗、成績優秀、運動神経まで抜群(噂)の学園一の美男子こと生徒会長・葉山凌。
名門私立、全寮制男子校の生徒会長というだけあって色んな意味で生徒から一目も二目も置かれる存在。
そんな彼には「推し」がいる。
それは風紀委員長の神城修哉。彼は誰にでも人当たりがよく、仕事も早い。喧嘩の現場を抑えることもあるので腕っぷしもつよい。
実は生徒会長・葉山凌はコミュ症でビジュアルと家柄、風格だけでここまで上り詰めた、エセカリスマ。実際はメソメソ泣いてばかりなので、本物のカリスマに憧れている。
終始彼の弟である生徒会補佐の観察記録調で語る、推し活と片思いの間で揺れる青春恋模様。
本編完結。番外編(after story)でその後の話や過去話などを描いてます。
(番外編、after storyで生徒会補佐✖️転校生有。可愛い美少年✖️高身長爽やか男子の話です)
僕を惑わせるのは素直な君
秋元智也
BL
父と妹、そして兄の家族3人で暮らして来た。
なんの不自由もない。
5年前に病気で母親を亡くしてから家事一切は兄の歩夢が
全てやって居た。
そこへいきなり父親からも唐突なカミングアウト。
「俺、再婚しようと思うんだけど……」
この言葉に驚きと迷い、そして一縷の不安が過ぎる。
だが、好きになってしまったになら仕方がない。
反対する事なく母親になる人と会う事に……。
そこには兄になる青年がついていて…。
いきなりの兄の存在に戸惑いながらも興味もあった。
だが、兄の心の声がどうにもおかしくて。
自然と聞こえて来てしまう本音に戸惑うながら惹かれて
いってしまうが……。
それは兄弟で、そして家族で……同性な訳で……。
何もかも不幸にする恋愛などお互い苦しみしかなく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる