そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環

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本編

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※side雪田

 方向が違う小野さんと三木さんと別れて、ホームで電車を待つ。
 目を閉じて、右手に意識を集中させる。竹下さんの手の感覚を忘れないように、刻み込むことが出来たらいいのに。
 手に全身の神経が集中するなんて、そんなことはなくて。というか、できれば全身の神経を総動員したかった。温度とか、柔らかさとか、手の大きさや、指の太さ、握る強さ……そういうの全部、俺の持つ全てをかけて感じていたかった。

 どうせこのあとバイトだし、手は何度も消毒することになる。せめて今日だけは、手を洗わずに眠りたかったなんて思ってることを知ったら、竹下さんは気持ち悪いって思うかな。
 何で俺と手を繋いだんですか? そう聞きたくても聞けなくて、かといって何でもない振りも出来なくて、俺はずっと変な態度をとっていたと思う。俺にとっては夢のような時間だった。だから、あえてそれを自分から壊すなんてことできなかった。
 竹下さんが何かの気まぐれで手を繋いでくれたんだとして、理由を聞いたりとか、嫌だったとか嬉しかったとか、そういうの全く言わなかったら……また、繋いでくれたりしないだろうか。

 だめだな、俺。どんどん欲張りになってく。

 最初は、竹下さんを遠くから見てるだけでも幸せだった。たまに笑っている顔を見られたりすると、別に俺が笑わせた訳でもないのに、一日中特別に幸せな気分になれた。
 たまたま同じ時間の電車に乗れたとか、昼の購買で近くに並ぶのに成功したとか、竹下さんのクラスが体育をグラウンドでやってたからずっと眺めていられたとか、話し声が聞こえたとか、そんな些細なことでニヤニヤしてしまうのを止められなかった。

 なのに、今は……竹下さんが誰かと話しているのを見るだけで、嫉妬に近い感情を抱いてしまう。
 俺の隣にずっといて欲しい。俺ともっと話して欲しい。二人だけで過ごしたい。出来るなら、触れたい。そんなことを願ってしまう。
 こんな馬鹿なこと考えてるって、竹下さんに知られたくない。変な欲がなかった自分に戻りたい。ただただ好きでいるだけで満足してた頃の俺に。
 いつからこんな風になったんだろう。大学で、同じサークルに入ってから? 俺の部屋に来てくれて、話せるようになった日から? 竹下さんに、好きな人が出来たと知った日から? ……分からない。けど、俺の気持ちが高校生の頃とは違うってことだけは、はっきりと分かる。

「はい、雪田っす」

 何もやることがなくて部屋でダラダラしていると、携帯が鳴った。電話を掛けてきた相手は、霧島さんだった。

「おーっす。今日ヒマ? メシ行かねぇ? それかどっか行きたいとこあんなら付き合うし」

「ヒマっすけど、どうしたんすか? 霧島さんからお誘いなんて、何か珍しいっすね」

 霧島さんが休日に誰か誘うってことになったら、俺じゃなくてニーナだと思うんだけど。先にニーナ誘って断られたのかな。

「今日ほんとは違う奴と遊ぶ予定になってたんだけど、ドタキャンされてよー。何気に服とか気合い入れてたのに無駄になると思ったらムカつくし、誰か誘うかなって」

 なるほど。ニーナがドタキャンしたんだ。あいつすげーな。先輩相手にドタキャンって。
 霧島さんは自宅生なのに、平気で約束もしないで実家に遊び行っちゃったりするし。霧島さんのお母さんと仲良くなったから、霧島さんがいなくてもご飯とかいただくのも普通だとか言うし。

「俺、服欲しいんすよ。見立ててくれないっすか?」

「おー! いいぜ! じゃあ一時間後に中央駅でいいか?」

「オッケーっす。じゃあ、あとで」

 来週はついに竹下さんと出掛ける日だし。新しい服買いたいなってちょうど思ってたんだ。
 竹下さんの隣に並んでも、恥ずかしくないって思えるような姿に一応はなっていたい。髪も切っとくか……気合い入り過ぎって引かれるかな? いや、髪型が違うなんて、きっと気付かれないだろう。俺だったら、竹下さんの髪が1cm短いだけで気付く自信あるけど。


「ユキさ、無難な色の服ばっか手に取ってねぇ? もっと色んなの着ればいいのに。これとか」

「え、ピンクっすか。いやー、赤系の色は俺似合わなくないすか?」

「俺的には寒色より暖色のが似合う感じするけどなぁ。こういう淡いピンクのシャツ着て上にカーデ重ねて可愛く攻めるか、逆にこんな感じで中にがっつりVネック着て色気で攻めるかだな」

 洋服が綺麗に並んでいる棚の上で、実際に霧島さんの言う可愛いパターンと色気のパターンを見せられる。
 でもそれを着る自分がピンとこない。

「つか攻めるって……」

「だってデートだろ? 男がピンク着てんの好きな女の子って割と多いぜ?」

「……デートじゃないっす」

 デートだったらどんだけいいか。でもデート以上に気合い入れてたいな。
 竹下さん、たまに俺のこと『可愛い』って言ってくれるときあるし、霧島さんの言う可愛いコーデで行ったら、いいなって思ってくれるかな。
 霧島さんセンスいいし、自分では分かんないけど似合ってるってことあるし、思い切って任せちゃおうかな。

「お。ピンク着る気になったか」

「霧島さんの見立てを信じるっす」

「絶対似合うから。デートに来て行けよな!」

「だから、デートじゃないっす……」

 霧島さんが勧めてくれた服を買って、霧島さんのお気に入りの居酒屋に行った。常連過ぎて『いらっしゃい』じゃなくて『おかえり』と言われていることに笑ってしまう。

「実際、好きな子とはどうなってんだ?」

「どう……っていうか、まあ、話せるようにはなりました」

「お前さ、正直に言ってみ? 距離縮まってさ、付き合いたいって思うだろ? その子と」

「……いや、そういうのは無理だって分かってるっすから」

「じゃあ、その子が別の誰かと付き合うことになったら、お前はどうすんだ?」

 嫌だ。嫌だ、想像したくもない。誰かのものになんかならないで。
 でも、竹下さんには好きな人がいるし、その人と結ばれて幸せになって欲しいって気持ちも本心だ。

「……祝福するっす」

「そんな泣きそうな顔して何言ってんだか。お前がお前の手で幸せにしてあげればいいだけの話だろ」

「俺は……後輩として、仲良くしていければ、それで」

「こじらせてんなあ」

 だって俺は男だから。
 竹下さんに好きになってもらえるはずがない。そもそも俺が女性に生まれていたとしても、竹下さんには釣り合わない。竹下さんには、竹下さんと同じように綺麗で優しい人がお似合いなんだ。
 俺にできるのは、独占欲とか嫉妬心とかそういうのを隠して、後輩としてでもいいからそばにいられるように頑張ることだけだ。


 竹下さんと出掛ける当日。俺は待ち合わせ場所に、待ち合わせ時間の30分以上も前に到着してしまった。することも特に無いので、ソワソワしながら待っていると、二人組の女性から声を掛けられた。

「今ってお時間ありますか?」

「え……あるっす、けど?」

 もしかして宗教の勧誘かなー。二人ともすげーニコニコしてるし。若いから……新興宗教、とか?

「ちょっと道が分かんなくて困ってるんですー。教えてもらえますか?」

「あ、あー! はい。俺が分かるとこだったらいいんすけど」

 違った。すげー失礼なこと考えちゃった。

「そこだったら分かるっすよ」

 女性が行き方を知りたいと言ったお店は、俺も一度行ったことがあるカフェだった。俺のシフトがバータイムだけだとしても、一応はカフェのスタッフなのだから、と美味しいコーヒーを淹れてくれるというお店に何軒か連れて行ってもらっている。

「もしよかったらなんですけど、今から一緒に行っていただけませんか? もちろんお代は私達が出します」

「え、今からはちょっと……道順、ちゃんと言うんで二人で行けると思うっすよ」

「でも私達、方向音痴で……」

「ごめん、遅くなって。行こう」

 いつの間にそんなそばに来られてたのか、竹下さんの声がすぐ背後から聞こえた。

「行くよ」

 手首を掴まれて、引かれる。足は素直に付いて行くが、口は反対のことを言う。

「あの、でも、まだ道を説明してないっす!」

「しなくていいよ。あんなのただのナンパだから」

「え!」

「あれくらいの年齢なら普通にスマホ持ってんでしょ。アプリで簡単に道くらい調べられるんだから、わざわざ若い男に聞く必要ない」

「あ、そっか」

「……あのね?」

 竹下さんが立ち止まって、俺の手首を離した。なんとなく惜しい気分。

「れおはもう少し自分が女から好かれる見た目してるんだって、自覚した方がいいよ」

「いやいやそんなこ……」

「自覚しなさい。ていうか、今日すげー髪型キマってんね。襟足も少し切ったの?」

「え! 分かるんすか!?」

「分かるよ。服もいつもと感じ違うね。モノトーンじゃないの珍しいんじゃない? ……もしかして、オシャレして来てくれた?」

 髪、サイド刈っただけで表面上はあんま変わってない。襟足だってほんとに少ししか切ってないのに気付いてくれた。
 俺そんなはっきり気合入ってるって分かる? なんかそういうの恥ずかしいんだけど。

「服、変っすか?」

「そんな訳ないでしょ。すげー似合ってるよ。いつものモノトーンもいいけど、ピンクもすげーいいね。可愛い」

 竹下さんが笑顔でそんなことを言うから、じわっと顔に熱が集まっていく。絶対、俺の顔赤くなってる。
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