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「イセルの勝利と、退院を祝して」
メルヴィンは自分の胸上でティーカップを掲げ、悪戯っぽく片目を瞑った。ティーセットやケーキの並ぶ丸テーブルの向かいで、ヴィンセントは眉を顰めてため息をつく。
「オレが誘ったのは下級生だけだ。メルヴィンはお呼びじゃない」
文句を言って、丸テーブルを囲むもう一人の招待客に視線を送る。車椅子に座り、犬のぬいぐるみを抱いているイセルは、胸が上下していても不安になるほど穏やかに眠っている。
庶民出の一年生、イセル・ラインズの英雄譚を学内で知らないものはいない。第三校舎で放課後を過ごすか弱い四年生に降りかかった脅威を、その幼さの抜けない身体で守った。守られた四年生、メルヴィン・セインズフォードは助けられた恩は返しきれないものだと分かりながらも、出来るだけ多く返すために、自身の卒業と共にイセル・ラインズをセインズフォード家へ迎え入れる。
学内での奇妙な噂話を思い出し、げんなりとしながらイセルにケーキを差し出した。
「メルヴィンの騎士役を務めた気分はどうだ。コイツがお姫様らしいのは、見た目だけだろ」
「イセルのお姫様役……、お前にしては良い言葉じゃないか。流石に守られてばかりではいられないけどね」
「メルヴィンには言ってない」
食べれないとは分かりながらもテーブル内の食器をイセルの元にヴィンセントは持って行く。それを視線で咎め、メルヴィンは音を立ててティーカップを置いた。
「ヴィンス、お前わざとこの子に負けただろう。私に勝てなかったというのはお前が兄の背中をまだ追いかける意志があった頃の話で、今は兄より半歩は先に進んでいるそうじゃないか。お前の駒をいくら減らしても、この子が勝てるわけない」
「そうだ、オレの駒がいくら減らされても、彼らが自分の陣営関係なく下級生の味方をするならば、もう勝ちようがない」
「今日だけは、そういうことにしてあげようか」
ヴィンセントはポケットから駒を取り出し、眠るイセルの手を取って握らせた。血色の悪い顔を覗き込み、オレはアンタの味方だっただろ、と自慢げに語りかける。
意地悪な上級生達に騙される可哀想な下級生を、出来る限り有利な立場に導くことがすべてだった。ゲームと違って、手持ちの駒は勝手に動くし、知らない内に駒が増えていることもある。状況を常に把握しながら、無謀に進んでいこうとする駒をそれとなく誘導するのは、眠気を堪えきれないほど疲れた。
アンヘル・クラウザーがメルヴィンを刺すかは、ほぼ賭けに近かった。あの男にそんな勇気があるようには見えなかったが、メルヴィンの生まれ持つ性格悪さは人を邪悪な方へ駆り立てるなにかがある。メルヴィンはイセルを歴代一のお気に入りにしているため、ナイフで刺す意志を見せれば安全な場所に移動させるはずだ。だから躊躇なんてせず本当にイセルを刺す勢いでいけ、と何度も言って、不安そうな素振りを見せれば第三校舎の決まり上罪に問われることはない、と嘘を伝えた。何も知らない無防備なメルヴィンを殺す機会はもう二度と巡ってこない、と言ったことに関しては、半分は本気で、半分はからかいだった。
痛みは一瞬だが、地位は永遠だ。
ミステリクラブにある駒をうまく動かせれば、第三校舎にある駒は一番大切な駒を傷付けるために働くはず、という読みは当たっていた。第三校舎の住人の命を守ったとあれば、箔が付く。アンヘル・クラウザーが自棄になって凶器を振りかざしたのなら、例え逃げようとしたってイセルの首根っこを掴まえて彼に差し出すはずだ。
イセルやイセルの家族は、一瞬の痛みに耐えるだけで、生涯苦しむことなく暮らしていけるようになった。
らしくもないことをした、とヴィンセントは思う。学内に持ち込み禁止のものは兄に頼んで用意してもらい、アンヘル・クラウザーの長話を許容してやり、ミステリクラブの部室にも通った。昔から兄と同じくらい嫌いなメルヴィンの元に遊びに行き、楽しみがあるとすれば彼のお気に入りと盤上競技をすることだけだ。
ただ、肝心の相手からは褒めてはもらえない不毛な仕事だったとしても、可愛い弟のために動くというのは、気分が良い。
「勘違いするなよ、ヴィンス。この子はお前の弟でも、弟分でもない。欲しいのなら、お兄様に勝った報酬として頼めば良かった、昔から弟が欲しいと言っていただろう」
「弟じゃない、というのはアンタが勝手に言っているだけだ。下級生がどう思っているかは別だろ」
ため息に呆れが滲んでいても、青白い頬を抓る手は気に留める気配がない。
「仮に弟なのだとして、刺されるように仕向ける兄が何処にいる」
「ここにいる。それに下級生との約束は守った」
「へえ、どんな約束をしたんだい?」
「出した答えを素晴らしい解答だと褒め、下級生に一番都合が良い段取りをしておくと約束した。コイツはメルヴィンを選んだ、オレとしては不満があるが、兄として弟の立場を美しく飾りたててやることにした。コイツのご支援者様も、自分だけでなく一人の命を救ったとあっては素晴らしい親子だと喜び、今後はメルヴィンが面倒を見るべきだと思って下さる。下級生が退学することになっても、ご支援者様の面子を潰すことにはならない」
「そのご支援者様はお前の兄のようだけど?」
「それと同時にアンタの親友でもある」
「病院で会ったよ。可愛い可愛い弟はどんな遊びを思いついたんだ、と聞かれたから素直に答えてやった。お前の弟はお兄様ごっこをして浮かれている、とね」
「……兄さんから大量に手紙と花が送られてくるのは、アンタが犯人か」
「お兄様へ第三校舎に遊びに来る口実を与えて欲しくなければ、その子から手を離しなさい」
長い付き合いによってこれが口先だけの脅しで済むはずがないと分かっていたため、渋々ヴィンセントは手を離した。兄とメルヴィンが揃っていて、面倒じゃなかったことは一度もない。
顔を上げメルヴィンを睨みながら、オレの見舞いは断ったくせに、と文句をぶつけると、お兄様とはち合わせないように配慮したんだ、と言われ、押し黙る。
車椅子で眠るイセルは、相変わらず起きるような気配がない。安眠ジャムのせいだろうとヴィンセントは踏んでいる。室内庭園に誘ったことに対してか、それともメルヴィンと喧嘩している間にイセルと会っていたことに対してか、陰湿な性格を考えればどちらもであるかもしれない。自分の手元にあるのだと見せるついでに、本人の同意なしに約束を果たし終えたことにしようとしている。起きている状態で遊びに来なければ約束を果たしたとは言えないと、起きているときに伝えないといけない。
安眠ジャムでは、夢を見ることすら叶わない。御贔屓様のご要望に合わせた効き目が強すぎるものでは、なおさら。ただ、瞼の裏に映し出されているものが少しでもあるならば、どんな形であれ美しいものであるように、と兄心で願う。
「寮には帰すのか?」
「まさか。あんな野蛮な場所に帰すわけないだろう? この子のための部屋を用意したんだ」
そう言ってメルヴィンは小振りな鍵を取り出し、ヴィンセントに見せつけた。
「どこだ?」
「私はこの部屋にお前を招待するつもりはないよ」
「どこだ?」
「お前の強情さは兄譲りだな。第三校舎の何処かの一室とだけは教えてあげようか」
「……それくらい知っている」
第三校舎の住人からすれば、ここ以上に安全な場所なんてない。強情なメルヴィンに折れた振りをして、誰からもらったんだ、と尋ねる。答えるまで聞くより、空室の中から探し出す方が簡単だとヴィンセントは分かっていた。
「絵を描くのが好きな卒業生からだ。在学中も彼に誘われて遊びに行ったことがあるくらい仲良しでね、長期休みに行った狩りの終わりに話を持ちかけたら、何も聞かずに貸してくれた」
「自分の命を狩られると思ったんだろ」
「確かに、私を見る目は命を捧げているようでもあった。在学中は煩わしくて断っていたけど、対価として君の絵のモデルになろうと言ったら、泣いて喜んでいたよ」
卒業生もまたメルヴィンにやられた側の人間らしい。ミステリクラブに置き去りの被害者リストに付け足しておかなければならない、と脳の片隅で考える。
「アンタが他の男に現を抜かしていると知ったら、ソイツはどう思う?」
「泣いて、それから喜んでくれる。私のためにとびきりね」
相手の行為を踏みにじっていると分かってやっているのだから、質が悪い。
メルヴィンは持っていた鍵を制服のポケットへ仕舞い、車椅子を自分の近くへと引き寄せた。身体が揺さぶられ、イセルはぬいぐるみをぎゅっと包み込むような体勢になる。愛おしいな、と漏れ出た言葉にヴィンセントは表情をしかめたが、抱く不快感は本人に届いていない。
「君がマイロとベラを抱き締めることで、私は君もあの子達も両腕に収めることが出来る。……ヴィンス、彼はねあの子達をお茶会の招待客の一人と理解して、私に何処に座ればいいかちゃんと尋ねてきたんだよ。今までずっと求めてきた、私の心に寄り添える唯一の人間だ。これを運命と言わずして、何と言う」
「探し物が見つかったようで何よりだ。にしても、悪趣味人形に触れて無事な人間を、オレは初めて見ている。兄さんですら無傷じゃ済まなかった」
「お前が彼奴の弟じゃなかったら、フォークでその目を刺していたところだ。お兄様と私の友情に感謝しなさい、ヴィンス」
そう言い切ってから、そういえば、と思い出したように付け加えた。
「アンヘル・クラウザーは馬鹿な子だったね、一般生徒の無礼を“子どもの喧嘩”として家に影響が出ないよう許してあげているだけなのに。私に危害を加えたら、当然一家で責任を問われるだけだ。その上探偵ごっこも下手だった」
「アンタが動き始めたから、報復の手伝いに興味はないかと声を掛けに行ったら喜んでいた」
「報復の手伝い、ね。復讐ではなくて?」
「復讐なんて言葉を使ったら、クラウザーのせいで下級生に不本意な嘘をつくことになる。下級生がアンタを選べば報復の手伝いの中で一番大切な道具だ、アンタはアイツに復讐をするわけではないし報復ならどっちを選ばれても問題ない」
「お前も意地が悪い。この子が聞いたら詭弁だと蔑むだろうね」
呆れを声に滲ませたわざとらしい口調に腹が立ち、ヴィンセントはメルヴィンにあげてやったケーキの一切れを食器ごと奪った。そのままフォークを手に取り、一口分掬って食べる。味への感想よりも先に、下級生に食べさせたかった、と残念な気持ちがやってくる。
ケーキも茶葉も、食器の一つひとつまでも、今日のために特別なものを取り寄せていた。けれど、それらの味を知れるかどうかは、彼に運命を握る人間の気分次第だ。これから何を失い、得たとしても、それはすべて自分が選んだものではない。
「可哀想な下級生。アンタは自分の食器すらまともに選ぶことが出来ない」
オレだったら一緒に選んだものを使ってやるのに。
続けようとした言葉を紅茶で流し込んだ。兄ならば、弟をこっそり市場に連れて行ってあげるのもまた役目だ。食器も菓子も、好みのものを探して、彼らしい茶会を二人で作り上げれば良い。両腕から奪うわけではないのだ、借りるくらいなら問題ないだろう。
「運命の一杯には、それ相応の食器が欠かせない。イセルには常に美味しい紅茶を飲んでいてもらいたいからね、私が選ぶのは当然だ」
白い指がイセルの頭を撫でる。それまではただ眠っていただけだったものが、微笑ましい行動によって、まるで楽しい夢を見ているような表情にすら見えてくる。
兄離れが早すぎるのではないか、と頭の中で文句をぶつけながらもヴィンセントはイセルを勝利を祝福するようにカップを胸元で掲げ、そのまま一気に飲み干した。
メルヴィンは自分の胸上でティーカップを掲げ、悪戯っぽく片目を瞑った。ティーセットやケーキの並ぶ丸テーブルの向かいで、ヴィンセントは眉を顰めてため息をつく。
「オレが誘ったのは下級生だけだ。メルヴィンはお呼びじゃない」
文句を言って、丸テーブルを囲むもう一人の招待客に視線を送る。車椅子に座り、犬のぬいぐるみを抱いているイセルは、胸が上下していても不安になるほど穏やかに眠っている。
庶民出の一年生、イセル・ラインズの英雄譚を学内で知らないものはいない。第三校舎で放課後を過ごすか弱い四年生に降りかかった脅威を、その幼さの抜けない身体で守った。守られた四年生、メルヴィン・セインズフォードは助けられた恩は返しきれないものだと分かりながらも、出来るだけ多く返すために、自身の卒業と共にイセル・ラインズをセインズフォード家へ迎え入れる。
学内での奇妙な噂話を思い出し、げんなりとしながらイセルにケーキを差し出した。
「メルヴィンの騎士役を務めた気分はどうだ。コイツがお姫様らしいのは、見た目だけだろ」
「イセルのお姫様役……、お前にしては良い言葉じゃないか。流石に守られてばかりではいられないけどね」
「メルヴィンには言ってない」
食べれないとは分かりながらもテーブル内の食器をイセルの元にヴィンセントは持って行く。それを視線で咎め、メルヴィンは音を立ててティーカップを置いた。
「ヴィンス、お前わざとこの子に負けただろう。私に勝てなかったというのはお前が兄の背中をまだ追いかける意志があった頃の話で、今は兄より半歩は先に進んでいるそうじゃないか。お前の駒をいくら減らしても、この子が勝てるわけない」
「そうだ、オレの駒がいくら減らされても、彼らが自分の陣営関係なく下級生の味方をするならば、もう勝ちようがない」
「今日だけは、そういうことにしてあげようか」
ヴィンセントはポケットから駒を取り出し、眠るイセルの手を取って握らせた。血色の悪い顔を覗き込み、オレはアンタの味方だっただろ、と自慢げに語りかける。
意地悪な上級生達に騙される可哀想な下級生を、出来る限り有利な立場に導くことがすべてだった。ゲームと違って、手持ちの駒は勝手に動くし、知らない内に駒が増えていることもある。状況を常に把握しながら、無謀に進んでいこうとする駒をそれとなく誘導するのは、眠気を堪えきれないほど疲れた。
アンヘル・クラウザーがメルヴィンを刺すかは、ほぼ賭けに近かった。あの男にそんな勇気があるようには見えなかったが、メルヴィンの生まれ持つ性格悪さは人を邪悪な方へ駆り立てるなにかがある。メルヴィンはイセルを歴代一のお気に入りにしているため、ナイフで刺す意志を見せれば安全な場所に移動させるはずだ。だから躊躇なんてせず本当にイセルを刺す勢いでいけ、と何度も言って、不安そうな素振りを見せれば第三校舎の決まり上罪に問われることはない、と嘘を伝えた。何も知らない無防備なメルヴィンを殺す機会はもう二度と巡ってこない、と言ったことに関しては、半分は本気で、半分はからかいだった。
痛みは一瞬だが、地位は永遠だ。
ミステリクラブにある駒をうまく動かせれば、第三校舎にある駒は一番大切な駒を傷付けるために働くはず、という読みは当たっていた。第三校舎の住人の命を守ったとあれば、箔が付く。アンヘル・クラウザーが自棄になって凶器を振りかざしたのなら、例え逃げようとしたってイセルの首根っこを掴まえて彼に差し出すはずだ。
イセルやイセルの家族は、一瞬の痛みに耐えるだけで、生涯苦しむことなく暮らしていけるようになった。
らしくもないことをした、とヴィンセントは思う。学内に持ち込み禁止のものは兄に頼んで用意してもらい、アンヘル・クラウザーの長話を許容してやり、ミステリクラブの部室にも通った。昔から兄と同じくらい嫌いなメルヴィンの元に遊びに行き、楽しみがあるとすれば彼のお気に入りと盤上競技をすることだけだ。
ただ、肝心の相手からは褒めてはもらえない不毛な仕事だったとしても、可愛い弟のために動くというのは、気分が良い。
「勘違いするなよ、ヴィンス。この子はお前の弟でも、弟分でもない。欲しいのなら、お兄様に勝った報酬として頼めば良かった、昔から弟が欲しいと言っていただろう」
「弟じゃない、というのはアンタが勝手に言っているだけだ。下級生がどう思っているかは別だろ」
ため息に呆れが滲んでいても、青白い頬を抓る手は気に留める気配がない。
「仮に弟なのだとして、刺されるように仕向ける兄が何処にいる」
「ここにいる。それに下級生との約束は守った」
「へえ、どんな約束をしたんだい?」
「出した答えを素晴らしい解答だと褒め、下級生に一番都合が良い段取りをしておくと約束した。コイツはメルヴィンを選んだ、オレとしては不満があるが、兄として弟の立場を美しく飾りたててやることにした。コイツのご支援者様も、自分だけでなく一人の命を救ったとあっては素晴らしい親子だと喜び、今後はメルヴィンが面倒を見るべきだと思って下さる。下級生が退学することになっても、ご支援者様の面子を潰すことにはならない」
「そのご支援者様はお前の兄のようだけど?」
「それと同時にアンタの親友でもある」
「病院で会ったよ。可愛い可愛い弟はどんな遊びを思いついたんだ、と聞かれたから素直に答えてやった。お前の弟はお兄様ごっこをして浮かれている、とね」
「……兄さんから大量に手紙と花が送られてくるのは、アンタが犯人か」
「お兄様へ第三校舎に遊びに来る口実を与えて欲しくなければ、その子から手を離しなさい」
長い付き合いによってこれが口先だけの脅しで済むはずがないと分かっていたため、渋々ヴィンセントは手を離した。兄とメルヴィンが揃っていて、面倒じゃなかったことは一度もない。
顔を上げメルヴィンを睨みながら、オレの見舞いは断ったくせに、と文句をぶつけると、お兄様とはち合わせないように配慮したんだ、と言われ、押し黙る。
車椅子で眠るイセルは、相変わらず起きるような気配がない。安眠ジャムのせいだろうとヴィンセントは踏んでいる。室内庭園に誘ったことに対してか、それともメルヴィンと喧嘩している間にイセルと会っていたことに対してか、陰湿な性格を考えればどちらもであるかもしれない。自分の手元にあるのだと見せるついでに、本人の同意なしに約束を果たし終えたことにしようとしている。起きている状態で遊びに来なければ約束を果たしたとは言えないと、起きているときに伝えないといけない。
安眠ジャムでは、夢を見ることすら叶わない。御贔屓様のご要望に合わせた効き目が強すぎるものでは、なおさら。ただ、瞼の裏に映し出されているものが少しでもあるならば、どんな形であれ美しいものであるように、と兄心で願う。
「寮には帰すのか?」
「まさか。あんな野蛮な場所に帰すわけないだろう? この子のための部屋を用意したんだ」
そう言ってメルヴィンは小振りな鍵を取り出し、ヴィンセントに見せつけた。
「どこだ?」
「私はこの部屋にお前を招待するつもりはないよ」
「どこだ?」
「お前の強情さは兄譲りだな。第三校舎の何処かの一室とだけは教えてあげようか」
「……それくらい知っている」
第三校舎の住人からすれば、ここ以上に安全な場所なんてない。強情なメルヴィンに折れた振りをして、誰からもらったんだ、と尋ねる。答えるまで聞くより、空室の中から探し出す方が簡単だとヴィンセントは分かっていた。
「絵を描くのが好きな卒業生からだ。在学中も彼に誘われて遊びに行ったことがあるくらい仲良しでね、長期休みに行った狩りの終わりに話を持ちかけたら、何も聞かずに貸してくれた」
「自分の命を狩られると思ったんだろ」
「確かに、私を見る目は命を捧げているようでもあった。在学中は煩わしくて断っていたけど、対価として君の絵のモデルになろうと言ったら、泣いて喜んでいたよ」
卒業生もまたメルヴィンにやられた側の人間らしい。ミステリクラブに置き去りの被害者リストに付け足しておかなければならない、と脳の片隅で考える。
「アンタが他の男に現を抜かしていると知ったら、ソイツはどう思う?」
「泣いて、それから喜んでくれる。私のためにとびきりね」
相手の行為を踏みにじっていると分かってやっているのだから、質が悪い。
メルヴィンは持っていた鍵を制服のポケットへ仕舞い、車椅子を自分の近くへと引き寄せた。身体が揺さぶられ、イセルはぬいぐるみをぎゅっと包み込むような体勢になる。愛おしいな、と漏れ出た言葉にヴィンセントは表情をしかめたが、抱く不快感は本人に届いていない。
「君がマイロとベラを抱き締めることで、私は君もあの子達も両腕に収めることが出来る。……ヴィンス、彼はねあの子達をお茶会の招待客の一人と理解して、私に何処に座ればいいかちゃんと尋ねてきたんだよ。今までずっと求めてきた、私の心に寄り添える唯一の人間だ。これを運命と言わずして、何と言う」
「探し物が見つかったようで何よりだ。にしても、悪趣味人形に触れて無事な人間を、オレは初めて見ている。兄さんですら無傷じゃ済まなかった」
「お前が彼奴の弟じゃなかったら、フォークでその目を刺していたところだ。お兄様と私の友情に感謝しなさい、ヴィンス」
そう言い切ってから、そういえば、と思い出したように付け加えた。
「アンヘル・クラウザーは馬鹿な子だったね、一般生徒の無礼を“子どもの喧嘩”として家に影響が出ないよう許してあげているだけなのに。私に危害を加えたら、当然一家で責任を問われるだけだ。その上探偵ごっこも下手だった」
「アンタが動き始めたから、報復の手伝いに興味はないかと声を掛けに行ったら喜んでいた」
「報復の手伝い、ね。復讐ではなくて?」
「復讐なんて言葉を使ったら、クラウザーのせいで下級生に不本意な嘘をつくことになる。下級生がアンタを選べば報復の手伝いの中で一番大切な道具だ、アンタはアイツに復讐をするわけではないし報復ならどっちを選ばれても問題ない」
「お前も意地が悪い。この子が聞いたら詭弁だと蔑むだろうね」
呆れを声に滲ませたわざとらしい口調に腹が立ち、ヴィンセントはメルヴィンにあげてやったケーキの一切れを食器ごと奪った。そのままフォークを手に取り、一口分掬って食べる。味への感想よりも先に、下級生に食べさせたかった、と残念な気持ちがやってくる。
ケーキも茶葉も、食器の一つひとつまでも、今日のために特別なものを取り寄せていた。けれど、それらの味を知れるかどうかは、彼に運命を握る人間の気分次第だ。これから何を失い、得たとしても、それはすべて自分が選んだものではない。
「可哀想な下級生。アンタは自分の食器すらまともに選ぶことが出来ない」
オレだったら一緒に選んだものを使ってやるのに。
続けようとした言葉を紅茶で流し込んだ。兄ならば、弟をこっそり市場に連れて行ってあげるのもまた役目だ。食器も菓子も、好みのものを探して、彼らしい茶会を二人で作り上げれば良い。両腕から奪うわけではないのだ、借りるくらいなら問題ないだろう。
「運命の一杯には、それ相応の食器が欠かせない。イセルには常に美味しい紅茶を飲んでいてもらいたいからね、私が選ぶのは当然だ」
白い指がイセルの頭を撫でる。それまではただ眠っていただけだったものが、微笑ましい行動によって、まるで楽しい夢を見ているような表情にすら見えてくる。
兄離れが早すぎるのではないか、と頭の中で文句をぶつけながらもヴィンセントはイセルを勝利を祝福するようにカップを胸元で掲げ、そのまま一気に飲み干した。
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