月の箱庭

善奈美

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月の箱庭

01 グウェンティア

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 短く切り揃えられた黒髪、白い肌、夜の瞳を持つグウェンティアは一人、森の入り口に立っていた。黒一色の装束は動きやすさを重視したものだろう。そこに見えるのは深い森。鬱蒼と茂った森は、人を寄せ付けない迫力があった。しかし、彼女にとって、些細なことにすぎなかった。森の名は封印の森。通常であれば、誰も近付く筈のない場所に違いなかった。
 
 しかしながら、彼女は来るしかない状況に追い込まれていた。森の奥で何かが振動しているのが判る。放っておけば、おそらく、国そのものの存続に関わる筈だ。
 
「もう、お祖父様はこれが私の義務だって言うけど、違わなくない。これは、王家の仕事でしょう」
 
 心の中で悪態を付く。森には結界が施されている。解くためには王家の血筋である事と、ある特定の条件を満たしている者でなくてはならない。彼女は溜息を吐いた。何を言っても仕方のない事だった。彼女は依頼を受け、それを実行しなくてはならない。森に入るため、足を踏み出す。強い力がグウェンティアを押し戻すように働いた。
 
 強い結界が張られていた。そして、何かが額に触れていることが判った。彼女の額にあるモノを探しているのは明らかだった。しかしながら、そこには何もない。グウェンティアは静かに夜の瞳を閉じる。一瞬、額に光がともる。

 今までなかったものが、露わになった。はっきりと浮かび上がる紫色の三日月の痣だった。その痣に、結界が触れる。触れた瞬間、彼女の周りのみ結界が霧散した。
 
 一瞬躊躇し、足を踏み出す。完全に結界内に入ると同時に、結界は元に戻った。彼女は振り返り、その事実を確認する。
 
 結界内は外の世界とは隔絶されているようだった。空気が違う。ひやりと冷たい空気が、肌に触れた。上を見上げれば、木々の間から月がちらりと見える。もう少しで月は沖天に達しようとしていた。
 
 淡い光が、グウェンティアに降り注いでいる。月が高いうちに目的の場所まで行き着かなくてはならない。おそらく、保つのは月が空にあるうちだけだ。

 肌を刺す空気は外よりも顕著に感じ取れた。外から見ることの出来なかったレンガの道を早足で歩き出す。
 
 一瞬、勘違いではないのかと疑いたくなった。目の前に現れた存在に、動きが止まる。はっきりと感じ取れる魔術の気配。黒い肢体をもつ肉食獣は、彼女よりはるかに大きかった。
 
「待っていた、王よ」
 
 しっかりとした口調だった。彼女はややしばらく考えた末、一つの答えに辿り着く。
 
「番人」
「そうだ、忘れたのか」
 
 グウェンティアは安堵の息を吐き出す。目の前の存在は、決して獣ではない。魔術で創られたものだ。
 
 ただ、何か勘違いをしている。彼女は王ではない。ましてや、王族ですらない。一番、濃い血を持つ者ではあるかもしれないが、それが真実だ。
 
「私は王ではないわ」
 
 グウェンティアは肩を竦める。
 
「人の世ではな」
 
 目の前の存在は静かな口調で告げた。
 
「我々のような存在にとって、王と呼べるのは、我らを作った者に他ならない。魔力を持たぬ王など、ただのお飾りだ」
 
 辛辣な言葉だった。
 
 確かに、本来ならこの国の王がなすべき事だ。しかし、現王は森に入る事すら出来ないだろう。

 彼の額にある刺青は、白の三日月。白は力を持たない者の色だった。刺青ということは、本来、生まれながらに存在する筈の痣がないという事だ。
 
 王の色は紫。グウェンティアの額にある三日月の色だった。しかも、彼女の三日月は刺青ではない。生まれた時より額に存在していたのだ。
 
「迷惑な話よね」
 
 望んだわけではない。気付けば存在しており、彼女を望まぬ方へと導こうとする。今回の事にしてもそうだ。本来の仕事とは明らかに異なる。それでも来なくてはならなかったのは、彼女の祖父が依頼主であり、宝石を渡されてしまったからだ。
 
 男性の依頼の印であるサファイアを。

「それより急がないと」
 
 グウェンティアは空を見上げ呟いた。月の位置が変わっている。沖天より西に移動していた。
 
 空気の振動も激しくなっている。もしかすると、ひびくらいは入っているかもしれない。完全に砕けでもしたら、直しようがない。
 
「大丈夫だ、月の光が降り注いでいるうちは、光が術を完成させている」
「月があるうちはね。私は一から作り直すつもりなんてないんだから」
 
 グウェンティアは少し冷たく言い放った。
 
「それでも良いのではないか」
 
 その言にグウェンティアは睨みつけた。この封印を完成させる為にどれ程の時間を必要としたのか、目の前の存在は知っている筈だ。
 
 彼女はこれ以上、深く関わる気など更々ない。依頼さえなければ、近付くつもりもなかったのだ。

「今や私は部外者なの。判る。必要とされた事のみすればいいの」
 
 目の前の存在は肩を竦めたようだった。
 
「こんな言い争いは無意味だわ」
 
 グウェンティアは言葉を切ると奥に向かって歩き出した。その後を、黒の獣はついてくる。最初、無視をしようと考えていたが、口を開く。
 
「ついて来るつもりなの」
「勿論だ」
 
 即答だった。関わりを持つ気などないのに、何故、こうなるのか。
 
「名前は」
 
 その問いに、黒の獣は口を噤む。足を動かしながら、ちらりと視線を向けた。どうやら、困っているようだった。
 
「名など有りはしない。番人は番人、それ以外の何者でもない」
 
 素っ気ない返事が返ってくる。つまり、名前の必要が無かったのだろう。結界に阻まれた封印の地。意志のある者が入ってくる事は殆どなかった筈だ。
 
「一つ聞くわ。貴方を創った人はなんと呼んだの」
 
 グウェンティアは気になったのだ。彼らを創り出した初代王はそれ程、素っ気ない者だったのだろうか。
 
 少しの沈黙が続いた。耳に入るのは、彼等の足音と息遣いだけだ。
 
「グロウだ」
 
 乗り気なく名を口に乗せた。
 
「じゃあ、グロウ、後どれくらいで目的地なの」
「着いているとも言えるし、着いていないとも言える」
 
 押し問答のような答えが返ってくる。

 グウェンティアは首を傾げ立ち止まった。いやな予感がした。そして、自分ならどうするだろうかと、考えてみる。
 
 結界まで作り、封印をしなくてはならないのだ。もし、何かの拍子に危険な者が入り込んだ場合、どうするか。
 
 確かに番人であるグロウにもかなりの戦闘能力をつけてはいるだろう。だが、複数だった場合はどうするだろう。対応が出来たとしても限界がある。
 
「訊くけど、貴方の他に番人はいるの」
 
 呟くように問う。あまり、考えているような事態にはなってもらいたくはない。出来れば、番人は複数存在していると思いたい。
 
「何故だ」
 
 黒の獣は不思議そうに見上げた。その目は少し細められている。

「どうしても知りたいの。この考えが間違っていると思いたいの」
「申し訳ないが、番人は全てにおいて私だけだ」
 
 その答えに、彼女は肩を落とす。つまり、封印の森は迷宮になっているのだ。見た目には判らないが、かすかに魔術の気配がある。
 
 空気の中に魔術の波動を感じた。迷宮は目的地を惑わせる為のものだ。同等の魔術か、解除する印なりが必要な筈だ。
 
 グウェンティアは一度、唇を噛み、瞳を閉じた。正確に魔術の構成を把握しなくてはいけない。

 千年以上も前にかけられた魔術だ。きちんと機能しているところを考えると、かなり、複雑な構成の筈だ。
 
 頭の中を光がよぎり、その後に、細かな振動を感じた。音と光、そして、細かな振動。彼女の使う魔術の構成と同じだった。
 
 ただ、凄く高度だ。一つ一つがしっかりとした役割を持ち、干渉しあい、術として完成されている。
 
 微かだが、幾つかの術が額を掠めていく。常時、この場にいる者を確認しているようだった。もし、害のある者と判断されでもしたら、命の保証はないだろう。

 どれ位の時間だっただろうか。はっきりと判ったのは、この術を解除するのは無理であり、ある特定の手順を踏めば、道が開かれるという事だった。
 
 グウェンティアは目を開き、前方を見据えた。あるのは何処までも続く森の一本道だが、それは幻にすぎない。目に見える映像は偽りだ。短い距離をループしているにすぎない。
 
 小さく息を吐き出し、心を落ち着ける。精神を集中し、必要な魔術の構成を頭の中に浮かべる。音と光、振動が調和するように心がけた。そうしなければ、迷宮に掛けられた魔術が発動してしまう。

 そうなれば、身の危険は避けられない。
 
 深く息を吸い込み、口笛を吹き始めた。最初は小さく、徐々に強くしていく。一つの旋律を紡ぎ出し、彼女に触れる術と絡めていく。
 
 一瞬、小さな抵抗を感じた。失敗したのだろうかと焦りはしたが、続けるしかなかった。
 
「成功したようだな」
 
 のんびりとした口調が耳に届く。視線の先には、人一人が通れる程度の穴が出来ていた。そこだけが、切り取ったように景色が違う。グウェンティアは急いでそこを通り抜けた。グロウも当然のように後に続く。
 
 外に出た瞬間、空気が変わる。先までの閉じられた空気ではない。今まで感じていた、流れる空気だ。

 振り返れば、森の外は以外に近い所にある事が判る。実際にはそれ程大きな森でないことは判っていたが、気付かなければ、まどわされ続けていただろう。
 
 前に視線を向け、視界に入る物を凝視する。水晶で出来た柱だ。振動しているのは、その水晶柱だった。
 
 静かに歩み寄り、触れてみる。ひやりと冷たい感触と細かな振動が直接感じられる。
 
「力が拡散しようとしているのが判るか」
 
 グロウの言葉に頷くしかなかった。迷宮を創り出している術はあれほど頑強なのに、何故、術が崩れかけているのだろう。

「惑わせる術は平気なのに、どうして、封印の術は崩れかけているの」
 
 グウェンティアは首を傾げた。黒の獣は静かに視線を向けている。視線の先にあるのは水晶柱だ。もっとよく探ってみる必要があるのかもしれない。
 
 彼女の祖父は彼女でなくては駄目だと言った。ただ、術を施すだけならば、誰でも良いのではないか。魔力のある者なら、例えば、大神官と呼ばれる者にも術の掛け直しは可能だろう。
 
「私じゃないと駄目なんだって、言っていたわ」
 
 何故、指定されたのか。そこに、理由がある筈だ。理由を知るには水晶柱をよく調べればいいのだ。

 水晶柱はこの森に四本存在している。今触れている一本は他の水晶柱とつながりが深いことも触れる事で理解出来た。
 
 目でも確認してみる。月の光を反射し、かすかに光を帯びている。さらに、凝らして見てみると、中に人の姿を確認出来た。背に翼を持ち、その手には剣を携えている。瞳を閉じ、その姿は水晶と同じ材質で出来ているようだった。
 
 思わず感じ取ったものに手を引いてしまう。知ってはいけない、否、知りたくない事実が読み取れた。
 
 何故、術が崩れかけているのか、その事実に愕然とする。
 
「何考えてるのよ」
 
 グウェンティアは唸った。有り得なかったのだ。

「他の者の介入を防ぐ為だ」
 
 グロウが静かに呟く。グウェンティアは目を見開き、黒の獣を見た。
 
「封印されている物は尋常な物ではない。他者が介入する事を極端に嫌っていた。その結果だ」
 
 沈んだ声が何を物語たっているのか彼女には判らなかった。
 
「つまり、紫の三日月を持つ者の命の流れが必要で、しかも、そのせいで術が切れかけてる訳よね。そう言う事」
 
 グロウは頷いた。術自体は凄く高度な物なのだ。それをさらに複雑にしているのが、最後に施されている術だ。

 この最後の術が、封印の術そのものを崩壊に導こうとしているようだった。
 
「血」
 
 グウェンティアは苦い物を飲み干すように呟く。大量の血液が必要なわけではない。それは判っている。ただ、血液に刻まれている魔力と遺伝子の情報が必要なのだ。
 
 消えかけている最大の術の源を補充してやるほかない。
 
「だから私なのね」
 
 今の時代において紫の三日月が有るのは彼女だけの筈だ。否定したいところだが、この状況では仕方ないだろう。
 
 二度、水晶柱に触れ、目を閉じる。振動と共に、何かが神経に障る。

 修復を行うには、四本の水晶柱同時にする必要がありそうだった。それも早急に。
 
「天使の姿なのは、こういう理由なのね」
 
 水晶柱がただの柱ではなく、中に守護天使像が入っているのは何かあった時の為だろう。
 
 グウェンティアは頭の中に術に必要なありとあらゆるものを思い浮かべる。口笛にのせ、振動を操り、月の光の力を借り水晶柱に施されているであろう術を発動させる。
 
 元々振動していた水晶柱がさらに激しく振動し、中の守護天使が閉じていた瞼を開く。風が通り過ぎる激しい音が耳をよぎり、強い魔術の気配が背後に現れる。

 彼女は閉じていた目を開き、振り返る。そこには四人の天使達がいた。皆、手に武器を持っている。先まで触れていた柱の天使は剣を持っていた。他の天使達はそれとは違う武器を持っている。弓、杖、盾を。
 
 跪き、四人の天使はグウェンティアに視線を向けている。彼女は上手く術を発動させる事が出来たのだと確信した。
 
「まずい」
 
 グロウは呟く。グウェンティアにも判っていた。天使達の姿は確かに美しくあったが、体に走るひび割れは隠しようがない。限界が近いのだ。否、考えようによっては、良く持ったと言った方がいい。千年以上経っているのだ。確かに、限界を越えている。

「術自体は崩れていないわ、たった一つをのぞいて」
 
 たった一つの術。それが、最も重要であり、不可欠なものだったのだ。グウェンティアは唯一所持している短剣を鞘から抜いた。右手の人差し指に刃を立る。深紅の血が皮膚を破り、膨れ上がる。それを確認し、口笛を吹き始める。
 
 音にのせ振動を操り、血液そのものに術を刻んでいく。音が一定の旋律を刻み始めた時、不吉な音が辺りに響いた。ビキッと、耳に残る音だ。一瞬、音と振動が乱れたが、無理矢理元に戻す。やり直しが出来ない状況になったのだ。もう、時間がない。

「私の血に刻まれし、魔力と徴によって新たなる使命を与える」
 
 急ぎ言葉を紡ぎ、音と振動が途切れないうちに、四体の天使の額に血に塗れた指先を押し当てた。
 
「月と太陽の光をもちて術を完成させよ」
 
 グウェンティアの言葉に額の血は反応し、天使達の体に吸収された。天使達は立ち上がり、彼女に一礼した。威圧感はない。強いて言うなら、敬う感じを受けた。
 
 そして、剣を持つ天使がグウェンティアに何かを差し出す。怪訝に思ったが、とりあえず受け取る事にした。受け取らなければ、元の場所に戻ってくれないだろう。

 受け取ったのを確認し、彼等は先と同じように風だけを残し、水晶柱に戻った。振り返れば、水晶柱の中に天使の姿がある。違う所と言えば、亀裂がなくなり油を塗ったかのような表面に変わったことくらいだった。だが、肉眼では感じられない変化は顕著なものだったのだ。
 
 まず、肌に触れていた振動が消えた。風が創る爽やかな振動と音だけだ。何よりはっきりとしているのは水晶柱が発する力だ。弱々しかった力の波動が、力強いものになっている。
 
「成功したの」
 
 グウェンティアには判断しかねた。何故なら、今まで知識としてはあったが、実際に行ったことがなかったからだ。

「大丈夫だ、場が安定した」
 
 その声に彼女は自分とは違う存在を忘れていた事に気付いた。グロウは判っていたのか、静かな口調で告げたのだ。グウェンティアは胸の激しい動悸を押さえようとしたが、なかなか思うようにいかない。何度か深呼吸を繰り返し、気を落ち着ける。
 
「本当に」
「風が吹いている。風の封印が無事だった証拠だ」
 
 確かに、風は穏やかに吹き、術を構成する一部となっていた。
 
「風」
 
 グロウは頷いた。月はもう少しで空から消える。漆黒の闇を照らす淡い光。

 代わりに東の空が白み始めていた。そして、天使の一人から受け取った物に視線を向けた。それ程大きな物ではない。親指の先程の大きさだ。半透明がかった黒色の石だ。
 
「風の石だ。これで迷宮の術は発動しなくなる」
 
 グウェンティアは驚き、黒の獣を見た。
 
「ここにあるのはまずいじゃない。私、厄介事はまっぴらよ」
 
 彼女の記憶が間違っていなければ、封印の印は王家が所持している筈だ。
 
「力のある王ならば判るだろうが、今の王では判らないだろう。それに、物自体はあるのだから大丈夫だ」
 
 グロウにはばれないと確信があるようだった。

「そんなに存在して大丈夫?」
「今手元にある物と、王家が所持している物だけだ。最も、あちらには風の力はもう無い」
 
 グウェンティアはそっと風の石に視線を向ける。本当に迷宮の術を解除する為だけの物なのだろうか。この石には別の使い道があるような気がした。はっきりとした直感だった。
 
「他に使い道があるんでしょう。じゃなきゃ、わざわざ手渡したりはしないわよね」
 
 疑いながら問う。大体において、力のある物を手に入れて無事であった例がないのだ。例外などない筈である。

「まあ、言いにくいんだが」
 
 グロウは少し言葉を切った。
 
「はっきり言って」
 
 黒の獣は溜め息を付く。
 
「お前の力を得る為の物だ」
 
 何を言っているのか理解出来なかった。力は術を施す為の血液で事足りる筈だ。劣化していたのはそれだけだったのだから。
 
「理解出来ないんだけど」
 
 グロウは困ったような表情を向けてくる。

「この際だ。はっきり言っておく。つまり、お前が生きている限りその石を通して魔力を受け続ける。印とは、迷宮の術を無効にする力があるが、そんなものはおまけに過ぎん。最も重要なものは術を施した者の魔力を受け続ける事だ。前代も魔力を与え続けていた。三代くらいまでは微弱ではあってもそれなりの役目を果たしていたが、ここ数百年は蓄えられた魔力のみに頼るしかなかった」
 
 つまり、王家は本来、魔力を補給し続ける義務があったのだ。だが、魔力が補給されなくなった結果、術は劣化し、崩壊を招いてしまった。では、グウェンティアの存在がなければどうなっていたのだろうか。

 一度、頭を降り、彼女は森の外に視線を向けた。もう少しで空に太陽が姿を現す。その前に、森を出なくてはならない。
 
「私は知らないうちに厄介事に首を突っ込んでいたのね」
 
 過ぎてしまった事だ。何を言っても状況が変わるわけではない。これ以上、災難が降り懸からないことを祈るのみだ。
 
 グウェンティアは横目でグロウを見た。厄介事はなるべく避けて通りたいのだが、自身の意志を持ち、行動する者はどうやったら避けられるのだろう。
 
「もしかしたらと思うけど、ついてくる気」
「勿論だ」
 
 即答だった。

 グウェンティアは溜め息とともに肩を落とす。厄介事はやはり、離れてはくれないらしい。だが、彼女は息を飲んだ。急にある事に思い当たる。
 
「肉食獣なんか、連れて歩くつもりはありませんからね」
 
 目の前にいるのは確かに魔術で創られた魔法生物に違いないが、見た目は大型の肉食獣だ。
 
「この姿は気に入らないか」
「当たり前じゃない。何処の世界に放し飼いで大型の肉食獣を飼ってる人がいるのよ」
 
 中にはいるのかもしれないが、グウェンティアにはそんな趣味はない。
 
「仕方ない。これならば、気に入るか」
 
 言うなり、グロウの体がしなやかな肢体を持つ黒猫ほどの大きさになった。

「ただ、この姿は本来の姿ではない、私もお前から力を貰うぞ」
 
 そう言うなり、先ほど傷をつけた場所を舐められた。グウェンティアは不意をつかれたため鳥肌を立てた。
 
「何をするのっ」
「魔力の補給だ」
 
 グウェンティアは目を見開いた。グロウに血液の魔術はかけられていない。その必要はない筈だ。
 
「私は確かに魔術で創られた生物だが、この森と同じだけの年月を重ねている。魔力の補給は必要だ」
 
 言っていることは理解出来る。しかし、一言断ってほしかった。

「まさか、ちょくちょく補給する気」
「今回だけだ。もし、何らかの理由で消耗してしまった場合は例外だが」
 
 グロウはグウェンティアを見上げ、静かに告げた。何かが起こる筈はない。今回はたまたま仕事だったのだ。もし、グロウがグウェンティアの側から離れないつもりなら、この先、何も起こらない筈だ。
 
 彼女は歩き出す。先とは違い、迷宮の魔術は発動することはなかった。冷たい感触の風の石を握り締め、黒の猫を伴い、森を後にする。
 
 もう二度と来たくはない。心の中で強く思いながら。
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