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月の箱庭
03 草原の石碑
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グウェンティアは修道服を脱ぎ捨て、黒一色の動きやすい服を身に着けていた。手早くブーツを履き、手袋をはめる。
「本当に闇の者だな」
「ほめ言葉かしら。ありがとうと言うべきかしらね」
グロウの言葉を軽くあしらい、扉に手をかけ、目を細めた。グロウは足元まで近付くと、気付いたように見上げた。
「いつもこうなのか」
「違うわ、何の用かしら」
静かに扉を開き、そこにいる人物を認めた。
「何の用。仕事はするわ。ちゃんと、最後まで」
グウェンティアは冷静に言ってのけた。ただ、最後の言葉は意識的に削除した。
ーー生きていられたら。
彼女には判っていた。簡単な仕事ではない。いつもの暗殺者の仕事とは違うのだ。
「そうではない。結局、こんな事になってしまった。本来なら、暗殺されかかった時、義務は無くなった筈だからだ」
レギスは沈んだ声音で言った。
「仕方ないわよ。諦めてる。グロウが付いて来た時から予感はあったから」
グウェンティアは肩を竦めた。結局のところ、避ける事など無理だったのだ。額に紫の三日月を刻みつけて生まれた者の宿命だ。一旦は抵抗してみたが、無理だった。ならば、受け入れるしかない。
「これだけは言わせて」
彼女は俯く。かすかに見えるつま先を見詰め、思いを巡らせる。
「全てを諦めた訳じゃない。いつか、この印に振り回されない、そんな人生を生きるの」
顔を上げ、レギスを見詰めた。そこにいるのは、彼女のボスとしての存在ではなく、一人の孫娘を心配する祖父としての姿だった。
「判っているよ」
グウェンティアは微かに微笑んだ。これから何が起こるのか判らなかった。予測の出来ない事態が待っている筈だ。両親を失い、帰るべき家を失い、娘らしい事すら奪われて育った。全ては額の印の為に。
しかし、彼女は全てを印のせいにはしたくなかった。そんな事をすれば惨めになる。両親を否定する事になる。何より、厄介者である彼女を受け入れてくれた祖父すら否定した事になる。
「行くわ。全てを終わらせる為に。始まりを知り、すべき事はやり遂げる。依頼は全うする」
グウェンティアはそれだけ告げ、レギスの横を通り過ぎた。その後をグロウが歩いていく。
グロウは一瞬、レギスの表情を盗み見た。苦痛に歪んだ、苦しげなものだった。
「別れを告げなくていいのか」
グウェンティアは前を見据え、口を開く。
「別れを告げたら、全てが駄目になるような気がする」
彼女は何もかもを諦めたくなかった。不可能かもしれない。だが、足掻いてみたかったのだ。
レギスに別れを告げるのではなく、依頼を全うするのだと強がってみたかったのだ。
「笑えるでしょう。散々、命を奪っておきながら、自分に返ってくるかもしれない事に怯えてるんだもの」
彼女の言葉をグロウは否定しなかった。多くの命を奪ってきたからこそ、判る事もあるからだ。
「生きているのが辛いと思うことが起こると考えないのか」
グロウの問いに、グウェンティアは苦笑した。
ありとあらゆるものを失った時、既に感じたことだ。
ーー何故、生きているのだろう、と。
「忘れたわ。そんな考えと感情は。そんなものを何時までも持っていては、暗殺者として生きてはいけない。私は紫の月の頭目の孫娘。甘えは許されないわ」
溜め息混じりの言葉は、彼女の全てを語っていた。
修道院の長い廊下を抜け、裏口の扉を開く。一陣の風が頬を撫で、月の光が辺りを照らしていた。これだけ明るい夜も珍しかった。空を見上げ、右に視線を移す。
修道院の裏手を行けば、目的地に着く。さほど離れている場所ではない。だからこそ、詳しい情報を持っていたのだ。
扉を締め、歩き出す。急ぐ必要はなかった。結局、見つかる事は判っている。
これからやろうとしている事は、騒ぎを起こす事だ。夜を選んだのは、よけいな振動を増やさない為だ。
いくら草原の静かな場所だとしても、空気が全てを運んでくる。夜なら、活動しているものが少ない。人も、動物も、ありとあらゆるものが。
草原と修道院の境にある藪を抜け、一時間程歩いて移動すると、目の前に不自然に存在するものが飛び込んでくる。
「グロウが言っていた物はあれよね」
石碑を睨みつけ、グウェンティアは問う。
「そうだ。後、石碑を抜ける時、私を抱き上げてもらいたい。そうでなくては、私は魔術陣を抜けられない」
グウェンティアはグロウに視線を向けた。グロウはその場に座り込み、石碑を見詰めている。
「三日月が必要だから。貴方には無いものね」
グウェンティアはグロウの言葉に頷くと、そう言った。
「始めるわ」
短く告げ、彼女はグロウを抱え上げた。息を整え、吐き出す。
「静かにしていてよ。石碑の周りにある魔術陣は数人がかりで創ってあるから、解除する時、すごい音がすると思う」
グロウは小さく頷いた。グウェンティアは魔術陣の際まで歩いていく。
月の光でぼんやりと見える魔術陣を見据え、グウェンティアは力任せに、足を大地に叩きつけた。その衝撃で大地が振動を伝えていく。
グウェンティアは目を閉じ、振動を体の中に引き入れ、魔力を込める。眉間に皺を寄せ、一つずつ、魔術陣の要を確認する。
そして、二度、大地を打った。瞬間、大地が揺れ、この世のものとは思えない音が響き渡った。
グウェンティアは直ぐに行動に移す。ぐずぐずしていては、追っ手が迫ってくる。何より、今の音は国中に響き渡った筈だ。
息を乱すことなく石碑の前まで来ると、いつも隠している額の印を露わにした。
「信じるわよ。本当に三日月の印で石碑の魔術陣は発動するのね」
グウェンティアは早口に問う。
「間違いない」
グロウの答えに彼女は額を石碑に向けた。その時、背後から複数の足音が近付いて来るのが判った。
魔術陣は静かに変化を始める。無意味に羅列された文字が光り出し、奇妙な動きを見せ、本来の配列に変化を始める。
しかし、後ろから迫ってくる足音は大きくなっていた。おそらく、石碑の前に人影がある事が確認できる筈だ。
石碑の文字の変化に意識を集中しながら、後ろの気配にも注意しなければいけなかった。
グウェンティアは焦り始めている自分に気付いた。心臓が早鐘を打っている。額に汗が浮かび、集中力が切れないように、意識を保たなければいけなかった。
「そこで何をしているっ」
太い声がグウェンティアを射るように言葉を投げた。
「ここが禁域と知っての行動かっ」
もう一つの声も、脅すような響きを含んだものだった。
グウェンティアは目の前の石碑の文字が正確な配置になるのを待ちながら、焦っていた。思ったよりも警備に当たっていた兵が来るのが早すぎる。おそらく、最近、石碑に近付こうとする者が増えた為だろう。
だが、警備兵は足を止めた。足を止めた理由をグウェンティアは予測出来た。魔術陣の結界が破られているからだ。
「何をしたっ」
「答えないかっ」
いくら叫ばれてもグウェンティアは答えるつもりはなかった。攻撃をされれば、いくらでも反撃する事が出来るからだ。それよりも、目の前の魔術陣が完成する事に集中したかった。
彼女が答える事がないと知ると、彼等は動いた。グウェンティアを捕獲し、何時もするように、連れて行こうとしている。
だが、警備兵の一人が石碑の変化に気付いた。淡い光を放ち、石碑の表面を文字が移動している事に気付いたのだ。
「おい、待て」
その警備兵は仲間を止めた。普通の出来事ではない。研究者が調べていた時に、石碑は何一つ変化を見せていなかったのだ。それが、目の前で淡い光を放ち文字が蠢いている。
「何をしている。早く捕獲しないと」
「莫迦が、石碑を見ろ」
その言葉に、残りの警備兵が初めて石碑に視線を向けた。不気味に蠢く文字に、彼等は足を竦ませる。
「何をしているっ」
再度、グウェンティアに問い掛けた。しかし、答えは返ってこない。
グウェンティアにしてみれば、意識の集中を解く訳にはいかなかった。もう少しで、魔術陣は完成する。
「何をしている。早く捕まえろっ」
警備兵の更に後ろで、別の男が怒鳴りつけるように命令を下した。だが、彼等は足が竦み、動く事が出来なかった。何故なら、石碑は強い力を発しており、近付くのが困難になっていたからだ。
途方に暮れたように警備兵達は後ろを振り返った。そこにいたのは、白い衣服に身を包んだ研究服を着た者だった。
彼等は首を横に振るのが精一杯だった。
「早くしろ。仕事を放棄するつもりかっ。あれは大切な遺物なんだぞっ」
だが、研究者も石碑の変化にようやく気付いた。目を見開き、近付こうとするが足が竦む。
漸く、何故彼等が仕事をしないのか自身の身で把握した。強い力が、全てを拒絶している。おそらく、石碑の前にいる者以外、排除される。
石碑の文字が円を描き、正確な配列で並び終えた。グウェンティアはそこで初めて、後ろに視線を向けた。気配でだいたいの人数を把握していたが、思ったよりも少ない人数だった。しかし、更に後方に視線を向けると、人影が大勢迫っているのが判った。
「グロウ、どうして彼等は動かないの」
グロウはグウェンティアの腕の中で、男達を見据えた。
「石碑の放つ力に耐えられないようだ」
石碑は正確に並んだ文字を、更に変化させ始める。文字が石碑を離れ、グウェンティアの周りに光の文字を刻み始める。ゆっくりと、文字が彼女の腰辺りに円陣を組始めた。
「何が始まるのよ」
グウェンティアは急に不安になった。今まで夢中だったが、冷静に考えれば尋常な事ではない。魔術陣から出たい衝動に駆られたが、我慢するしかなかった。出て行ったとしても、待っているのは冷たい鉄格子だ。
淡い光の文字は彼女を取り巻き始めた。少しずつ光が強くなり、目を開けている事が困難になる。
「グロウっ」
グウェンティアは叫んだ。
叫び声が響き渡り、グウェンティアの姿が忽然と消えた。彼等は呪縛が解けたように、体の自由が戻った。
石碑はいつものように冷たく立ち、刻まれた文字も、元の位置に戻っていた。
白い衣服の研究者は石碑に歩み寄り、丹念に調べる。だが、いつもと変わらない姿がそこにあるだけだ。違う所があるとするなら、彼女の立っていた場所の草が踏みつけられている事と、石碑の周りの魔術陣が消失している事位だった。
†††
グウェンティアは遠のく意識を必死で保ち、何とか、足が大地に着いた事を確認した。そして、腰を抜かした。こんなに怖い思いを味わったのは初めてだった。抱えていたグロウを離し、両手で顔を覆った。
「大丈夫か」
一瞬の沈黙。グウェンティアは息を整え、グロウを睨みつけた。
「大丈夫な訳ないでしょう。死ぬかと思ったわっ」
グウェンティアは今更ながら、体の震えを止めることが出来なかった。あの恐怖をどう説明出来ようか。体が分解されたような感覚が残っている。おそらく、分解され、再構築されたのだろう。意識を手放していたら、存在すら出来なかった筈だ。
「判っていた筈よね。分解されるって。意識を失ってたらどうなったと思っているのよ」
グロウはそっぽを向いていた。答える気がないのだろうか。
「話していたら、石碑に向かったか」
「そんな訳ないでしょう。別の方法を考えたわっ」
無事であったから良かったものの、一歩間違えれば取り返しのつかない事になっていた。
「静かに」
グロウは冷静な声音を発した。
「話さなかったのは悪かったと思っている。だが、他の方法では直接目的地に行き着けない」
グロウの言葉にグウェンティアは口を噤む。
とりあえず、無事着いたのだ。地面に刻まれている魔術陣のおかげで、何とか周りを確認出来た。
「ここは地下よね」
「丁度、城の北側の地下に位置する筈だ」
グウェンティアは立ち上がり、睨みつけた。夜目が利くので今居る場所がどういった所かは判る。かなり大きな空洞だ。よく見ると、道が続いている。
グウェンティアは大きく息を吐き出し、足を一歩踏み出した。
「本当に闇の者だな」
「ほめ言葉かしら。ありがとうと言うべきかしらね」
グロウの言葉を軽くあしらい、扉に手をかけ、目を細めた。グロウは足元まで近付くと、気付いたように見上げた。
「いつもこうなのか」
「違うわ、何の用かしら」
静かに扉を開き、そこにいる人物を認めた。
「何の用。仕事はするわ。ちゃんと、最後まで」
グウェンティアは冷静に言ってのけた。ただ、最後の言葉は意識的に削除した。
ーー生きていられたら。
彼女には判っていた。簡単な仕事ではない。いつもの暗殺者の仕事とは違うのだ。
「そうではない。結局、こんな事になってしまった。本来なら、暗殺されかかった時、義務は無くなった筈だからだ」
レギスは沈んだ声音で言った。
「仕方ないわよ。諦めてる。グロウが付いて来た時から予感はあったから」
グウェンティアは肩を竦めた。結局のところ、避ける事など無理だったのだ。額に紫の三日月を刻みつけて生まれた者の宿命だ。一旦は抵抗してみたが、無理だった。ならば、受け入れるしかない。
「これだけは言わせて」
彼女は俯く。かすかに見えるつま先を見詰め、思いを巡らせる。
「全てを諦めた訳じゃない。いつか、この印に振り回されない、そんな人生を生きるの」
顔を上げ、レギスを見詰めた。そこにいるのは、彼女のボスとしての存在ではなく、一人の孫娘を心配する祖父としての姿だった。
「判っているよ」
グウェンティアは微かに微笑んだ。これから何が起こるのか判らなかった。予測の出来ない事態が待っている筈だ。両親を失い、帰るべき家を失い、娘らしい事すら奪われて育った。全ては額の印の為に。
しかし、彼女は全てを印のせいにはしたくなかった。そんな事をすれば惨めになる。両親を否定する事になる。何より、厄介者である彼女を受け入れてくれた祖父すら否定した事になる。
「行くわ。全てを終わらせる為に。始まりを知り、すべき事はやり遂げる。依頼は全うする」
グウェンティアはそれだけ告げ、レギスの横を通り過ぎた。その後をグロウが歩いていく。
グロウは一瞬、レギスの表情を盗み見た。苦痛に歪んだ、苦しげなものだった。
「別れを告げなくていいのか」
グウェンティアは前を見据え、口を開く。
「別れを告げたら、全てが駄目になるような気がする」
彼女は何もかもを諦めたくなかった。不可能かもしれない。だが、足掻いてみたかったのだ。
レギスに別れを告げるのではなく、依頼を全うするのだと強がってみたかったのだ。
「笑えるでしょう。散々、命を奪っておきながら、自分に返ってくるかもしれない事に怯えてるんだもの」
彼女の言葉をグロウは否定しなかった。多くの命を奪ってきたからこそ、判る事もあるからだ。
「生きているのが辛いと思うことが起こると考えないのか」
グロウの問いに、グウェンティアは苦笑した。
ありとあらゆるものを失った時、既に感じたことだ。
ーー何故、生きているのだろう、と。
「忘れたわ。そんな考えと感情は。そんなものを何時までも持っていては、暗殺者として生きてはいけない。私は紫の月の頭目の孫娘。甘えは許されないわ」
溜め息混じりの言葉は、彼女の全てを語っていた。
修道院の長い廊下を抜け、裏口の扉を開く。一陣の風が頬を撫で、月の光が辺りを照らしていた。これだけ明るい夜も珍しかった。空を見上げ、右に視線を移す。
修道院の裏手を行けば、目的地に着く。さほど離れている場所ではない。だからこそ、詳しい情報を持っていたのだ。
扉を締め、歩き出す。急ぐ必要はなかった。結局、見つかる事は判っている。
これからやろうとしている事は、騒ぎを起こす事だ。夜を選んだのは、よけいな振動を増やさない為だ。
いくら草原の静かな場所だとしても、空気が全てを運んでくる。夜なら、活動しているものが少ない。人も、動物も、ありとあらゆるものが。
草原と修道院の境にある藪を抜け、一時間程歩いて移動すると、目の前に不自然に存在するものが飛び込んでくる。
「グロウが言っていた物はあれよね」
石碑を睨みつけ、グウェンティアは問う。
「そうだ。後、石碑を抜ける時、私を抱き上げてもらいたい。そうでなくては、私は魔術陣を抜けられない」
グウェンティアはグロウに視線を向けた。グロウはその場に座り込み、石碑を見詰めている。
「三日月が必要だから。貴方には無いものね」
グウェンティアはグロウの言葉に頷くと、そう言った。
「始めるわ」
短く告げ、彼女はグロウを抱え上げた。息を整え、吐き出す。
「静かにしていてよ。石碑の周りにある魔術陣は数人がかりで創ってあるから、解除する時、すごい音がすると思う」
グロウは小さく頷いた。グウェンティアは魔術陣の際まで歩いていく。
月の光でぼんやりと見える魔術陣を見据え、グウェンティアは力任せに、足を大地に叩きつけた。その衝撃で大地が振動を伝えていく。
グウェンティアは目を閉じ、振動を体の中に引き入れ、魔力を込める。眉間に皺を寄せ、一つずつ、魔術陣の要を確認する。
そして、二度、大地を打った。瞬間、大地が揺れ、この世のものとは思えない音が響き渡った。
グウェンティアは直ぐに行動に移す。ぐずぐずしていては、追っ手が迫ってくる。何より、今の音は国中に響き渡った筈だ。
息を乱すことなく石碑の前まで来ると、いつも隠している額の印を露わにした。
「信じるわよ。本当に三日月の印で石碑の魔術陣は発動するのね」
グウェンティアは早口に問う。
「間違いない」
グロウの答えに彼女は額を石碑に向けた。その時、背後から複数の足音が近付いて来るのが判った。
魔術陣は静かに変化を始める。無意味に羅列された文字が光り出し、奇妙な動きを見せ、本来の配列に変化を始める。
しかし、後ろから迫ってくる足音は大きくなっていた。おそらく、石碑の前に人影がある事が確認できる筈だ。
石碑の文字の変化に意識を集中しながら、後ろの気配にも注意しなければいけなかった。
グウェンティアは焦り始めている自分に気付いた。心臓が早鐘を打っている。額に汗が浮かび、集中力が切れないように、意識を保たなければいけなかった。
「そこで何をしているっ」
太い声がグウェンティアを射るように言葉を投げた。
「ここが禁域と知っての行動かっ」
もう一つの声も、脅すような響きを含んだものだった。
グウェンティアは目の前の石碑の文字が正確な配置になるのを待ちながら、焦っていた。思ったよりも警備に当たっていた兵が来るのが早すぎる。おそらく、最近、石碑に近付こうとする者が増えた為だろう。
だが、警備兵は足を止めた。足を止めた理由をグウェンティアは予測出来た。魔術陣の結界が破られているからだ。
「何をしたっ」
「答えないかっ」
いくら叫ばれてもグウェンティアは答えるつもりはなかった。攻撃をされれば、いくらでも反撃する事が出来るからだ。それよりも、目の前の魔術陣が完成する事に集中したかった。
彼女が答える事がないと知ると、彼等は動いた。グウェンティアを捕獲し、何時もするように、連れて行こうとしている。
だが、警備兵の一人が石碑の変化に気付いた。淡い光を放ち、石碑の表面を文字が移動している事に気付いたのだ。
「おい、待て」
その警備兵は仲間を止めた。普通の出来事ではない。研究者が調べていた時に、石碑は何一つ変化を見せていなかったのだ。それが、目の前で淡い光を放ち文字が蠢いている。
「何をしている。早く捕獲しないと」
「莫迦が、石碑を見ろ」
その言葉に、残りの警備兵が初めて石碑に視線を向けた。不気味に蠢く文字に、彼等は足を竦ませる。
「何をしているっ」
再度、グウェンティアに問い掛けた。しかし、答えは返ってこない。
グウェンティアにしてみれば、意識の集中を解く訳にはいかなかった。もう少しで、魔術陣は完成する。
「何をしている。早く捕まえろっ」
警備兵の更に後ろで、別の男が怒鳴りつけるように命令を下した。だが、彼等は足が竦み、動く事が出来なかった。何故なら、石碑は強い力を発しており、近付くのが困難になっていたからだ。
途方に暮れたように警備兵達は後ろを振り返った。そこにいたのは、白い衣服に身を包んだ研究服を着た者だった。
彼等は首を横に振るのが精一杯だった。
「早くしろ。仕事を放棄するつもりかっ。あれは大切な遺物なんだぞっ」
だが、研究者も石碑の変化にようやく気付いた。目を見開き、近付こうとするが足が竦む。
漸く、何故彼等が仕事をしないのか自身の身で把握した。強い力が、全てを拒絶している。おそらく、石碑の前にいる者以外、排除される。
石碑の文字が円を描き、正確な配列で並び終えた。グウェンティアはそこで初めて、後ろに視線を向けた。気配でだいたいの人数を把握していたが、思ったよりも少ない人数だった。しかし、更に後方に視線を向けると、人影が大勢迫っているのが判った。
「グロウ、どうして彼等は動かないの」
グロウはグウェンティアの腕の中で、男達を見据えた。
「石碑の放つ力に耐えられないようだ」
石碑は正確に並んだ文字を、更に変化させ始める。文字が石碑を離れ、グウェンティアの周りに光の文字を刻み始める。ゆっくりと、文字が彼女の腰辺りに円陣を組始めた。
「何が始まるのよ」
グウェンティアは急に不安になった。今まで夢中だったが、冷静に考えれば尋常な事ではない。魔術陣から出たい衝動に駆られたが、我慢するしかなかった。出て行ったとしても、待っているのは冷たい鉄格子だ。
淡い光の文字は彼女を取り巻き始めた。少しずつ光が強くなり、目を開けている事が困難になる。
「グロウっ」
グウェンティアは叫んだ。
叫び声が響き渡り、グウェンティアの姿が忽然と消えた。彼等は呪縛が解けたように、体の自由が戻った。
石碑はいつものように冷たく立ち、刻まれた文字も、元の位置に戻っていた。
白い衣服の研究者は石碑に歩み寄り、丹念に調べる。だが、いつもと変わらない姿がそこにあるだけだ。違う所があるとするなら、彼女の立っていた場所の草が踏みつけられている事と、石碑の周りの魔術陣が消失している事位だった。
†††
グウェンティアは遠のく意識を必死で保ち、何とか、足が大地に着いた事を確認した。そして、腰を抜かした。こんなに怖い思いを味わったのは初めてだった。抱えていたグロウを離し、両手で顔を覆った。
「大丈夫か」
一瞬の沈黙。グウェンティアは息を整え、グロウを睨みつけた。
「大丈夫な訳ないでしょう。死ぬかと思ったわっ」
グウェンティアは今更ながら、体の震えを止めることが出来なかった。あの恐怖をどう説明出来ようか。体が分解されたような感覚が残っている。おそらく、分解され、再構築されたのだろう。意識を手放していたら、存在すら出来なかった筈だ。
「判っていた筈よね。分解されるって。意識を失ってたらどうなったと思っているのよ」
グロウはそっぽを向いていた。答える気がないのだろうか。
「話していたら、石碑に向かったか」
「そんな訳ないでしょう。別の方法を考えたわっ」
無事であったから良かったものの、一歩間違えれば取り返しのつかない事になっていた。
「静かに」
グロウは冷静な声音を発した。
「話さなかったのは悪かったと思っている。だが、他の方法では直接目的地に行き着けない」
グロウの言葉にグウェンティアは口を噤む。
とりあえず、無事着いたのだ。地面に刻まれている魔術陣のおかげで、何とか周りを確認出来た。
「ここは地下よね」
「丁度、城の北側の地下に位置する筈だ」
グウェンティアは立ち上がり、睨みつけた。夜目が利くので今居る場所がどういった所かは判る。かなり大きな空洞だ。よく見ると、道が続いている。
グウェンティアは大きく息を吐き出し、足を一歩踏み出した。
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「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
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