月の箱庭

善奈美

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月の箱庭

14 月

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 そこは、夜の帳が降り、決して朝はこない。月の支配を受け、全ての魔力の源が月そのものだった。異変は突然のように始まったのである。
 
 

 一人の男が顔を上げた。年齢を見た目で判断することは、かなり難しい。何故なら、男が持つ独特の雰囲気は年齢を不詳にさせるのに十分だった。
 
 深い夜色の瞳は細められた。肌を刺す冷たい魔力を感じたからだ。
 
 窓の外に視線を向けた。目に入るのは小高い丘である。淡い月の光に照らされ、そこは微かに振動していた。
 
 素早く立ち上がり、長い髪を靡かせながら急ぎ足で外へと向かった。何時かは起こりうる現実ではあったが、出来れば何事もなく終わってほしいというのが本音だった。

「ディスト様」
 
 背後からの声に、男、ディストは振り返った。そこにいたのはやはり、年齢不詳の女性だ。深い夜の瞳に悲しみが読み取れた。
 
「始まってしまったようだ」
 
 ディストは短く告げた。
 
――千年
 
 よく保ったものだと思わざる得ない。何故なら、結界と封印は不完全であり、更に追い討ちをかけたのが世界構造の違いだった。
 
 表裏一体で存在はしているものの、世界としての構造は著しく違う。
 
 彼の世界は月が空の支配者だ。淡く輝き、強い光が大地を焦がすことはない。
 
 だが、表の世界は違う。夜は月の支配を受け、日中は太陽の支配を受ける。

 月の民である彼等の魔術では表の世界で、不完全な結界と封印しか作り出すことが出来ない。彼等の血を引き、尚且つ、表の世界、日の民の血を引くものの存在が必要不可欠だった。
 
 四方に存在する結界と封印、その中央に重大な過ちを犯した者を幽閉している。もし、自由を手に入れたなら同じ事が繰り返されるのだ。それだけは、避けなくてはいけない。
 
「虹の帝は何かをするように指示されたのか」
 
 ディストは呟くように問う。女性は小さく頷き、しかし、首を横に振った。曖昧な態度にディストは首を傾げる。

「あの方は微睡みの中にいます。覚醒されることは殆どないのですが、今日、少しだけお言葉を下さいました」
 
 女性は小さく息を吐いた。
 
「曖昧なお言葉であったのか」
 
 ディストは問い掛けた。女性は小さく首を横に振る。
 
「あの方は貴方にある事を望まれました」
 
 ディストはその言葉で全てを理解した。千年前の決め事は今でもしっかりと覚えている。強い魔力を持つ彼は長い寿命を保ち、見守り続けていた。
 
 あの場所に封印されているのは、他でもない、彼の息子なのだ。強すぎる魔力に精神を保つことが出来なかった。

 毎日、魔力を放出し続けていてなお、その魔力は彼を蝕んだ。
 
「判っていると、今度のお目覚めの時に申し上げてくれ」
 
 ディストは小声で言った。起こってしまった事を消し去ることは出来ない。今はこれ以上、被害を広げないようにするしかないのだ。
 
 ディストは女性を見詰めた。額にあるのは虹の三日月。次代を担う虹の帝の後継者だ。元は紫の三日月を額に宿していた。
 
 彼女はディストの従姉だ。だからこそ、わざわざ足を運んでくれたのだ。紫の一族の最大の罪はその魔力なのかもしれない。

 強すぎる魔力は人格を破壊する。強い精神力がなければいくら魔力が強かったとしても、何一つ意味はない。
 
 そして、彼の息子の魔力は尋常ではなかった。成人するまで、魔力の半分は封印される。人格形成にまで影響を及ぼす強い魔力は、成長を妨げる。
 
 だが、封印をしてもなおその魔力が強かった。そのため、全ての魔力を封じたのが仇になったのだ。奪われていたものを戻した時、その間違いに気が付いたが遅かった。
 
「成功を祈っています。私には祈る以外に成すべき事がありません」
 
 悲し気な口調は全てを物語っていた。

 ディストは小さく頷いた。絶対に失敗は許されない。失敗はそのまま破滅を意味している。
 
 彼の妻は既に千年前、魔力の全てを捧げ他界していた。他にも二人の娘がいたが、二人とも要となるべく眠りについている。一人はこちら側ではなく、表の世界の存在となっており二度と会うことは叶わない。
 
「その言葉、ありがたく受け取っておきますよ。だが、これは義務、逃げられる筈もない」
 
 ディストは自虐的に口を歪め笑った。もう、どうすることも出来ないのだ。笑って誤魔化す以外に何が出来るのか。

「判っています。私とて同じですよ。勿論、虹の帝もです。だからこそ、憂いているのです」
 
 彼女は沈んだ声で言った。月一族を纏めるのは紫の役目であり、世界を支えているのもまた、同じだ。
 
 虹の帝とは、最も魔力があり精神的にも優れた者がなる。月一族の中で魔力が強いのは紫。必然的に世界を支える存在となる。
 
 ディストは出口に向かって歩き出した。それを止める者はいない。女性は泣きそうな表情の後、霧が欠き消えるように姿を消した。最初から、誰も居なかったかのように、痕跡は一つも見当たらない。
 
 ディストはそれを背で感じ、誰一人居なくなった家を後にした。

 小高い丘の手前には小さな入り口が存在している。大人一人がやっと通れるくらいの大きさで、備え付けられている石で出来た扉には無数の文字が踊っていた。
 
 その前に三人の人影がある。ディストは三人が誰であるか理解していた。三人は同時に気付き、赤い髪の男が片手を上げた。
 
 ディストは軽やかな足取りで近付いていく。
 
「時が来たみたいね」
 
 茶の長い髪を風に靡かせ、額に藍の三日月を宿した女性が静かに告げた。
 
「保った方だな」
 
 額に漆黒の三日月をもつ金茶色の髪の男性が軽い調子で続けた。

「すまないと思っている」
 
 ディストは暗い表情を隠すことをしなかった。そんなことは無意味であり、悟られるに決まっていたからだ。
 
「決まっていたことだろう。今更、何かを言ったところで変化はあるまい」
 
 赤い髪に片目を魔術文字で刻まれた封印布で覆っている男性が淡々と言ってのける。額には紅の三日月があった。
 
「千年保つ、紅の一族の予言を信用出来ないのか」
 
 紅の三日月は不機嫌に言い捨てた。
 
「そんな事言っていないでしょう」
 
 藍の三日月は肩を竦める。漆黒の三日月は小さく首を振っていた。
 
「役目は果たすわ。おそらく、もう、会うことはないでしょう」
 
 淋しげに呟く。

 四人は判っていた。普通ならば寿命はとうに尽きている。長い時を生きていられたのは魔力のおかげだ。
 
 魔力が尽きれば、命も尽きる。千年の長い時は確実に体に老化というものを刻んでいる筈だ。
 
「生まれ変われるなら、また、この顔ぶれで酒が呑みたいものだな」
 
 漆黒の三日月が顎に手を添え呟く。ディストは小さく笑った。月の民は寿命の長さ故、決して来世を口にはしない。
 
「私は嫌よ。お酒は嫌いなの。お食事会なら付き合ってもいいわ」
 
 藍の三日月はからかうように言う。

 大地が震動する。四人は口を噤んだ。時間がないことは判っているが、離れがたいのも事実だった。
 
「時間のようだな」
 
 紅の三日月が重い口調で口を開く。三人は頷いた。もう、後は残されていない。あるのは現実だけだ。
 
「私は行くわ。使命は果たします。一足先に向こうで待ってるわね」
 
 藍の三日月が小さく手を振ると踵を返し、霧のように姿を消した。足下には、小さな移動陣があり微かな光が消えかけていた。
 
「じゃあな。まあ、本当に向こうの世界があって会えたら、報告してくれ」
 
 漆黒の三日月はからかうような口調で言うと、藍の三日月と同じように姿を消す。

 その場に残されたのはディストと紅の三日月だった。
 
 紅の三日月は改まったような表情をディストに向ける。ディストは怪訝な表情をした。彼の表情は強ばっていた。何かがあり、今まで口を噤んでいたに違いない。
 
「どうした」
 
 ディストは問いかけた。
 
「知らせておこうと思っていたが、あの二人がいたからな」
 
 紅の三日月はそう、言葉を口にのせた。
 
「要が移動した。つまり、お前の娘は本来、居なくてはいけない場所から移動している」
 
 その言葉の意味にディストの表情が変わった。不安定になっている結界と封印に与える打撃はかなりのものだ。 もし、藍と漆黒の耳に入ったら騒ぎ出したに違いない。

「まだ、大丈夫だ。こちらの力を強めれば何とか保つ。時間稼ぎにしかならないがな」
 
 紅の三日月は自虐的な笑みを見せた。
 
「言いたかったことはそれだけだ。俺も行くとしようか。あの二人の言うように向こうの世界があるなら、会いたいものだな」
 
 紅の三日月はディストを見、哀れむような視線を向ける。ディストがこれからどうなるのか、知っていたからだ。
 
「何時になるかは判らないが、会いたいと思っているよ」
 
 ディストは冷静に答える。

 紅の三日月は小さく笑い、姿を消した。取り残されたディストは目の前にある、小さな扉を見詰めた。そこには娘が要となり、兄を封じる蓋の代わりをしている。
 
 小さく首を振ると、ディストも踵を返し、霧のように姿を消した。一陣の風が吹き抜け、なにもなかったかのように、静寂が支配していた。
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