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月の箱庭
29 藍の水
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デュナミスは辺りを見渡した。視界に飛び込んでくるのは淡い光と、女神像だった。
この場所が森の中のどこに存在しているのか判らないが、強い力に守られていることは判った。
藍が象徴するのは水だ。
女神像の周りは水で囲まれ、甘い香りが漂っていた。グウェンティアに無理矢理渡された深紅の石を見詰める。それは魔物の心臓であり、純粋な力の結晶だった。思わず強く握り締める。
しかし、深紅の石は亀裂一つ入らず静かに光を反射させていた。外の世界とはまるで違う水分を多く含んだ空気がデュナミスを包み込んでいた。大きく息を吐き出し、移動陣から足を踏み出す。
女神像までそれ程距離があるわけではない。今からしなくていけない事はよく理解していたが、不安でもあった。誕生したその時から魔力は体の一部だった。切り離したくても切り離す事が困難なほど、密接に絡み合っていた。その魔力を手放す行為が役目を果たすことだった。
「あの水晶球が魔力を受け取る」
一人納得させるように呟いた。藍の書庫にある本に書かれていた内容が間違えていなければ、力に満ち溢れているのが月の水晶だ。デュナミスが渡すべき魔力は太陽の魔力。
ゆっくりと女神像に近付く。像はそれ程大きくなく、平均的な女性の身長くらいだった。その女神像がゆらりと揺らめく。色がなかった像が一瞬、生きた人間のように見えた。
『来ましたね』
静かに響く言葉。デュナミスは少し身を引いた。その声は確かに女神像が発した。
『私は貴方と対になる魔力を持った者。今は意識だけが残っていますが、役目が済めば無に帰します』
女神像は静かに佇んでいる。
『核を持っていますね』
確認の言葉にデュナミスは持っていると答えた。
『女神像の周りに水があると思いますが、そこに核を浸しなさい』
デュナミスは軽く目を見開いた。そして、手の中にある核を見詰める。
『核は守護者となります。風の森にいた者と同様の存在です』
デュナミスは弾かれたように顔を上げる。
『本来、核は魔物を生み出すものではありません。私達月の民が使役する為に創造し、利用します』
デュナミスは小さく息を飲む。
『利用はしますが、見返りもあるのですよ。彼等は私達の手伝いをする代わりに自由を手に入れます』
女神像は小さく瞬いた。デュナミスはもう一度、強く核を握り締め水の中に核を浸した。小さな波紋が広がっていく。
赤く煌めく核が一瞬震えた。刹那見えた影にデュナミスは身を引いた。それは、四凶の血に飢えた瞳を思い出させたからだ。
『この子は何も出来ませんよ』
察したように言葉が掛かる。
『此処の主は貴方です。そして、この魔力を帯びた水に核を浸したのも貴方』
女神像から何かが抜け出てくる。透明な体は初代王を思い出させたが、明らかに違う部分があった。
髪は長かったが初代王は黒髪で目の前に現れた女性はデュナミスと同じ茶髪だった。額に有るのはデュナミスと同じ藍の三日月。瞼が震え、開かれた瞳の色に更に驚きが生まれる。
本来ならそこに宿る色はデュナミスと同じ夜の色だった筈だ。しかし、瞳に有るのは澄んだ水色だった。柔らかな微笑みを浮かべ、女性はデュナミスと対峙する。そして、驚き見詰められている視線の先が何を意味しているのか理解していた。
『魔力は瞳に宿るのですよ』
柔らかい言葉がデュナミスに触れた。
『魔力を失った者の瞳は本来の色に戻ります』
女性は柔らかく言い、水の中の核に視線を向けた。核は渦を巻く水に包まれ少しずつ肉が付き始めていた。膝を抱え胎児のように丸まり、姿が明らかになっていく。
淡い水を映したような髪が目に入り、白く澄んだ肌が印象的だった。指の間には薄い膜が見て取れ、足は人のそれとは違う。上半身は人の、下半身は魚の尾のような形をしていた。
『どうやら、元々の姿は人魚のようね。核は選ばれてこの場に来たことは間違いないわ』
女性は確認した後、デュナミスに視線を戻す。
『この子が完全に生まれ変わったら始めましょう。おそらく、他の地でも同じ事が行われています』
デュナミスは頷いた。此処まできたら覚悟をするしかない。半分の魔力を失った後、どうなるかは予想出来ない。
「一つ訊きたい」
デュナミスは躊躇いがちに問い掛けた。女性は目を細め承諾する。
「貴女は消えると言ったよね。もう、体も命も無くなったという事」
その問いに女性は頷いた。デュナミスは辛そうに強く目を瞑る。
『私は長く生きすぎました。千年の時を生き、この役目のために魔力を蓄えました。後悔のない人生だったかと問われたら正直、迷うでしょうね』
自虐的に笑い、軽く頭を振る。
『今回の過ちを間近で見ていた者として、責任は取らなくてはなりません』
きっぱりと言い切り、女性は鋭い光を瞳に宿す。デュナミスは息を飲んだ。
『けれど、貴方は違う。ただ、その額に三日月を。体内に魔力を持ち生まれただけ。ただ、私達月の民が犯した過ちを清算するために。これは、私達が犯したもう一つの過ち。許されることではないけれど、貴方に強いなくてはいけない』
女性は辛そうに眉を顰めた。
『元凶と言われ、魔力に全てを破壊された哀れな子は最期までその魔力をこの世界の再生のために使われることになります』
知っていますか、と問われデュナミスは沈黙した。グウェンティアから教わったことは多くはない。彼女は語ることを拒絶し必要最低限の情報を語っただけだ。
「世界再生に使われることは教わったよ。でも、それだけだ」
結界と封印がなされた後、何があるかは知らされていない。
「でも、使命を終えたら初代王は全てを語ってくれると、戻ってこいと言われたよ」
女性は小さく溜め息を吐いた。
「僕は藍の書庫でこの事に関する情報は得ているけど、詳細は知らない」
デュナミスは自分の無知に嫌気がさしていた。もし、もっと知っていることが多ければ、より多くの情報が手には入った筈だ。しかし、隔離された状態で成長した彼は外の世界の情報を吸収するだけで精一杯だった。グウェンティアが言っていたことは間違っていない。
結局は何も知らないことと同じなのだ。
『レウディアがそう言ったのですか』
「レウディア」
デュナミスは首を傾げた。レウディアとは誰のことなのか。話の流れから初代王であることは判った。
そして、気が付く。
どの書物にも始まりである四人の名前が欠落している。書庫に収められている無数の本に何故、記載されていないのか。デュナミスは自身の記憶をゆっくりと辿ってみる。だが、いくら辿ってみても名前の存在は皆無だった。
『名前は危険なものです。おそらく、伏せたのでしょう』
女性はデュナミスの様子にそう言った。
『レウディアはこの世界の最初の紫です。犯した罪を償うため、自分の意志でこの世界に来ました』
デュナミスは女性に視線を向けた。
『そして、藍はレウディアの恋人。私の息子です』
女性の告げた真実にデュナミスは目を見開く。
『この世界に来たのはレウディアに近しい者達です。犠牲になるために来ることは知っていました。けれど、避けられる筈もない』
女性は一度目を閉じる。遠い昔を思い出し、今は亡き息子に思いを馳せた。
『貴方は私の息子の子孫と言うことになります。つまり、私にとっても同じ』
女性は目を開きデュナミスを優しく見詰めた。
水音が足元で起こる。二人は視線を向けた。核があったその場所にはっきりと現れた存在。淡い色合いの水色の長い髪。同じ色合いの長い睫が震え開かれた目は深紅の輝きを宿していた。
『名は』
女性の問いに魔物は視線を向けた。
『お前は生まれ変わり、この者が新たな主です。名を明かしなさい』
魔物は眉を顰め、拒絶の反応を示した。
デュナミスは魔物の行動に納得する。今まで封じられ、主であった元凶に核を奪われた。不信を抱いたとしても責めることは出来ない。
『お前はこの森の中でのみ自由でいられます。約束しましょう。もし、外の世界を覗きたいのであれば、彼に忠誠を誓いなさい』
デュナミスは首を傾げた。魔物も全く同じ反応を示す。
『お前を外に放すことは出来ない。何故なら、この世界の住人は魔物によって痛手を受け、憎しみすら抱いています』
デュナミスの表情が歪んだ。破壊された街並みと、再生できぬほどに痛めつけられた自然。それは元凶によってもたらされた事であったとしても、人々の中に植え付けられた拒絶は易々と変えることは出来ない。
『お前はこの結界と封印を見守る者として、全てが完了するその日まで森を守護するのです』
女性の言葉に魔物は目を見開いた。
「妾が何故そのようなことをせねばならぬ」
『元凶から生まれたことを呪うのですね。全ては彼から始まり彼で終わらねばなりません。そのために、お前が犯した罪の分、今の役目が与えられた』
魔物は疑わし気に目を細めた。足である尾が水を打つ。その度に飛沫が舞った。
「妾はただ、純粋な欲望を満たしただけじゃ。それを罪というのか」
その問いに女性は軽く頭を振った。指先が眉間に刻まれた皺に触れる。
『例え自覚がなくとも罪は罪。他者に危害を加えた時点で罪人と同様です。まだ、償う役目を与えられただけましだと思うのですね』
言葉が冷たく突き刺さる。魔物は唇を噛み締めた。
「その者に忠誠を誓えば、外の世界を覗けるのかえ」
女性はゆっくりと頷いた。魔物は思案する。何も判っていないわけではない。元凶に与えられた苦痛は今でも鮮明に覚えている。誕生と同時に与えられた魔力。言われるまま、突き動かされるままに破壊し命を奪った。知識が蓄えられ、疑問に思った事がないわけではなかったが、欲望に忠実であり続けた心と体はその行為に疑問を抱くことを忘れさせた。
はっきりと気が付いたのは元凶に核を奪われた時だ。無慈悲なほど呆気なく核は奪われ意識すら消え失せた。
「妾はセフィヌじゃ」
デュナミスに視線を向け己の名を渡した。
「そなたは妾を自由にしてくれるのかえ」
デュナミスは一瞬、躊躇った。彼の中に何一つ答えがないからだ。
「どうなのじゃ」
「僕は」
強く両の手を握り締める。
「君を束縛するつもりはないよ」
絞り出すように言葉を紡ぐ。他に言葉がなかった。言い切れる自信もない。だが、今言った言葉は間違いのない真実だった。デュナミスは魔物セフィヌを束縛するつもりも、支配するつもりもない。
水の森の番人となることが宿命ならなおのことだ。
番人は余程の事がない限り森から離れられない。グロウがグウェンティアの存在なしに森を離れられなかったように。
『左手を』
女性はデュナミスに左手を求めた。デュナミスは訝し気に女性を見た。躊躇いながらも、左手を差し出す。女性は目を細めると、何処から取り出したのか小さな水晶を取り出した。それは涙型をしており、何処までも透明だった。
その水晶をセフィヌの額に押し当てる。セフィヌは目を見開き、苦痛を訴えた。水晶は見る間に額にめり込み、半分が埋まった時、その場に縫い止められた。
次いデュナミスの左手の甲をセフィヌの額に埋まった水晶に押し当てる。
一瞬きたのは鋭い痛みだった。その痛みに、きつく目を瞑った。一気に汗が噴き出す。体の芯を貫くような痛みに、意識が遠のくような錯覚を起こした。
そして、左手の甲に現れた違和感。恐る恐る目を開け、左手に視線を向けた。左手はいまだセフィヌの額に触れている。女性は何かを確認すると頷き、左手を額から離した。その際、硬い何かが触れ合う音が耳に入った。
『その石は水の石。貴方と』
そう言うとデュナミスに視線を走らせ、
『お前を繋ぐ物』
次いでセフィヌに視線を向けた。
『水の石は主から力を受ける媒介にもなりますが、その目を通して外界を知ることも出来ます』
デュナミスは驚いたように左手の甲を見ると、右手で強く握り締めた。
『本来はただ、身に付けるだけの物ですが、体内に取り込むことで互いを感じることが出来る』
二人を交互に見、次の言葉を口にする。
『太陽の魔力のみ水晶に移すための大切な制御を行う物でもあります』
「それは……」
デュナミスは弾かれたように顔を上げた。
『太陽と月の魔力は貴方の体内で溶け合い、絡み合っています。そのままでは二つの魔力を水晶は吸い取ってしまう』
女性は語り出す。
『別々に存在していたら拒絶反応を示すでしょう。絡み合っているからこそ、支配していることになるのです』
女性は言い終わるとデュナミスを女神像に導いた。
『私の役目は見届けること。さあ、左手を。終わった後、ここに来た時の移動陣で墓所内に戻りなさい』
「これで本当に終わるの」
デュナミスの問いに女性は力無く首を横に振った。
『貴方にとっては始まりになるでしょう。月の民のやり残した仕事は終わりますが、荒廃した世界を、何より人心を再生しなければなりません』
デュナミスは眉間に深い皺を刻む。判っていたことだが、改めて言葉にされると肩に重圧がのし掛かってくる。
『これを期に二つの世界は完全に切り離された状態になります。繋がってはいますが、意識体すら行き来できなくなります。それは、互いに影響し合わないため』
デュナミスは頷いた。今回のことも本来なら起こる筈がない出来事だったのだ。
『私もやっと解放されます。肩の荷がおります』
儚く微笑み、女性は溜め息を吐いた。
『お前も、森の中で自由に生きなさい。外には出られませんが、後は自由です』
セフィヌは小さく頷いた。そして、デュナミスを見る。額の三日月を確認しているようだった。
「この額の水晶が道になるのかえ」
デュナミスに視線を向けたまま、セフィヌは女性に問う。
『その通りです』
女性は再度、デュナミスに左手を差し出すよう要求した。デュナミスは覚悟を決める。何も知らぬ以上従うしかない。
『さあ、全ての終わりと始まりが動き出します』
女性は言い終わると、デュナミスの左手を女神像の一つの水晶の上に乗せた。
この場所が森の中のどこに存在しているのか判らないが、強い力に守られていることは判った。
藍が象徴するのは水だ。
女神像の周りは水で囲まれ、甘い香りが漂っていた。グウェンティアに無理矢理渡された深紅の石を見詰める。それは魔物の心臓であり、純粋な力の結晶だった。思わず強く握り締める。
しかし、深紅の石は亀裂一つ入らず静かに光を反射させていた。外の世界とはまるで違う水分を多く含んだ空気がデュナミスを包み込んでいた。大きく息を吐き出し、移動陣から足を踏み出す。
女神像までそれ程距離があるわけではない。今からしなくていけない事はよく理解していたが、不安でもあった。誕生したその時から魔力は体の一部だった。切り離したくても切り離す事が困難なほど、密接に絡み合っていた。その魔力を手放す行為が役目を果たすことだった。
「あの水晶球が魔力を受け取る」
一人納得させるように呟いた。藍の書庫にある本に書かれていた内容が間違えていなければ、力に満ち溢れているのが月の水晶だ。デュナミスが渡すべき魔力は太陽の魔力。
ゆっくりと女神像に近付く。像はそれ程大きくなく、平均的な女性の身長くらいだった。その女神像がゆらりと揺らめく。色がなかった像が一瞬、生きた人間のように見えた。
『来ましたね』
静かに響く言葉。デュナミスは少し身を引いた。その声は確かに女神像が発した。
『私は貴方と対になる魔力を持った者。今は意識だけが残っていますが、役目が済めば無に帰します』
女神像は静かに佇んでいる。
『核を持っていますね』
確認の言葉にデュナミスは持っていると答えた。
『女神像の周りに水があると思いますが、そこに核を浸しなさい』
デュナミスは軽く目を見開いた。そして、手の中にある核を見詰める。
『核は守護者となります。風の森にいた者と同様の存在です』
デュナミスは弾かれたように顔を上げる。
『本来、核は魔物を生み出すものではありません。私達月の民が使役する為に創造し、利用します』
デュナミスは小さく息を飲む。
『利用はしますが、見返りもあるのですよ。彼等は私達の手伝いをする代わりに自由を手に入れます』
女神像は小さく瞬いた。デュナミスはもう一度、強く核を握り締め水の中に核を浸した。小さな波紋が広がっていく。
赤く煌めく核が一瞬震えた。刹那見えた影にデュナミスは身を引いた。それは、四凶の血に飢えた瞳を思い出させたからだ。
『この子は何も出来ませんよ』
察したように言葉が掛かる。
『此処の主は貴方です。そして、この魔力を帯びた水に核を浸したのも貴方』
女神像から何かが抜け出てくる。透明な体は初代王を思い出させたが、明らかに違う部分があった。
髪は長かったが初代王は黒髪で目の前に現れた女性はデュナミスと同じ茶髪だった。額に有るのはデュナミスと同じ藍の三日月。瞼が震え、開かれた瞳の色に更に驚きが生まれる。
本来ならそこに宿る色はデュナミスと同じ夜の色だった筈だ。しかし、瞳に有るのは澄んだ水色だった。柔らかな微笑みを浮かべ、女性はデュナミスと対峙する。そして、驚き見詰められている視線の先が何を意味しているのか理解していた。
『魔力は瞳に宿るのですよ』
柔らかい言葉がデュナミスに触れた。
『魔力を失った者の瞳は本来の色に戻ります』
女性は柔らかく言い、水の中の核に視線を向けた。核は渦を巻く水に包まれ少しずつ肉が付き始めていた。膝を抱え胎児のように丸まり、姿が明らかになっていく。
淡い水を映したような髪が目に入り、白く澄んだ肌が印象的だった。指の間には薄い膜が見て取れ、足は人のそれとは違う。上半身は人の、下半身は魚の尾のような形をしていた。
『どうやら、元々の姿は人魚のようね。核は選ばれてこの場に来たことは間違いないわ』
女性は確認した後、デュナミスに視線を戻す。
『この子が完全に生まれ変わったら始めましょう。おそらく、他の地でも同じ事が行われています』
デュナミスは頷いた。此処まできたら覚悟をするしかない。半分の魔力を失った後、どうなるかは予想出来ない。
「一つ訊きたい」
デュナミスは躊躇いがちに問い掛けた。女性は目を細め承諾する。
「貴女は消えると言ったよね。もう、体も命も無くなったという事」
その問いに女性は頷いた。デュナミスは辛そうに強く目を瞑る。
『私は長く生きすぎました。千年の時を生き、この役目のために魔力を蓄えました。後悔のない人生だったかと問われたら正直、迷うでしょうね』
自虐的に笑い、軽く頭を振る。
『今回の過ちを間近で見ていた者として、責任は取らなくてはなりません』
きっぱりと言い切り、女性は鋭い光を瞳に宿す。デュナミスは息を飲んだ。
『けれど、貴方は違う。ただ、その額に三日月を。体内に魔力を持ち生まれただけ。ただ、私達月の民が犯した過ちを清算するために。これは、私達が犯したもう一つの過ち。許されることではないけれど、貴方に強いなくてはいけない』
女性は辛そうに眉を顰めた。
『元凶と言われ、魔力に全てを破壊された哀れな子は最期までその魔力をこの世界の再生のために使われることになります』
知っていますか、と問われデュナミスは沈黙した。グウェンティアから教わったことは多くはない。彼女は語ることを拒絶し必要最低限の情報を語っただけだ。
「世界再生に使われることは教わったよ。でも、それだけだ」
結界と封印がなされた後、何があるかは知らされていない。
「でも、使命を終えたら初代王は全てを語ってくれると、戻ってこいと言われたよ」
女性は小さく溜め息を吐いた。
「僕は藍の書庫でこの事に関する情報は得ているけど、詳細は知らない」
デュナミスは自分の無知に嫌気がさしていた。もし、もっと知っていることが多ければ、より多くの情報が手には入った筈だ。しかし、隔離された状態で成長した彼は外の世界の情報を吸収するだけで精一杯だった。グウェンティアが言っていたことは間違っていない。
結局は何も知らないことと同じなのだ。
『レウディアがそう言ったのですか』
「レウディア」
デュナミスは首を傾げた。レウディアとは誰のことなのか。話の流れから初代王であることは判った。
そして、気が付く。
どの書物にも始まりである四人の名前が欠落している。書庫に収められている無数の本に何故、記載されていないのか。デュナミスは自身の記憶をゆっくりと辿ってみる。だが、いくら辿ってみても名前の存在は皆無だった。
『名前は危険なものです。おそらく、伏せたのでしょう』
女性はデュナミスの様子にそう言った。
『レウディアはこの世界の最初の紫です。犯した罪を償うため、自分の意志でこの世界に来ました』
デュナミスは女性に視線を向けた。
『そして、藍はレウディアの恋人。私の息子です』
女性の告げた真実にデュナミスは目を見開く。
『この世界に来たのはレウディアに近しい者達です。犠牲になるために来ることは知っていました。けれど、避けられる筈もない』
女性は一度目を閉じる。遠い昔を思い出し、今は亡き息子に思いを馳せた。
『貴方は私の息子の子孫と言うことになります。つまり、私にとっても同じ』
女性は目を開きデュナミスを優しく見詰めた。
水音が足元で起こる。二人は視線を向けた。核があったその場所にはっきりと現れた存在。淡い色合いの水色の長い髪。同じ色合いの長い睫が震え開かれた目は深紅の輝きを宿していた。
『名は』
女性の問いに魔物は視線を向けた。
『お前は生まれ変わり、この者が新たな主です。名を明かしなさい』
魔物は眉を顰め、拒絶の反応を示した。
デュナミスは魔物の行動に納得する。今まで封じられ、主であった元凶に核を奪われた。不信を抱いたとしても責めることは出来ない。
『お前はこの森の中でのみ自由でいられます。約束しましょう。もし、外の世界を覗きたいのであれば、彼に忠誠を誓いなさい』
デュナミスは首を傾げた。魔物も全く同じ反応を示す。
『お前を外に放すことは出来ない。何故なら、この世界の住人は魔物によって痛手を受け、憎しみすら抱いています』
デュナミスの表情が歪んだ。破壊された街並みと、再生できぬほどに痛めつけられた自然。それは元凶によってもたらされた事であったとしても、人々の中に植え付けられた拒絶は易々と変えることは出来ない。
『お前はこの結界と封印を見守る者として、全てが完了するその日まで森を守護するのです』
女性の言葉に魔物は目を見開いた。
「妾が何故そのようなことをせねばならぬ」
『元凶から生まれたことを呪うのですね。全ては彼から始まり彼で終わらねばなりません。そのために、お前が犯した罪の分、今の役目が与えられた』
魔物は疑わし気に目を細めた。足である尾が水を打つ。その度に飛沫が舞った。
「妾はただ、純粋な欲望を満たしただけじゃ。それを罪というのか」
その問いに女性は軽く頭を振った。指先が眉間に刻まれた皺に触れる。
『例え自覚がなくとも罪は罪。他者に危害を加えた時点で罪人と同様です。まだ、償う役目を与えられただけましだと思うのですね』
言葉が冷たく突き刺さる。魔物は唇を噛み締めた。
「その者に忠誠を誓えば、外の世界を覗けるのかえ」
女性はゆっくりと頷いた。魔物は思案する。何も判っていないわけではない。元凶に与えられた苦痛は今でも鮮明に覚えている。誕生と同時に与えられた魔力。言われるまま、突き動かされるままに破壊し命を奪った。知識が蓄えられ、疑問に思った事がないわけではなかったが、欲望に忠実であり続けた心と体はその行為に疑問を抱くことを忘れさせた。
はっきりと気が付いたのは元凶に核を奪われた時だ。無慈悲なほど呆気なく核は奪われ意識すら消え失せた。
「妾はセフィヌじゃ」
デュナミスに視線を向け己の名を渡した。
「そなたは妾を自由にしてくれるのかえ」
デュナミスは一瞬、躊躇った。彼の中に何一つ答えがないからだ。
「どうなのじゃ」
「僕は」
強く両の手を握り締める。
「君を束縛するつもりはないよ」
絞り出すように言葉を紡ぐ。他に言葉がなかった。言い切れる自信もない。だが、今言った言葉は間違いのない真実だった。デュナミスは魔物セフィヌを束縛するつもりも、支配するつもりもない。
水の森の番人となることが宿命ならなおのことだ。
番人は余程の事がない限り森から離れられない。グロウがグウェンティアの存在なしに森を離れられなかったように。
『左手を』
女性はデュナミスに左手を求めた。デュナミスは訝し気に女性を見た。躊躇いながらも、左手を差し出す。女性は目を細めると、何処から取り出したのか小さな水晶を取り出した。それは涙型をしており、何処までも透明だった。
その水晶をセフィヌの額に押し当てる。セフィヌは目を見開き、苦痛を訴えた。水晶は見る間に額にめり込み、半分が埋まった時、その場に縫い止められた。
次いデュナミスの左手の甲をセフィヌの額に埋まった水晶に押し当てる。
一瞬きたのは鋭い痛みだった。その痛みに、きつく目を瞑った。一気に汗が噴き出す。体の芯を貫くような痛みに、意識が遠のくような錯覚を起こした。
そして、左手の甲に現れた違和感。恐る恐る目を開け、左手に視線を向けた。左手はいまだセフィヌの額に触れている。女性は何かを確認すると頷き、左手を額から離した。その際、硬い何かが触れ合う音が耳に入った。
『その石は水の石。貴方と』
そう言うとデュナミスに視線を走らせ、
『お前を繋ぐ物』
次いでセフィヌに視線を向けた。
『水の石は主から力を受ける媒介にもなりますが、その目を通して外界を知ることも出来ます』
デュナミスは驚いたように左手の甲を見ると、右手で強く握り締めた。
『本来はただ、身に付けるだけの物ですが、体内に取り込むことで互いを感じることが出来る』
二人を交互に見、次の言葉を口にする。
『太陽の魔力のみ水晶に移すための大切な制御を行う物でもあります』
「それは……」
デュナミスは弾かれたように顔を上げた。
『太陽と月の魔力は貴方の体内で溶け合い、絡み合っています。そのままでは二つの魔力を水晶は吸い取ってしまう』
女性は語り出す。
『別々に存在していたら拒絶反応を示すでしょう。絡み合っているからこそ、支配していることになるのです』
女性は言い終わるとデュナミスを女神像に導いた。
『私の役目は見届けること。さあ、左手を。終わった後、ここに来た時の移動陣で墓所内に戻りなさい』
「これで本当に終わるの」
デュナミスの問いに女性は力無く首を横に振った。
『貴方にとっては始まりになるでしょう。月の民のやり残した仕事は終わりますが、荒廃した世界を、何より人心を再生しなければなりません』
デュナミスは眉間に深い皺を刻む。判っていたことだが、改めて言葉にされると肩に重圧がのし掛かってくる。
『これを期に二つの世界は完全に切り離された状態になります。繋がってはいますが、意識体すら行き来できなくなります。それは、互いに影響し合わないため』
デュナミスは頷いた。今回のことも本来なら起こる筈がない出来事だったのだ。
『私もやっと解放されます。肩の荷がおります』
儚く微笑み、女性は溜め息を吐いた。
『お前も、森の中で自由に生きなさい。外には出られませんが、後は自由です』
セフィヌは小さく頷いた。そして、デュナミスを見る。額の三日月を確認しているようだった。
「この額の水晶が道になるのかえ」
デュナミスに視線を向けたまま、セフィヌは女性に問う。
『その通りです』
女性は再度、デュナミスに左手を差し出すよう要求した。デュナミスは覚悟を決める。何も知らぬ以上従うしかない。
『さあ、全ての終わりと始まりが動き出します』
女性は言い終わると、デュナミスの左手を女神像の一つの水晶の上に乗せた。
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前作では、二人との出会い~同居を描いています。
順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。
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