サクラメント300

朝顔

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2 変わらない日常

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 運命なんてクソだ
 運命のせいで何もかも奪われた
 運命が悪いんだ
 運命のせいで俺の全ては…………

 いや

 運命なんかじゃない

 本当は全部

 自分のせいだ







 一日休みをもらって、いつも通り出勤すると、事務室の休憩用のテーブルの上に泰成がお菓子を並べていた。

「社長から、旅行のお土産だって。たくさんあるからさ、佐倉も食べていけよ」

「ありがとうございます」

 ぼんやりしながら、色とりどりの包装紙に包まれたお菓子を見ていたら、腕を組んだ泰成がため息をついてきた。

「あんな事があって、めちゃくちゃになっていたお前を拾ったけど、ちゃんと叔父さん達とは連絡を取っているのか? 誰にも知らせないでくれってお前の希望はもちろん守っているけど、そろそろ心配しているんじゃないか?」

「手紙は……送っているので大丈夫です。これ以上は心配をかけられないし、落ち着いたら……いつかは顔を見せに行く予定です」

「いつかって……まぁ、無理強いはしないけどよ。昔は誰もが振り向くイケメンだったのに、そんなに痩せちまって……。なんでもいいから腹に入れろ。またうちに来てもいいし、芽衣も喜ぶからさ」

 ただ息をしているだけ。
 泰成は行くあてのない佐倉に声をかけて、うちに来いと誘ってくれた。
 泰成は既婚者だが、部屋が余っているからとしばらく佐倉を家に置いてくれた。
 当時は三歳だった芽衣ちゃんも、小学生になったと聞いた。
 時の流れを感じたが、さすがにもうそんな迷惑はかけられない。

「それなら、今度奥さんの手料理をご馳走してもらいにいきます」

「おう、いつでも来てくれ。お前見てると、ハラハラしてこっちが胃に悪い。もうそろそろいいだろう、早くいい人を見つけろって」

 そう言って泰成は佐倉に弁当を渡して来た。
 ヤマノクリーンでは、遅番勤務には弁当が付いてくる。

 泰成の言葉に曖昧な笑顔を作ってごまかした。
 佐倉はありがとうございますと言って弁当を受け取った。
 近くの定食屋が販売していた売れ残りの弁当が多いが、佐倉にとっては貴重な食事だった。
 大事そうに弁当を抱えた佐倉は、着替えるためにロッカーへ向かった。


 遅番の仕事は主にフロアのゴミ集めとトイレの清掃だ。
 ガラスの清掃など大掛かりなものは別の業者が担当している。
 それぞれ担当の階が決められていて、早く終わればその分早く帰れる。
 肉体労働の地味な仕事だが、人付き合いが苦手な佐倉にとっては、黙々と働けるので都合がよかった。

 人気が少なくなったフロアで、カートに集めたゴミを載せた佐倉は、ハンディ型の掃除機を手に取った。

 小さな紙屑が目に入ったのだ。
 タイルカーペットの上に掃除機をかけるのは早番の仕事だが、佐倉は目についた箇所はそのままにせずに綺麗にしていた。

「ねぇ見て。またあの人いるよ」

 遅い時間まで残って会議をしていたのか、人が入って来た気配がしたが、その中の一人の声が耳に入ってきた。
 面倒なことになりそうな気配を感じて、佐倉は姿勢を低くして頭を下げた。

「この時間の担当なんでしょう」

「モエちゃん、気をつけた方がいいよ。この前のストーカーもさ、ほら、あんな感じだったじゃん」

「この前、モエのこと見てたよね。いくら可愛いからって見てきて気持ち悪い。変なのが寄ってきて大変だね」

 背を向けているが、声は聞こえてきてしまう距離だ。変なの扱いされている状況に、佐倉はまたかと項垂れて小さくため息をついた。

 あからさまに視線を送ったつもりはない。
 むしろ誰とも目を合わせないようにいつも俯いているのに、見た目から判断されてしまう。
 特にこの会社は、エンタメ系を取り扱っているから、若くてお洒落な社員が多い。
 明らかに場違いな人種が混じっていると余計に目立ってしまうのだろう。

 モエちゃんと呼ばれた女子社員は、ぱっと見ても周りと比べてかなり可愛らしい容姿をしていた。おそらくオメガだろう。
 社会において、人口が少ないオメガは貴重な存在とされている。
 オメガは庇護欲を誘うような、甘く可愛らしい見た目の者が多い。
 薬で管理していれば、無自覚にフェロモンを撒き散らすことはないが、それでもオメガであるというだけで周りの反応が変わることは確かだ。

 男女問わず多くの人に求められてしまう。
 つまり、それだけモテるということであるが、そうするとストーカーなどの別の問題が出てきてしまう。
 オメガが自分の身を守るために、警戒心を強めることは間違いではなかった。
 モエちゃんも少し過剰なくらい警戒するのは必要なことだと思うが、その矛先を向けるのは勘弁してほしかった。

 佐倉は仕事に集中して、話が聞こえないフリをして、床に散らばった紙屑を片付けていた。

「……でも、あの人、アルファじゃないかな」

 おそらくモエちゃんが発した言葉に心臓が揺れて、佐倉の手が止まった。
 嫌な視線を感じて背中にジワリと汗が滲んだ。

「暗い感じだけど、背が高くて、スタイルがいいじゃない? それに匂いが……」

 佐倉は出来損ないのアルファでも、微弱なフェロモンを纏っているらしい。
 敏感なオメガは、アルファの匂いを嗅ぎ分けることができる。
 ゾクっと寒気がしたが、知られたからといってどうなるわけでもない。
 佐倉は帽子を深く被り直して立ち上がった。

「まさかぁ、アルファが清掃員? ありえない、底辺じゃん」
「会議室にいた部長の匂いじゃない? 確かアルファだよね」
「そうだと思った。既婚者だけどカッコいいよね! アルファって感じが最高。この前さ……」

 女性社員達の会話はいつしか別の話題に流れていた。
 嫌でも漏れ聞こえてくる会話から逃げるように、佐倉は足早にフロアを移動した。



 集めたゴミは地下の集積場に持っていくことになっている。
 佐倉の担当は中層階で、四十階まで終えたら、全て地下に運ばなければいけない。
 エレベーターのボタンを押した佐倉は、わずかな待ち時間、窓の外に目を向けた。

 こういう時、自分が高所恐怖症でなかったことがよかったと思うが、さすがにずっと下を見ていたら足元が冷えてしまった。
 頭を振った佐倉が顔を上げると、窓に映った自分と目が合った。

 佐倉は薄茶色の髪に同じ色の目をしている。
 顔立ちはアルファらしく整っているが、全体的に色白で甘い印象がある。わずかに入っているオメガ性のせいかもしれない。
 そのため小さい頃は絶対オメガだろうと周りからも言われていた。

 しかし蓋を開けてみれば、ほとんどアルファであるが少し足りない、というなんとも微妙な型であった。
 中学の時に検査を受けてから、身長はどんどん伸びた。大した運動をしなくても筋肉が付いて、体格にはアルファらしい逞しさが見て取れる。

 かつては街を歩くだけで声をかけられたこともあった。
 微弱なフェロモンであっても、人を惹きつける効果はあるらしい。

 もう、過去の話だ。

 今は筋肉も落ち、頬が痩けて肌も荒れている。
 落ち窪んだ目は薄暗くて、自分で見ても気味が悪かった。

 こんな姿を両親が見たらなんと言うだろう。

 佐倉は中学の時に事故で両親を亡くした。
 叔父の家に引き取られて、大学入学を機に都会に出た。

 今の自分を誰にも見せられない。
 過去を問われないような仕事にしか就けず、何もかも失って、この先の人生に希望もない。

「……お前のせいだよ」

 窓に映る自分に話しかけたところで、ポンッとエレベーターの音が鳴った。
 スッとドアが開いて、箱の中から溢れてきた光が、窓ガラスに映ったぼやけた顔を消してしまった。

「おっ、佐倉くん。同じタイミングだ。お疲れさま」

 エレベーターの中にいたのは、同僚でベテラン清掃員の小波さんだった。
 三十年以上清掃の仕事をしていて、ヤマノクリーンが地元の小さな会社だった頃からの従業員だった人だ。
 どうぞ入ってと場所を開けてもらったので、佐倉は小波の横にカートを入れた。
 お互いゴミ用のカートを引いているので、二人入るとエレベーターはいっぱいになった。

「腰の方は大丈夫ですか? 先週痛めたと聞きましたけど……」

「そうなんだよ。酔って階段で転んで尻餅ついちゃってさ。おかげで、いつも届く場所に手が届かなくて、困ったもんだ」

「小波さん、上層担当ですよね。よかったら中層と代わりますか? 使っていない倉庫や会議室が多いから、ほとんど汚れていないですよ」

「そりゃありがたい。上層はお偉いさんが多いから、気を使うんだわ。戻ったら若社長に頼んでみるよ」

 このビルで働き出してから、佐倉は上層階には足を踏み入れたことがなかった。
 上層階には会社の社長室や役員、幹部社員達の個別の部屋がある。
 大会議室や、イベント用のホールもあり、担当する者は大変だとよく聞いていた。

 小波の腰の心配もあったが、佐倉としても、あの女性社員達に目をつけられているので、少し離れることができるのは好都合だった。

「あ……それは……」

 何気なく小波のカートを見ていたら、横にカメラがぶら下がっているのが見えて、佐倉は思わず声を上げてしまった。

「ああ、誰かの忘れ物だって。防災に届けてくれって頼まれたんだ。こりゃ一眼レフってやつか? こんな高そうなの忘れるなんて、ずいぶん間抜けなやつだ」

 ドクドクと心臓の音が鳴って、額から汗が流れ落ちてきた。
 もう何年も経って、未練も何もないはずだ。
 何もかも放り投げてきたはずなのに、目にするだけで心が乱れてしまうのが悲しくて辛い。

「佐倉くん? 大丈夫か? 体調が悪そうだ」

「……大丈夫です。ちょっと寝不足で……」

 帰って早く寝た方がいいよと言われて、佐倉は無理矢理口の端を上げて笑った顔を作った。

 本当は膝から崩れ落ちて腕を抱えたいくらい、息苦しくてたまらなかった。

 シャッターを切る時の音、手に伝わる振動までリアルに思い出せてしまうのが悲しい。

 あれは自分のものではない。
 もう、とっくに手を離れて、どこへ行ってしまったかも分からないのだから。

 走って走って

 逃げ出したはずなのに、一歩も進んでいない。
 悔しくて悲しくてたまらなかった。






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