サクラメント300

朝顔

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3 偶然の出会い

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 夕貴ゆうきに出会ったのは、大学二年の頃だった。
 人数合わせて参加した飲み会で隣同士になった。
 同じ大学だが夕貴は一年後輩だった。
 それに写真専攻だった佐倉とは違い、夕貴はデザイン学部だったので、大学内では校舎も違ってほとんど接点がなかった。

 夕貴は背が小さくて手足が細く、ふわふわの髪に小動物のような大きな瞳で可愛らしい顔をしていた。
 思わず守ってあげたくなるような可愛さと、ほのかに香るフェロモンで、彼がオメガだということはすぐに分かった。

 向こうも同じだった。
 君、アルファでしょう? でも不思議な匂いだね。
 そう話しかけられたのが最初だった。






「……め、………俺の……せいだ、ごめん……」

 夢が現実か分からずに目蓋を上げると、低い天井があった。
 毎朝起きるたびに、あぁ今日も目が覚めてしまったと重い気持ちになる。

 夢を見た。
 もう何度も見ている夢だ。

 謝っても謝っても、相手には届かない。
 これも自分が受けるべき罰なのだ。

 この先も、ずっと……

 重い体を起こした佐倉は、息を吸い込んでから深く吐いた。
 頭痛がするけれど、休んでばかりはいられない。
 支度を始めるために布団から出た。



 ヤマノクリーンは元々この地域で細々とやっていた会社だった。
 しかし経営難に陥って、社長同士が知り合いだったとかで、梶グループの傘下に入ったそうだ。
 ビル内に事務所を移して、従業員も増えた。
 社長は早番で顔を出すことが多いので、佐倉は普段あまり会うことがない。
 その代わり佐倉の出勤する時間は、若社長と呼ばれている泰成が取り仕切っている。
 梶グループ以外の仕事も多く請け負っているので、その調整をしたりヘルプに行ったりと、泰成も忙しそうだった。

「ほら、仕事始める前に飲んでおけ」

 出勤するなり、佐倉は泰成から栄養ドリンクを手渡されて、驚いてしまった。
 学生時代から気のいい兄貴分的存在だった泰成は、佐倉の二年先輩だった。

 所謂芸術系の大学だったので、泰成は彫刻科に所属して、木材を使った空間アートというものを熱心にやっていた。
 今でも頼めば机や椅子なんかを簡単に作ってくれる。
 昔はこの距離感のないところを苦手に思っていたが、ただの好奇心や偽善などではなく、泰成は本当にいい人だった。
 ボロボロになって逃げてきた佐倉を、何も聞かずに匿ってくれた。
 今でもたまにアドバイスをしてくれるが、深追いしようとはしない。
 佐倉はこの人には一生頭が上がらないなと思っている。

「そんなに、ひどい顔ですか?」

「うーん、まぁそうだな。いつもに増して青い顔してるよ。小波さんと交代したんだろう。上層階の手順を教えるから、着替えたら事務所に寄ってくれよ」

 ドリンクをありがたく受け取った佐倉は頭を下げてロッカールームに向かった。



「基本的には低層中層と同じだ。各フロアを回ってゴミ集めとトイレ清掃、食堂スペースはそこの人達がやってくれるから、ゴミを回収だけたのむよ。気をつけて欲しいのが役員クラスの部屋だ。カードキーがないと開けることができないから、各秘書が捨てるものは外に出してくれる。中の清掃は朝番がやるから基本的に入らなくていい」

 想像していたより簡単な手順だったので、佐倉は拍子抜けしてしまった。
 確かに部屋数は多そうだが、回収だけならさほど時間はかからない。

「分かりました。あまり変わらないし、大丈夫そうだ」

「待て待て、役員クラスの人は厳しくて気難しい人が多いんだ。細かい汚れが残っていたりするとすぐにクレームが入る。それに、急に呼び止められてアレコレ用事を頼まれることが多い」

「秘書の方がいるのにですか?」

「その秘書が忙しくて手が回らないんだろう。機密情報とかはないだろうけど、あれを持ってきてとか、ダンボールを運んでくれとか、そういう雑務が入ったりするから、それは業務にないとか断らずにしっかりやってほしい」

 小波が忘れ物のカメラを持っていたことを思い出した。地下にあるセンターに届けるように言われたのも、今の雑務に入りそうだ。

「分かりました」

 それなりに経営は順調でも、気をつけなければ足をすくわれる世の中だ。
 お偉いさんの顔色はしっかり窺っておかなければマズいことになる。
 泰成の手前、下手な態度は取れないので、言われたらちゃんとやろうと佐倉は肝に銘じた。




 しかしこの雑務、というものは、想像していたよりもずっと大変だった。



「すみませんね、清掃の方にここまで手伝ってもらって。この時間、みんな帰っちゃうので頼める人がいないんですよ」

「いえ……大変ですね。何千枚も送るのに……」

 肉体労働というには地味すぎる作業だが、佐倉は株主向けの手紙に一枚一枚切手を貼っていた。

「本当にすいません。社長のこだわりで、印刷したものだと気持ちが伝わらないとかで、毎回貼らないといけないんですよ。総務は手一杯なので、下っ端の僕が頼まれて、仕事の合間にやっていたんですけど、全然間に合わなくて。僕の要領が悪いのが問題なんですけど」

 そう言って役員秘書の男性は苦笑いしていた。
 定期的に株主に送る書類があるらしいのだが、社長のこだわりで苦行をさせられているそうで、下っ端で要領の悪い彼は、ギリギリまで放置して毎回小波さんに手伝ってもらっていたらしい。

「これで、最後の束です」

「わぁぁ、ありがとうございます。あの、あとは片付けておくので先に帰ってください」

「いえ、まだトイレ清掃が残っているので」

「ええっ!! 本当にすみません! ありがとうございます」

 時計はすでに二十一時を回っていて、普段なら業務を終えている時間帯だ。
 残業代が出るか分からないが、とにかく終わらせないといけない。
 平謝りしてくる男性社員に頑張ってくださいと声を掛けて、佐倉は秘書室から出た。
 このフロアのトイレを清掃すれば、今日の仕事は終わりだ。
 カートを押しながら、足早にトイレまで向かった。


 結局、目についたところが気になって、一時間近く汚れと格闘した。
 全て片付けて電気を消したのは、二十二時を回った頃で、フロアには誰も残っていなかった。

 さすがに肩がこったなと思いながらカートを押してエレベーターホールに向かうと、何やらそこに規制用のボードが立てられていて、作業員が忙しそうに働いていた。

「あ、すみません。電気系統に不具合があって、今こちらのエレベーターは全機使用できないんです」

「……そうですか」

「カートがあるから階段は……無理ですよね。奥の直通を使っていただいてもいいですか? 多分待っていたらかなり時間がかかると思います」

「え………は、はい」

 そう言われて佐倉は、フロアの奥にある特別区域に目を向けた。
 一般社員、及び作業員等は使用禁止の、上層階にだけ止まる直通のエレベーターだ。
 作業スタッフからは黄金区域と呼ばれていて、当然佐倉も近寄ったことはなかった。

 なぜ黄金と呼ばれているかは、中の内装に金が使われているとかそんな噂だった気がする。

 待っていてもいつ終わるかは分からないし、緊急点検で使用できないなら仕方がない。

 ゴミ入りのカートを置いて行ったら怒られてしまう。
 かと言って担いで何十階も降りるなんて正気の沙汰ではない。
 警備員に何か言われたら点検だと言っておけば問題ないだろう。
 未知の空間には少しだけ興味があったので、佐倉はドキドキしながら、黄金区域に入って下ボタンを押した。

 エレベーターは二機あって、一つはちょうど最上階にあった。
 ふと誰かが残っているのかと考えたところで、ポンっとエレベーターの音が鳴った。

 音もなく、エレベーターのドアがゆっくり開くと、そこには先に乗っている人がいた。

「あ………」

 目に入ったのは、上下ブラックでかためられた高そうなスーツだった。
 まさに戦闘服と呼ばれるに相応しいその黒光りする鎧を身につけているのは、これまた背の高い佐倉よりも背が高く、ガッチリとした体つきの男だった。
 一瞬壁かと思ってしまったくらいだ。

 スーツと同じ、漆黒の髪に恐ろしいくらい整った容貌、まるで肉食獣のような鋭い瞳は黒曜石のようにギラリと光っていて、目が合った瞬間、食べられると本能的な恐怖を感じてしまった。

「……乗らないのか?」

 冷酷さを表したような薄い唇が開いて、腹に響く声が聞こえてきたので、佐倉はビリッと背中が痺れてしまった、

「いえ、その……もう一つのエレベーターが点検中でしたので、すみません。カートもあるので、私は次のものに……」

「夜間は一つしか動かない。行って戻るまで時間がかかる。狭くなっても構わないから乗っていけばいい」

 彫刻のように整っているが、よく見れば顔にあどけなさが残っているので、今年三十になった佐倉よりも年下に見える。
 年齢的に社長でないことは間違いないが、秘書の雰囲気でもない。
 圧倒的な風格とオーラは彼が支配者だと痛いくらいに表していて、間違いなくアルファだ。
 それも経営者一族の者か、役員クラスだとみた。

「あの……それじゃあ、失礼します」

 こんなところで押し問答をしていても仕方がない。早くしろという視線を感じた佐倉は頭を下げて、なるべく男に近づかないように端に乗り込んだ。

 エレベーターが下がっていく静かな時間。
 内装をのんびり見るなんてありえない。
 下を向いたまま、早く着いてくれと祈っていたら、男の方から息を呑むような音が聞こえてきた。

「それは、なんと読むんだ?」

「え……」

 男が急に話しかけてきたので、何か間違いを犯したのかと佐倉の心臓は飛び出しそうになった。
 一瞬考えて、腰に下げているネームプレートのことかと気がついた。
 防犯上確認しなければいけないのかもしれない。
 急いで口を開いた。

「さくら、です」

 切れ長に見えた男の目が大きく開かれて、唇がわずかに震えているように見えた。
 まるで幽霊でも見たような顔に、緊張よりどうしたのかと不安になってしまった。

「すみません、何かお気に触るようなことがありましたか?」

「い………いや、すまない。知り合いに同じ名前の者がいたから、気になっただけだ。忘れてくれ」

 さくら、だけ名前を聞くと、女性に多くつけられる桜を連想されることがある。
 こんな最強のイケメンみたいな人も、忘れられない女性でもいるのかなと思うと少しだけ気が楽になった気がした。

 このまま静かな時間が流れて、こんな刹那の会話などすぐに忘れるだろう。
 そう思っていたのに、突然ガタンっと音が鳴って、エレベーターが緊急停止したので、佐倉は思わずカートに掴まって耐えた。

「なんだ、何が起きたんだ?」

 エレベーターが落下するんじゃないかと、動揺してビビりまくる佐倉と違い、若い男は冷静にエレベーターの通話ボタンを押した。

『大変申し訳ございません! 点検中のエレベーターの影響でこちらの電力も止まってしまいました。復旧を急いでいますので、今しばらくお待ちください』

 慌てた様子で、警備室からの声が聞こえてきて、若い男は頼むと言ってから、先ほどと同じように壁に背をもたれた。
 佐倉は心臓がバクバク鳴って倒れてしまいそうだったが、男が冷静でいてくれたので、なんとか正気を保っていた。

「……災難でしたね」

「ああ、まったくだ」

 こうなったら無言でいることが、逆に恐くなってしまった。
 いつもは無口な佐倉も何か喋っていないと落ち着かなくて、つい男に話しかけてしまった。
 完全に見た目の厳ついオーラから冷たく返されそうだと思ったのに、男は意外と気さくに言葉を返してきた。

 逃げ場のない空間に、初対面で、立場が違いすぎる男が二人。
 何一つ共通点など見出せない。

 だけどさっきより呼吸が楽になって、悪い気持ちにはならなかった。

 予期せぬ災難が重なった、夜中のエレベーターで偶然の出会い。
 不思議な縁を感じてしまった。





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