ハコ入りオメガの結婚

朝顔

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⑪ 白奥家【自室】

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「はぁ………」

 新幹線の窓に映る景色がビルばかりになって、寂しくなった俺はため息をついた。

 膝の上にはお土産でもらった野菜が入った紙袋がある。
 だいたいの荷物は配送にしてもらったが、見送りに来てくれた椎崎が家族で食べてくれとたくさん持たせてくれた。
 こんな重いものは邪魔になるからと心配する佳純に、大丈夫だと言って笑顔で手を振ってお別れしてきた。

 佳純の仕事は忙しくなるし、俺だってこっちで説明したりやらないといけないことが山積みだ。
 たった数ヶ月のことなのだから、またすぐに会える。

 それは分かっているのに、向こうで過ごした日々が楽しすぎて、ひとりで都会の景色を眺めている今が寂しくてたまらない。
 椎崎がくれた美味しそうな野菜が入った袋が、ズンと重くなったように感じた。

「もう、会いたい……」

 ちょっと涙まで出てきてしまって、本当にダメだと下を向いた。
 初めての恋に翻弄されて、完全に身動きが取れなくなってしまった。
 こんなんじゃダメだ。
 泣いてばかりいる婚約者なんて佳純が知ったら嫌だと思われてしまうかもしれない。
 次に会う時まで、しっかり自分の足元を固めておかないとと思いながら、手をぎゅっと強く握った。
 すでに佳純の手の温もりを思い出して、感情が抑えられなくなっているが、静かに深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
 もうすぐ着きますというアナウンスが聞こえてきて、荷物を持った俺はゆっくり立ち上がった。







「ごめんねぇ。だって玲香の運命の相手だと思ったのよ。こっちに戻ってきたら、佳純さんに連絡を取って、二人を引き合わせようと計画していたの。結婚したくないなんて言ってるあの子も、佳純さんに会ったら絶対好きになると思ってたのよ。だってすごい素敵な人じゃないー」

 自宅に戻ると、出迎えに来た母が開口一番謝ってきた。
 興奮する母にまあまあ落ち着いてと言って、リビングでお茶を飲んで一息つきながら話を聞くことになった。
 母の話によると、君塚家とは何度か交流があって、父親に付いて子供の頃の佳純がうちに遊びに来たこともあったそうだ。
 ということは、近所に住んでいたとかそういうわけではなく、その時に佳純は玲香と会ったのかもしれない。
 あまり聞きたくない話だったので、その辺りのことを深く聞いていなかった。


 君塚家とは季節の挨拶を送り合う関係だったが、たまたま成長した佳純に会うことがあって、玲香はどうしているのか聞かれたそうだ。
 子供頃の玲香が佳純にプロポーズした話を聞いた母は、佳純が白馬に乗った王子様に見えてしまった。
 これは自分がキューピッドになるしかないと計画を立てて、時々、玲香の情報を佳純に伝えていた。
 母の誤算だったのは、玲香が大学を辞めて帰ってこなかったこと。
 どうやって帰るように説得しようかと考えていたら、佳純の方から求婚の連絡がきてしまった。
 それも急ぎだという話にこれはマズいと慌てたそうだ。
 そして、俺が代わりに向かったと聞かされて、パニックになっていたらしい。

「俺はいいけど、佳純さんに希望を持たせるようなことをしていたなんて……。玲香はモテるし、歴代のボーイフレンドは片手じゃ足りないじゃないか。どう説明してたんだよ」

「それは……、社会勉強してるって伝えておいたわ」

 俺は飲んでいたお茶をブッと噴き出して咽せた。
 さすが少女漫画の世界から飛び出して来たような人だ。辻褄合わせが秀逸だなと感心してしまった。

「それより、君塚から正式に婚約の連絡を頂いたわよ。どうしましょう、貴方と佳純さんなんて考えてなかったわ。ジャンルが違っちゃう」

「あのね………」

 もう何を言っても話が通じそうにないので、頭痛がした俺は頭を手で押さえた。

「玲香ちゃんだけど、やっぱりちゃんと連絡が取れなくて、メッセージも送ったけど返信なしよ。もう、どうしてあの子は……何かあった時どうするのかしら」

「玲香は昔からそうだろう。メッセージは見てると思うけど、興味がないんじゃないかな」

 俺に話しかけて来たくせに、やんなっちゃうと言いながら母はトイレに入ってしまった。
 この人も昔からそういう人で、玲香とはよく似ているなと思いながら、自分の部屋に戻った。




 佳純といた時間はやはり夢だったと思うくらい翌日から忙しい日々が待っていた。
 白奥の本社に呼び出され、あれこれ話を聞き出され、ついでにと仕事の山を押し付けられた。
 父は金策に走っていて、一言二言話しただけだったが、すまないと言われて大丈夫だからと返した。

 佳純とは連絡を取り合っていたが、向こうも本格的なシーズンに入ったので忙しそうだった。



 佳純と俺は書類を交わして婚約というかたちになったが、二人の関係を未だにどう考えていいのか分からなかった。
 ちゃんと夫婦になりたいと言ってくれたのは覚えている。
 やることはやっているワケで、そういう面での相性の心配はない。

 なぜこんなに引っ掛かっているのかといえば、お互い好きだと言葉にしていないからだ。
 佳純の方はもちろん、玲香のことがあるので、惹かれているとは言ってくれたが、まだそこまで俺に対して気持ちがないのではないかと考えている。
 そして俺は佳純のことが好きで好きでたまらなくなってしまったが、怖くて口に出す方ができない。

 ならば文字で伝えてみて、少しでも俺のことを好きになってもらいたいと思うのに、好きだと打とうとすると指が震えて止まってしまう。

 結局、事務的な日記みたいなものしか送れなくて、机に突っ伏して悶々として悩む日々が続いた。

 それでも忙しければ、人は自然とそちらに気持ちを集中させていくもので、気がつけば君塚の屋敷を訪れてから三ヶ月が経とうとしていた。






 インターフォンが鳴って、お手伝いさんがパタパタと足音を立てながら玄関に向かう音が聞こえた。
 今はお昼過ぎたところだが、どうやら訪問者があったようだ。
 オンラインでのミーティングを終えて、コーヒーを飲んでいたら、トントンとドアをノックする音が聞こえた。

「諒さん、荷物が届きました」

「はーい、ありがとうございます」

 お手伝いさんが持って来てくれた段ボール箱を受け取って、差出人の欄を見た俺はアッと声を上げた。

 まるでクリスマスプレゼントを開ける子供のように、興奮気味に包み紙を破って中の箱を取り出した俺は、蓋を開けると感嘆の声を上げた。

「はぁぁー、見事な器ですね。もしかしてこれ……」

「そうです、君塚陶器です。これはお茶碗かな。あの時送ってくれるって言ったの本当だったんだ……」

 目に飛び込んできた鮮やかな深いブルーに、お手伝いさんと一緒に目を輝かせて感動してしまった。

「こんな素敵なものをプレゼントしてくれるなんて、諒さんは愛されてるんですね」

「ええ!? だっ……これは、その……約束で……」

「ふふっ、ご馳走様です。もうすぐ会えるんですよね。毎日カレンダーの前で指折り数えていらっしゃいましたから、私も嬉しくなっちゃいます」

 最近は佳純の話をすると俺が真っ赤になって慌てるので、みんな揶揄うようになってしまった。
 指折り数えていたかなと思いながらまたカレンダーを見てしまった。

 今週末、本家での仕事がひと段落したので、いよいよ佳純がこちらにある家に戻る予定なのだ。
 時々電話で話したり、毎日のようにメッセージを送り合っていたが、やっと生身の佳純に会えるのだと思うとドキドキしてしまい、気がつくとまた指で数えていた。
 その様子をお手伝いさんに見られてクスクス笑われたので、茶碗の入った箱を持って急いで自分の部屋に入った。
 箱は他にも届いていて、佳純はちゃんと家族分、送ってくれたようだ。母が声を上げて喜びそうだと思った。

 週末、両親を交えての食事会が用意されていて、そこで届けを書いて入籍しようという話になっている。

 この三ヶ月、佳純を思わない日はなかった。
 会えない間に自分のことを忘れられたらどうしようと、それしか考えられなくて、あのお祭りの日に撮った写真を見ながら毎晩眠りについた。

 恋というものが体にとって良かったのか、佳純というパートナーを得たことが精神的な安定に繋がったのか、実は抑制剤を飲む量が減った。
 日に三度、飲み忘れると熱を出すことがあったが、今は一日に一回だけで十分健康的な生活が保たれている。
 医師も驚くほどの変化で、もし番の関係が構築されたら、もっと楽になると言われて、これは嬉しい変化だった。

「はぁぁーー、早く会いたい」

 もらった器を大事に飾って、ベッドに転がった。
 佳純に教えてもらった熱が忘れられなくて、佳純の顔を思い浮かべながら一人で慰める日々を送って来た。

 早く会いたいし、早く抱き合いたい。
 発情期以外でこんなことになるなんて、自分にこんなに性欲があったのかと、こちらも驚く変化だった。
 ただこれに関しては、ガツガツしているなんて、上品な佳純は引いてしまうかもしれない。
 なんとか隠さないといけないと思った。

 ベッドに転がっていたら眠くなってきてしまった。昨夜から朝方まで仕事が終わらなかったので、結局寝れなかった。少し仮眠を取ろうかと思っていたら、またインターフォンが鳴った。

 また何か届いたのかなと思っていたら、玄関の方が騒がしくなった。
 とくに母が騒ぐ声は響くので、なんだろうと思いながら起き上がり、部屋を出て玄関に向かった。


「びっくりよ、びっくり。いつも突然なんだからぁ」

「はははっ、ゴメンねー」

 耳に入って来た明るい声に俺の足は一瞬止まった。
 コロコロと鈴の鳴るような可愛らしい声は……

 ハッと気がついた俺は慌てて玄関に向かって走った。
 半分滑りながら玄関に到着すると、そこには約三年ぶりくらいの懐かしい姿があった。


「玲香! 帰って来たのか!?」

「諒ーー! 久しぶりぃ、元気そうじゃぁん!!」

 ガバッと抱きしめられて、頭をぐりぐりと撫でられた。
 この軽いノリの喋り方も何もかも、懐かしくて嬉しくなった。

 三年ぶりに見た玲香は、少し日に焼けているが、凛とした美しい女性に成長していた。
 しかも俺より背が伸びていて、腕も逞しくなっている気がする。
 玲香の髪から異国の匂いがして、少し遠くなってしまったような気がした。

「玲香ちゃん、髪の毛、バッサリ切ってるから、まるでアナタ達、双子みたいよ」

「はははっ、そう? ジャングルだと髪の毛洗えないことが多いから、切った方が面倒がなくていいのよ。そういえば、ルームメイトに諒の写真見せた時、この子は君をコピーしたみたいだって言われたっけ。諒の方がずっと可愛いのにね」

「え? 何言ってんだよ。可愛いのは玲香だろ」

「ほらほら、いつまでもアナタ達、玄関でペチャクチャしてないで、荷物運んで。パパにも連絡するから、夜は久々に家族揃って食べましょう」

 久々に娘の帰宅に、母はとても嬉しそうだった。機嫌良く父に電話をしてテンション高く話し始めたので、玲香と顔を見合わせて二人でフフッと笑ってしまった。

 中学から家を出てしまった玲香だが、もちろんこの家にはいつ帰ってきていいように玲香の部屋がある。
 荷物を部屋に運びながら、海外での暮らしについて玲香は饒舌に話してくれた。
 俺は冗談を交えた楽しい話を聞いて笑いながら、なんだか嫌な予感というか、なぜ今、玲香が帰って来たのかという、心の隅に小さな不安が生まれて来たのを感じていた。





「メッセージは見たんだけどさ、ちゃんと連絡しようと思ってたら、ちょうど牛を巡って部族の争いが勃発しちゃって、全然身動き取れなくなっちゃったのよ」

「まあ、だから言ったのよ。そんな危ないところなんて……、海外でも安全なところは他にいくらでもあるじゃない。もっと気をつけないと」

「はいはい、今回のは私も懲りたから、もう無茶はしないわ。虫に刺されて入院もしてたし」

 豪快というか危険すぎる冒険に、母はアアーと言って頭を抱えた、
 我が妹ながら暴走機関車のようだと思って、話を聞くだけで震えてしまった。

 父が帰って来て、早速、玲香の帰宅を祝う会が開かれた。
 豪華な料理がたくさん食卓に並んで、一人増えるだけでこんなに違うのかと思うくらい賑やかになった。

「でも、元気で帰って来てくれてよかった。今回は個展の関係か? しばらくこっちにいるのか?」

 ギャングから逃げたとか、マフィアのボスと飲んだとか、異次元の話をされて頭を抱えている俺と母だったが、そんな空気を変えようとしたのか、父は笑顔になって話題を変えてきた。

「え? だって、私、結婚するんでしょう。だから帰って来たのよ」

 ごくごくとビールを飲み干してから、ニカっと玲香は笑った。
 和やかになりつつあった食卓は、一瞬でしんと静まり返った。

 そうだ。
 連絡がつかなくて、日本に帰ってきて結婚しないかというメッセージだけが行ったまま、そこで終わっていたのだと気がついた。

「えっ……ええと、玲香、あのね。貴方、結婚しない主義だったわよね?」

「色々考えたんだけど、別にいーかなと思って。だって結婚しても海外に行っちゃいけないわけじゃないでしょう。年の半分くらい行ったり来たりするとか、そういう結婚もあるじゃない」

「それは、そうだが。……実はな、玲香。お相手の君塚さんはすでに……」

「あっ! メッセージにあった君塚佳純でしょう! それよ、それ。ネットで調べたら、めちゃくちゃ美形のお兄さんで、ヤバって大興奮! 彼なら結婚してもいいかなって思っちゃったワケ。メッセージにあったけど、君塚さんは、私と過去に遊んだことがあるんだっけ? 正直子供の頃の友人とか多すぎてねー。日替わりで違う子と遊んでたし、でもまあ、会えば分かるっしょっ」

 両親はやんわりと佳純と俺の結婚を伝えようとしていたが、玲香の弾丸のようなトークに押されて、どこでどう言えばいいのか完全に迷子になっていた。

 そして俺は下を向きながら、見たくない、受け入れたくない現実に震えていた。
 自分は今、きっと死にそうなひどい顔をしているだろう。
 佳純の初恋の人。
 絶対勝つことのできない相手が目の前にいて、その人も佳純との結婚を望んでいる。

 こんな、こんなことになるなんて。

 佳純との美しい思い出が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

 嫌だ

 絶対に嫌だ

 そう思えば思うほど、最初の頃、玲香との思い出を語っていた佳純の顔を思い出してしまった。

 ああ、きっと。
 俺はまだ、あの出口のない森の中を彷徨っていたんだ。
 どこまで行っても緑しか見えない。

 周りの声はどんどん遠くなっていった。






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