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もう遅いなんて言わせない
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登場人物
桜井 透(さくらい とおる)(受け)
小柄で細身、黒髪の柔らかい髪を耳のあたりで切りそろえた優しい雰囲気の青年。料理や掃除が得意で、好きな人にはとことん尽くす性格。現在25歳。
高瀬 悠真(たかせ ゆうま)(攻め)
透と同い年。高身長でスポーツマンタイプの端正な顔立ち。社交的で男女問わずモテるが、恋愛にはあまり執着がなく、甘えられる関係を心地よいと感じていた。
⸻
透が家を出ていったのは、雨の降る静かな夜だった。
部屋の片隅には悠真が脱ぎ散らかした服が無造作に放られ、テーブルの上には食べかけのまま冷めた夕食が残っている。もう何度も同じことを繰り返してきた。
「……ごめん、仕事で遅くなった」
「うん、大丈夫」
透はいつもそう言って笑っていた。悠真が約束を破っても、飲み会で朝帰りしても、彼は決して怒らなかった。ただ静かに食事を用意し、部屋を整え、待っていた。
でもその夜、透は違った。
「もう……無理かもしれない」
小さなスーツケースを手にした彼は、ひどく静かな目をしていた。
「え?」
「もう悠真の中に俺の居場所はないんだね」
そう言って、透は玄関のドアを開け、静かに出ていった。
⸻
「透、洗濯しといて」
「わかった」
「あと、シャツのボタン取れそうだから直して」
「うん」
「夕飯、適当に作っといて」
「……わかった」
透は、悠真の世話をすることが当たり前のようになっていた。最初の頃は、「ありがとう」と笑ってくれていた悠真も、次第にそれが当然のことになり、いつの間にか「ありがとう」すら言わなくなった。
友人と飲みに行けば連絡もなしに朝帰りすることも増えたし、デートの約束を忘れることもあった。
「ごめん、仕事が忙しくて」
「そっか」
透は笑って許した。でも、心の中では少しずつ傷が増えていった。
⸻
最初は、幸せだった。
「透、俺と一緒に住まね?」
「あ、うん……!」
「やった! 絶対楽しいぞ!」
悠真が透の手を引いて、不動産屋に行った日のことを今でも覚えている。嬉しそうに新しい部屋の間取りを見て、カーテンの色を決めて、二人でソファを買った。
「今日から俺たち、家族だな」
「……うん」
悠真のその言葉が、透の胸をじんと温めた。
それなのに、いつの間にか悠真は透の存在を当たり前のものだと錯覚するようになった。
⸻
決定的だったのは、悠真が友人たちとの飲み会の席で言った一言だった。
「いやー、彼女もいないし気楽でいいよ」
「え、透くんとは?」
「透? あいつはまあ、家にいるけど……彼女っていうか、なんだろうな、家政婦みたいな?」
その場にいた透の友人が、後日こっそり教えてくれた。
「……そうなんだ」
透は何も言えなかった。
その夜、悠真はいつものように何事もなかったかのように帰宅し、透が作った食事を食べた。でも、透はもう、これ以上ここにいることはできないと悟った。
そして、家を出ることを決意した。
⸻
「……あれ?」
朝起きて、リビングに透の姿がないことに気づいた悠真は、寝ぼけたままキッチンに向かった。でも、そこにあるはずの透の朝食はなかった。
「透?」
部屋を見回しても、透の姿はどこにもなかった。スーツケースが消えていることに気づいた瞬間、悠真の心臓が跳ねた。
「まさか……」
透のスマホに電話をかける。
──電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため、かかりません──
「嘘だろ……?」
何度かけても同じだった。
やっと気づいた。
透はもう、自分のもとには戻ってこないのだと。
⸻
透の行方を探そうとしたが、彼の好きなものや行きそうな場所が何一つ思い浮かばなかった。
「……俺、透のこと何も知らなかったんだな……」
愕然とした。
今まで彼が何を考えていたのか、何を好きだったのか、全然わかっていなかった。透がいることが当たり前すぎて、彼の気持ちを考えることすらしていなかったのだ。
でも、諦めるわけにはいかなかった。
⸻
数ヶ月後、ようやく透を見つけた。小さなカフェで働いていると聞いて、悠真は息を切らしながら駆けつけた。
「透!」
透が驚いたように振り向く。
「……何?」
「ごめん、全部、俺が悪かった……もう一度、俺のそばにいてくれ」
透は少しだけ目を伏せた後、小さく息を吐いた。
「悠真が変わったって、どうやって信じればいいの?」
「証明するよ、何年かかっても」
その言葉に、透は少しだけ笑った。
⸻
それから一年。
「……おかえり、悠真」
「ただいま、透」
今度は、ちゃんと「ありがとう」と伝えながら、二人は手を繋いで生きていく。
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